御門神社(岩舟町静)

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 相良酒造の北東に鎮座する御門神社(下都賀郡岩舟町静3591)。

『平将門の拠点であった御門に、将門を奉斎。将門は律令政府に対する反逆者ではあったが、当地においては馬宿が将門の拠点であったことなどから、むしろ身近な英雄であった。将門討伐の命を受けた平貞盛によって天慶二年一二月に討たれた時、将門の御魂に対し人々は深い同情と恐れを抱き、鎮祭した』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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 二の鳥居。
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 拝殿。

 一の鳥居の時点で既に遠雷と共に雨が落ち始めていたが、ここで遂に大粒の雨になって来たのでこれで撤退。境内社や末社等については前回参照
 以上で6月22日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mmとFA28mm、FA50mm。
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神明宮(岩舟町静)

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 御門神社の西に鎮座する神明宮(下都賀郡岩舟町静3642-2)。
 三年前に御門神社に参拝した時はまったく気付かなかったのだが、地図を見ていたら、おやこんな所に神社があるぞと言うことでこちらに参拝。神社前の道幅は車一台分程、当然駐車スペースなどは無いので御門神社に置いてそこから徒歩で。
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星宮神社(岩舟町曲ヶ島)

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 これまた三年ぶりの星宮神社(下都賀郡岩舟町曲ケ島696)。
 前回とは違い、一の鳥居の貫が落ちて脇に置かれている。
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 大正九庚申年十一月吉日と刻まれた庚申塔。大正九年は1920年。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
『創立年代不詳であるが、本殿棟木に安永五(1776)年の記載があり、また、それ以前より当地に鎮座していた証の写しがあるので、江戸時代中頃には神徳奉賛の祭典が現社殿において斎行されていたと考えられる。当社は、磐裂神・根裂神を主祭神と仰ぎ、譽田別命を相殿に配祀する。本殿は氏子達の浄財によって奉納されたものである』(「栃木県神社誌」より抜粋)

神明宮(岩舟町曲ヶ島)

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 江川に架かる六人内橋の西側に鎮座する神明宮(下都賀郡岩舟町曲ヶ島)。
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 拝殿。
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 拝殿の真裏にあるので、こちらが本殿なのかな?
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 拝殿左手前の石塔。なんだろうこれ。

十二社神社(藤岡町赤麻)

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 江川に架かる上江川橋の西側、江川児童公園内に鎮座する十二社神社(藤岡町赤麻3479)。
『主祭神 國常立尊
 創立は不詳である。明治三六年(1903)の十二社神社碑によると、天正年間(1573~92)に皆川山城守の遺臣、小野某の一行が来訪し、江川邑を開拓。勝地を選んで天神七代地神五代を勧請し、十二社神社と称して鎮守の神と崇めたという』(「栃木県神社誌」より抜粋)

『天神七代地神五代 距今三百有餘年天正の際 皆川山城守遺臣 関口某、小野某、某外数人輩来開江川邑首選勝地勢請祭日 十一月十九日 三月二十一日 草創当時一小祠也 慶長五年(1600)始造営社殿植松杉樅数百本寛文十二年(1672)改正本殿 明治二十六年(1893)六月修復 同三十五年(1902)九月、有空前暴風社前之大木為倒朴而壊坪殿本社邑人相謀再建境内九百余坪、田畑二段三畝植松一千株という。境内神社に 八坂神社、熊野神社』(「藤岡町史」より抜粋)
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 鳥居の脇には十二社神社の由緒を記した石碑と八坂神社。
『十二社神社碑
距今三百有餘年天正之際皆川山城守之遺臣■口某小野某外數輩來闢江川邑首撰
勝地勧請天神七代地神五代稱曰十二社神社以為鎮守蓋以敬神之意■範後昆者乎
然而當時草創僅一小祠也慶長五年■造營社殿植松杉樅數百本寛文十二年改造本
殿明治廿六年六月復修本社及拜殿荘厳■■丗■年九月有空所之暴風社前之大木
為倒仆而壊拜殿本社■得全於是邑人相謀更新拜殿本■三月工事吉竣輪煥倍舊神
徳愈顯夫敬神者至誠之極也人心苟■至誠忠孝何以得全乎■社■之遺意■外于比
矣今也殿■広壮比於之隣里無遜邑焉況神池豊乎■■九■余坪田■二反三畝歩是
皆係有志寄附今又植杉苗十千株以為後■■■江川戸數廾三實不■赤麻一部小字
而協同一致能維持如比之大社鳴■又可謂體祖創社也矣■記梗概以告後人云爾
           赤麻少學校長荻原小■郎謹撰併書』
 多少読み取りの怪しい部分もあるけど、内容を大雑把に纏めると、栃木県神社誌の記述のようになる。
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 拝殿と境内社。藤岡町史には境内社は八坂神社と熊野神社があると書かれているので、こちらは熊野神社になるのだろう。その手前には改築記念碑。
『明治二十六年(1893)に社殿の改築がなされて以来百年あまりが経ち、この社殿も老朽化して修復の必要に迫られました。そこで、その資金として氏子の修復積立貯金を昭和六十三年(1988)四月より始めました。
 平成四年(1992)六月の協議によって改築をすることに決定し、直ちに着工しました。社殿の規模は従来のものと同じで総工費は壱千弐百五拾万円、平成五年五月二日に落成しました。
 この間、宮司の鈴木氏や神社庁の指導をうけ、氏子も一致して進めてきました。
 社殿の落成は誠に喜ばしく慶賀にたえません。ここに、氏子一同の限りない発展を祈念し記念碑を建立します。
 平成六年四月吉日』
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 横から。

八幡宮(藤岡町中根)

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 中根地区公民館の東隣に鎮座する八幡宮(藤岡町中根330-1)。
 ここから少し東に向かうと、中根八幡遺跡と呼ばれる縄文時代中期から後期にかけての遺構が残っているのだそうだ。
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 参道の東側に池。
 青いトタン板で囲われた建物は厳島神社なのかポンプ小屋なのか、ロープが張られていて池に近付けなかった為確認できなかった。
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 拝殿。
『当社は、文治年中(1185~90)、源頼朝が奥州発向の際に長くこの地に留まり、武運長久の祈願のために鎌倉の八幡宮を新たに勧請して建立したものと伝えられている。その後、享保一○(1725)年、祠を修復し、八月一四・一五日に神楽を奏し、放生会ならびに諸々の祭事を行うことを定めた』(「栃木県神社誌」より抜粋)

『主祭神 誉田別命
 配 神 磐裂神、木花開耶姫命、大雷神、稲倉魂命、大杉大神、市杵島姫命
 源頼朝奥州発向の際に長く此の地に留連あり鎌倉八幡宮を武運長久の為に勧請、その後神事絶えし故をもって氏子一同協議の結果五穀成就氏子繁栄を祈願して若宮山別当青蓮寺法印慈照 名主三左衛門、年寄弥右衛門 久右衛門、勘之亟、八右衛門、当村氏子にて享保十二年己年(1727)八月十五日以来、八幡大菩薩として祭礼を実施、放生池はボン字の形と伝う。境内神社は、浅間神社』(「藤岡町史」より抜粋)
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 昭和戊辰三年(1928)八月十五日造立の狛犬。
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 土俵。
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 正一位稲荷大明神と書かれた幡が立て掛けられているので、稲荷神社なのだろう。左の石祠はわからないけれど。
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 末社。こちらが浅間神社だろうか。
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 末社。

熊野神社(藤岡町富吉)

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 西前原工業団地の西側に鎮座する熊野神社(藤岡町富吉1399)。
 改築記念碑と扁額には平成十九年四月吉日と記されているので、六年前に改築されたばかりのようだ。

住吉神社(藤岡町富吉)

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 栃木市立藤岡第二中学校の東隣に鎮座する住吉神社(藤岡町富吉1540-1)。
 柱が四角いので住吉鳥居だが、実物を見たのは初めてかも。

『主祭神 上筒男命 中筒男命 底筒男命 息長帯姫命
 口碑によれば、慶長年中(1596~1615)、後陽成天皇の時代に、摂津国住吉神社の分霊を勧請したという。文化六(1809)年社殿を改築したが、以来腐朽甚だしく。昭和二五(1950)年一月起工して拝殿の改築を行なった』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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 拝殿と狛犬。
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 狛犬。台座には昭和八年九月吉日と刻まれている。
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 社殿斜めから。
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 本殿。
 壁面には文を読んだり筝を爪弾いたり囲碁をしたりなどと言った公家の姿の彫刻が色鮮やかに施されている。
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 天満宮。
 側面には文政七甲申年二月吉祥日と刻まれているので1824年の造立。

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 住吉神社の北側、消防分署の近くに鎮座する祠(大体この辺)。稲荷社かな?

天満宮(藤岡町富吉)

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 栃木市立藤岡第二中学校の北西に鎮座する天満宮(藤岡町富吉1191-1)。
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 由緒等は不明。
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三嶋神社(藤岡町富吉)

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 藪の中に鎮座する三嶋神社(藤岡町富吉982-2)。
 地図を見ながら歩いて来たもののなかなか見つからず、周囲をうろついてようやく藪の中に祠の姿を見つけ、蜘蛛の巣や蚊に苦労しながら到着したのだが、今度は出ようと思ったらどこから入って来たのかわからなくなってまた一苦労。
 こちらの神社についてはググってみても見当たらず、栃木県神社誌にも記載が無いので詳細は不明。

稲荷社(藤岡町富吉)

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 感応寺の南西、石川商店‎の向かい側に鎮座する稲荷社(藤岡町富吉)。
 感応寺から三嶋神社に歩いて行く途中に偶々見かけただけなので、詳細は不明。

感応寺(藤岡町富吉)

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 富吉上坪公民館に隣接する天台宗感応寺(栃木市藤岡町富吉963)。
 石段の脇に何故か砲弾がある。
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 感応寺の南側に鎮座するお堂なんだか祠なんだか、中が全く見えないのでさっぱりわからない。
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 青面金剛と地蔵尊、十九夜念仏供養塔。
 青面金剛と地蔵尊は元禄十四辛巳年(1701)九月、十九夜念仏供養塔は寛延四辛未年(1751)十月の造立。

稲荷神社(岩舟町静戸)

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 岩舟小山バイパス鎧ヶ淵から南へ二つ目の信号機の南東に鎮座する稲荷神社(下都賀郡岩舟町静戸172)。
 鳥居の手前左側に駐車場があるが、あまり広くは無いので先に停まっている車があったりすると切り返しに困るかも。幸いにも誰もいなかったので余裕を持って切り返せたけど、そうでないと出る時に面倒。参道の幅は車一台分しかないのに長さは150mくらいあるから。
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 正面に「奉寄進稲荷御寶前」、側面に「正徳三癸巳天」「十一月吉日」と刻まれた石塔。正徳三年は1713年なので、こちらの稲荷神社はそれ以前の創建と言うことになる。
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 拝殿。
『当社の主祭神稲倉魂命は五穀豊穣の神として崇められ、水の神・山の神である水速女命・素盞男命を本殿に合祀する。一一月二三日の例祭には、厳粛かつ賑やかに神人和楽の祭典が斎行されている。平成五年六月に作られた拝殿と狛犬は、氏子によって奉納されたものである』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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 平成五年六月造立のお狐様。右側は正直ちょっとキモい。左側はイケメンな雰囲気。
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 末社。
 左奥から不明(明治三拾七甲辰年二月吉日)、弁財天(明治三拾七甲辰年二月吉日)、道祖神(文化十一甲戌九月吉日)。明治三十七年は1904年、文化十一年は1814年。
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 参道入口脇の板倉雷電神社神璽。右の神璽はよくわからないが、大平と書かれているように見えるので、太平山神社の神璽なのかも。

荷渡神社(岩舟町曲ヶ島)

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 五斗内公民館の北隣に鎮座する荷渡神社(岩舟町曲ヶ島1416)。
 こちらも前回から三年ぶり。

『主祭神 瀬下津姫命
 寛政一三(1801)年と明記する棟札あり。「奉修荷渡権現宮字処」と官有地台帳に記載された証明の写しがある。当地は昔、海上運送の中継港として栄えたようであり、開運安全を願い、速川の瀬におられる瀬下津姫命を奉斎した。本殿は神威の更新を願い、氏子達の浄財に依って奉納されたものであり、氏子の崇敬深く今日に至る』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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 本殿。
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 東側から。

愛宕神社(岩舟町曲ヶ島)

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 岩舟工業団地の南側に鎮座する愛宕神社(下都賀郡岩舟町曲ヶ島1928)。
 前回こちらに参拝したのは2010年6月5日なので、ほぼ三年ぶり。
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 拝殿。
『創立年代不詳。主祭神軻遇突智命は金銀財宝守護・金運・招福・鎮火・火防の御神徳をもち、本殿は神威の更新を願い、氏子達の浄財によって奉納されたもの。氏子の崇敬篤く、守護神として今日に至る』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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 愛宕神社から少し南に向かった道端に地蔵尊・如意輪観音・青面金剛。如意輪観音は元文五庚申歳(1740)九月の造立。

熊野社(岩舟町三谷)

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 林道広戸三谷線長坂峠の大明神山登山口脇に鎮座する熊野社……で、いいのかな。
 右奥の登山口から入って行くと大明神山へ。
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 熊野とか那智山とかの文字があるから熊野社だろう、多分。小雨がぱらついて来たので大明神山には登らなかったのだが、どのみち山頂には祠は無く、こちらと同じ木札が木にくくりつけられているだけのようだ。
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 向かい側には馬不入山の登山口。

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 林道を南へ下って行くと、途中このあたりにも鳥居。

大山祇神社(岩舟町小野寺)

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 栃木県道75号線から三杉川を渡り、東北自動車道ガード下をくぐって南へ向かって行くと、林道山中広戸線の脇から神社参道が山側へと伸びている。
 携帯のGPS情報では神社の位置はこのあたり。そして入口はここ。駐車スペースは無いので、林道を少し進んで脇のやや広いエリアに駐車。
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 拝殿。
 扁額などは見当たらないが、中を覗きこむと大きな神璽に大山祇命、小さな神璽に金刀比羅神と摩利支天の名が記されていたので御祭神だけは判明。しかし山神社なのか三島神社なのか阿夫利神社なのかはわからないので、暫定的に大山祇神社と呼んでおこう。
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 林道山中広戸線を南へ走って行くと、途中で鳥居が見えて来る。
「大守の神」かと思ったら、よく見ると「美守の神」のようだ。どんな神なのかも何故こんな場所にあるのかもわからない。裏の細い道を上ってみたのだが、すぐに木々が深くなって来たのでそこで撤退。祠があるのかどうかは不明。

琴平神社(岩舟町小野寺)

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 栃木県道75号線脇に鎮座する琴平神社(下都賀郡岩舟町小野寺1299-4)。

『主祭神 大物主命
 当社は字堀の内にあり、小野寺前司太郎通綱の城跡に鎮座する。そこには広大な榎があり、「もしこれに触れると災禍を被る」といわれていた。そこで当時の人々は相談し、享和二(1802)年正月一○日、江戸虎の門の琴平神社を遥迎して榎の樹下に建立。以来その災禍は鎮まったという。本殿は氏子達の浄財によって奉納されたものである』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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 拝殿。
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 末社。
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 琴平神社の南東、東北自動車道ガードそばの小野寺城跡碑。
『保元元年(1156) 小野寺義寛  築城
 承久三年(1221)    道綱戦死廃城』

小野小町の墓(岩舟町小野寺)

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 村檜神社前から東を向くと、「史跡 小野小町の墓」(下都賀郡岩舟町小野寺中妻)と書かれた看板が立てられているのが目に入る。栗橋にある静御前の墓でもそうだったが、こう言うものは胡散臭いと思いつつも浪漫を感じてしまう。
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 平成二十年(2008)に修復整備されたもので、それ以前は木の根元に墓石と案内標柱があるだけのものであったようだ。
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 墓石の後ろに如意輪観音と聖観音。聖観音には元禄十五壬午天七月十六日と刻まれているので1702年の造立。
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 石碑。
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 大慈寺薬師堂前に設置された案内板。
『小野小町と大慈寺
 平安時代に生きた六歌仙の一人小野小町が、大慈寺御本尊の薬師如来に病気平癒の祈願をしたと伝えられています。
 最初、小町が病気治しの祈願をしたが治らず、和歌のやりとりをした後ようやく回復し、それ以降ここに住み着きました。
 小町の最期は、諏訪が岳の北東に位置する断崖絶壁に登り、眼前に薬師如来の浄瑠璃浄土の世界を見て、そこに身を投げました。(「身投げ堂」藤坂ロックガーデンの場所)
 村人はその小野小町の遺体を、大慈寺の薬師如来堂の真東、村檜神社前という村内の重要な場所に丁重に葬りました。(東百メートル)
 大慈寺は小野氏と関係があり、小野寺とも呼ばれること、大慈寺で修行した慈覚大師円仁と同じ遣唐船に、小野篁が乗船していたことなどから、小町は小野寺に本当にいたのかもしれません。
 小野小町の黒髪がやがて小野寺のイグサとなり、そのイグサを用いた畳の家では、かならず子宝に恵まれると言われました。
 大慈寺では、小町ゆかりの子授け(女性の恋愛)守りもお分けしております』
 ちなみに藤坂ロックガーデンは2013年5月12日、つまり先月から入山禁止になっている。
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 薬師堂脇に小町の碑。

 以上で6月8日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mmとDA35mm Macro、DA70mm。K-7に50-150mm II。

村檜神社(岩舟町小野寺)

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 諏訪岳南東麓に鎮座する村檜神社(下都賀郡岩舟町小野寺4697)の一の鳥居

『当社は、孝徳天皇の大化二(646)年九月二九日の創建と伝えられる。熊野大神・大山咋命二柱を祀り、佐野庄小野寺十郷(小野寺・上岡・下岡・三谷・新里・吉江・下津原・駒場・鷲巣・畳岡)の総鎮守として崇敬され、大同二(807)年に皆川村小野口の八幡宮を当社に合祀して主祭神と仰いだ。
 また清和天皇の御代(858~76)、皆川村字八幡沢に八幡大神を勧請したが、この地が不浄のため、光孝天皇の御代(884~87)に勅して当地に合祀し、陰暦八月一五日を以て大祭日と定めた。醍醐天皇の延喜年間(901~23)には、全国二八六一社の延喜式内社に加列した。
 藤原秀郷公は、唐沢山築城のおり当神社が鬼門に当ることから守護神として厚く崇敬し、また天慶二(939)年の平将門の乱に武勲を挙げた際、村檜神社の御神徳の賜物と感得し、御幣を捧げかつ弓矢・永代七〇貫文を奉納し(「下野国誌」)、篤く神威を讃えた。
 現在の社殿(本殿)は室町後期の建物で、三間社春日造檜皮葺で国重要文化財の指定を受けている。小野寺領主・唐沢城主・足利義持等がその造営にあたったといわれている。下野国式内三之宮として今もなお多くの人々の崇敬を集めている』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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 神社入口。
 石燈籠の左から大慈寺の駐車場に入ってそちらに駐車。参道を上って行くと社務所の裏手に広いスペースがあったので、もしかしたらそちらが村檜神社の駐車場だったのかも。因みに神楽殿脇までは車で上って行くことも可能。
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『岩舟町指定文化財(天然記念物) 村檜神社社叢
昭和47年4月1日指定
 646年(大化2年)に熊野大神と日枝大神をむかえて祀られた村檜神社の祭神は誉田別命です。
 延喜式内社の一つに数えられ、本殿は三間社春日造、屋根は檜皮葺で1553年(天文22年)に建てられたものです。
 1908年(明治41年)に、国の重要文化財として指定されました。
 神社の境内は広大で、参道両側の杉などの社叢は樹齢1000年にも及ぶと思われます。
 平成13年3月』
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 狛犬と記功碑。
『記功碑
神社興隆の根元は敬神思想の喚起と經營の確立にあり當社は式内の古社として深き由緒を有し下野十一社三の宮として有數の社なりしも財産過少にして經營に困難し來りしに明治三十九年字上耕地四六九六番の一國有上地林五町十一歩の公売発表をせらるるや時の大字惣代中田喜一郎野尻常三郎島田耕作野口藤治*倉平吉之五氏能く氏子民心の統一を計り萬難を排して遂に金七百三十圓を以て其の拂下を貫徹し立木賣却代金を控除し金四百四拾貮圓拾七銭也之資金と山林五町十一歩の神社財産を造り以て當社永遠の基礎を確立せられたる功績洵に感銘之至りなり茲に該事業之経緯を録し以て後昆に傳うるものなり』
 *の部分は桼か枩だと思うのだが、これともまた微妙に違うのでなんとも。
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 神橋と二の鳥居。
 右側の建物は村檜会館。社務所と宮の下簡易郵便局も兼ねている。
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 石段。
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 神門。
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 参道左手側の末社。何神社なのかはわからない。
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 神門を拝殿側から。随神門ではなく、寄合所と言った感じだ。
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 社殿。
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 横から。
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 ユーモラスな表情の狛犬。
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 横から。
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 猿田彦尊と末社。石祠の額部分には「體」の文字が刻まれており、その左側にうっすらと「山」らしき文字も見える。右側は剥がれ落ちていてわからないが、おそらく男體山だろう。
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 末社殿。
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 西宮神社。
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 横から。
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 末社と京路戸峠案内板。
 唐沢山神社まで歩いて行くことができるようだけど、そんな時間も体力も気力も無い。
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 神楽殿。
『一○月一七日の例祭と元旦祭には依田流太々神楽が奉納される。村檜神社太々神楽講社が結成されたのは安永二(1773)年九月。時の大宮司寺内式部大夫昌俊が始めたもので、以前より奉納されていたものを講社に組織化し、代々、社家が奉納してきたが、現在は氏子に伝授されている。この神楽は無言にして神楽歌等一切なく、笛・太鼓・鼓に調子を合わせて舞うのが特徴である』(「栃木県神社誌」より抜粋)

 7月22日追記
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 村檜神社前から県道75号線を少し北上すると、西側に農村公園入口が見えて来る。
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 鳥居が三つ見えるが、左側は奥都城のものなので、そちらはパス。
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 石造の額には「延喜式内 村檜神社」の文字が。
 このまま真っ直ぐ歩いて行くと、舗装された参道に出る。
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 社名を記したものは見当たらないが、おそらく雷電神社か愛宕神社、もしくはその合祀社であると思われる。
 場所的にはこのへん
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 石祠と雷電神社・愛宕神社移転記念碑。

山神宮(岩舟町小野寺)

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 岩舟ジャンクションの西側、栃木県道282号線と県道75号線の合流点から西へ向かうと行き止まり手前に山神宮(岩舟町小野寺)が鎮座している。
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 山神宮と言う名から見て御祭神は大山祇命だと思うが、詳細は不明。

三島神社(岩舟町三谷)

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 三谷公民館の東隣に鎮座する三島神社(下都賀郡岩舟町三谷133)。

『主祭神 大山祇命
 当社の創建は、永禄二年(1559)四月である。伊豆国三島大神を勧請し、鎮守と称した。明治四二年(1909)七月三日、無格社熊野神社・御前神社・愛宕神社・御霊神社・山神社・猿田彦神社を合併。灯籠(明治三四年・昭和五四年)・明神鳥居(大正一二年)は篤志家の奉納、手水舎は紀元二千六百年記念に氏子達が奉納したものである』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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 拝殿。
 改築記念碑には昭和六十年十二月三十日竣工と記されている。
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 境内社。
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 末社群と砕けた青面金剛。
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 塚の上にあると言うことは、浅間神社だろうか。
 石祠の背面には「安政三年辰年三月吉日 平成十五年四月吉日再建」と記されている。因みに安政三年は1856年で平成十五年は2003年。

時平神社(岩舟町古江)

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 古江公民館と合体している時平神社(下都賀郡岩舟町古江847)。

『藤原時平の遠祖天津児屋根命を奉斎する当社では、国土安泰・産業繁栄の御神徳を仰ぎ、氏子達の崇敬篤く、祭典が斎行される。明治四一年(1908)一二月四日、無格社八幡宮・鬼渡神社・十二所神社・冬住神社・愛宕神社を合祀し、大正五年(1916)一月一○日には無格社琴平神社・二柱神社・厳島神社を合祀した。灯籠は、大正二年二月に氏子が奉納したもの』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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 神橋と灯籠。
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 拝殿。
 左奥の赤い屋根の建物が何神社なのかは不明。
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 本殿北面の壁には二十四孝の陸績が彫られている。
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 本殿東面の壁には二十四孝の唐夫人。
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 本殿西面の壁には二十四孝の楊香。
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 末社群。
 左端は社名は不明だが卐紋が陽刻されている。その右も不明、不明、鬼渡神社、社名読み取れず、冬住神社、不明、愛宕神社。
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 末社。
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 大国主命・蛭子之命。

御母堂宇(岩舟町上岡)

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 鹿島神社のすぐ南側、実相院跡地に建てられた御母堂宇(下都賀郡岩舟町上岡69)。こちらは岩舟町指定の史跡になっている。
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 慈覚大師円仁の母公の墓。
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鹿島神社(岩舟町上岡)

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 実相院跡の北側と言うかすぐ隣に鎮座する鹿島神社(下都賀郡岩舟町上岡71)。
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『鹿島神社
下都賀郡岩舟町大字上岡七一
主祭神 武甕槌命
例 祭 一○月十七日
境内地 一二○坪
旧社格 無格社
本 殿 流造木羽葺
宮司名 寺内法子
氏 子 二八戸
由緒沿革
 主祭神武甕槌命は、国家ならびに地域共同体の安寧守護の神である。十月十七日の例祭には、厳粛かつ賑やかに神人和楽の祭典が斎行されている。
 当社の本殿は、神威の更新を願い氏子達の浄財によって建立されたもの。また鳥居(神明造)も昭和六十二年十二月に氏子によって奉納されたものである。
 平成二十三辛卯歳長月吉祥』

 ……神明鳥居じゃなくて明神鳥居だよね、コレ。本殿もトタン葺だし。木羽の上にトタンを被せているのかな。
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天満宮(岩舟町上岡)

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 実相院跡の南側に鎮座する天満宮(下都賀郡岩舟町上岡66)。
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 社殿。
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『天満宮
下都賀郡岩舟町大字上岡六六
主祭神 菅原道真公
例 祭 一○月十七日
境内地 二四二坪
旧社格 無格社
本 殿 入母屋造木羽葺
拝 殿 入母屋造瓦葺
宮司名 寺内法子
氏 子 二三戸
由緒沿革
 当社の御祭神菅原道真公は学問、雷除けの神として氏子地域の人々から篤く尊崇されている。本殿、拝殿は共に神威の更新を願い、氏子によって奉納されたものである。
 十月十七日の例祭には、厳粛かつ賑やかに神人和楽の祭典が斎行されている。
 平成二十三辛卯歳長月吉祥』
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 末社。
 左から天照皇大神、八坂大神、蔵王大神、妙義大神。
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 末社。
 社名は記されておらず、「の」のような形の紋が刻まれている。

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 天満宮そばの道端に並ぶ宝篋印塔と庚申塔、青面金剛など。
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 青面金剛。

十二所神社(岩舟町下岡)

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 岩舟町立小野寺南小学校の西側山裾に鎮座する十二所神社(下都賀郡岩舟町628)。

『当社の御祭神五十猛命は、素盞鳴命の御子神として広く知られている。本社創建については不詳であるが、明治四一年(1908)五月一六日に、無格社の神明宮と佐々屋木神社との合祀が許可されているので、それ以前の創建と考えられる。拝殿は氏子達の浄財によって奉納されたものである』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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 拝殿。
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 斜めから。
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熊野神社(岩舟町三谷)

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 岩舟町総合運動公園野球場の西側、畑と民家の間に鎮座する熊野神社(下都賀郡岩舟町三谷)。
 詳細は不明。
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 拝殿。
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八幡宮(岩舟町新里)

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 八幡山の裾野に鎮座する八幡宮(下都賀郡岩舟町新里1511)。
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 社殿。
『明治四一年九月三日、無格社稲荷神社・神明宮・熊野神社・雷電神社・太部神社を合祀した。当社の御祭神・誉田別命は身体健全・学問成就の神として氏子達の崇敬篤く、例祭には厳粛かつ賑やかに祭典が斎行されている。拝殿・手水舎(大正五年)・明神鳥居(昭和三年一一月一○日)等は、氏子の奉納によるものである』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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『舌代
 本宮は、明治四年十一月当初の大工棟梁池田秀蔵と、佐野天明宿御宮師大澤長久両氏の手により、四年間と言う長い歳月を経て明治八年四月に完成せしこと。並びに明治十一年九月に内務省の許可を得て稲荷神社を始め、五神社の合祀が行なわれたことを附記しておくと共に、この調査に御協力を頂いた各位に厚く御礼申し上げるもの也』
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『「八幡宮」と「夫婦杉」の由来
 今を去る約八百年の昔、この地の山麓に多くの人の住む集落があり(現在西山溜と呼ばれる池もその名残)、そこに暮す人達は神仏への信仰の念厚く、ここに村檜神社より第十五代応神天皇(諱は誉田別命)を分祀してこの山懐に「八幡宮」と境内社として厳島神社の建立に至り、以後この山を八幡山と称して、多くの字民の親しみの手で守られて来た。
 時移り明治四年(1871)太政官により廃仏毀釈の布令がなされるに至り、神道謳歌の気風が高まり、総欅造りの後世に誇り得る立派な本殿の落成を見るに至った。
 奇しくも、時を同じくして桧の木立の中に二本の杉の若芽が萌え出ですくすくと育ち、やがて幹が融合するに至り、此れぞ正しく神の賜りし、夫婦円満至福の御神木として、善男善女の深く敬愛する所となった。
 自今この木を「夫婦杉」と命名し、大字の安寧と繁栄を見守りあらんことを請い願うものである。
 平成十年十月吉日』
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 稲荷神社と石祠九基(前列七基、後列二基)。
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 厳島神社と石祠、庚申塔。

雷電神社天満宮(岩舟町新里)

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 先程の熊野神社から北上して行くと、畑の中に雷電神社天満宮(下都賀郡岩舟町新里)が鎮座している。
 こちらも詳細は不明。
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