舘澤天満宮(八千代町新地)

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 山川沼排水路に架かる大山橋の南に鎮座する舘澤天満宮(結城郡八千代町新地508)。
 入口脇の石碑には、大正三年(1914)二月十六日に神饌幣帛料供進社に指定されたと記されている。
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 拝殿。
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『舘澤天満宮建築記念之碑
 鎮座地  八千代町大字新地小字舘澤五○八番地
 祭 神  菅原道眞公
 祭 祀  例祭(十一月二十五日)
      春祭(二月二十五日)
      夏祭(七月二十五日)
 由緒沿革 創立(一一○○年前頃)
      高望王第五世の孫、平良文という位の高い方が、この地方を治める。後に
     村岡与五郎と改名。天慶二年(939)、陸奥守となり、鎮守府将軍を兼ねて
     いた時に、澤の上に城郭をつくり舘澤といって、多勢の人々が出入りするよ
     うになった。その当時、崇拝されていた、菅原道眞公を祀ってた舘澤天満宮
     と稱して信仰させた。また、皮膚病の神として信仰され、山椒の樹を奉納す
     る風習がある。
 神 紋  梅鉢
 神 木  椎 樹高 十五米
        樹回 五米三十糎
 合 祀  明治四十六年六月、鹿島、香取両神社合祀とする。
 平成十六年五月吉日落成』
 註:明治は四十五年(1912)七月三十日まで。
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 香取神社・鹿島神社。
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 御神木。

 以上で12月21日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mm、DA21mm、DA35mm Macro、FA50mm F1.4。
 今年の神社巡りはこれが最後かな。
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稲荷神社(村岡)

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 村岡柴崎古墳一号のすぐ東側に位置する村岡柴崎古墳二号墳頂に鎮座する稲荷神社(下妻市村岡686-1)。
『下妻市指定文化財 史跡 村岡柴崎古墳二号
 所在地 下妻市村岡六八六番の一
 面 積 1,195平方メートル
 この前方後円墳は形のよく保存されたもので、五世紀前半頃につくられたと考えられる。頂上には稲荷神社をまつり、郷土の人々によって長い歴史の間守り続けられて来た』
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 稲荷神社。
 大正九年(1920)一月一日の建立。

 この後は村岡香取神社に向かうつもりだったのだが、神社前の県道56号線が舗装工事中だった為、今回はパス。

浅間神社(村岡)

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 村岡柴崎古墳一号墳頂に鎮座する浅間神社(下妻市村岡686-2)。
『下妻市指定文化財 史跡 村岡柴崎古墳一号
 平成二年十月八日指定
 所在地 下妻市村岡六八六番の二
 面 積 1,722平方メートル
 この前方後円墳は形のよく保存されたもので、五世紀前半頃につくられたと考えられる。頂上には浅間神社をまつり、郷土の人々によって長い歴史の間守り続けられて来た』
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 以前はもう三基の鳥居があったのだろうか。
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 浅間神社。
 背面には明治三十八年(1905)一月建之と刻まれている。
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 東から。
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愛宕神社(八千代町仁江戸)

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 二十六夜堂のすぐ西側、愛宕山古墳々頂に鎮座する愛宕神社(結城郡八千代町仁江戸)。
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 八千代町教育委員会のサイトを見ると、こちらは八千代町指定第11号史跡として文化財指定されている。全長26m、高さ3mの前方後円墳であるのだそうだ。また管理者が香取神社となっているので、仁江戸香取神社の境外社であるのかも。
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 真新しい祠と勝軍地蔵。
 こちらの祠も地震で倒壊して再建されたのだろうか。そして勝軍地蔵は寛文七丁未天十二月(1668)と刻まれているが、それにしては破損も無く妙に新しいように見える。再造立されたものなのだろうか。

不動院(八千代町仁江戸)

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 御所神社から少し西へ歩くと仁江戸古墳群があり、墳丘頂に不動院(結城郡八千代町仁江戸)が鎮座している。
 院と呼ぶには少々アレな気もするが、祠の中の奉納額にそう書かれているのだからそうなのだろう。耳錐不動尊、■見不動尊(■は「奴」の下に「女」)とも書かれているが、墳頂の祠に収められているのは耳錐不動尊なので、その左側の小さめの祠に収められているのが■見不動尊と思われる。また昭和五十八年十一月吉祥日、東福院日照山薬王寺第二十一世純亮とも書かれているので、こちらは薬王寺持ちの祠なのかも。
 左側の祠はたぶん大師堂。
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 耳錐不動尊。寛文……何年だろう。よく見えない。
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 耳錐不動尊脇の十九夜塔と不動明王。
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 たぶん■見不動尊。
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 左から馬頭観音堂、■見不動尊、耳錐不動尊。
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 寛文七丁未天十二月(1668)造立の馬頭観音。
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 馬頭観音堂から西へ。
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 庚申塔と青面金剛。青面金剛は元文五庚申年(1740)十一月十七日の造立。
 後ろのこんもりとした部分は古墳。
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 二十六夜堂。
 二十六夜講の主尊は愛染明王の筈だが、これは馬頭観音では? 延宝五丁巳年の文字が見えるので1677年の造立。

御所神社(八千代町仁江戸)

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 山川の南岸に鎮座する御所神社(結城郡八千代町仁江戸1428)。
 御祭神は平将門公。こちらは平将門公の館址だと伝えられているのだそうだ。五所神社と呼ばれることも。また堀田道光と言う人物の館址でもあるそうなのだが、ググってみてもどんな人なのかまるでわからない。
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 拝殿。
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 昭和三年(1928)十一月十日造立の狛犬。
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 本殿。
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 左右は山車置場。中央の祠は子供神輿が収められている。

香取神社(八千代町仁江戸)

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 天台宗東福院日照山薬王寺の北西、仁江戸1号墳の墳頂に鎮座する香取神社(結城郡八千代町仁江戸1305)。
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 力石。
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 昭和三年(1928)十一月十日造立の狛犬。
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 二の鳥居。
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 仁江戸1号墳は全長71mの前方後円墳で、後円部分の頂に香取神社が建てられている。
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 拝殿と、その後ろの一段高くなった所に本殿。左側の祠は羽黒神社。
 右側の石碑に記された碑文によると、平成二十三年(2011)三月十一日の東日本大震災により本殿は倒壊、拝殿も損壊した為、翌年十月に再建されたとのこと。
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 本殿。
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 本殿脇に不動明王と……なんだろうこれ。やる夫だか油すましだかわからない顔をしているが、やはり不動明王なのだろうか。あるいは地蔵尊か。
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 末社群。
 左から四所明神、瀧尾神社、白山神社、雷神社。そして右端は上の写真にもあった羽黒神社。
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 東から。

諏訪神社(八千代町片角)

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 鬼怒川の右岸、片角農村集落センターそばに鎮座する諏訪神社(結城郡八千代町片角92)。
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 拝殿。
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 末社。
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 末社
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 末社。左奥は庚申塔。
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 勝軍地蔵……かな?

瀧尾神社(八千代町粟野)

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 茨城県道136号脇に位置する八千代町消防団第一分団の東隣に鎮座する瀧尾神社(結城郡八千代町粟野253)。
『瀧尾神社
祭神 田心姫命
 天照大御神と素盞嗚命との御女で大己貴命(大国主命)の御妻。
 素盞嗚命が天照大御神と天の安河原(大昔は神の霊魂は空をとび、天より地上に降って天下の政治を遊ばされると信ぜられていた)で、心の清明きことを誓い給える時に出現された神であるという。
 旧官幣大社宗像神社(福岡県)祭神である宗像三女神の内の一神で、外交上の神功も著しかったと伝えられる。
 また水に関連のある水神として主として淡水を管掌して、その漏出、浄化作用、棲息魚族の繁殖、延いては降雨現象をも職能とすると信ぜられた神で、古くは図象女神が専ら天神に擬せられていたが、後世は水辺の祭神が凡て混同されて、水神として崇敬されるに至ったという。

鎮座地  結城郡八千代町大字粟野二五三(旧同郡西豊田村)
祭 神  田心姫命
末 社  三峰神社 祭神 伊邪那岐命
     道陸神様
祭 祀  例祭 十一月二十三日
由緒沿革 江戸時代の創立といわれるが明らかでない。
     明治六年(1873)四月一日村社に列格、昭和二十七年(1952)九月一日
    宗教法人設立。
由 来  伝説によれば、鬼怒川の大洪水の時、日光瀧尾神社のお札がこの地に流れ
    ついたので、村の鎮守様としておまつりしたと伝えられている。
     古くから地域の人たちは通称、権現様と呼んでいる。
     日光瀧尾神社は二荒山神社の別宮として弘仁十一年(820)僧空海が姫神・
    田心姫命(子授け安産の神)をおまつりした神社。
 平成十一年十一月吉日』
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 拝殿。
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 本殿。
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 末社群。
 左から三峯神社、大杉大明神、二十三夜月天子、八坂大神、梅■大明神、十二天、稲荷社。石碑に記されている道陸神は見当たらなかったが、見落としただろうか。

鹿嶋神社(八千代町本郷)

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 鬼怒川の西岸、本郷集落センターの南隣に鎮座する鹿嶋神社(結城郡八千代町本郷481-1)。
 鳥居の柱には大正二年(1913)十一月、額束の裏には平成二十一年(2009)十一月と刻まれている。神社前の道は狭い割りには意外にも交通量多目なので鳥居の撮影にはちょっと注意。
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 参道左側に並ぶ末社群。
 左から地神社、三日月大神、浅間大神、金村別雷神社、不明、青面金剛?
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 庚申の文字があり、三猿もある。が……青面金剛なのかなぁコレ。と言って猿田彦神や地蔵尊にも見えないし。
 側面には弘化四丁未年十一月と刻まれているので1847年の造立であることはわかる。また、その反対側には文が刻まれている。餘食命神、太田神、興玉神などの名も見えるが、殆どは読み取れない。
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 末社。
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 拝殿。
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 拝殿裏に並ぶ末社群。
 中央の大杉神社以外は不明。
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 集落センターの西向かいに鎮座する大日如来堂と大師堂。
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 享保三戊戌天(1718)九月造立の馬頭観音と文化四丁卯年(1807)十一月造立の如意輪観音、安政三丙辰年(1856)十一月造立の……なんだろうこれ。鹿嶋神社のすぐ近くだし、武甕槌命の本地仏である不空羂索観音かな?

香取神社(八千代町貝谷)

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 国道125号線と茨城県道136号高崎坂東線の交差する貝谷十字路から県道136号線を少し南下すると西側に鎮座している香取神社(結城郡八千代町貝谷538)。
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 ずらりとならぶ石燈籠と狛犬。
 いずれも平成十六年(2004)五月の造立。また鳥居と社号標石も同年同月の建立。
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 拝殿正面。
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 末社。
 熊野神社と諏訪神社が合祀されている。
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鷲神社(八千代町沼森)

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 若三叉路交差点と沼森十字路交差点の間、国道125号線のすぐ南側に鎮座する鷲神社(結城郡八千代町沼森803)。
 ググってみると、南北朝時代に高師冬の陣城であった鷲宮砦の址に建てられているのだそうだ。案内板には応永十六年(1409)に創建と書かれているので、高師冬の死去した観応二年(1351)から58年後と言うことになる。とすると、神社創建以前から天日鷲命を祀る小祠でもあったのだろうか。
 ちなみに鷲宮砦は延元五年(1340年。南朝歴では興国元年)五月、南朝方の駒城を陥とした高師冬が引き上げると、南朝軍により八丁砦(現在は四所神社の辺り)、善光寺砦、関本砦と共に奪われたのだそうだ。また元亀三年(1572)に北条氏照軍の攻撃を受けて廃城になったとのこと。
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『八千代町指定文化財 指定第二十一号 鷲神社鳥居
 平成四年二月二十七日指定
 種 別 有形文化財 建造物
 所在地 八千代町大字沼森字登戸七九九番地
 管理者 高橋進(鷲神社宮司)
 作者名 額・・揮毫者 土浦神竜寺二十代住職大寅
 製作年 鳥居・・元禄十四年 額・・天保九年
 鷲神社は、応永十六年(1409)源家綱によって創建され天日鷲命を鎮座したという。
 鳥居は御影石(花崗岩)を用いた明神造りである。柱の文字から、元禄十四年(1701)神主高橋出羽掾代に造立されたことが分かる。
 額の表には「鷲宮」と草書体で浮き彫りされ、裏面の文字から天保九年(1838)に掛けられたことが分かる。この額は、相模正が土浦の国学者色川三中を通じ、大寅に依頼して完成したものである。
向かって左の柱に
「干時元禄十有四辛巳天十二月十八日、神主高橋出羽掾」
右の柱に
「奉造立鷲大明神石柱華表一基、為郷中□全諸家満足□」
額の側面に
「天保九戌正月高橋相模正高橋養朴」』
 石鳥居は高さ359cm、幅470cm、柱の直径35cmであるそうだ。
 案内板の奥に見える祠と石祠は何神社なのかは不明。
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 額。
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 浴槽のような水盤……だよね? 手水舎は無いけど、置かれた位置的に見て、多分そうだろう。
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 拝殿正面。
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 斜めから。
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 本殿。
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 末社。こちらも何神社なのか不明。
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 駐車場の近くの道端に稲荷社らしき小さな神社もあったが、もしかしたら個人所有の小祠なのかなと言う気もしたのでパス。

和歌神社(八千代町若)

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 若農村集落センターそばに鎮座する和歌神社(結城郡八千代町若1012)。
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『和歌神社由緒沿革
 祭神 軻遇突知命
    倉稲魂命
    譽田別命
 創立享保九年十一月(1724)今より二百五十有余年前古老の伝へところによると若部落の中心は沼森に接近して居り鷲神社が若部落の鎮守様で有った。
 その後明治三十二年(1899)現在和歌神社境内に神社を建立し、香取神社・熊野神社・八坂神社・諏訪神社・寿者神社・大平神社・天神社・稲荷神社以上八社を合併し愛宕神社と称した。
 その昔高貴な人と思われる久米村寿の娘和歌姫なる者の古墳を十王堂の裏より発掘したため和歌姫の和歌をとり大正二年(1913)和歌神社と改し現在に至る。
 昭和五十九年十一月吉日』
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 二の鳥居。
 鳥居、石燈籠共平成二十四年(2012)十二月の建立。東日本大震災により崩壊したものを再建したのだそうだ。
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 水盤脇に不動明王……でいいのかな。
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 拝殿。
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 平成二十四年十二月造立の狛犬。
 こちらも東日本大震災により崩壊した為、新たに奉納されたもの。
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 末社群。

 以上で12月14日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA21mm、DA35mm Macro、DA70mm、K50mm F1.4。

大日霊貴社(八千代町菅谷)

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 山川沼排水路に架かる天神橋の北東、天神塚古墳の頂に鎮座する大日霊貴社(結城郡八千代町菅谷2086)。
 鳥居手前左側には二十三夜尊と延宝八庚申年(1680)造立の庚申塔。右側にも庚申塔。
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 石段左側に大師祠。
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 拝殿。
 大棟には梅鉢紋と右三つ巴紋が見える。天神塚古墳と呼ばれることから、古くは天神社が祀られていたと思われるが、後に大日霊貴社と合祀されて主客転倒してしまったのだろうか。
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 境内社。

四所神社(八千代町八町)

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 八町集落センター脇に鎮座する四所神社(結城郡八千代町八町116)。
 名前から見て四柱の神々を合祀しているのだろうと思うのだが、詳細は不明。
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 拝殿。
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 末社。

香取宮(八千代町菅谷)

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 新長谷寺の南東に鎮座する香取宮(結城郡八千代町菅谷)。
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 平成七年(1995)十一月造立の狛犬。

鷲神社(八千代町兵庫新田)

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 真言宗豊山派太光山新長谷寺の北西に鎮座する鷲神社(結城郡八千代町兵庫新田4)。
 茨城県神社庁のサイトには八千代町兵庫新田4番地と書いてあり、NAVITIMEでは八千代町兵庫4、MapionとMapFanでは菅谷……どれが正しいのだろう。とりあえず神社庁の表記に従っておこう。現在は兵庫新田と言う大字は無い様だけど。
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 拝殿。
 主祭神は天日鷲命で、配祀神として倉稲魂命と大山祇命を合祀しているようだ。
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 文化六己巳年(1809)造立の月待供養塔。

権現神社(八千代町菅谷)

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 八千代町立中結城小学校の東隣に鎮座する権現神社(結城郡八千代町菅谷)。
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 二の鳥居。平成元年(1989)九月の建立。
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 社殿と獅子。
 権現神社建立協力者芳名には中結城小学校関係者が多く、最も古いもので昭和六十二年度なので、その頃に建立されたのかも知れない。
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 平成二年造立の獅子。

香取神社(八千代町菅谷)

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 中結城地区公園の西側に鎮座する香取神社(結城郡八千代町菅谷64-1)。
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 参道右手側に弘法大師祠。
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 二の鳥居。
 正面の石燈籠は昭和四十四年(1969)二月の造立。
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『伊勢山香取神社改築記念之碑
 香取神社は佐原市香取にある下総一の宮香取神宮の分祀である。
 カトリの名義は「日本書紀」天孫降臨の章に、「此神今在于東国檝取(かとり)之地也」と言うように、カジトリのつまった語で船の航行を掌る所から来たものと言われ、利根川を利用した船運の盛んだった事に由来する。
 祭神の経津主神は、経津主命とも言い天孫降臨に先立ち、武甕槌命とともに、葦原中国平定に派遣された神と伝えられている。当初は海運の神であったと思われるが、大和朝廷の東国支配に霞ヶ浦を挟んで対峙する鹿島神宮とともに、重要な役割を果たしたところから、軍事基地として位置づけられ、やがて武神として祭られるようになったものである。
 当香取神社は、経津主命を祀り、創立は不詳だが、明治六年(1873)四月一日菅谷村村社に列格され、同四十四年(1911)四月村内無格社の神明、諏訪両神社を合併。大正五年(1916)九月一日神饌幣帛料供進の指定を受け、昭和二十七年(1952)九月一日宗教法人として設立した。
 この間、文化元年(1804)に鳥居の建築が行われ、大正二年(1913)と昭和五十四年(1979)に大規模な改築、修理が行われている。最近になって損傷が著しく、氏子相寄り打合わせの結果、全面改築を決定、伊勢山地区内全戸に浄財を募り下記の如く完成した。

神社概要
 鎮座地  結城郡八千代町菅谷六十四の一
 祭 神  経津主命
 配 神  諏訪神社、神明社
 建築様式 宇佐神宮、石清水八幡宮に見られる八幡造で、拝殿と本殿を前後に配し
     連結一続きにした形式
 例祭日  十一月二十三日、氏子 約二百名
事業概要
 新規 社殿(本殿上屋、幣殿、拝殿)鳥居
 修理 本殿、幟立、社名標、手洗鉢
    社額(安政三年 銕胤書)
    絵馬(明治十五年 四季農耕図)
 費用総額 約弐千八百万円也
 平成十年(1998)五月十七日 落成』
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 拝殿と平成十年(1998)三月造立の狛犬。
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 社殿斜めから。
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 境内社。
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 境内社。
 どちらが神明社で諏訪社なのかはわからない。
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 落書きのように見えるが、なにか意味のあるものだったりするのかな。

香取神社(八千代町粕礼)

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 下山川の香取神社から少し東に向かった所に鎮座する香取神社(結城郡八千代町粕礼34)。
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 拝殿。
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 香取神社の他に少なくとも二社は合祀されているようだ。左の祠の紋は桔梗紋だろうか?
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 石祠が二つ並んでおり、前の石祠には梅宮、後ろの石祠には柳宮と刻まれている。どちらも天保四癸巳年(1833)三月の造立。

香取神社(八千代町下山川)

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 下山川農村集落センターに隣接して鎮座する香取神社(結城郡八千代町下山川14)。
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 拝殿。

神明神社(八千代町成田)

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 国道125号線とグリーンライン(茨城県西北部広域農道)が交差する八千代高校入口交差点の北東に鎮座する神明神社(結城郡八千代町成田148)。
 詳細は不明だが、ググってみると三週間前の11月23日に例祭と新嘗祭が行われていたようだ。
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 拝殿。
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 鳥居裏側から。中山鳥居であることがわかる。

香取神社(八千代町塩本)

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 塩本生活改善センターに隣接して鎮座する香取神社(結城郡八千代町塩本314)。
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 拝殿。
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 狛犬。
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 稲荷神社。
 鳥居の柱には「六十年祭記念」「大正九年二月初午」と刻まれているので、1920年に建立されたもののようだ。また1920年から60年遡ると1860年なので、こちらの稲荷社は安政七年(または万延元年)の創建となるのだろうか。
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 祠の中には石造のお狐さまが三体収められている。まさに三狐神(みけつかみ)と言ったところか。まぁ、その横にも何体も並んでいるのだけど。
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 末社。
 何神社なのかは不明。
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 元禄三庚午年(1690)造立の庚申塔。

大桑神社(八千代町西大山)

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 鳥居にも拝殿にも社名を記したものは見当たらないが、地図を見ると大桑神社(結城郡八千代町西大山529)と書かれている。
 結城市にも大桑神社(御祭神は稚産霊尊)があるそうなので、そちらからの分霊であろうか。
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 拝殿。
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 平成十一年(1999)十一月二十三日造立の狛犬。
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 末社。

雀神社(宮前町)

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 古河市の代表的な神社の一つである雀神社(古河市宮前町4-52)。
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 二の鳥居と狛犬。
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『本獅子像は慶應三年(1867)六月篠崎源六が願主となり奉納したものであるが此の度本殿の移轉に際し台座の破損を發見したので氏子総代と孫源六が協議の上資材を折半し一番組の労力奉仕に依り修理再建したものである。
 昭和二十九年(1954)十二月九日』
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 拝殿。
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 元禄十四辛巳天(1701)十二月造立の狛犬。
 こちらも胸部に施主名や奉献日などが刻まれている。
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 尻。
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『雀神社の祭神は、大己貴命・少彦名命・事代主命の三神であるが、その創立は明らかでない。伝承によれば、貞観年間(859~876)に出雲大社から勧請したものだという。その社名については、鎮宮が転化して雀宮になったという。その後、康正元年(1455)足利成氏が古河公方となってから、初代成氏はもとより代々の公方の崇敬が高く、また、徳川将軍家、並びに累代古河藩主の崇敬もあつく、御朱印地十五石を賜った。したがって、社殿の造営修理なども累代の藩主が行ない、現在の社殿は、慶長十年(1605)松平丹波守康長の造営したものである』

『厩町にあり、かつて猿島郡で唯一の郷社であった。俗にお雀さまといわれ、祭神は大己貴命で少彦名命と事代主命が配祀されている。創立年は不詳であるが、社伝では崇神天皇の御世豊城入彦命が東国鎮護のため勧請し、鎮社(しづめのやしろ)といい、後、訛って雀宮となったという。また別の伝承では、貞観年間(859~877)に出雲大社の分霊を祀ったともいう。
 古河公方初代足利成氏は、康正元年(1455)古河に移座すると、雀神社を信仰したといわれ、長禄元年(1457)参拝して奉幣し「天下泰平国土安穏」を祈り、この八文字を祭礼の際、万灯に書くことを許したとも伝えられている。また、祭礼中は旅人の仮宮前通行を禁止し、東裏に迂回する祭礼道を設け、維新まで諸大名の参勤交代もこれに従ったという。本殿は流造銅板葺、祭礼は一月一日が元旦祭、二月が節分祭、四月八日が春祭り、八月一日が例祭、十一月十八日が秋祭りである。
 毎年春祭りには磐戸神楽が神楽殿でおこなわれ、また、夏の祭礼には旧悪戸新田に伝わっていた獅子舞も奉納される。獅子舞はササラといい、悪疫退散の意味をもって行われている。
 秋祭りには粢(しとぎ)といわれるもち米の粉をねって俵形につくる。その器に大根を包丁でそぎ、酢と醤油で味をつけて作ったなますを盛りつけ、祭りの前夜、神前に供える。なお、この料理はすべて宮司がおこなうことになっている。
 境内社としては、三峰神社、第六天宮、香取神社、松尾神社、楯縫神社がある。とくに松尾神社は酒造家が、楯縫神社は手工業者が信仰してきた。また、この雀神社の境内には縁結びの笹があり、この笹を男女で一緒に結び、神前に祈願をこめれば二人の仲が結ばれるという言い伝えがある』(「古河市史」より抜粋)
 崇神天皇の在位期間は紀元前97年~紀元前29年と言われているが、古事記の記述では没年が258年か或いは318年とされることから三世紀から四世紀頃であると思われる。また豊城入彦命が東国へ向かったのは崇神天皇48年のことであると言う。
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 神楽殿。
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 神輿庫と神庫…かな。
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 左から松尾社、第六天宮、楯縫社。
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 左は稲荷神社・八幡神社・榛名山神社。右は不明。
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 三峯神社。
『本講ハ文政年間ノ創立ニ係リ初メ御船手講ト稱シ專ラ舩戸及ビ其ノ附近ノ講員ヲ以テ組織シツゝアリシモ時勢ノ推移ニ鑒ミ改稱ノ必要ヲ認メ大正五年三峯山古河文政講ト改メ創始ノ紀念ヲ保有シ益講ノ隆昌ヲ圖リツゝアリシガ星霜ヲ歴ルノ久シキ遥拝所クル石宮ノ漸ク破損セルヲ以テ曩ニ改築ノ議ヲ起シタルニ偶三峯本社ニ叅詣ノ砌リ社務所ニ懇望シタル結果御神木ヲ授與セラルゝノ好機ニ際會シ本年陽春ノ季ヨリ之ガ造營ニ着手シ今日竣工ノ式ヲ舉ゲ遷宮シ奉ルニ至ル是實ニ神徳加護ノ賜ニシテ講員一同ノ深ク感銘スル所以ナリ茲ニ本講ノ由来ト社殿造營ノ記ヲ録シ永久ニ傳フト云爾
 昭和七年十月十四日』
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 三峯神社々殿。
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 万葉古河渡の歌碑。
 加須市向古河の鷲神社にも古河渡の歌碑があったなぁ。
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 歌碑案内板。

 以上で12月7日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mm、DA35mm Macro、DA70mm、K50mm F1.4。Coolpix P7100。

下宮八幡宮(宮前町)

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 雀神社の北東に鎮座する下宮八幡宮(古河市宮前町6-8)。
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『下宮八幡宮・牛頭天王社・稲荷神社
ご祭神 譽田別命(下宮八幡宮)
    素盞嗚尊(牛頭天王)
    倉稲魂命(稲荷神社)
ご創建とご奉遷
 当三社は天文年間(1532~54)旧栃木県谷中村字下宮(戸数二百有余、人口一千二百有余)の守護神として鶴岡八幡宮(鎌倉市)、津島神社(津島市)より勧請し創建されました。
 明治十四年(1881)の頃より始った足尾銅山の発展と共に、銅山の鉱毒渡良瀬川に流入し、河川の汎濫、堤防の破壊、作物等の被害甚しく、谷中村は全不能の地と化しました。同三十八年(1905)県庁は谷中村を買収、この間本県選出代議士田中正造翁は帝国議会へ鉱毒の被害、谷中村復活に質問書を提出、同三十四年(1901)十二月に意を決し本事件に関して直訴を決行しました。同四十三年(1910)河川改修により氏子各地に移住、更に同四十五年堤外も買収され四百有余年の歴史を有する氏子は悲惨しました。
 現在の社殿は明治十一年(1878)の改築で、大正二年(1913)現在地にご奉遷、爾来年序を経て修覆、平成五年(1993)七月改築落成したものです』
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 鳥居の左脇に力石。
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 鳥居をくぐって左手側に津島牛頭天王社。
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 狛犬。
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 向い側には稲荷神社。
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 平成十一年(1999)十二月造立のお狐様。
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 拝殿。
 右奥の赤い建物は神輿庫か神庫だろうか。
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 享保九甲辰年(1724)九月造立の狛犬。
 胸部に文字が彫られているものを見たのは初めてかも。
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 狛犬。
 台座には皇紀二千六百年記念とあるので、昭和十五年(1940)の造立になるのかな。
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『篆額 文學博士 藤懸静也書
元谷中村ハ栃木縣ニ属シ下宮惠下野内野ノ三大字ニ別レ延長三里
余ノ大堤防ニ圍マレ戸数三百八十二人口二千二百有余西南ハ渡良
瀨川北ハ赤麻沼北東ハ巴波思川ニ添ヒ堤内一千有余町歩堤外二百
有余町歩我下宮ハ戸数二百有余戸人口一千二百有余土地肥沃ニシ
穀類豊穣濕地ニハ葮菅ヲ生ジ魚族亦豊富ナリ然ルニ古河家經營ノ
足尾銅山鑛毒ノ渡良瀨川ニ流入スルコト明治十四年ノ頃ヨリ始マ
リ銅山ノ發展ト共ニ次第ニ甚シク且ツ山林濫伐ノ結果頻年河川ノ
汎濫ヲ來シ屢々堤防ヲ破壞シ堤内外ニ於ケル作物及ビ草木ノ被害
年ト共ニ激甚ヲ加ヘ全不毛ノ地ト化シ了ラントス此ニ於テ仝三十
八年縣廳ハ谷中村ヲ買収シテ潴水地トナシ既ニ本縣選出代議士田
中正造翁ハ仝二十四年第二帝國議會ヘ質問書ノ提出ヲ始メトナシ
鑛毒ノ被害且ツ谷中村復活ニ身ヲ堵シ之ニ當リ終ニ仝三十四年十
二月ニ至リ意ヲ決シテ鑛毒事件ニ關シテ直訴ヲモ決行スルニ至レ
リ更ニ仝四十五年内務省ノ各河川改修トナリ堤外モ買収セラルゝ
ニ至レリ四百五十有余年ノ歴史ヲ有セル住民ハ各地ニ移轉シ大正
二年我等祖先以来崇敬措カザル八幡宮牛頭天王稲荷ノ三社ヲ奉ジ
此ノ地ヲトシテ遷座ス仍テ有志相諮リテ此ノ碑ヲ建ツ爾云
    皇紀二千六百一年  八幡神社々掌 鏡川計次撰文并書』

『篆額 元衆議院議員 佐藤注之助謹書
抑當八幡宮ハ今ヲ距ル四百十餘年ノ天文中守護神トシテ相州鎌倉ヨ
リ勧請シ村民ノ崇敬極メテ厚カリシガ明治以前本村名主某宅火災ニ
罹リ記録焼失シテ由緒詳ナラズ明治四十三年渡良瀬川改修ニ因リ氏
子古河町ニ移住ノ際現地ニ奉遷ス現社殿ハ明治十一年ノ改築ニカゝ
ルト云フ尚社地并所属地等ニ関シテハ明治十七年地籍改正以降全ク
不明トナリ為ニ無資格トナリ今日ニ至ル一同深ク之ヲ憂ヘ社格ノ獲
得ニ奔走セシモ終戰直後全國ノ神社ハ一齊ニ社格ヲ返上シ其要ヲ認
メズ昭和二十年八月十五日突然陛下ニハ聯合國ノポツダム宣言ニ則
リ終戰ノ詔勅ヲ下シ給ヘ其御趣旨ニ曰ク能ク忍苦ニ耐ヘ少ナキヲ分
チト詔ヘリ同二十一年一月憲法起草ノ令ヲ下シ給ヘ依テ政府ハ朝野
ノ識者數名ヲ以テ編纂シ仝十月議會ヲ通過シ仝十一月三日明治節ヲ
トシ憲法發布ノ式典ヲ擧行セラル茲ニ全ク非軍國的並ニ遠永平和ノ
基礎ハ確立セリ然ルニ國民道儀ノ頽廃其極ニ達シ吾等深ク之レヲ憂
ヘ基金ヲ募リ一同毎朝一善一仕ヲ神明ニ誓ヘ廣ク教化ニ努メ祖國再
建ノ速カナラン事ヲ希ワト爾云
   昭和二十一年十一月吉日建    針谷源三撰文并書』
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 末社。
 左から大黒天、大杉大明神、金毘羅大権現、根本山神、大杉大明神、■勝神・麻勝神・降■神、不明。■の部分は日と一と寸もしくは丁が縦に合体しているような文字で、旱のようにも見えるが、よくわからない。
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 下宮八幡宮の西隣、古河職員宿舎東門脇に建てられた「史蹟 古河藩野渡御蔵趾」碑。
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 古河藩野渡御蔵跡案内板。
 こちらの案内板は古河職員宿舎の西門側、雀神社の脇に設置されている。

八坂神社(宮前町)

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 下都賀郡野木町野渡との境附近、雀神社の北およそ300m程の位置に鎮座する八坂神社(古河市宮前町)。
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 宝暦五乙亥年(1755)九月造立の青面金剛塔。
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 八坂神社。
 その左には白山権現。左端の小祠は空っぽ。
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本成寺(横山町三丁目)

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 古河市立古河第五小学校の東側に位置する日蓮宗長久山妙光院本成寺(古河市横山町3-10-43)。
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 山門。
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 本堂。
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 立正大師日蓮像。
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 瘡守薬王稲荷大明神。
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 瘡守稲荷社の隣に鬼子母神堂。
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『当山の鬼子母神堂は慶長十二年(1607)下野国友沼(現在の野木町友沼)にある真言宗報恩寺檀徒大高新右ェ門氏が大病に罹り鬼子母神に祈願したところ忽にして病気平癒した為その砌改宗し當寺の檀中となり鬼子母神を勧請し當堂を建立されました現在友沼地区に大高家十三軒の檀中がそれであり其の後寛政三年(1791)第十五卋日耐上人の代に再建され今日に至りましたが永年の風雪の為御堂の荒廃破損が甚しい為日蓮聖人第七百遠忌の報恩事業の一つとして日哲発願し屋根瓦の葺替竝に間知石積の工事を施し御堂の内外の大改修を完成致しました
 昭和五十二年十一月吉日
 長久山本成寺第丗二卋僧正 泰省院日哲』

 境内には他に三十番神堂があるそうなのだが、はて、どこにあったのだろう。見落としていた。

西光寺(本町一丁目)

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 古河駅西口そば、大聖院から少し北に向かった所に位置する浄土宗稱名山西光寺(古河市本町1-2-28)。
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 参道左手側、駐車場脇に鎮座する飛梅天満宮
 創建時期などは不詳だが、寛文八年(1668)九月二十五日に西光寺二十三世空阿上人が願主となって再建したとの棟札が残っているのだそうだ。
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 山門。
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 木鼻。
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 本堂。
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 古河大仏。
『古河大佛
「古河大佛」造立の発願主は当山第二拾五世廣阿良義上人である。十方の道俗男女七百余名に勧進し、造功たちまち成就したという。時に、第百拾二代霊元天皇(江戸時代、第四代将軍、徳川家綱公)の延宝七年(1679)八月十五日のことであった。それから二百六十五年後昭和十九年(1944年、当山第四拾世実譽成孝上人代)四月二十三日に、大東亜戦争下に於て、銅鉄回収に応じ、最期の供養を受けて赤だすきで出陣された。それから三十五年後の昭和五十四年(1979年、当山第四拾一世行譽秀雄代)八月二十五日に、現在の大仏様が再興され、開眼法要が行われた。再興の発願主は当山檀徒近江弘氏(昭和六十三年七月二十六日寂七十四才)である。実に、当山第二拾五世廣阿良義上人による造立以来、へだたること当に三百年の年のことであった。
 この「古河大佛」は浄土宗の御本尊仏である阿弥陀如来である。この「古河大佛」にお参りし、お念仏を申すことにより、西方極楽浄土に往生することができる、過去から現在までの一切の罪障が消える、現在から未来にかけての一切の諸仏諸菩薩に護念して頂けるという御利益がある。
 手を合わせて、十回、”南無阿弥陀仏”と申してお参り下さい。合掌。
  神力演大光 普照無際土
  消除三苦冥 廣済衆厄難  十念
 平成五年八月仏歓喜日
     稱名山千手院専修院西光寺』
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