庚申社(中央区本町西一丁目)

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 さいたま芸術劇場の北側、三叉路の角に北面して鎮座する庚申社(さいたま市中央区本町西1-1-17)。
 由緒等不明。
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 以上で7月12日参拝分終了。最近は週末と言うと天気が崩れ気味だったので、神社巡りはほぼ一月ぶり。天気予報を見ると今週末も良くないようだし、ぐぬぬ。
 使用機材はK-5IIsにDA20-40mmとDA10-17mm Fish-Eye、50-150mm II。Coolpix P7100。
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津島神社(中央区本町東二丁目)

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 与野本町駅西口そばに鎮座する津島神社(さいたま市中央区本町東2-5)。
 鳥居は平成二十三年(2011)七月に建てられたもの。
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 本殿と狛犬。
 案内板は見当たらず、ググってみてもわからない。この辺りで津島神社と関係ありそうなのは上町氷川神社境内の八雲神社だが、はてさて。
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神明宮(中央区上落合一丁目)

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 北与野駅そばに鎮座する上落合鎮守神明宮(さいたま市中央区上落合1-10)。
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 靖国鳥居。
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『神明神社 御由緒
 さいたま市中央区上落合513
□歴史
 当地は、大宮台地上にあり、南東部側を東縁高沼用水が、西部側を高沼排水(通称霧敷川)が流れる。また、ここにある上落合は、江戸期を通じて氷川神社社領であった。
 当社の創建年代は不詳であるが、口碑によると伊勢参宮を行った村人が御師より御祓大麻を受け、これを当地に祀ったことによると伝える。天保七年(1836)の「上落合村絵図」には、村の当方に「神明宮」と記録されている。祭神は、天照大御神である。
 「風土記稿」には、「村民の持」とあり、氷川神社社領であったことから別当寺は存在せず、村人の管理する社であった。また、村鎮守としての維持運営費は、「年貢皆済目録」によると毎年二俵が充てられていた。
 安永九年(1780)七月、氏子の井山氏は「神明宮」の扁額を奉納している。また、同年五月、井山源七と近藤伊兵衛が当社世話人のとき、「江府之筆屋清治郎・与野町菓子屋与左エ門」が、更に同年十一月、「当山由翁家・与野町大黒屋彦兵衛」が「所安全・諸旦方縁之子供繁昌・家内安全」を祈念して石灯籠を寄進している。
 社殿は、古くより茅葺き屋根の入母屋造りであったが、昭和五十八年(1983)四月五日、鉄筋コンクリート作りの社殿に改築している。本拝殿は、銅板葺きの神明造りである。
□祭神
 天照大御神
□祭祀
 元旦祭(一月一日)
 夏祭り(七月中・第二日曜日齋行)』
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 拝殿。
 本殿を撮るのは少々スペース的に難しかったのでやめたのだが、考えてみれば北与野駅とさいたま新都心駅をつなぐ空中回廊からなら撮れたのではないだろうか。今更遅いが。
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 稲荷社。
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一山神社(中央区本町東六丁目)

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 与野公園から県道165号線に沿って北へ向かって行くと、ファミリーマートあすまや さいたま本町西店の向い側に一山神社(さいたま市中央区本町東4-10-14)が鎮座している。
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『民俗文化財 一山神社冬至祭
 所在地 さいたま市本町東四丁目一○番一四号
 一山神社は嘉永年間(1848~53)に木曾御嶽講中が創立。福徳の神として恵比須様と八幡様を祭る。「冬至祭」は、別名「ユズ祭り」とも呼ばれる。冬至の日はカボチャを食べ、ユズ湯に入ると風邪をひかないといい、ユズを縁の下に投げ込む風習は無病息災、火災予防のまじないでもある。
 冬至祭は、拝殿での祭典後、境内でユズ・神饌物を供え、祝詞をあげ神火をつけ火焚神事が行なわれる。行者は人形の入った木箱を担ぎ火中を渡り、参加者も加わって一年の災厄を清める。
 平成一二年(2000)市指定文化財となる』
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 参道左手側に境内社。
 社名は記されていなかったのでわからないが、恵比須神だろうか。
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 八幡宮。
 側面には安永八己亥年(1779)造立と刻まれている。
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 参道。
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 狛犬。
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 拝殿。
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 この後は一山神社の北側に鎮座している筈の稲荷神社に向かったのだが、見当たらなかった。地図を見てここだと目星をつけた所に行ってみても、舗装された駐車場があるだけで、神社の姿はさっぱり。

大国社(中央区本町西二丁目)

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 与野公園の北側、国道17号新大宮バイパス脇に鎮座する大国社(さいたま市中央区本町西2-7)。
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『大国社 御由緒
さいたま市中央区本町西2-7
□御縁起(歴史)
 「明細帳」に「本社は曩に権現と称すと云」と記されているように当社は古くから「権現様」と呼ばれ、文政七年(1824)ごろに描かれた「与野町並絵図」(柏計助家所蔵)にも、当社の杜のところに「ごんげん」の文字が書かれている。このことから考えると、「風土記稿」与野町の項に「蔵王権現社」として載る社が当社のことと思われる。
 明治三年(1870)に本殿を、同十年に拝殿を再建した。明治初年にまとめられた「大宮組合神社詳細取調帳」によれば、当所は「権現社」となっているが、「郡村誌」では「大国社」となっていることから、社名を改めたのは明治四、五年ごろのことと推測される。祭神は社名の示す通であるが氏子の間では今も「権現様」の称で親しまれており、理由は定かではないが、昔から足の具合が悪い時は当社の拝殿の格子戸に草鞋を奉納して祈願すればよいといわれており、交通が便利になり、医療も進歩した今日に至っても、信仰を集めている。
□御祭神と御神徳
 大国主命・・・縁結び、子育て、子孫繁栄
□御祭日
 神楽の奉納(五月八日)』
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 拝殿にはいくつもの草鞋が掛けられている。
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御嶽神社(中央区本町西二丁目)

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 与野公園の北隣に鎮座する御嶽神社(さいたま市中央区本町西2-5-6)。
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『御嶽社 御由緒
さいたま市中央区本町西2-5-6
□御縁起(歴史)
 与野は江戸時代から木曾御嶽講の盛んな地域であった。とりわけ、与野の名主であった井原平八はその熱心な信者であり、御嶽講の四代講祖の一人である一心行者を支援すると共に、自らも御嶽講の先達として布教に努めた。
 文政四年(1821)幕府は御嶽講に禁圧を加え、一心は遠島に処せられた。やがて、尾張藩主の取り計らいによって、御嶽講は解禁され、井原平八も布教活動を再開するが、当社は、口碑によれば、この禁圧のために一旦は所払いとなった井原平八が、住民の熱心な嘆願や御嶽講の解禁によって与野に戻ってから造った社であるという。したがって、「風土記稿」には、当社についての記載はなく、恐らくは、井原家が社地を寄進して新たに一社を設けたものか、既に地内にあった何らかの社の祭神を改めて御嶽社としたものであろう。
 また、一説には当社は明治初年の創建といわれ、「明細帳」は、当社の由緒を「創立不詳。明治九年中再建。同十年五月天祖神社大国社の境内を併せて公園と定めらる」と記している。
□御祭神
 大山祇命 国常立尊
□御祭日
 春のお祭り(四月十五日) 冬至祭り(十二月二十一日)』
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『御神の大井戸
 古の事、祈りと修行の為、御告げとされた地に、聖水を求めた。
 水豊かに湧き出で、度重なる水不足等災害の折りには、沢山の人々が救われ、また、御神酒造りにも用いられた。
 以来、地元に愛され大切に守られたと伝えられる。
 歳月が流れ、その名残を留めた此処に皆の幸せを願い、清らなる水を湛える古の釣瓶井戸を再建する。
 平成二十六年 文月』
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 境内。
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 本殿。
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 与野七福神が一つ、弁財天。
 与野公園の中に銭洗弁天があるのに、何故こちらに?

天祖神社(中央区本町西一丁目)

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 与野公園内に鎮座する天祖神社(さいたま市中央区本町西1-14-14)。
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『天祖神社 御由緒
さいたま市中央区本町西1-14
□御縁起(歴史)
 当地は、中世与野郷に属したことが正和三年(1314)の「融通念仏縁起」から知られる。戦国時代の成立と推定される「市場之祭文写」には「足立郡与野市祭成之」と見え、このころから当地で市が開かれていたことが知られる。
 「風土記稿」与野町の項によれば、地内を鎌倉街道(中山道脇往還)が通り、往還に沿って北から当町は上・中・下の三町に分かれていた。
 下町に鎮座する当社は、かつて神明社と称し、文政年間(1818-30)の「与野町並絵図」(柏計助家所蔵)からは、両脇に家屋が立ち並ぶ鎌倉街道から西に入った田畑の中に「神明山」と書かれた当社が鎮座していた往時の様子がうかがえる。明治八年(1875)に与野町の村社となったのを機に名称を天祖神社と改めている。
 また、明治九年に当社境内を公園にしようとする運動が地元住人の間で起こり、翌十年には当社並びに御嶽社・大国社の境内が県営の与野公園となった。近年には寿老人を合祀してから長寿の神としても信仰されるようになっている。
□御祭神と御神徳
 天照皇大神・・・五穀豊穣、子授安産、開運隆盛
□御祭日
 元旦祭(一月一日)』
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『天祖神社は与野の郷の鎮守として鎌倉時代創建と伝えられる。
 天保十二年(1841)に再建された記録が残されており、明治十年(1877)に神社境内及び所有地・参道を提供し桜の名勝地として名高い。
 埼玉県最初の公園として整備された。社殿は、平成十五年(2003)火災によって焼失するが、平成十七年四月、氏子らによって再建。その時のおつげとされる薬草、火傷等に効用のある「石蕗」を植栽す。
 平成十八年三月』
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 割拝殿……と呼ぶにはシンプルすぎるが参拝所。奥に本殿が見える。
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 寿老神。
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 こちらの石碑には神明両社太神宮、八幡大菩薩、春日大明神、湯殿山三社大権現、大峯八大金剛童子、天神七代、地神五代、太照明命、忍穂耳命、瓊瓊杵命、彦火火出見之命、盧茲草葺不合命、梵天、帝釈、日月、天子、北斗七星、諸宿曜の他、全国の一之宮の名が刻まれている。
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 天祖神社裏側の池の中に鎮座する銭洗弁天
『武州与野是銭洗弁天縁起
 今を去る八百年の昔、畠山重忠公鎌倉への途次霊験あらたかなりと聞き及びたる、当、弁天の霊泉にて腰の名刀を洗い清めたるところ武勲赫々たりしとぞ。
 故に古来より商売繁昌、財産の神としてあがめたてまつられしと云ふ』
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 弁天池西側の築山。の、脇に・・・
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 小御嶽石尊大権現と富士登山五十六度記念碑。
 これらがあるので築山の上に浅間社でもあるのかと思ったのだが、頂にはベンチが置かれているだけだった。

出世稲荷神社(中央区本町西五丁目)

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 上町氷川神社のすぐ南側に鎮座する出世稲荷神社(さいたま市中央区本町西5-2)。
 参道右側には平成七年(1995)五月に建てられた「鳥居建立 宮殿修復 発願円成記念碑」と平成十二年(2000)二月に建てられた「社殿改築記念碑」が並んでいる。
 Googleストリートビューを見ると、少なくとも今年の四月までは朱塗りの鳥居があったことがわかるのだが、現在は見ての通り、鳥居は見当たらない。
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 本殿。
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 記念碑。
『嗟乎偉哉 神威赫乎顯霊徳焸乎著
 遠邇仰化衆庶家澤是即畏 稲荷明神
 洪恵也然而以歳月彌久殿宇朽廃不能
 措之大正二癸丑年五月篤信諸士相詢
 重營殿宇恭奉安之及今茲將建立記念
 碑以施其功於四方傳其績於永遠虔鐫
 之焉表之焉』

 大正二年(1913)にも修復作業が行なわれていたことはわかるが、創建時期や由緒などは不明。

上町氷川神社(中央区本町東六丁目)

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 北与野駅から西へ1km程、埼玉県道165号大谷本郷さいたま線に面して鎮座する上町氷川神社(さいたま市中央区本町東6-7)。
 社地が鳥居から本殿に向かって扇子を開いた形に似ていることから、古くは扇の宮と呼ばれていたのだそうだ。
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 三の鳥居。
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 安永二癸巳年(1773)八月造立の狛犬。
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 拝殿。
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『氷川神社及び神輿の由来
 氷川神社の祭神は健速須佐之男尊ですが、創建については不詳です。現在本殿は宝永六年(1709)五月に与野町の氏子により再建されたものです。また神輿は翌年の宝永七年(1710)三月二奉納されました。神輿の屋根裏には寄進した与野町の有力者二○名の名前が書かれています』

『御社殿改修記念碑
 昭和の天皇陛下御在位六十年の記念すべき歳に当り宗教法人氷川神社の御本殿御拝殿の御屋根を銅板葺に葺替えし末社の御社殿の新築改修と境内地の諸整備も一應完了したので記念の碑を建立した
 昭和六十年十月十四日』
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 本殿。
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 末社殿。
 左から火王子社、神明社、権現社、八幡社、天神社、稲荷社。
 火王子は簸王子社の簸が火に変化したものなのか、それとも千葉県印西市の火皇子社と同じ神(彦火火出見尊・軻遇突智命)を祀ったものなのかは不明。
 権現社も何権現なのかはわからないが、与野は木曽御嶽信仰が盛んな地域であったそうなので、こちらは蔵王権現であるように思われる。
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 叉倶稲荷社。
 読み方は「しゃぐいなり」だろうか。こちらの氷川神社は三叉路に位置していることでもあるし、道祖神としてミシャグジ神を合祀したとも考えられるだろうか?
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 八雲神社。
『八雲神社(天王さま) 鎮祭の縁起
 当与野街の往昔よりの夏祭り八雲神社神輿の渡御は今日に至るも尚盛大なる行事であるがその社の存在が詳かでないので大蔵省関東財務局と宮司での調査に基き当所に明治二年(1869)巳歳牛頭天王社の祭祀が判明したので今回改めて天王社の総元宮と称される愛知県の津島神社に当所の崇敬者有志と共に参向し御分霊を拝受してこの地に社を新築し鎮祭したものである。
 昭和五十九年五月十三日参拝』
 ……津島神社から勧請して、なんで八雲神社になるのだろう。八雲神社の本社は島根県の須佐神社だと聞いた覚えがあるのだが、はて。
 右側には庚申塔と末社がある。石祠に左三つ巴紋が刻まれてはいるが、社名は刻まれていないので何神社なのかは不明。庚申塔は享保四年己亥(1719)三月の造立で、「奥刕道 ●■右 大宮道」とも刻まれているので道標も兼ねていたようだ。●部分は「彳」に「足」の口部分が日になったものと言うか「是」から一を抜いたものと言うか、そんな感じ。■は●から彳を抜いたもの。
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