日進神社(北区日進町二丁目)

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 日進公民館の東隣に鎮座する日進神社(さいたま市北区日進町2-1194)。
 鳥居の脇には案内板が設置されている。
『大宮市指定無形民俗文化財 日進餅つき踊り
 指定  昭和三十四年二月四日
 祭礼日 一月一日
 除夜の鐘が真冬の寒気の中を響きわたる頃、日進神社の境内は初詣の人や、餅つき踊りを見学する善男善女で大変な賑わいをみせます。
 餅つき踊りは「接待餅」とも呼び、かつては村内での祝い事には随時踊られたものです。そのはじまりは江戸時代に中山道の伝馬夫役に出た若者達が通行する大名や武士たちの宿で、旅の慰安と接待を兼ねて餅つきをしたことがだんだん芸能化していったものだといわれています。
 ふかした餅米を頭上にかかげた者を先頭にして、大ぎね・小ぎねをもった者が木遣歌を歌いながら入場し、つづいて総勢で音頭に合わせ餅米を練りあげ、こね取り一人と中ぎね四人が呼吸を合わせて一気に餅をつきあげます。この真鉦搗で餅つき踊りが始まります。豊作を喜ぶ豊穣の曲搗き、丹頂鶴が飛び立つ様子でめでたさを表現した瑞祥の曲搗き、そして日露戦争の勝利を機に編曲した戦勝を祝う感謝の曲搗き(大勝利の曲搗き)へと搗き手を変えながら激しい踊りを披露していきます。
 搗きあがった餅は参拝者にふるまわれ、この餅を食べると今年一年を健康に過ごせるといわれています。
 平成元年三月』
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『日進神社 御由緒
□歴史
 当地は鴨川左岸の大宮台地に位置し、東に切敷川の低地が、西に鴨川の低地がある。中世ここは「加村」と呼ばれ、江戸初期これが分村し、「上加村」「下加村」となった。
 鎮座地は、上加村南方に当たるばかりでなく、分村前の加村中央に位置している。境内は、明治期編纂の「郡村誌」によると、「宮の腰林」と呼ばれ、杉・松・樅などの雑木に覆われていた。また、境内南西側は大宮台地の崖となっており、ここからは「出居」と呼ばれる清冽な湧水がある。この水は、近年まで天水場である当地の貴重な水源で、上下加村五町歩の水田を潤して鴨川に注いでいた。
 創建は、中世、武蔵一宮氷川神社の大神を勧請したことによる。当初の祭祀は、境内の湧水を源とし、五穀豊穣を祈るものであったと伝える。
 別当は、「風土記稿」によると、真言宗満宮寺で、当社境内南東側にあった。同寺は、明治初年に廃寺となった。
 本殿は一間社流造りである。本殿基壇石には、明治十二年九月、石垣寄附連盟として押田幸左衛門ほか三四名の名が刻まれている。
 「明細帳」によると、明治六年に村社に列せられ、同四十年、日進村に鎮座する四六社を合祀し、社号を氷川社から村名を冠した日進神社に改めた。
□祭神
 ・素戔嗚尊
□祭祀
 ・歳旦祭(一月一日)  ・春祭り(四月四日)
 ・夏祭り(七月十五日) ・お日待(十月十五日)
□伝統芸能
 「餅搗き踊り」は、江戸時代、中山道往来の大名や武士の旅の疲れをいやし接待を兼ねて行ったことに始まる。このため「接待餅」ともいわれる』
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 拝殿。
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 昭和六十年(1985)五月造立の狛犬。
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 北西側から。
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 門客人神社と稲荷神社の合祀社。

 以上で2月22日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA20-40mm。K10Dに50-150mm II。
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氷川神社(北区日進町一丁目)

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 陸上自衛隊大宮駐屯地の北、日進一丁目自治会館脇に鎮座する氷川神社(さいたま市北区日進町1-551)。
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 由緒等を記したものは見当たらず、詳細不明。
 右奥の祠には石祠が三基収められていたが、何神社なのかは不明。

興徳寺(西区宮前町)

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 宮前氷川神社の南西、宮前インターチェンジ東側脇に位置する曹洞宗宮前山興徳寺(さいたま市西区宮前町1700)。
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『さいたま市指定有形文化財(彫刻)
興徳寺木造虚空蔵菩薩坐像一体
    平成七年四月三日指定
興徳寺木造地蔵菩薩坐像 一躰
   昭和五十年二月七日指定
興徳寺木造弥勒菩薩坐像 一体
    平成七年四月三日指定
 本寺は、虚空蔵菩薩を中尊とし、弥勒菩薩と地蔵菩薩を脇侍とする三尊が旧本尊として伝えられてきました。天和二年(1682)、上内野村〈現西区宮前町〉見村伝右衛門の開基と伝えられていますが、境内からは中世期にさかのぼる古瓦が出土していますので、創建以前に同地に仏堂があったと考えられています。
 三尊の組合わせについての典拠は不明ですが、地蔵菩薩坐像が最も古く、室町時代前期の製作と考えられています。台座・両手先・裳裾・彩色は後世の手になりますが、中世の地蔵信仰を伝える好資料といえます。
 虚空蔵菩薩坐像と弥勒菩薩坐像は、様式・構造上同一仏師あるいは同一工房によって同時期に製作されたもので、室町時代後期の作例と考えられます。また、その造像技法から鎌倉地方仏師系の作例と見られます。
 一ケ寺に、室町時代の様式変遷を物語る作例が三例も存在するのは、市内では珍しく、大変貴重なものです。
 平成二十三年一月』
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 天明三癸卯年(1783)十一月造立の青面金剛。
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 本堂。
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 水子地蔵尊と三界萬霊阿弥陀如来坐像塔、戦没者供養塔があり、その右には不動尊祠。

宮前氷川神社(西区宮前町)

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 さいたま市立宮前中学校の西側に鎮座する宮前氷川神社(さいたま市西区宮前町1634)。
 境内駐車禁止の看板が設置されていたが、なにか見えるなぁ
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『神地廣域記念碑
上内野氷川神社其起古矣舊内野一郷淸河寺西新井内野本
郷西内野上内野諸村之鎭守也神域廣豁古木欝葱臨鴨川風
致甚佳然而神徳顯著郷人尊信之最厚水旱癘疫祈之以脱禍
害焉歳月之久有郷土變移町村更革之事祠域蹙隘信徒減少
今僅餘上内野一村故乏祭祀修繕之資祠宇將屬荒癈信徒等
慨之久明治九年地租改正之際官又割神域六段四畝歩以爲
國有當時總代見村好太郎等胥謀請官欲還附以充祠宇保存
之資官容其請還所割之地參段貮畝歩時維大正七年十二月
十一日也於是祭祀修繕得其貲而境内風致亦稍復焉頃者信
徒相謀集財築拜殿因欲記其事績以傳後昆需余文夫敬神者
我邦古俗美風也人人誠心能奉神効力能勉業則神之如護可
必也聊記其梗概以表之云
     大正八年十月十五日
       北足立郡日進村長齋藤仙藏撰文竝書』
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 鳥居。
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『氷川社 御由緒
 さいたま市西区宮前町一六三四
□御縁起(歴史)
 当地は、室町期の文献に「上内野郷」あるいは「内野郷」と見え、中世より開けた地であった。近世初頭には内野本郷村・上内野村・下内野村・清河寺村に分村した。当社は、こうした上内野郷(内野郷)の中にあって、中世の郷の惣鎮守の可能性を持つ神社で、大正八年(1919)の「神地広域記念碑」に「旧内野一郷清河寺西新井内野本郷西内野上内野諸村之鎮守也」とあり、実際、昭和二十年(1945)ごろまでは、当社の大祓にはこれらの村から代表が必ず参列したものであったという。
 江戸期までは、東側に隣接して真言宗明寿山神宮寺があったが、明治初年の神仏分離に伴い神職になった。
 本殿は、二間社流造りの見世棚で、素盞嗚尊と奇稲田姫尊を祀る。明治三年(1870)に、当社について調べた「大宮組合神社詳細取調帳」によると、本殿の左が男体、右が女体とあり、神体として八寸ほどの古い仏像二体と、天保期(1830-44)に造られた一尺ほどの男神女神それぞれの座像が、奉安されていたようである。ただし、この当時には既に神宮寺から復飾した神職の神谷家に遷されていた。
 「明細帳」には、境内神社として門客人社・稲荷社・天神社・愛宕社・水神社・祖神社の六社が記されているが、現在、門客人社・稲荷社・天神社・愛宕社の四社は一つの境内社にまとめられ、水神社は石祠で残っているが、祖神社については不明となってしまっている。
□御祭神と御神徳
 ・素盞嗚尊……武運長久、厄除け、商売繁盛
 ・奇稲田姫尊…良縁結び、家内安全、五穀豊穣
□御祭日
 ・大祓(七月三十日に近い日曜) ・例祭(十月十四日)』
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 拝殿。
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 社殿横から。
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 門客人社・稲荷社・天神社・愛宕社を合祀した祠と水神社。
 水神社は平成十四年(2002)十月に再建したと刻まれている。

稲荷神社(西区宮前町)

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 宮前インターチェンジ西側脇に鎮座する稲荷神社(さいたま市西区宮前町1881)。
 こちらの宝珠紋はちょっと珍しいタイプ。
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『稲荷神社御由緒
さいたま市西区宮前町一八八一
□御縁起(歴史)
 当地は鴨川右岸の大宮台地上に位置する。応永二十九年(1442)の足利持氏判物に「武蔵国足立郡上内野郷」と載るのが初見で、近世初頭に内野本郷・上内野村・下内野村・清河寺村に分村した。当社はこのうちの上内野村に祀られる。
 当社は、化政期(1804-30)に編纂された「風土記稿」上内野村の項に、村の鎮守であった氷川社と並んで「稲荷社 是も村民の持なり」と見える。
 当社は、「郡村誌」に「地味 赤七分黒三分稲麦に宜しからす稍茶甘藷に適す水利不便時々水旱に苦しむ」と載るように、昔から田は天水のみが頼りで、干ばつの被害を受けやすかった。こうした農業に不適切な地であるため、五穀豊穣を祈願する村人の気持ちは他の土地よりも強かったと思われる。このため、先の分村にあたり、当時農耕神として信仰の厚かった稲荷大神をこの地に勧請したのであろう。
 かつての当社の配置は、境内を取り囲むように南端に鳥居、北端に本社、東端に末社琴平神社、西端に末社淡島神社があった。平成元年に社殿を新築したのを機に本殿と鳥居を境内の北西に遷し、末社の二社を本殿内に合祀した。
 現在本殿の西脇には、稲垣利右衛門なる人物が寛政二年(1790)に建てた淡島神社の石祠がある。
□御祭神と御神徳
 ・倉稲魂命…五穀豊穣、商売繁盛
□御祭日
 ・びしゃ講(三月初午に近い土、日曜日)』
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 淡島神社。
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 石祠の左面には
『淡島神社銘■宇
■主心水浮菩提影現宁甹有
稲垣利右衛門者予弟子也雖
■一向宗深■金剛乗寶堂也
木曽有之仁也会也捨財而造
淡嶋宮淡者少彦名命也丁拾』
 右面には
『衆病悉除 諸難頓竭
 付麼節時 青松懸月
寛政二寅戌霜月吉日
■總持興徳十六世芳巌金剛黙仙
   施主  稲垣利右衛門』
 と刻まれている。背面は確認しなかったが、もしかしたらそちらにも文字が刻まれていたのかも。
 ■の部分は見えなかったり読み取り難かったり。他にも見間違えている部分もあるかもしれない。

八雲神社(西区内野本郷)

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 内野本郷自治会館脇に鎮座する八雲神社(さいたま市西区内野本郷)。
 左の祠は天満天神宮。その右の小さな祠は疱瘡神。
『造営之碑
 自治会館 不動明王 天満宮 疱瘡社 八雲神社
 この境内は八雲神社を始め四体の神佛が四百二十有余年の昔より地域住民の鎮守として崇拝された由緒ある所である。会員相互の親睦と文化の向上に資するため自治会館の建設と社殿の改築をなすにあたり祖先より継承した稲付場を売却しこれを基金に会員一致この事業の完成を見たり。
 茲に地域住民の加護と文化福祉の興隆を祈念し銘とする。
 昭和52年5月15日』

 昭和五十二年(1977)から420年程前となると、戦国時代、室町幕府第十三代将軍足利義輝の頃になるか。
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 疱瘡神の横に天明元辛丑年(1781)十月造立の庚申塔。
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 自治会館脇に不動明王祠。

稲荷神社(西区内野本郷)

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 ミニストップ大宮内野本郷店の北側に鎮座する稲荷神社(さいたま市西区内野本郷513-1)。
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 お狐様。

 この辺りは駐車場の無い神社が多いので、番場公園の駐車場に置いて、後は徒歩で。

神明神社(大宮区桜木町三丁目)

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 桜木神明公園の北西に鎮座する神明神社(さいたま市大宮区桜木町3丁目)。
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『神明社
 神明社は天照大神を祭神とし、伊勢の皇大神宮を奉祀した神社で、伊勢信仰に基づいて同社の御師による配札活動などを通じ、全国各地に伊勢講が結成されましたが、その結果、各地に神明社が設立されました。
 当神明社は、文政年間(1818~30)に徳川幕府が編纂した「新紀」によりますと、「鎮座の年は伝えざれど、天正二十年(1592)の水帳に神明ヶ谷戸の小名出たれば古社なるべきなり。村民の持ちなり」と記されています。
 小名「神明ヶ谷戸」は現在の桜木町三丁目、土手町一丁目の大部分の地域に相当しますが、神明社は現在桜木町三丁目の桜木公園(旧国鉄北官舎跡地内)に鎮座しています。
 神明神社保存委員会は、神明神社敷地五十六平方余りの用地を、日本国有鉄道清算事業団から平成九年(1997)十月二十二日に取得しています。
 平成十四年四月吉日』
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 狛犬…? いや、蛙だなこれは。
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 社殿。
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八雲神社(大宮区大成町三丁目)

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 大成町三丁目公園端に鎮座する八雲神社(さいたま市大宮大成町3-242-2)。
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『八雲神社由緒
鎮座地  大宮市大成町三丁目二四二番地の二
御祭神  素盞嗚尊
     火産霊神(火之迦具土神)
祭 儀  一月一日   元旦祭
     四月三日   春祈祷祭
     四月十八日  春季秋葉祭
     七月十四日  例祭(天王祭)
     八月一日   夏祭
     十二月十八日 秋季秋葉祭
境内神社 神明神社 御祭神 大日孁貴命(天照大神)
     御嶽神社 御祭神 久慈真知命
沿 革  神社創建の年代は必ずしも明確ではないが、伝承によれば、慶長五年(1600)
    大成村の初代領主となった、徳川家の旗本・小栗(又一)忠政が、社殿を建立し
    て神霊を勧請し、併せて自身の守護神(迦楼羅)をも配祀して、住民の平安息災
    と五穀の豊穣を祈願したといわれており、古くから地域の鎮守として、住民の崇
    敬篤く、御神徳の高い神社であった。
     明治四○年(1907)六月七日「一村一社」とする政府の方針(神社合祀令)
    に従い、神霊は「日進神社」に合祀し、境内社も整理(鳥居・燈籠・手水舎は撤
    去)したが、産土神に対する住民の敬慕の思いは断ち難く、社殿はそのまま存置
    し、大正三年(1914)、拝殿兼参集所を造営、遥拝所として礼拝・祭祀を行って
    きた。
     平成三年(1991)七月、社殿を改築造営し、引き続いて平成四年四月、鳥居・
    燈籠・手水舎及び玉垣等を再建、同年十一月十一日、日進神社から合祀神霊を奉
    遷した。
 平成九年八月吉日』
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 拝殿。
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 御嶽神社と神明神社。
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 東側から。
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石上神社(北区東大成町二丁目)

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 さいたま市立東大成小学校の北東に鎮座する石上神社(さいたま市北区東大成町2丁目)。
 平成十六年三月に建てられた社号標石の裏には稲荷神社世話人の名が刻まれているが、はて、こちらはいずこかの稲荷神社の境外社にでもあたるのだろうか。
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『石上神社
 この神社は、江戸時代の中山道の絵図にも掲載されている古い神社です。ホウソウの神様として人々の信仰を集めてきたもので、今日のように医学が発達していなかった時代にはホウソウの伝染は大変恐れられ、村人は他村でホウソウが発生すると村内へ伝染しないよう、また伝染しても軽くすむようにと神社をまつりました。戦前までは露天が出るほどのにぎわいで、昭和30年代までは家々からもち米と小豆を持ち寄り、小豆入りの餅をつきあげ子供たちに食べさせました。毎年の4月5日が祭礼日ですが、現在では4月上旬の良い日に行っています。
 8月の夏祭りには、東大成2丁目の休息所にあてられ多くの人でにぎわいます』
 少し大きめのマップはこちら
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 社殿。
 石上神社と言う名だから御祭神は経津主神かと思ったのだが、案内板を見ると疱瘡神のようだ。

躑躅山稲荷神社(北区大成町四丁目)

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 稲荷第二公園内に鎮座する躑躅山稲荷神社(さいたま市北区大成町4-415)。
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 公園入口脇に青面金剛。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
 詳細は不明だが、手前の水盤には嘉永六丑年二月と刻まれているので、創建時期は少なくとも1853年より前になるようだ。
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 お狐さま。
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 横から。

並木氷川神社(大宮区三橋二丁目)

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 さいたま市立三橋中学校と三橋小学校に挟まれる位置に鎮座する並木氷川神社(さいたま市大宮区三橋2-114)。
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 二の鳥居。
 一の鳥居は平成五年(1993)四月二十四日、二の鳥居は明治二十九年(1896)四月の建立。
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『神社合祀之碑
本郡三橋村大字竝木有村社稱氷川社奉祀素盞嗚尊古松老杉翁欝
擁祠殿其大合抱數百年物其為古祠可知矣例年六月九日供神饌奏
神楽以祭焉明治三十九年八月神社合祀之令出崇敬者胥謀得允可
以四十一年九月十五日合無格社駒形八雲神明稲荷叉倶白山六社
於本社而合駒形之末社荒神稲荷與神明之末社金毘羅八王子四社
於境内天神社又合叉倶之末社稲荷白山之末社三峯熊野稲荷四社
於境内稲荷社而祀之抑合祀神社難矣雖然郷人皆能同心相和以行
之則不必難今得完成者由一郷之和也自今之後郷人益擧敬神之實
各勤稼穡則神明照臨在上降鴻休必矣頃日崇敬者欲刻斯事於石以
不朽來請文於余余嘉長擧為書以勉之
大正三年十一月』

 明治四十一年(1908)九月十五日に無格社駒形神社・八雲神社・神明宮・稲荷神社・叉倶神社・白山神社の計六社を本社に合祀。また駒形神社の末社である荒神社・稲荷社、神明宮の末社である金毘羅社・八王子社の計四社を境内社の天神社に合祀。叉倶神社の末社稲荷社、白山神社の末社三峯社・熊野社・稲荷社の計四社を境内社の稲荷社を合祀、と。
 ところで叉倶神社って初めて目にした名前なのだけど、どなたを祀った神社なのだろう。読み方も「さく」なのか「しゃく」なのか。どちらにしろ石神やミシャグジ神との関わりを思わせる響きだ。また、ググってみると和漢三才図会には志也具之宮(しやぐのみや)を道祖神としているとの記述もあるそうなので、やはりその系統なのかな?
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 拝殿と狛犬。
 狛犬は平成十五年(2003)五月の造立。
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 本殿と稲荷社。
 合祀碑によれば三峯社・熊野社・稲荷社x2を合祀している。
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 こちらには天満社。
 荒神社・稲荷社・金毘羅社・八王子社を合祀。
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 神社整備記念碑。
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 高野智之氏顕彰碑。

 以上で2月1日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mmとDA20-40mm。K-7に50-150mm II。
 G'z One Type-Xのウォーキングカウンターを見ると、この日の総歩数は24,958歩。結構歩いたつもりだったのだけど、それ程でもなかったようだ。
 今週末は武蔵一宮氷川神社とその周辺を巡ろうかと思っていたのだが、天気予報によれば雨または雪とのこと。ぐぬぬ。

稲荷神社(大宮区上小町)

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 ミニストップさいたま上小店から少し北に向かうと稲荷神社(さいたま市大宮区上小町963)が鎮座している。
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 社殿。
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 ボーリングのピンのようなお狐さま。

小村田氷川神社(大宮区上小町)

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 小村田通り上小交番前交差点の少し東に鎮座する小村田氷川神社(さいたま市大宮区上小町1110)。
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 一の鳥居。
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 二の鳥居。
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 昭和十五年(1940)造立の狛犬。
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 拝殿正面。
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 斜めから。
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 御神木の木斛。天然記念物として文化財指定もされている。
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『大宮市指定文化財天然記念物 上小町氷川神社のモッコク
 所在地 大宮市上小町一一一○
 指 定 平成六年九月二日
 モッコクは、温暖な地方の山地に生育し、高さが一○~一五メートルまで成長する常緑高木です。庭木としても多く植えられます。葉は長楕円形で厚く、滑らかで光沢があります。雌雄異株で、雌株は、夏には枝の上部に小さな白い五弁の花が下向きに開き、直径一センチの丸い実をつけます。
 実は、秋が深まると赤く熟します。
 樹皮はタンニンが多く含まれるため、茶色の染料に使われ、樹皮を剥いだ材は鮮赤色で櫛や床柱に用いられます。
 上小町氷川神社は、むかしから村人の篤い信仰に支えられ、また近所の子供たちの遊び場として親しまれてきました。樹齢が百五十年前後と推定されるこのモッコクも、かつては傍らで少女たちの花いちもんめのメロディーを聴きながら、少年たちの馬乗りの背あてとしてどんなにか活躍したことでしょう。いまは懐かしい風景となってしまいました。
 地域の生活と共に成長してきたこのモッコクを、これからも見守っていきましょう。
 目通り  一・八四メートル
 根回り  五・七○メートル
 枝張り 東三・五○メートル
     西五。七○メートル
 樹齢  推定一五○年
 平成七年三月』
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 左から氷川神社合祀之碑、冨士浅間大菩薩、幟籆建設記念碑、日露戦役従軍記念之碑、幟枠?、愛宕大権現。
『氷川神社合祀之碑
敬神祇重人道古今之常經而所以我國體尊嚴而風俗純粹也本郡三橋村大字上小村田村社氷川
社蓋創建寳暦以前得官允明治四十一年五月合祀無格嚴島社八坂社西南稲荷社西北稲荷社東
南稲荷社明年三月又合祀中小村田村社諏訪社及無格稲荷社合各社地得畑四畝壹歩林地九段
拾九歩有資金四百餘圓足以修祠殿具祭器祭神祈年使郷人享福矣非氏子總代及有志者盡敬神
之誠得焉能至于比哉爾令爾後闔郷民人相和益致敬勤業夙夜不懈則神明照臨降鴻休必矣乃為
詩以頌之曰
 神明隆徳澤 崇敬得千祥 人和穀豐熟
 謳歌満闔郷』

「懈」の部分は碑文では「忄觧」となっているが、意味は同じなのでとりあえずコレで。
 上小村田村社氷川社の創建は宝暦(1751~63)以前で、明治四十一年(1908)五月に無格社厳島社と八坂社、西南稲荷社、西北稲荷社、東南稲荷社を、翌年三月に中小村田村社諏訪社と無格社稲荷社を合祀した、と。
 幟枠っぽいものには「正一位 文政五壬午年三月吉日 武刕足立郡上小村田邑 別當壽福寺 願主横溝平兵衛 同惣氏子中」とあるので1822年のもの。凹みの部分になんとか大明神との文字が見えるのだが、撮影した時には気付かなかったのではっきりとはわからない○刀乙 愛宕社の石祠の側面には「文化四丁卯天六月廿四日建之」とあるので1807年のもの。
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 神楽殿。

楢姫稲荷神社(大宮区吉敷町二丁目)

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 氷川参道脇に鎮座する楢姫稲荷神社(さいたま市大宮区吉敷町二丁目)。
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 由緒等は見当たらず、ググってみてもやはり詳細不明。名前からみて楢姫と言う人物に関わりがあるのだろうが、はてさて。

浅間神社(大宮区浅間町二丁目)

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 浅間町自治会館の南隣に鎮座する浅間神社(さいたま市大宮区浅間町二丁目)。
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 浅間神社。
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 本殿。
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 浅間稲荷神社。
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 御嶽神社と書かれた看板があるが、石祠には小御岳神社と刻まれている。
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庚申神社(大宮区浅間町二丁目)

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 山丸公園東の道端に鎮座する庚申神社(さいたま市大宮区浅間町二丁目)。
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 青面金剛。
 寶暦十年辰ノ正月吉日と刻まれており、1760年の造立だとわかる。

倉屋敷稲荷神社(大宮区仲町三丁目)

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 大宮駅東口、大宮区役所の南側に鎮座する 倉屋敷稲荷神社(大宮区仲町三丁目)。
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『由緒
 当倉屋敷稲荷神社は、岩槻城の出城であった寿能城の倉屋敷に由来し、寛永五年(1628)徳川幕府が中山道を現在の位置に付け替えるに当たり、その道筋に鎮座されておりました当社を、当時の仲町住人二十六軒の者が、只今の場所に御遷座申し上げました。
 また、このあたりは、明治の初めに廃寺となりました玉龍山宗金寺の境内になっておりましたので、またの名を中寺の稲荷社とも申します。
 昔から、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全の神様として、町内はもとより、近郷近在の庶民に厚く信仰されて参りました。
 昭和四十年(1965)、隣接する旧大宮市役所が市庁舎を新築する際に、当社の本殿、拝殿も修復の上、やや南に御移動申し上げ、今日に至っております。
 当社では、毎年、三月の初午の日に、初午祭を執り行っております。
 平成十四年三月吉日』
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 二の鳥居…じゃなくて、えぇといくつだ。ひーふーみー……んー、十三くらい? 石鳥居としては三つめ。
 お狐さまの手前には石祠が一基ずつあるが、社名を記していたであろう部分が崩れてしまっているため判読不能。
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 お狐さま。
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 拝殿。
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 金毘羅社と天神社。
 後ろの建物は社務所(さいたま市大宮区仲町3-5)。
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庚申神社(大宮区桜木町一丁目)

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 大宮駅西口、国道17号と与野中央通りが交差する桜木町四丁目南交差点の東側に鎮座する庚申神社(さいたま市大宮区桜木町1-12-8)。
 公式サイトはこちら
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 拝殿。
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『庚申神社由来記
本宮 猿田彦神社 三重県伊勢市
祭神 猿田彦大神
 当社は、天孫降臨のとき道案内をしたと、古事記などに記されている猿田彦命をまつり、みちひらきの神、幸運の神、商売繁盛の神、豊穣の神として、その祠は明治の頃より大宮駅構内の一隅にありました。
 その後、祠は国鉄の拡張工事のあるたびに各所に移転させられていましたが、元祠のあった付近で鉄道事故が多発したことから、明治三十七年(1904)、国鉄職員と地元有志によって、現在地の北約二百メートルの位置(現在のソニックビル付近)に社を建立、安置されました。
 この頃より社は、近隣の人々の深い敬神を集めるようになりました。大正一○年(1921)、社の老朽化が進んだため、国鉄各業務機関の長をはじめ、その職員と地元有志の尽力によって、社殿、拝殿、神楽殿からなる荘厳な神社を建立、緑豊かな神木にかこまれ、地元信者により今日まで守護されてきました。
 昭和五○年代、当社を含む街区に産業文化センターが建設されることになり、当社は、埼玉県と大宮市の保障及び、地元有志の浄財をもって、昭和六○年七月(1985)現在地に移転建立されたものです。
 これを機に、当社は桜木町の氏神様として永久安置の願いを込めて、宗教法人庚申神社となり今日に至っております。
 平成二十五年三月吉日』

箭弓稲荷神社(大宮区桜木町二丁目)

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 大宮駅西口、ソニックシティホールの北東に鎮座する箭弓稲荷神社(さいたま市大宮区桜木町二丁目)。
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 大正二年(1913)三月造立のお狐様。相方は破損したようで、台座のみが残っている。

切敷稲荷神社(大宮区上小町)

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 埼玉県道2号さいたま春日部線桜木町西交差点の西、エネオス上小町SSの隣に鎮座する切敷稲荷神社(さいたま市大宮区上小町)。
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 社殿。
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八幡神社(大宮区大成町一丁目)

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 国道17号中山道大成一丁目交差点南西に鎮座する八幡神社(さいたま市大宮区大成町1-205)。
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『八幡神社由緒
鎮座地 大宮区大成町一丁目二○五番地
祭 神 誉田別命 伊弉冉尊 天照大御神
    素盛嗚尊 大物主命 大雷神
    倉稲魂命 日本武尊 菅原道真
沿 革 明徳年間の御草創と伝うれど御創立の年代詳ならず。古く大成村金子駿河守の知行なりしによりその居城大成城の鎮護として自らの甲の八幡座を鎮め八幡神を勧請して当神社を鎮斎せりとも伝う。近郷士農衆庶の尊崇篤く遠くは宝暦八年(1758)十一月社殿を改築、近くは今上天皇皇位御継承大典の年社殿を修理し社務所を新築す。
 昭和三十年十月八幡神社奉賛会設立せられ昭和三十三年六月工を起こし拝殿、鳥居、手水舎、掲示板を新設。社殿外宇社務所等を移転、修営し昭和三十四年四月十五日竣工す。
 平成十九年春季例祭日』

『八幡神社 御由緒
さいたま市大宮区大成町一-二○五
□歴史
 創建は社伝によると、明徳年間(1390~94)のことである。また、後に当地を領した金子駿河守がその居館である大成館の鎮護とするため南方に自らの兜の八幡座の座金物を鎮めて八幡神を勧請したものと伝える。なお、この折、境内地がなかったので、しばらく氏子の村田知之家に八幡神を祀ったといわれる。
 江戸期、別当は『風土記稿』に「八幡社 金乗院持」とある。金乗院は、旧上加村万福寺末の真言宗の寺で、本尊は不動明王である。
 神仏分離は、明治初年に行われ、同三年(1870)の『大宮組合神社詳細取調帳』によると、住僧は復飾して中村章因と名乗って神職となり、復飾料として「持添ノ公田五畝十二歩」が与えられている。
 『明細帳』によると、明治四十年(1907)に当社すなわち「大成字前原耕地無格社八幡社、同境内社御嶽社、八雲社、天神社、神明熊野琴平合社、稲荷社、琴平社、雷電社」が、大字上加字宮腰に鎮座する氷川社(日進神社)に合祀された。
 しかし、昭和二十七年(1952)に氏子の熱望により合祀解除が行われた。この時、宮司は、神輿と共に日進神社に参り、八幡神の御幣束の返却を受け、これを神輿に奉安し、先祓いの後、静々と当社に帰って来た。境内には数多くの行灯が並べられ、氏子たちは恭しくこれを迎え、盛大な還御祭を斎行した。
□祭神
 誉田別命
□祭祀
 元旦祀(一月一日) 春祭り(四月十五日)
 夏祭り(八月一日) 秋祭り(九月十五日)』
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 拝殿。
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 拝殿内部。
 幣殿には随神が控え、その奥に本殿が見える。
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 壁に掛けられた能楽面。
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 境内社。
 何神社なのかはわからないが、瓦には波間から太陽が出ている図柄と右三つ巴紋が見えるので、こちらも八幡社なのかな?
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 隣には富士塚があり、その頂に浅間神社。
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『御神木「雨乞いの黄楊」
社伝によると、宝暦乃時代「祭事」として「雨乞い神事」を八幡神社氏子達は毎年夏季に入ると豊作を願い行っていた。即ちその時代は降雨少く旱魃が多かった為、氏子達は藁で龍を作り龍神様に「雨乞い」をし地域の五穀豊穣を祈願したものである。時恰も宝暦八年(1758)八幡神社は大改築の工事を実施中であったが「雨乞い」神事を実施し降雨をみた為神社改築工事竣工と雨乞い神事を記念して本黄楊を植樹し現在に至ったものである。樹齢約二百三十年位と推定される。
 平成十九年春季例大祭日』

天満宮(大宮区大成町一丁目)

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 大宮林医院の北斜め向かいに鎮座する天満宮(さいたま市大宮区大成町1-316)。
 右側が天満宮。左はおそらく稲荷社。天満宮の中には「平成二十三年七月二十二日建立」と書かれた紙が入っていた。

櫛引氷川神社(大宮区櫛引町一丁目)

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 櫛引氷川神社(さいたま市大宮区櫛引町1-653)。
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 二の鳥居は木造の両部鳥居。
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『櫛引氷川神社 御由緒
さいたま市大宮区櫛引町一-六五三
□歴史
 当地は、切敷川を東に望む大宮台地に位置する。地名は伝説によると、昔、素盞嗚尊と奇稲田姫尊が出雲国からやって来たとき、当地で休み、素盞嗚尊が奇稲田姫尊の髪を櫛で整えたことに由来すると伝える。
 『風土記稿』には「氷川社 大宮の氷川を勧請せし由なれどその年暦等はつまびらかならず、末社 八幡社 疱瘡神社 稲荷社 天王社 荒脛社 山神社 三島社」とある。また、明治三年(1870)の『大宮組合神社詳細取調帳』には「南向両社造 村鎮守 神体幣帛 社ノ艮に小池アリ」とある。この中にある小池は現在ないが、かつて当社の湧水の祭祀にかかわりがあったと考えられる。
 明治四十年(1907)六月五日、「日進神社」に合祀されるが、大正三年(1914)三月、現在地に遥拝所を建立して祭祀を続けた。その後、氏子の要望により社殿の再建を決議し、拝殿・参集所を造営した。昭和五十一年(1976)十二月十七日、新たに設立の手続きを経て日進神社より神霊を奉還し、社号を櫛引氷川神社と定めた。
 幕末から明治初期にかけて当社の神職を務めた渋谷勝平は、幼少のころから書に親しみ和歌を学び、平田篤胤の門人藤原直彦に師事し、平正彦と号した。また、中林勝平とも称し、平春堂という私塾を開設した。なお、当社境内には、平正彦の筆子碑が残る。
□祭神
 素戔嗚尊・奇稲田姫尊
□祭祀
 元旦祭(一月一日)  春祈祷(三月三日)  夏祭り(八月一日)
 お日待(十月十五日) 大祓(六月三十日・十二月三十一日)』
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『櫛引氷川神社御由緒
鎮座地 大宮市櫛引町一丁目六五三番地
御祭神 須佐之男命、奇稲田姫命
    大己貴命他、末社五柱
社有地 四百七坪(一三四三平方メートル)
祭事日 一月一日    元旦祭     三月七日 フセギ
    六月三十日   夏越大祓式   八月一日 例大祭
    十月十五日   お日待     十一月十五日 七五三祝児詣
    十二月三十一日 師走大祓式
 この神社は、第百代後小松天皇の御代、應永五年(1398)の御創建と伝えられる。
武藏一之宮氷川神社を、武蔵野の沃野に住民の平安と五穀の豊穣を祈り御分祀し、村の鎮守とした。
 往時、その社有地は除地、年貢地を含め三万余坪を有し荘厳な神社の風格を成していた。村民はもとより、近隣の参詣者も多数にのぼり、御神徳高き神社であった。
 明治三十九年(1906)八月、政府の方針で一村一社の趣旨による神社合祀令が発令され、村民が慎重に審議を重ねた末、時流に抗すべくもなく明治四十年六月五日「日進神社」に合祀した。跡地は政令に従って處分されたが、大正三年三月三日、現在地に遥拝所を建立し殿宇を荒廃から守って来た。
 その後、住民の要望等により神社の再建を決し、拝殿、参集所を造営した。神社設立の手続きを経て昭和五十一年十二月十七日、日進神社より合祀神霊を奉遷、社号も櫛引氷川神社と定め、再興された。
 なお、櫛引村の出身で幕末の漢学者であった渋谷勝平(平正彦)、旧拝殿の天井に「龍」を、参集所には「日天月天」の絵を奉納しており、これらは今も伝えられている。
 昭和五十二年五月二十三日、宗教法人として認可され、四級社に列せられる。
 昭和六十二年十二月吉日』
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 横から。
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 末社。左から疱瘡神、淡島大明神、稲荷社、八幡宮、猿田彦大神宮。
 疱瘡神は天明三年(1783)、淡島神社は天明五年(1785)五月、八幡宮と猿田彦大神宮は寛政八年(1796)二月の造立。
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 これが筆子碑かな。
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 櫛引氷川神社より少し北の十字路脇に鎮座する馬頭観世音と青面金剛。
 馬頭観世音は天保五甲午年(1834)三月、青面金剛は正徳四甲午年(1714)三月の造立。
 NAVITIMEを見ると駒形神社からここまでの間に天満宮があるはずなのだが、見当たらなかった。

駒形神社(大宮区櫛引町一丁目)

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 ドラッグセイムス櫛引店の西側に鎮座する駒形神社(さいたま市大宮区三橋1-7-3)。
 詳細は不明だが、ググってみたところ、こちらの神社では平将門の乗っていた白馬を祀っているとの言い伝えがあるのだそうだ。
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 駒形神社の名の横に荒神社と稲荷社の名が刻まれている。
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 拝殿。
 左右の張り出した部位が荒神社と稲荷社なのだろうか。
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大倭神社(西区三橋六丁目)

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 三橋総合公園の北西に鎮座する大倭神社(さいたま市西区三橋6-411)。
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 拝殿。
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『御由緒 宗教法人大倭神社
御祭神 
 素盞嗚尊、倉稲魂命、應神天皇、伊弉諾尊、伊弉冉尊、大日孁貴命、
 猿田彦命、建御名方命、市杵嶋姫命、保食命、菅原道真公、天照大御神、
 奥津比古命、日本武尊、少彦名命
御由緒
 当社は古来氷川神社と稱し、其由緒に関しては正確な資料は無いが、口碑の伝へによると、景行天皇の御代日本武尊が東征の途次、当地に足を駐め、素盞嗚尊を奉祀したと云はれ其後徳川時代正徳年間(1711~15)に時の地頭安藤治右ヱ門、代官中村左ヱ門、祢宜刑部等力を合せ祠堂を横へ、神苑を埋めたりと稱せられ、明治六年(1873)四月村社となった。明治丗九年(1906)神社合祀令の発布により明治四十年地内大字本村無格社稲荷社、大字西谷津無格社八雲社境内社三峯社、字扇島無格社稲荷社、字下手無格社八幡社、字八幡下無格社八幡社、字神明無格社神明社、仝庚申社、字西耕地無格社須賀社、仝境内社諏訪社、同字無格社嚴島社、字花ノ木無格社庚申社、仝稲荷社、同村大字側ヶ谷戸字間ノ谷村社天神社、仝境内社神明、荒神、御嶽、疱瘡合社、仝稲荷社仝三峯社の十七社を合祀。明治四十三年(1910)四月氷川社の社号を大倭神社と改称す』
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 庚申塔。
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『大宮市指定有形民俗文化財 大倭神社の庚申塔
 所在地 大宮市三橋六-四一一
 指 定 昭和四十八年一月五日
 この辺りは江戸時代には上下内野村と呼ばれていた地域で、ここには村の鎮守である氷川神社が祀られています。明治四十年に村内の社を合祀し、同四十三年に社名を大倭神社と変更、現在に至っています。
 平安時代頃から宮中で行われていた庚申信仰は、江戸時代になって庶民の間に広まります。六十日に一回の庚申の日に寄り合い信仰を行いますが、心づくしの料理を持ち寄っての庚申信仰は大きな楽しみでもあったことでしょう。この庚申塔は、江戸時代中期の享保六年(1721)三月に当村上組の人々により造立されたもので、二五六cmの高さ、造形美などで市内で最も優れた庚申塔です。青面金剛像が傘の上に坐し、塔身中央には愛らしい二童子が彫られています。
 現在は、氏子総代が年末に注連縄を張り替え、お守りされています。将来にわたり伝えていきたい庚申塔です。
 昭和六十三年三月』
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 庚申塔の傍らには末社。
 左は大神宮。右は文字部分が崩れていてよく読み取れないが、諏訪社かも。
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 末社。
 左の石祠は水神宮。

日枝神社(西区三橋五丁目)

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 三橋総合公園そばに鎮座する日枝神社(さいたま市西区三橋五丁目)。
 三橋総合公園の駐車場に車を置いて、この日の神社巡りはここからは徒歩で。
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 石鳥居には明治八亥年十一月と刻まれているので1875年のものだが、神社の由緒は不明。
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八雲神社(西区宮前町)

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 さいたま市立宮前小学校北側に鎮座する八雲神社(さいたま市西区宮前町449)。
 神社に駐車場は無いが、鳥居前にある宮前一丁目自治会館に駐車。この近辺の神社で駐車スペースのある所は希少だ。
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 拝殿。
 この辺りは武蔵一宮氷川神社のお膝元であるせいか氷川神社が多く、主神が同じ素盞嗚尊とは言え出雲系の八雲神社は珍しいのではないだろうかと思ったのだが、改めて地図を見てみると、八雲神社や須賀神社が武蔵一宮氷川神社近くに存在していた。
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 斜めから。
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 末社かと思い覗き込んでみたら、獅子頭が収められていた。
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 宮前一丁目自治会館脇に鎮座する小祠。
 中には三つの木祠が収められており、社名を記したものは見当たらなかったが、小さな陶器のお狐様が置かれていたので稲荷社かも知れない。

節分 鎧年越 2014

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 今年も鑁阿寺で行われた追儺式に行って来た。開始前だとさすがに人は少ないが、通りに出ると鎧行列を待つ人の姿もちらほらと。
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 去年は17時頃からの開始だったのでまだ明るかったのだが、今年は19時開始と言う事でもう陽は落ちている。
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 敢えてぼかして撮るのも面白いかなと思ったのだが、怪しくなっただけだった。
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 スマホの登場でカメラの売り上げが落ち込んでいるとの話をよく聞くが、一眼レフやネオイチで撮影している人の姿が多く見られた。あとデジタルカムコーダ。
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 足利まちなか遊学館前では黎明座と言う方々が和太鼓を演奏していた。どんどんと響く太鼓の音は気分が昂揚して良いものだ。
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 カメラを持ち上げて撮影していたら、いつの間にか袖の中に豆が飛び込んで来ていた。縁起が良いなと思うと同時にレンズに当たらなくて良かったとも思ってみたり。
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 今回はK-5IIsにDA20-40mm、K-7にDA70mmをつけてTAvモードで撮影してみたが、やはりTAvは便利だな。

全国"鉄道むすめ"巡り3rd

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 今日から「全国"鉄道むすめ"巡り3rd」が始まったので、大宮の神社巡りも兼ねてトミックスワールドへ。
 昨年は全国15箇所だったのが今年は全国11箇所と減っているものの、近場のポイントもがくっと減っているため殆ど行ける所が無さそうだ。昨年は栗橋市、日野市、壬生町、栃木市、墨田区と5箇所は行けたのだが、今年は大宮と日野くらいかなぁ。行けても上田が精々か。
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 TOMIX WORLDの入口では立石あやめの等身大ポップがお出迎え。
 プラレールには特に興味は無いので限定グッズのみ購入。
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 スタンプと限定グッズ。
 袋に入ったままなのは、鋏やカッターなどを持ち合わせていなかった為。
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