稲荷神社(朝倉町)

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 市立上川淵小学校の北東、畑の端にぽつんと鎮座する稲荷神社(前橋市朝倉町)。
 詳細は不明。
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 左から天王宮、稲荷社、天神宮。
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 不明。
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 道祖神と……墜神碣?
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 11月2日追記。
『稲荷神社
位置 大字朝倉村(下)
祭神 倉之御魂神
末社 八坂神社 素戔嗚命
   菅原社  菅原道真
由緒 不詳
注  現在社屋なし。俗称田圃稲荷と云われている。
   又この神社について、朝倉町小島嘉門治さんは次のように話されている。「通称出
  替り稲荷と云っている。昔小島治左衛門、倉林孫平、関口権平の三人が、豊川稲荷へ
  参拝し、正一位稲荷大明神の官位を授かってきたらしい。自分の家を稲荷別当とも呼
  んでいた。それはこの神社の世話人であったと云う。ここには古く塚があって六坪の
  かや葺きの社屋があったのが大正六年に現在の石宮になった。神仏混淆の当時この社
  の隣に道権寺と云うお寺があったようでその墓地は残されているし、隣地を道権寺と
  呼んでいた地名もあった。又いつ頃から出替り稲荷と呼ぶようになったかは明らかで
  はないが、この縁日が毎年二月二日であったためではないかとも云われているが、昔
  は、この縁日には村の若衆が中心となって浪曲師や、奇術師を呼んで祭りをし近在近
  郷からも多くの見物客が集ったものである」』(「上川淵村誌」より抜粋)

 以上で10月25日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mmとDA20-40mm、50-150mm II。
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春日神社(上佐鳥町)

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 前橋東警察署上佐鳥駐在所の東隣に鎮座する春日神社(前橋市上佐鳥町368-1)。
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 拝殿。
『群馬縣管下上野國東群馬郡上佐鳥村字上野 村社春日神社
一、祭神 建御雷神、天児屋命、齋主命、姫神
  祭神追記
    建御名方神、菅原道真公、倉稲魂命、経津主神、豊木入日子命、品陀和氣命、
    奥津彦命、奥津姫命、火産霊命、豊受姫命、大物主神、別雷神、火雷神、
    速秋津姫命、速佐須良姫命、宇氣母智神、天羽槌雄命、少毘古那神、
    波迩夜麻毘賣命、大國魂神、大穴牟遅神
一、由緒 村老云貞観二年勧請ナリト
     大正八年三月七日勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進神社トシテ指定セラル
     明治四十一年二月十二日許可、本社境内末社菅原社、飯玉社及字西原無格社八
    幡宮、仝境内末社十四社、字新町無格社三柱神社、仝境内末社二社ヲ合併セリ
一、境内末社 菅原社 明治四十一年二月十二日許可本社へ合併
        祭神 菅原道真公  由緒 不詳 石祠 方八寸
       白山社
        祭神 菊理比咩神  由緒 不詳 石祠 方八寸
       神明宮
        祭神 大日孁命   由緒 不詳 石祠 方八寸
       飯玉社 明治四十一年二月十二日許可本社へ合併
        祭神 豊宇氣美賣神 由緒 不詳 石祠 方八寸』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 斜めから。本殿の改修中であるようだ。
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 本殿。
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 末社。
 中央は諏訪社。右の石燈籠には「奉納 秋葉大権現」とある。
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 末社の鳥居。右には猿田彦命。
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 左は寛政十二庚申年(1800)造立の牛頭天王宮。右は不明。牛頭天王宮の後ろには大正二年(1913)八月作の石燈籠。
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 左右とも八幡宮。
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 左は山神宮。右は不明。
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 不明。
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 春日神社太々神楽装束収蔵庫。
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 神楽殿。
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「市指定重要文化財 春日神社太々神楽」案内板。
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「前橋市指定天然記念物 春日神社のケヤキ」案内板。
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 一本杉正平稲荷側から見た春日神社。
 一本杉正平稲荷との距離はおよそ250m程。

一本杉正平稲荷神社(上佐鳥町)

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 朝倉工業団地北西の端気川縁に鎮座する一本杉正平稲荷神社(前橋市上佐鳥町)。
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 拝殿。
 何匹ものアシナガバチが飛び交っていた。こちらから手を出さない限りはおとなしいハチの筈とは言え、あまり落ち着けもしないので手早く参拝と撮影を済ませることに。
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 昭和九年(1934)二月造立のお狐さま。
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 末社。
 左の石祠には天保九、右の石祠には稲荷の文字が確認できた。
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 北西から。
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 11月2日追記。
『一本杉正平稲荷
 上佐鳥九五七番にあって、上川渕村の古墳の一つになっている。稲荷大明神を祭ってあ
る、社屋の後に杉一本があうため、後に一本杉正平稲荷と云うようになったと云う。これ
に近い八ツ穴稲荷の伝説として、阿内宿の某家に狐が嫁となって、子供が一人生れてから
それが発覚して追出されたが、時恰も田植えの最盛期で夜半に旧夫の田植えを助けたとい
う伝説があるが、又一本杉正平稲荷の伝説では男女二人の子があったらしいと云われる。
女狐は「ウラドノハ、ニクケレド、二人ノ子ガカワイサニ、ホニ、ホニサキヤレ、ヤエボ
ニサキヤレ」と唱えながら一夜にして田植をしたという。
 この稲荷は、毎年八十八夜が祭日となっていて、当日は、春日神社の祭典と太々神楽の
奉舞が行われるため、多くの露天商が出て賑い、この稲荷も養蚕の神として豊蚕を祈願の
ため、近郷近在の農家からの参詣者が多い』(「上川淵村誌」より抜粋)

石神神社(朝倉町)

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 端気川に架かるさくら橋のすぐ南側に鎮座する石神神社(前橋市朝倉町)。
 木瀬村誌にこちらの記述は見当たらなかったので詳細不明。読み方にしても「いしがみ」なのか「しゃくじん」なのかもわからない。おそらく村の境を守る塞神のような存在なのだろうと思うのだが。
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 社殿。
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 水神宮と道祖神。
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 末社。

 11月2日追記。
『石神神社
位置 大字朝倉村(下)
祭神 八衢彦神 八衢姫神
由緒 不詳』(「上川淵村誌」より抜粋)
 やはり塞の神だった。

飯玉神社(広瀬町二丁目)

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 広瀬川の南側、周囲を広瀬県営住宅に囲まれた中に鎮座する飯玉神社(前橋市広瀬町2-28-1)。
『群馬縣管下上野國東群馬郡後閑村字飯玉九九二
 村社 飯玉神社
一、祭神 保食命
一、由緒 不詳 大正十年四月八日、明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進
    神社トシテ指定セラル
一、本社 方九尺
一、拝殿 方三間
一、境内 六百七拾三坪 官有地
一、境内末社 二十壱社
 愛宕神社   祭神 火具土命
 琴平神社   祭神 金山彦命
 雷電神社   祭神 火雷命
 大通龍霊神社 祭神 高龗命
 八幡神社   祭神 誉田別命
 諏訪神社   祭神 建御名方命
 稲荷神社   祭神 倉稲魂命
 春日神社   祭神 天児屋根命
 星宮神社   祭神 天之香々背男命
 青麻神社   祭神 不詳
 熊野神社   祭神 伊邪那岐命 伊邪那美命 素盞嗚尊
 大山祇神社  祭神 大山祇命
 疱瘡神社   祭神 大名持命 少彦名命
 神明神社   祭神 大日孁命
 住吉神社   祭神 底筒男命 底筒女命
 猿田彦神社  祭神 猿田彦命
 八坂神社   祭神 素盞嗚尊
 蚕影神社   祭神 豊受比賣命
 淡島神社   祭神 少彦名命
 秋葉神社   祭神 火産霊命
 菅原神社   祭神 菅原道真公
一、神楽殿 間口二間 奥行三間
      右明治廿八年十一月十二日建築許可、仝年十二月七日落成届出
一、氏子 百九戸
一、管轄廰迄距離 壱里拾五町』(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 二の鳥居。
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 二の鳥居の左側に双体道祖神。
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 昭和六十二年(1987)十二月造立のお狐さま。
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 三の鳥居。
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 拝殿。
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 拝殿前の石段脇に由緒を刻んだ石碑が建てられている。
『飯玉神社
祭神 保食命 他十二柱
由緒 当社は東日本最古の前橋天神山大古墳群の中心に位置し、社殿は一古墳上に鎮座し
  ている。
   古代、此の地方一体は大豪族、上毛野君に関る初期の東国文化圏であった。
   創建年代不詳であるが、上野国神名帳(平安時代)に記載されている群馬東部「正五
  位上・毛野明神」とは当社と思われる。
   文永三年(1266)の鎌倉幕府関東下知状に、当地「後閑郷(村)」の名が上野国の中
  の地名として記されている。
   応永年間(室町時代)に天候不順にため凶作が続き困窮の中新たに五穀豊穣の祖神
  「保食命=宇気母智命」を勧請合祀し稲魂を語源とする「飯玉明神」と改称された。
   嘉永五年(1852)に神祇官白川家より「正一位」の神階を賜る。社は全村民に護持
  崇敬され、末社の稲荷社と共に霊験あらたかな鎮守さまとして、広く氏子崇敬者に親
  しまれ今日に至る』
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 明治二十四年(1891)九月造立のお狐さま。
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 拝殿内部。
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 拝殿斜めから。
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 末社群と天満天神宮。御祭神は菅原道真公。
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 左から春日大神、疱瘡神、不明。
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 淡島神社。御祭神は少彦名神。
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 霧島稲荷神社の鳥居。その左手前には勇大天狗。
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 ぐるりと半円を描く参道。
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 五の鳥居。
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 提灯門。
IMGS2702s.jpgIMGS2704s.jpg
 お狐さま。
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 霧島稲荷神社。御祭神は宇迦御魂神。
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 末社群。
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 琴平宮。御祭神は大物主神。
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 末社。
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 北辰鎮宅霊符社。御祭神は北辰鎮宅霊符尊神。星の神様とも書かれており、上野国神社明細帳の記述から察するに、こちらは天之香々背男命のことだろうか。
 北辰鎮宅霊符社の左側には大黒天と青麻宮、そして社名不詳の石祠。
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 天照皇大神宮と石祠三基。
IMGS2759s.jpgIMGS2810s_20141029211955e83.jpg
 神楽殿と自動車御祓い所。
 神楽殿の天井には鳳凰の……シールかな、これ。
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 赤城神社の鳥居。
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 五百筒磐村神と雷電宮。
IMGS2767s.jpgIMGS2769s_20141029213703a39.jpg
 天下正一位稲荷社と鶴天狗。
IMGS2771s.jpgIMGS2773s.jpg
 御嶽山神社と赤城神社。
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 不明。
IMGS2776s.jpgIMGS2780s.jpg
 不明、正一位霧島稲荷社。
IMGS2784s.jpgIMGS2788s_20141029214722606.jpg
 北辰鎮宅霊符神と八海山大神。
 北辰鎮宅霊符神の文字の下には北辰神清霊神、北辰神藤霊神、北辰神政霊神、北辰神善霊神、北辰神九霊神、北辰神彌霊神と六つの名が刻まれている。
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 天照皇大神宮。
 ほかにも二基の石祠があったが、何神社なのかは不明。

愛宕神社(天川大島町)

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 JR両毛線前橋大島駅の南西400m程の交差点そば、天川大島町本町公民館の西隣に鎮座する愛宕神社(前橋市天川大島町1416)。
『天川大島は古くから愛宕神社を祀って来たが、同社は無格社であった。そのために、下大島と同様山王の日枝神社の氏子となっていた。しかし大正七年(1918)に至って日枝神社の氏子を離れ、愛宕神社を村の鎮守として崇拝することにした。同社が村社に昇格したのは大正七年二月十五日のことで、その記念碑が氏子の手によって境内に建てられている』(「木瀬村誌」より抜粋)
IMGS2582s.jpgIMGS2583s_20141028223022ed6.jpg
 狛犬。
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 拝殿正面。
『愛宕神社移転完成記念碑
 平成五年より施行の前橋市都市計画事業松並木土地区画整理事業に伴い、当愛宕神社も北側の現地に換地を受け移転することになった。御祭神の火産霊神を祀る社殿は大正五年に改築したがこの機会に一部修復を併せ行い、天川大島町の発展と住民の安全を見守る愛宕神社の尊厳と神道の昂揚に努め関係者の間で幾度となく協議、協力の元に鳥居を新調し、玉垣、立木更に境内整備を執り行うこととなる。建立資金は、移転補償費、神社運営資金及び天川大島共有の奉納金を当て、平成十七年度に移転工事を完了し、平成十九年四月十四日の愛宕神社の例大祭に合わせ遷宮鎮座の記念の式典を滞りなく終了するも、関係各位に心より感謝を申し述べる。
 平成十九年十月吉日』
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 斜めから。
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 雷電宮と天神宮。
 雷電宮は安政二卯年(1855)六月、天神宮は天保四巳年(1833)二月の造立。
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 左から社殿改築記念碑、山王日枝大神(愛宕神社村社指定記念碑)、村社愛宕神社基本財産奉納者芳名碑。
 それぞれ大正八年四月、大正七年四月、大正十二年十二月の建立。
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 左から庚申尊、大黒天、道祖神、摩訶迦羅天、不明、青面金剛。
 それぞれ萬延元年(1860)、文化元甲子年(1804)十一月、天明八戊申年(1788)、元治元甲子年(1864)二月の造立。右二つは不明。
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 末社群。
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 庚申塔群。
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愛宕神社(上大島町)

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 前橋メモリアルみどりの郷霊園の南西、広瀬川の北岸に鎮座する愛宕神社(前橋市上大島町)。
 木瀬村誌にこちらの記述は見当たらなかったが、上大島町自治会の公式サイト内に愛宕神社の項がある。それによると、こちらは現在は上大島近戸神社の境外末社になっているようだ。
 上大島町自治会のサイトには御祭神は軻遇突智命と書かれているが、社号標石の裏には火産霊命と刻まれている。まぁ、同じ神様の別表記なので問題は無いのだけれど。
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 境内。
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 愛宕神社石祠。
 背面には「昭和三十五年四月吉日 前橋市上大島町 氏子 百十八戸建之」と刻まれている。
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上長磯稲荷神社(上長磯町)

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 国道50号線上長磯町東交差点の南西150m程に位置する稲荷神社(前橋市上長磯町116-1)。
 駐車スペースは無いので、100m程西にある上長磯町公民館前に駐車。
『中世末に上長磯に居館を構えていたと言われる加藤武右衛門の屋敷の鬼門除けとして祀ったという説と、近世後半に分限者として知られた閑家の屋敷稲荷が村の鎮守に昇格したという説がある』(「木瀬村誌」より抜粋)
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『稲荷神社移転改築記念碑
 稲荷神社は村の鎮守の神として遠い祖先の時代より崇敬のまととなって来た。その祭神は農業の神といわれる宇迦之御魂神である。旧社殿は上長磯村字稲荷三○九番地で、集落中央の現地より東北約五○○メートルの地点に当る。その創立年月等は記録に残るもの無く不詳である但しその境内に存在した猿田彦命を祀る庚申塔の一つに寛文十二年十一月(西暦一六七一年)の銘を見ることができる。このことにより本年平成三年を遡ること、三一九年前にはすでに村の鎮守の神として村人の崇め祀るところであったと考えられる。時代を下って昭和の初期に県道 前橋石山線が境内地南側を東西に貫き、その後交通の発達により国道五○号線として自動車の往来は逐年増加の一途をたどるに至った。この交通量の多い国道を横断して神社への参詣神事の執行、境内の清掃等を行うには大いなる危険をも伴うこととなった。加えて今次の国道拡巾工事の終了後には更に一層の危険を増すことが予想される。
 また社殿及び付属建造物も長年にわたり風雨や自然災害を蒙り、その都度修復をかさね来たったが、全体的老朽化はいかんともなしがたい状態となった。このため氏子総代、自治会役員等より移転改築の議おこり、昭和六十三年十二月町内全体会議に諮りその議決を経、神社本庁の承認を得てこの地へ移築することとなった。
 時恰も、天皇陛下御即位の礼、大嘗祭の執り行われるに際し記念事業として平成元年秋起工同三年三月竣工を見るに至った。よって記念のためこの碑を建てる
 平成三年三月吉日』
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 庚申塔x2、猿田彦命、常夜燈、猿田彦大神。
 猿田彦命文字塔の側面には寛政十二庚申季、常夜燈の側面には萬延元庚申年と刻まれているので、1800年と1860年のものだ。
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 拝殿正面。
 木瀬村誌によると、御祭神は倉稲魂命。
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 斜めから。
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 末社。木瀬村誌には末社として諏訪社の名が記されていたが、どれがそうなのかは不明。右に三つ並んでいる石祠の左端、つまり頭一つ飛び出している石祠の額には「御宝前」と刻まれていた。
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 寛政九丁巳年(1797)十月造立の馬頭観音。その右の石版には馬頭観世音とあり、こちらは文久三癸亥年(1863)三月のもの。
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 稲荷神社前の三つ辻脇に鎮座する小祠。その後ろには道祖神。
 石祠の側面には宝暦十一巳正月と刻まれているので1761年のものであるとはわかるのだが、何神社なのかは不明。場所から見てこちらも道祖神だろうか。

 11月5日追記。
『群馬縣管下上野國南勢多郡上長磯村字稲荷三○九番
 村社稲荷神社
一、祭神 倉稲魂命
一、由緒 不詳
     大正七年二月十五日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進神社ト
    シテ指定セラル
一、本社 方貮尺
一、拜殿 間口三間 奥行弐間
一、境内 貮百四拾四坪 官有地
一、境内末社 三社
 諏訪神社 祭神 建御名方命 由緒 不詳、明治十年五月同村字稲荷ヨリ移轉
 菅原神社 祭神 菅原道真公 由緒 不詳、明治十年五月同村字八幡ヨリ移轉
 八坂神社 祭神 素盞嗚尊  由緒 不詳、明治十年五月同村字八幡ヨリ移轉
一、氏子 四拾六戸
一、管轄廳迄距離 壹里拾丁』(「上野国神社明細帳」より抜粋)

近戸神社(上大島町)

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 上大島町公民館の隣に鎮座する近戸神社(前橋市上大島町607)。
 木瀬村誌によると御祭神は大己貴命で、二之宮赤城神社の分社であると言う。上大島町自治会の公式サイト内に近戸神社の項があるので、そちらの方が詳しいだろう。
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 拝殿。
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 立入禁止の立て札があるが、幸いにも石祠の横に社号標石が建てられているので望遠レンズで確認すると、右手前から御伊勢宮、貫前神社、御十二様、雷電神社、天満宮、日枝神社、八坂神社と刻まれている。八坂神社の左には大国主神、出羽三山x4、庚申塔x2。
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 こちらもまた立入禁止の立て札があった為望遠レンズで確認すると、左の石祠には古峰山と刻まれ、右奥の石祠横の社号標石には弁天宮の文字が見える。
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 古文書庫。
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 鳥居建立記念碑。
『旧鳥居は、八幡大輪型欅造りで、文久二年(1817)に奉納建立され百七拾余年の歳月を経て老朽化が著しく、ここに町内各位の御賛同を得て建立の運びとなり、茨城県産稲田白御影石を用いて同型を奉納建立す、永年の風雪に耐え幾多の歴史を刻む基台石を称賛し永久保存する。
 昭和六十三年八月吉日』
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 近戸神社移転記念碑。
『農村総合整備モデル事業実施計画地域として昭和四十八年農林省承認、集落排水事業、清水川防護柵、集落道整備事業及び農村公園建設に伴い社殿並に社務所の移転工事を行うに当り氏子中の総意を以って事業に協讃され此の地を定め鎮座す
一、神社庁移転認可 昭和五十九年十一月  四日
一、下遷宮の儀   昭和五十九年十一月二十四日
一、正遷宮の儀   昭和五十九年十二月二十四日
一、完工式典    昭和六十 年 三月二十四日
近戸神社の沿革
 神殿    文化 元年 西暦一八○四年
 拝殿    文政十一年 西暦一八二八年
 鳥居    文久 二年 西暦一八一七年
 琴平宮合祀 大正 七年 西暦一九一八年』
 この琴平宮は、以前は近戸神社の南西、清水川に架かる琴平橋の南側にあったようだ。

 11月5日追記。
『群馬縣管下上野國南勢多郡上大島村大字下長磯前六○七
 村社近戸神社
一、祭神 大己貴命 (追記)大物主命 素盞嗚尊 火産靈命、合併ニ依リ追記
一、由緒 不詳
     明治四十四年十二月廿二日許可、仝所無格社琴平宮、同境内末社八坂神社及愛
    宕神社ヲ合併
     大正七年九月十三日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進神社ト
    シテ指定セラル
一、本社 間口九尺 奥行弐間
一、拜殿 間口三間 奥行弐間
一、境内 百八拾九坪 民有地、但共有
一、境内末社 貮社
 菅原神社 祭神 菅原道眞公 由緒 不詳、明治十年五月同村字大塚ヨリ移轉
 日枝神社 祭神 大山咋命  由緒 不詳、明治十年五月同村字大塚ヨリ移轉
一、氏子 六拾貮戸
一、管轄廳迄距離 壱里拾五丁』(「上野国神社明細帳」より抜粋)

下長磯稲荷神社(下長磯町)

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 桃川神社からほぼまっすぐ400m程南下した所に鎮座する稲荷神社(前橋市下長磯町132)。
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 鳥居。
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 昭和五年(1930)二月造立のお狐さま。
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 人形収蔵庫。
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 県指定重要文化財である浄瑠璃用人形一式の案内板。
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 拝殿。
『下長磯稲荷神社
 祭神 保食神
 末社 愛宕社、菅原社、大己貴社、津島社、大物主社
 大正八年(1919)三月七日、明治三十九年勅令第九十六号により神饌幣帛料供進神社として指定される』(「木瀬村誌」より抜粋)
 ……こう書かれてはいるが、木瀬村誌の中の昭和三年時点における木瀬村の神社一覧の項目を見ると、御祭神の名は倉稲魂命と書かれている。
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 末社群。
 右から二番目の石祠は側面に石尊宮と刻まれている。
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 天照皇太神宮。
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 天王宮と大黒天。
 天王宮は嘉永六癸丑年(1853)六月、大黒天は元治元甲子年(1864)の建立。

 11月5日追記。
『群馬縣管下上野國勢多郡木瀬村大字下長磯村字宿要害四二六
 村社稲荷神社
一、祭神 倉稲魂命
一、由緒 天保九戊戌年二月吉田殿ヨリ正一位稲荷神位勸請有之
     大正八年三月七日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進神社トシ
    テ指定セラル
一、本社 間口九尺 奥行弐間
一、拜殿 間口三間 奥行弐間
一、境内 三拾七坪 官有地
     貮百六拾四坪、大正七年五月二十日許可擴張
一、境内末社 五社
 八坂神社  祭神 素盞嗚尊  由緒 不詳、明治十年五月同村字佃ヨリ移轉
 愛宕神社  祭神 火産靈命  由緒 不詳、明治十年五月同村字佃ヨリ移轉
 琴平神社  祭神 大名持命  由緒 不詳、明治十年五月同村字佃ヨリ移轉
 秋葉神社  祭神 大己貴命  由緒 不詳、明治十年五月同村字佃ヨリ移轉
 菅原神社  祭神 菅原道真公 由緒 不詳、明治十年五月同村字佃ヨリ移轉
一、氏子 五拾五戸
一、管轄廳迄距離 壱里廿五丁』(「上野国神社明細帳」より抜粋)

桃川神社(女屋町)

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 国道50号線女屋町交差点の南西150m程、桃ノ木川の畔に鎮座する桃川神社(前橋市女屋町55-1)。
 こちらの鳥居は明治二十七年(1894)の建立。
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 拝殿。
『女屋の鎮守様は桃川神社という。神社合併前は諏訪神社と熊野神社があった。この両社を合併したのが明治四十年(1907)。社名は元の神社名をとらずに桃川神社とした。これは桃木川のふちにある神社という意味であるが、両社がほぼ同格であったためかも知れない』(「木瀬村誌」より抜粋)
 また、木瀬村誌には以下の記述もあったが、これは桃川神社として合併する前の諏訪神社のことであろうか。
『女屋諏訪神社
 祭神 健南方刀美命
 末社 大山積社、八幡社、菅原社、大山咋社』
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 末社群。一番左手前は八坂宮。
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 一番奥の石祠には朱で祭神らしき名が記されているが、はて? 三文字だから摩利支天でもないだろうし。
 石祠の側面には萬延元庚申七月吉日と刻まれているので、1860年のもの。
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 古文庫。
『古文庫建設之記
女屋町は古利根の河原に拓かれたが先学の調査によれば凡そ千参百年前と推定した生活の跡が発見されており又板碑等にも四百年前のものが現存している しかし私達が確認した文書は参百年以後からでこの間の空白は如何なる理由かは想像の域を出ないこの事は伝承する困難さを如実に示しておる折しも近隣自治会責任者自宅の災害により書類類焼により俄かに文書格納の必要を認識し併せて生活形態の変遷と自治体運営の新たなる転換により重要度を痛感ここに町内先覚有志の動議に基き古文庫建設を町内一致で推進することに決しられた 時恰も二度に亘る土地改良事業も完成その記念事業としての意義もこめて竣工をみたのである この女屋町を青山の地と定め子孫繁栄の願望を祈念し精進した祖先の偉業を継承する我等は残された貴重な歴史を永えに伝達する方途を開くことも又責務としたからである
 昭和五十三年十二月吉日』
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 道祖神と毘沙門天。
 道祖神は天明五乙巳年(1785)のもので、毘沙門天の建立年は隣の木が邪魔で見えなかった。
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『女屋とキリギリス
 女屋の鎮守様は桃川神社であるが、元は諏訪神社と熊野神社があって、それぞれ独立していたのを、明治四十年に合併したもの。
 熊野神社は普通はオクマン様といわれ、女屋のオクマン様は、かつては安産の神様として知られていた。境内に杉の古木があって、この皮をとって煎じて飲むか、護符とすれば安産出来るといわれた。前橋藩主の酒井候の奥方のお産のとき、このオクマン様に安産祈願したという話が伝えられる。
 さて、オクマン様の御眷属はアリであるといわれている。そのために、オクマン様の氏子はアリを大事にして、アリを殺してはいけないと言っている。女屋の場合も同様で、同地には次のような話が伝えられている。
 昔、キリギリスがアリを食ってしまった。アリはオクマン様の御眷属であったので、これを食ってしまったキリギリスはオクマン様を祀っている女屋には棲めなくなったとか、繁殖をしなくなったと言う』(「木瀬村誌」より抜粋)

 11月5日追記。
『群馬縣管下上野國南勢多郡女屋村字宮田
 村社諏訪神社(追記)桃川神社
一、祭神 建御名方命 (追記)櫛御氣野命 菅原道眞公 大名持命
一、由緒 不詳 明治四十年十二月二十一日許可、仝村字宮田無格社熊野神社、仝境内末
    社二社及本社境内末社菅原神社ヲ合併、仝時ニ桃川神社ト改称セリ
     大正七年二月十五日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進神社ト
    シテ指定セラル
一、本社 間口壱間四尺五寸 奥行弐間
一、拜殿 間口三間壱尺 奥行壱間四尺
一、幣殿 間口五尺 奥行四尺
一、境内 貮百九坪 官有地
     外参拾参坪 大正四年七月二十一日編入許可
一、境内末社 四社
 稲荷神社 祭神 宇迦之御魂神 由緒 不詳、明治十年五月同村字宮田ヨリ移轉
 菅原神社 祭神 菅原道真公  由緒 不詳、明治十年五月同村字宮田ヨリ移轉
                  明治四十年十二月廿一日許可本社ヘ合併
 大山祇社 祭神 大山祇命   由緒 不詳
 疱瘡神社 祭神 須佐之男命  由緒 不詳
 八幡神社 祭神 誉田別命   由緒 不詳
一、氏子 四拾五戸
一、管轄廳迄距離 壱里廿三丁』(「上野国神社明細帳」より抜粋)

ぐぬぬ

 横浜オクトーバーフェストに行って来たのだけれど、早目に行っておいたせいか、屋外席なら簡単に確保できた。一杯目にはシュパーテンのオプティメーターを。二杯目にBEER NEXTのスプリングバレー、三杯目はサンクトガーレンのアップルシナモンエール、四杯目は横浜ビールのフェストIPA。食事を取りながらでも流石にそこそこ酔ってくる。二時間程で会場を離れ、友人の希望で秋葉原へ。
 そこで気付いたのだが、カメラ(Coolpix P7100)無くした……○刀乙
 最後に撮った場所は覚えているのだけど、電車を降りてからふとバッグの中を見たらカメラが無い。一体どこで無くしたのだろう。アルコールが回っていたせいか、どうにも細かい部分が思い出せない。一応届け出はしておいたけど、見つからないだろうなぁ。
 うーむ、P7100に代わる次のカメラはどうしよう。ニコンCoolpix P7800は電池を流用できるけど、でもボディがでかすぎるし、オリンパスSTYLUS1はかなり良い感じだけど、でもどうせなら1/1.7型センサーより大きいのにしたいかなーと思うし、フジフイルムX30はEVFが見易くて操作系も良い感じだったけど、でも作例見るとなんかイマイチかなぁとも思うし、キヤノンPowerShot G1X markIIやG7Xはバッテリーの持ちが悪いし、いっそオリンパスE-M10にしてしまおうかなどと思わないでもない。改めて考えてみると、P7100は画質・操作性・コストパフォーマンスと揃った良いカメラであったなとつくづく思う。

赤城神社(荒口町)

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 荒口町公民館の隣に鎮座する赤城神社(前橋市荒口町30)。
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 猿田彦大神と大己貴命。
 猿田彦大神の側面には「萬延紀元庚申十一月禎祥日」「施主 小渕彌太郎」と刻まれており、1860年のもの。亦大己貴命の裏面には「元治紀甲子建坐」と刻まれているので1864年のもの。
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 拝殿。
『村社赤城神社
所在 荒口字宮田31
祭神 大穴牟遅命、誉田別命、建御名方命、大屋津比女命
   抓津比女命、熊野神魯岐命、御気沼命
由緒 明治四十一年(1908)字前田熊野神社、同境内末社一社(八幡)、及字諏訪諏訪
  神社を合併した』(「荒砥村誌」より抜粋)

『赤城神社
 祭神は大穴牟遅命、誉田別命、建御名方命、大屋津媛命、抓津比女命、熊野久須毘命で、由緒は不詳であるが明治四十一年一月二十七日に字前田の熊野神社、同境内の末社八幡神社、字諏訪の諏訪神社を合併した。
 その当時の氏子は四十五戸で祭礼は四月八日である』
(「資料集 荒口の文化財」より抜粋)
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 社殿東側から。
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 左の石祠は稲荷大明神。右は……なんだろう。神輿庫だろうか。
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 末社群の鳥居。
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 末社群。
 石祠は十五基あったが、わかったのは金毘羅大権現と天神宮、山神宮、丹生宮のみで、他はさっぱりわからない。
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 薬師祠。
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 「資料集 荒口の文化財」によると薬師如来であるようだ。
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 青面金剛塔、庚申塔、地神塔。

 以上で10月11日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mmとDA35mm Macro、DA70mm、DA20-40mm、50-150mm II。
 この後は時間があれば二之宮赤城神社も参拝しようかと思っていたのだが、前橋市立図書館城南分館で郷土誌を調べたりノートに書き写していたら思いのほか時間がかかってしまい、二之宮赤城神社を参拝する時間は無くなってしまった。また後で参拝することにしよう。とは言え来週は友人に誘われて横浜オクトーバーフェストに行く予定になっているので、神社巡りはお休みなのだけど。

大黒天社(荒口町)

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 前橋総合運動公園の北西に鎮座する大黒天社(前橋市荒口町)。
『荒口の大黒天
 観音寺に本堂のあった頃、大黒様は庭に北向きに坐っていた。その頃は上組が裕福であったが、後、軒端へ移して南向きにした処、今度は下組が裕福になり、上組が衰えだした。本堂が無くなってからは、別にお堂を建てて祀ったが、今では公平に東向にして祀ってある』(「前橋の伝説百話」第九十三話より抜粋)
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 宝暦十庚辰年(1760)三月造立の青面金剛塔。高さ132cm、幅88cmであるのだそうだ。
 この他、大黒天社裏に延徳三年(1491)の輪廻塔があるそうなのだが、裏を見るのは忘れていたので見落としていた。もしかして、大黒天社の奥に見えた五輪塔のようなものがそれだったのかな。
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 観音堂。
 観音寺は寛永二年(1625)に讃岐国より来た高僧が、此の地に庵を結び観音坊と号し住居したことに始まるのだそうだが、現在では観音堂を残すのみ。
 観音堂の右側に建てられた石柱には「荒子小学校発祥之地」と刻まれている。現在の荒子小学校はここから北東に1km程離れている。
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 観音堂の裏手に鎮座する稲荷大明神。
 石祠の側面には正徳五乙未天九月吉祥日と刻まれているので1715年の造立。

大国主神(荒子町)

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 荒子神社の北東400m程の位置にある舞台組公民館(前橋市荒子町)の敷地端に鎮座する大国主神。
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 他にも石祠が七基+破損して台座だけのもの一基があるが、社名がわかるのは右から二つ目の八坂社だけ。

荒子神社(荒子町)

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 荒子町集落農業構造センターの東隣に鎮座する荒子神社(前橋市荒子町960)。
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『荒子神社
一 所在地  前橋市荒子町九六○番地
二 御祭神  倉稲魂命 建御名方命 大山祇命 大日孁命 八坂登女命 
三 例祭日  三月二十九日
四 由緒沿革 明治十一年(1878)三月十三日中屋敷の稲荷神社・諏訪神社を合併し荒子
      神社と改称。明治十六年現在地に社殿を新築する。明治四十年五月七日新宿
      の神明宮、堤下の諏訪神社を合併。
       昭和十四年(1939)三月二十九日神楽殿竣工する。
五 社殿   本殿、幣殿、拝殿、神楽殿
六 境内地  一○四六平方メートル
七 氏子数  三六五戸
八 境内社  琴平神社(大物主神)   妙見神社 (天之加々勢男命)
       水神社 (罔象女命)   阿夫利神社(大山祇命)
       菅原神社(菅原道真公)  絹笠神社 (和久産巣日命)
       雷電神社(大雷命)    山神社  (大山祇命)
       秋葉神社(火産霊神)   八坂神社 (須佐之男命)
       蚕影神社(和久産巣日命) 尼神社  (不詳)』
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 二の鳥居。
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 拝殿正面。
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 斜めから。
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 嘉永四年(1851)作製の舟形水盤。
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 末社群。
 左から不明、不明、不明、秋葉山。■山宮、八坂宮、雷電宮。
 ■の部分は丱のように見えるが、丱山宮なんて聞いたこと無いし、ググっても出て来ない。なんだろうなぁ。
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 不明、不明、八坂宮、不明。琴平神社、八坂宮、秋葉宮、石尊宮。
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 不明、猿田彦尊。道祖神、大国主神。
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 不明、不明、不明、不明、新倉大明神、不明。
 ……ここまで二十五社あって、案内板に書かれた社名が半分も出て来ないのだが、もうどれがなにやら。
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 神楽殿。
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 倉庫かな。

霊符尊神社(二之宮町)

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 国道50号二之宮町交差点から一つ西側の道を北に入って行くと、突き当たりに小さな塚があり、その頂に霊符尊神社(前橋市二之宮町)が鎮座している。
 荒砥村誌にこちらの記述は見当たらなかったので詳細は不明だが、霊符尊とは妙見信仰に関わりが深いようなので、妙見菩薩か天之御中主神を祀っているのだろうか。ただ、ここから900m程北に鎮座する荒子神社境内の妙見神社は天香々背男命を祀っているので、そちらと言うことも考えられるかも知れない。
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 鳥居。
 石段左側には石塔があるが、燈籠も兼ねているのだろうか。
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 霊符尊神社。
 側面には天保十五甲辰年(1844)三月と刻まれている。
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梅化桜天神宮(西大室町)

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 原組集会所の南西200m程の場所にある丘上に鎮座する梅化桜天神宮(前橋市西大室町天神)。
『梅化桜天神
 西大室字天神に菅公を祭る天神社がある(明治四十三年大室神社へ合祀)。老松の茂る丘上に岩石重畳し、素の上に宮が建てられている。この境内に梅の木を植えると数年にして桜に化すと言う。この天神は梅化桜天神と称した。現に梅を植えたものが彼岸桜に似た花梗の長い花を開いている』(「荒砥村誌」より抜粋)

『群馬縣管下上野國南勢多郡西大室村字天神
 無格社梅化桜神社
一、祭神 菅原道真公
一、由緒 當社境内ニ櫻木數株アリ、而ノ梅木ナシ、崇敬ノ徒梅木ヲ奉レハ忽然櫻木ニ化
    ス、故ニ里俗称シテ梅化櫻天神ト云フ
一、本社 間口三尺 奥行四尺
一、拜殿 間口弐間 奥行三尺
一、境内 貳百八拾貳坪 官有地
一、境内末社 貳社
 大山祇神社 祭神 大山祇命  由緒 不詳 石祠 間口六寸五分 奥行壱尺
 菅原神社  祭神 菅原道眞公 由緒 不詳 石祠 間口壱尺三寸五分 奥行壱尺八寸五分
一、信徒 百拾壱人
一、管轄廳迄距離 三里』(「上野国神社明細帳」より抜粋)

『明応三年(1494)八月、甘楽郡菅原村の童子天神を地田栗の人がその南方丘上に遷し奉り、それより字を天神山と号す』(「前橋の伝説百話」第二十四話より抜粋)
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 拝殿裏手に「元梅化櫻神社」と刻まれた小さな石碑がある。
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 参道脇には社殿造営記念碑が建てられている。
 丘上に見える木々が桜に変わった梅の木なのだろうか。
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 原組集会所の敷地端に鎮座する二十二夜供養塔と青面金剛、庚申塔。

勢田稲荷大明神(西大室町)

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 群馬県指定史跡荒砥富士山古墳(前橋市西大室町813-2他)の南面に鎮座する勢田稲荷大明神。
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 右側の倒れている石塔が勢田稲荷大明神。
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 かなり薄くなっているが、「正一位勢田稲荷大明神 大正八年二」の文字が読み取れる。
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 勢田稲荷大明神の右下に見える大きな石は、石室入口の天井部分。
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 僅かな隙間が見える。埋め戻されているが、ここが石室の入口。
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 標石の隣に案内板が設置されているのだが、文字がかすれていて読み取るのは難しい。なので、群馬県埋蔵文化財調査事業団の荒砥富士山古墳のページを見ると詳しく書かれている。

五社稲荷神社(西大室町)

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 産泰神社の東、伊勢山古墳頂に鎮座する五社稲荷神社(前橋市西大室町伊勢山623)。
『伊勢山古墳
所在 西大室字伊勢山623。産泰神社東南方で東は神沢川の崖に接し、北は石尊山に続く
現状 前方後円墳で主軸は略東西に亘り、西面している。全長二六四尺、前円部の頂に稲
  荷祠を祭り、東から参道が通じている。全体は雑木林であるか公園化されてツツジな
  どが植えられている。湟を回らした形迹があるが、開墾された為明瞭を欠く。封土は
  二段築き、石槨は南面して開口、奥行十六尺、間口は入口に於て六尺、奥壁に於て七
  尺。高さは約七尺ある』(「荒砥村誌」より抜粋)
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『ツツジの由来
 このツツジは、西大室町続城地区の住民が明治時代から大切に守り育ててきた、樹齢百年を越えるヤマツツジです。
 古くから地域住民の憩いの場となっていた当地には、約三百六十株のツツジが植えられていましたが、前橋市制施行百十周年を記念して、全体の約三分の一にあたる百四十株を大室公園に寄贈し、現在の姿になっているものです。
 今後、地域の発展とともにツツジも樹齢を重ねて成長し、前橋市の名所の一つになることを願って、ここにツツジの由来を記します。
 平成十四年五月十二日 西大室町続城地区住民一同』
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 二の鳥居。
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 拝殿。
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 お狐さま。
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『五社稲荷神社
御祭神 絹笠大神、稲倉魂命、大己貴命、大宮姫命、保食神
御由来 神明宮は、明治四十一年(1908)十二月四日熊野神社に合併大室神社と成りしが、大正初年(1912)大室神社の境外社として再建され、社号を五社稲荷神社とす。養蚕農家の信仰を集め祭日には近郷近在より、何千何百と云う参詣者が有り終日賑った。打ち上げ花火や地芝居の興行は、人気の的で有った。キツネの置物を戴き翌年二対にして返納した現在の社殿は二之宮小学校の奉安殿(天皇皇后陛下の御写眞保管庫)を、大正十四年(1925)移築したもので有る。
創建  年代不詳
祭日  五月八十八夜
氏子  三十八戸』

 元神明宮なのに、再建されたら稲荷神社になっていて、御祭神の中に天照大神がおられないとかわけがわからないよ。
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 本殿かな。
 石祠の側面には安永二歳(1773)四月と刻まれており、絹笠大明神文字碑の裏面には平成十八年(2006)五月と刻まれている。

産泰神社(下大屋町)

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 県道114号線と74号線を結ぶ76号線の北側に鎮座する産泰神社(前橋市下大屋町569)。
 ちなみに県道76号線のこの辺りは産泰道路とも呼ばれ、産泰神社への参詣道として江戸時代から使われていたのだそうだ。
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 参道脇の石燈籠。
 以前は現在地よりも西にあったようで、「1971年県道前橋今井線拡巾工事ノタメ下大屋町616番地ヨリ572番地ヘ移築ス」と刻まれた石版が埋め込まれている。
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 石燈籠を支える……邪鬼?
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 鳥居の脇には自動車御祓い所がある。安産・子育て祈願で有名な神社だが、交通安全の御利益もあるようだ。
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 御祓い所の奥に猿田毘古大神と道祖神。
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 神門前の参道右手側に設置された案内板。
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 随神門。天保四年(1833)の建立で、群馬県指定重要文化財とされている。
 15mm(135換算約23mm)でも狭いなぁ。超広角レンズ欲しひ。
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 随神門前の石燈籠。
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 随神像。
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 門をくぐってすぐ左手側に祓戸大神。
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 拝殿。
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 彫刻が施されている。また、こちらの鈴は小さなものがいくつも巻きつけられているもので、可愛らしくも涼やかで優しい音だ。
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 社務所でいただいたリーフレット。産泰神社公式サイトの方が見易いので、詳しくはそちらで。
『産泰神社由緒
 社殿古志故事録は小田原北条氏の乱に焼滅し定かではありませんが、日本武尊の東征の折り此地に勧請せしといい又、履中天皇元年鎮座ともいわれています。
 本殿の裏に約十三万年前に赤城の「石山なだれ」により出現したといわれる磐座があり、原始古代から信仰の土地であったことが推測されます』
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 本殿。
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 抜け柄杓。妊婦専用。
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 神楽殿と収蔵庫。
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 安産・子育て戌。
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 琴平宮の鳥居。
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 琴平宮。
 御祭神は大物主命。この社殿は文化七年(1810)の建立。
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 琴高、黄安、通玄、林霊素などの仙人の彫刻が施されている。
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 末社群。
 左から大国神社(大国主命)、菅原神社(菅原道真命)、厳島神社(市杵島姫命)、二柱神社(伊邪那岐命・伊邪那美命)、稲荷神社(宇迦之御魂命)、愛宕神社(火産霊命)、秋葉神社(火産霊命)、大山祇神社(大山祇命)、絹笠神社(和久産巣日命)、日枝神社(大山咋命)の計十社。
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 胎内くぐりの磐座。頂に祀られているのは大黒天であるそうだ。
 足場が悪く危険である為、現在は立入禁止になっている。
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 ので、現在はこちらをくぐるようになっているそうだ。

大室神社(西大室町)

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 西大室交差点から300m程北西、西大室公民館の西隣に鎮座する大室神社(前橋市西大室町甲1711)。
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 一の鳥居。
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 大正五年(1916)五月造立の狛犬。
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 二の鳥居。
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 神楽殿。
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 拝殿正面。
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 昭和十三年(1938)二月造立の狛犬。
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 社殿斜めから
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『大室神社社殿造營記念大室神社聖徳記
祭神 
  大己貴命 誉田別命  大屋津比女命 大物主命 金山彦命  櫛御氣野命
  大日孁命 建御名方命 抓津比女命  倉稲魂命 須佐之男命 八坂登女命
  大山祇命 菅原道眞公 火之迦具土神 大雷命
由緒 
  赤城の山懐に抱かれた大室は、四神相應の地で古くから開けた土地であった。とりわ
 け西暦六世紀を中心に上毛野氏の本貫地として大古墳がつくられるなど繁榮を見た。中
 世以降も在地の豪族により治められたが、大室城跡もその名残りである。江戸中期にこ
 の本丸跡に字熊ノ穴から熊野神社が遷座され、區民尊崇の中心としてあがめられること
 になった。字熊ノ穴より熊野明神が遷座された明治四十一年十二月四日許可を得て
 字上諏訪 諏訪神社   境内末社二社 阿夫利神社、菅原神社
 字中諏訪 八幡宮
 字下諏訪 諏訪神社   境内末社二社 八坂神社  大山祇命神社
 字中島  赤城神社   境内末社一社 秋葉神社
 字伊勢山 神明宮    境内末社二社 阿夫利神社 金山彦神社
 字大稻荷 雷電神社   境内末社二社 琴平神社  阿夫利神社
 字北宿  稻荷神社   境内末社一社 八坂神社
 字天神  梅化櫻神社  境内末社二社 琴平神社、菅原神社
  及び本社境内末社四社 琴平神社 八坂神社 大山祇命神社 稻荷神社
 を本社熊野神社に合祀して大室神社改稱した。
境内末社
 白山神社、木花開耶姫神社、愛宕神社
附記
 社殿や社務所の老朽化が進みそれ等の改築が長い間の懸案であったが氏子等相諮り改築
 を決議した。造營費は西大室町七ツ石の共有林(三千九百平方米)や舊神明宮跡地(山
 林千平方米)の譲渡基金と敬神の念篤き氏子等の浄財合計八千五百餘萬圓を充當し建設
 に當り佐田建設から特段の御協力を戴き本殿上屋幣殿拜殿社務所水舎の改築をみること
 ができた。
 この慶事を後世に傳える爲め碑を建立した。
平成五年四月吉日』

 同じ大室神社と言う名でも、東大室町の大室神社は近戸神社が基本にあり、こちらの大室神社は熊野神社が基本になっているのだね。
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 末社群。
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 末社群と石燈籠。
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 絹笠大明神と猿田彦大神x2。
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 西の鳥居。
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 東の鳥居と太鼓橋。
『たいこ橋
 東神沢川に架橋されていた石橋で、北宿の下宿にあり山際とをむすぶ橋であった。
 架橋された年代は不明である。
 平成23年7月ここに復元する。
 西大室町自治会』
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 昭和六十年三月二十五日に設置された大室城址標柱。前橋市西大室町1684とも書かれているが、それって隣の西大室公民館の所在地だよねぇ。
『大室城址
 西大室南曲輪にあり。往古何人の築くところであるか詳らかではない。中古に至って大室氏累世の居城であった。文治・建久年間(1185~98)に大室氏が亡んで木工和泉守及び北条修理等が城主であったと言う(木工和泉守なる者何れの史書にも見えず、何人であろうか)。其の後長尾氏の持城となり、白井城の支城として兵糧武器等を置いていた。
 長尾伊玄入道の子一井斎憲景卒去の後、家臣牧野弾正が謀反をしようとした。一井斎の子権四郎景広(童名鳥房丸)は氏政に仕えたが天正十三年(1585)小田原より帰り、鷹野に託して弾正父子を襲殺した。後天正十八年大胡城主牧野右馬丞の所領となる。文禄二年(1593)右馬丞は此城に隠居した。降って慶長六年(1601)前橋藩主酒井重忠に隷属し、家臣石川氏信の所領となる。元和四年(1618)石川八右衛門正広は家名を弟正時に譲り、此城に隠居した。元禄七年(1694)病死する。後三代正状に至り藩主に従い姫路に移り、城址を最善寺に預け香花を托す。
 城址付近に北宿、南宿、中宿、前栽場等の名が今尚存している。蓋後世の城館は大室城規模の一部分(本丸)を使用したもので城郭と言うべき程の物ではない。偶々明治四十二年(1909)春当城最後の領主の裔石川武雄氏は最善寺の先瑩に詣で二百余年の史跡が初めて明らかなるに至った』(「荒砥村誌」より抜粋)

大室神社(東大室町)

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 群馬県道76号前橋西久保線と県道103号深津伊勢崎線が交わる西大室交差点から103号線を400m程南下した場所に鎮座する大室神社(前橋市東大室町715-1)。
 駐車場は無いが、北側の入口から境内に乗り入れられる。
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 鳥居。
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 拝殿正面。
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 斜めから。
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『大室神社誌
前橋市東大室町清龍鎮座
御祭神   大己貴命 御諸別命
      大雷命  大日孁命
      倉稲魂命 柿本人丸
      火産霊神 大物主命
      保食神
由緒・沿革 不詳。本社は明治四十一年(1908)十二月十一日字中神沢の近戸神社に次の
     社を合併して大室神社と改称した。
      字御霊 御霊神社、字雷電前 雷電神社、字多田 神明宮、字多田 丸山稲
     荷神社、字清龍 稲荷神社、字上清龍 稲荷神社、字五料 稲荷神社
      大正三年(1914)十二月十六日現在地に移転改築。
社殿    本殿・幣殿・拝殿・手水舎
祭日    例祭  四月十日
      八坂祭 七月二十一日
      秋祭  十月十七日
      冬至祭 十二月二十二日
歴代神職  初代  社掌 鯉登眞道
      第二代 宮司 鯉登新助
      第三代 宮司 関根初太郎靖治
      第四代 宮司 関根七郎禎晃』

『村社大室神社
所在 東大室町上清竜七一五
祭神 大己貴命、御諸別命、火雷神、大日孁命、倉稲魂命
   柿本人丸、火産霊神、大物主命、保食神
由緒 近戸神社と称し、字中神澤に鎮座していたのを明治四十一年境内末社一社(神明)、
  字五料御霊神社、同境内末社四社(稲荷、人麿、秋葉、琴平)、字雷電前雷電神社、字
  多田神明宮、字猿神多田神社、同境内末社四社(保食、人丸、琴平、秋葉)、字多田丸
  山稲荷神社、字上清竜稲荷神社、同境内末社一社(琴平)、字五料稲荷神社、字下清竜
  稲荷神社を合祀し大室神社と改称し、大正三年現在地に移転した』
(「荒砥村誌」より抜粋)

 また、社号標石の側面には以下の文が刻まれている。
『當社は元當村字中神澤に鎮座し近戸神社と奉稱せしを明治四十一年
 十二月十一日許可を得て無格社御霊神社多田神社神明宮雷電神社稲
 荷神社の諸社を合併同時に大室神社と改稱したり再来氏子の崇敬益
 々厚きを加へ祀典を盛にし奉賽の實を擧げ来りしも尚境内狭隘位置
 亦偏陬にして参拝に不便尠からさりき偶
 大正天皇御即位の大禮を行はせ給ふに逢ひ之■紀念として神■■■
 轉並社殿改築を企畫し大正三年十二月十六日許可を得て此の地に社
 殿を造營し仝四年十一月八日神靈を奉遷せり翌五年十一月四日明治
 三十九年勅令第九十六號に依る神饌幣帛料供進神社として指定せら
 る近時神域の劃成社殿的設備の完成基本財産の造成等諸施設と相挨
 つて氏子の崇敬彌々に深し以て神威の宣揚に至誠を致しつ■■■
 茲に聖上■古の祝典を擧させ給ふに際り社標を建設し由来を刻し
 て紀念せむと爾云ふ
 昭和三年十一月十日』
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 左から不明、大国主神、猿田彦大神、道祖神。
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 末社群。

飯玉神社(朝倉町三丁目)

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 前橋文京郵便局から650m程南下した所に鎮座する飯玉神社(前橋市朝倉町3-28-6)。
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 二の鳥居。
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『沿革
 飯玉神社は寛政二年(1790)勢多郡上川渕村大字朝倉字鎮守廻一一六九番地(現在地、前橋市朝倉町三丁目二九の六)に鎮座された。
 その年は天明三年(1783)浅間山大噴火から七年後である。
 飯玉神社は明治六年(1873)五月五日無格社から村社となり、石神神社と稲荷神社及び本社境内神社三社を合祀することが許可された。
 昭和二十一年(1946)七月二十日宗教法人令による届出を行い、昭和二十七年九月二十五日規則承認申請書を神社本庁へ提出し、その日をもって規則が承認され、昭和二十八年三月二十五日知事より認証された。
 造築以来二○八年の長きに亘り、氏子の崇拝を集め、幾多の歴史の変遷を経て、今日まできた。
 昭和十五年に一度改修工事を行う、以来五十五年の歳月を経て、昨今、本社殿の老朽化著しく、祭事執行、参詣等に危険を生じ、氏子を始め地域の方々のご支援、ご協力をいただき、総会の議決を経て、又絶大なるご芳志によりこの度再建することに決定した。
本社   飯玉神社
祭神   保食命=食物の神
造営年代 寛政二年(1790)
一部改築 昭和十五年(1940)
合祀後の祭神
 宇迦之御魂神 稲荷神社
 八衢比古神  辻の神=男神
 八衢比売神  辻の神=女神
 須佐之男命  八坂神社=天王様
 菅原道真公  天満宮=天神様』

『群馬縣管下上野國東群馬郡朝倉村字鎮守廻リ千百六十九番
 村社 飯玉神社
一、祭神 保食命
     八衢比古神 八衢比賣神 宇迦之御魂神 須佐之男命 菅原道真公、合併ニ依
    リ追記
一、由緒 不詳 明治四十五年七月十九日許可、同所無格社石神神社、同所無格社稲荷神
    社、同境内末社二社並本社境内末社菅原社、八坂神社及稲荷社ヲ合併
     大正十五年十月八日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ、神饌幣帛料供進神社
    トシテ指定セラル
一、本社 間口五尺 奥行一間二尺
一、拜殿 間口二間半 奥行二間
一、社殿 幣殿
一、境内 貮百弐拾壱坪 官有地
一、境内末社 九社
 諏訪社  祭神 健御名方神     由緒 不詳  社宇 間口一間四尺 奥行一間二尺
 日枝社  祭神 大山咋神      由緒 不詳  社宇 間口一間半 奥行一間二尺
 八幡宮  祭神 品陀和氣命     由緒 不詳  社宇 方三尺
 神明宮  祭神 大日孁命      由緒 不詳  社宇 方四尺
 冨士社  祭神 木花之佐久夜毘賣命 由緒 不詳  社宇 間口二尺 奥行一尺
 菅原社  祭神 菅原道真公     由緒 不詳  社宇 間口三尺 奥行二尺
 熊野社  祭神 伊邪那岐命     由緒 不詳  社宇 間口一尺五寸 奥行一尺
        須佐之男命
        伊邪那美命
 八坂神社 祭神 須佐之男命     由緒 不詳  社宇 間口一尺五寸 奥行一尺
                     明治十年当村字上廓ヨリ移轉 
 稲荷社  祭神 宇迦之御魂神    由緒 不詳  社宇 間口壱間 奥行五尺
                    同年同月同所ヨリ移轉
一、氏子 百拾二戸
一、管轄廰迄距離 一里二町』(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 拝殿。
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 逆から。
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 本殿。
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 末社群。

 以上で10月4日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mmとDA35mm Macro、DA20-40mm、50-150mm II。
 普段、このブログはFirefoxとSleipnir6で確認をしているのだけれど、ふと思いついてInternet Explorer 11で見てみたら……おや、一部由緒を書き写したりした部分がずれているな。そう言えば、以前FirefoxとSleipnir2で確認をしていた時はHTMLタグを打って調整してたんだっけ。今のSleipnirはIEじゃなくてChromeがベースになっているから気付かなかったな。ずれたままでも内容が変わるわけじゃないけど、見栄えが悪いし、どーしよ。

水神社(天川原町二丁目)

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 天川二子山古墳の南西300m程の位置に鎮座する水神社(前橋市天川原町2-254-13)。
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 と思いきや、駐車禁止の看板には守田神社と書かれている。水神社じゃ・・・ないの?
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八坂神社(六供町)

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 ファミリーマート前橋六供町店から120m程西に鎮座する八坂神社(前橋市六供町736-2)。
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『八坂神社移転経緯碑
前橋都市計画事業六供土地区画整理事業の仮換地指定に伴い、前橋市六供町七四四番地から前橋市六供町七三六-二番地に移転新築し遷座祭を斎行した。
 平成三年一月二十九日     仮換地指定
 平成十九年二月五日      神社解体
 平成二十一年十一月七日    地鎮祭
 平成二十一年十一月十三日   着工
 平成二十一年十二月二十五日  竣工
 平成二十二年一月十一日    遷座祭』
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代田神社(南町三丁目)

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 前橋市市民文化会館の北西に鎮座する代田神社(前橋市南町3-46-1)。
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 鳥居。
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 拝殿。
『群馬縣管下上野國東群馬郡前橋市前代田村字前曲輪
 村社 八幡宮
 (追記)代田神社
一、祭神 品陀和氣命
     倉稲魂命 健甕槌命 天目一根之命 素盞雄命 少彦名命
一、由緒 不詳 明治四十二年三月十六日許可、字北曲輪無格社沼上稲荷神社、仝境内末
    社四社ヲ合併、村社代田神社ト改称セリ
一、本社 方一間四尺
一、拜殿 間口二間半 奥行一間半
(追記)一、社殿 幣殿
         拜殿
         兼用殿
 右拜殿ヲ訂正大正十一年二月十五日許可
一、社殿 本殿上屋
 右新築大正十一年二月十五日許可、大正十二年一月廿日落成届出
一、境内 貮百拾七坪 民有地
一、境内末社 拾五社
 神明社  祭神 大日孁命        由緒 不詳   石祠 方八寸
 産泰社  祭神 木花之佐久夜毘賣命   由緒 不詳   石祠 方一尺弐寸
 冨士社  祭神 木花之佐久夜毘賣命   由緒 不詳   石祠 方八寸
 諏訪社  祭神 健御名方神       由緒 不詳   石祠 方八寸
 水神社  祭神 瀬織津姫神       由緒 不詳   石祠 方八寸
 星宮社  祭神 不詳          由緒 不詳   石祠 方八寸
 八坂社  祭神 須佐之男命       由緒 不詳   石祠 方八寸
 春日社  祭神 天児屋命        由緒 不詳   石祠 方八寸
 赤城社  祭神 石筒男命        由緒 不詳   石祠 方一尺弐寸
 菅原社  祭神 菅原道真公       由緒 不詳   石祠 方一尺弐寸
 白山社  祭神 菊理比咩神       由緒 不詳   石祠 方八寸
 厳島社  祭神 市寸島比賣命      由緒 不詳   石祠 方九寸
 塞神社  祭神 八衢比古神 八衢比賣神 由緒 不詳   石祠 方八寸
 秋葉社  祭神 波迩夜須毘賣神     由緒 不詳   石祠 方九寸
 大國主社 祭神 大國主神        由緒 不詳   石祠 方八寸
一、境外所有地
 耕地 三畝廿弐歩 本村字前曲輪
  地價金九円四拾五銭七厘
一、氏子 五拾八戸 (追記)八十一戸、合併ニヨリ増加
一、管轄廰迄距離 拾四町』(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 東の鳥居。
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 淡島神社。
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『淡島神社新築工事記念
 前橋市南町鎮座、淡島神社は、数百年前の正保(1645~48)・天和年間(1681~83)に、旧厩橋城主、酒井雅楽頭忠清(1624~81)の御内室が、その御神徳を尊敬せられ紀州加多の浦本社より勧請されしものと伝えられる。
 御祭神は、少名毘古那神と申し、神代の昔、大国主命と共に力を合わせて日本の国を造り固めるため農事、裁縫の技を教え庶民の利福を図る。
 御祭神は医師の祖神であり病災の消除、子宝安産、縁結びの神として、その著しき霊験に祈願最も多く、祭り日には香煙たえることなし。
お祭り日
 大祭   四月十三日、十月十三日
 毎月縁日 三日、十三日、二十三日』
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 北側から。
 こちらの由緒書きの内容は上記のものと同じ。
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 蠺影山大日天子。
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 御嶽山蔵王大権現と猿田彦大神。
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 末社群。
 神社明細帳によれば末社は十五社ある筈なのだが、確認できた石祠の数は九基。
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 庚申塔。
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六供八幡宮(六供町)

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 六供町公民館西側に鎮座する六供八幡宮(前橋市六供町332)。
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 一の鳥居跡を挟んで左手側に道祖神。右手側に大黒天と秋葉大神。
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 一の鳥居跡。柱の穴の配置から見て、以前は両部鳥居があったようだ。
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 二の鳥居。
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 拝殿正面。
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 斜めから。
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『六供八幡宮由緒
前橋市六供町三三二番地鎮座
祭神 足仲彦尊
   誉田別尊(応神天皇)
   息長足姫尊(神功天皇)
由緒 当社は大同三年(808)当所の鎮守神として勧請し創立したと伝えられ、西暦年までの沿革は不詳、建久年中(1190~98)に社殿を改造し、その後貞享三年(1686)火災のため焼失、元禄元年(1688)戊辰八月十五日に新築完成、その後明治四年(1871)八月九日に改築工事を完了、降って大正十三年(1924)四月御屋根の修繕を行う。昭和二十四年(1949)八月三十一日夜キティ台風の為拝殿一部修築す。昭和四十年十二月十七日御屋根改築銅板葺御屋根が出来上がりました。
 現存の記録文書の中に「明治四年辛未八月御殿再造営 度会神主大夫次郎常規」とあり、又宝永元年(1704)甲申八月十五日六供村と記された太神宮御祓箱を蔵す。境内の東北に目通り周囲一丈二尺(約3.63m)高さ六十尺(約18.18m)、樹齢約五百年の大樫が聳えていたが、昭和二十四年八月三十一日夜のキティ台風によって倒伏し、今はその威容を存せず。
現境内 八七一坪
 昭和五十七年十二月二七日』

『群馬縣管下上野國東群馬郡前橋市六供村字北
 村社 八幡宮
 大正七年五月十日 幣帛料供進指定
一、祭神 品陀和氣命
一、由緒 不詳
一、本社 間口二間 奥行二間
一、拜殿 間口三間 奥行二間
一、神楽殿 間口二間 奥行三間
  (追記)大破ニ付取崩、明治十三年七月廿四日聞届
一、幣殿 間口一間半 奥行二間
一、境内 九百三拾参坪 官有地
  (追記)九百弐拾参坪 明治四十四年九月二日許可訂正
      六百拾弐坪 昭和拾五年五月二十日縮小許可
一、境内末社 九社
 八坂社   祭神 須佐之男命   由緒 不詳   石祠 方八寸
 神明社   祭神 大日孁命    由緒 不詳   社宇 方二尺
 菅原社   祭神 菅原道真公   由緒 不詳   石祠 方一尺
 飯玉社   祭神 豊宇氣比賣神  由緒 不詳   社宇 間口四尺 奥行一間
 大國主社  祭神 大國主神    由緒 不詳   石祠 方壱尺弐寸
 三峯社   祭神 大物主神    由緒 不詳   社宇 間口三尺 奥行一間
 石神社   祭神 不詳      由緒 不詳   石祠 方壱尺
 稲荷社   祭神 宇迦之御魂神  由緒 不詳   石祠 方八寸
 厳島社   祭神 市寸島比賣命  由緒 不詳   石祠 方壱尺二寸
一、境外所有地 耕地 壱反六畝廿六歩 本村字東京安寺
         地價金三拾円八拾銭六厘
一、氏子 百拾戸
一、管轄廰迄距離 三拾町』(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 御嶽塚。
 頂に御嶽山座王神社。一段下がった所に三笠山神社と八海山神社。
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 弁財天。
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 左手前から大神様、天神社、宇賀之命之大神、猿田彦大神。神社明細帳に記されている内容と照らし合わせると、神明社、菅原社、稲荷社、石神社になるだろうか。
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 飯玉神社と雷電神社。
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 曲神尊と刻まれた文字塔と石祠。左側の小さな石祠に見えなくも無いものは、おそらく石灯籠。
 ここまで八坂社と三峯社は見ていないので、そのどちらかがこの石祠になるのだろうと思うのだけど、どうなのだろう。と言うか曲神尊ってナニ? 曲がる神だから、蛇神だろうか。とすると大物主なのかな?
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『力石
 力だめし、力くらべをするために使われたという石、神社の境内などに置かれている、力石は米俵の重量を標準として五斗石とか六斗石と呼ばれ石の上げ方においても片手さし、両手さし、肩あげなどの方法があった。(大日本百科事典小学館掲載)境内には三個の力石があり二十八貫(約105kg)五十五貫(約206kg)など昔持ちあげた人の名前が刻まれている。(六供八幡様の紹介矢嶋幸男氏執筆)
 なお大正九年(1920)八月十六日、当時横山町小石神社境内において、力だめし大会が開催され、六供町在住の斎藤重年氏が五十五貫の力石を上げた記録が残っている。(記録証書斎藤テツ氏所蔵)
 二○十一年十月一日』
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 西の鳥居。

飯玉神社(橳島町)

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 前橋工科大学から南西200m程の位置に鎮座する飯玉神社(前橋市橳島町384)。
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 拝殿。
『群馬縣管下上野國東群馬郡橳島邨字宮西
 村社 飯玉神社
一、祭神 宇氣母智神
一、由緒 不詳 大正七年三月廿九日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進
    神社トシテ指定セラル
一、本社 間口弐間 奥行一間半
   (追記)間口五尺 奥行壹間、明治四十五年四月十八日訂正許可、上記ノ通改築、
      大正元年八月十六日許可
   (追記)一 拝殿 間口貮間 奥行壹間半
       右記入明治四十五年四月十八日許可
       後記ノ通改築、大正元年八月十六日許可
       一 本殿(改築)
       一 幣殿(新築)
       一 拜殿(改築)
       右大正元年八月十六日許可、仝年十二月十四日落成届出
一、境内 貮百九坪 官有地
一、境内末社 拾五社
 拔鉾神社   祭神 經津主神          由緒 不詳   石祠 方四寸
 赤城神社   祭神 大穴牟遅神 豊木入日子命  由緒 不詳   石祠 方四寸
 小祝神社   祭神 少名毘古那神        由緒 不詳   石祠 方四寸
 宇藝神社   祭神 宇氣母智神         由緒 不詳   石祠 方四寸
 椿名神社   祭神 火産霊神 波迩夜麻毘賣神  由緒 不詳   石祠 方四寸
 美和神社   祭神 大物主神          由緒 不詳   石祠 方四寸
 加茂神社   祭神 別雷神           由緒 不詳   石祠 方四寸
 倭文神社   祭神 天羽槌雄命         由緒 不詳   石祠 方四寸
 火雷神社   祭神 火雷神           由緒 不詳   石祠 方四寸
 甲波宿弥神社 祭神 速秋津姫神 速佐須良姫神  由緒 不詳   石祠 方四寸
 伊香保神社  祭神 大穴牟遅神 少名毘古那神  由緒 不詳   石祠 方四寸
 大國神社   祭神 大國魂神          由緒 不詳   石祠 方四寸
 菅原神社   祭神 菅原道真公         由緒 不詳   石祠 方八寸
 若宮八幡宮  祭神 品陀和氣命         由緒 不詳   石祠 方七寸
 八坂神社   祭神 須佐之男命         由緒 不詳   石祠 方七寸
一、氏子 三拾貮戸
一、管轄廰迄距離 壱里』(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 社殿斜めから。
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 社殿西側に御嶽塚。
 塚頂に御嶽山神社・三笠山神社・八海山神社と刻まれた石塔があり、その周辺に大山彦尊文字塔や享和元年(1801)八月造立の天満宮他石祠三基があり、塚の途中には三基ワンセットの小石祠群が四つ。また道祖神なども見える。
 一番下段の小石祠三基にはそれぞれ大國神社、火雷神社、倭文神社の名が刻まれている。神社明細帳に記されている境内末社十五社はここに集中しているのだろう。
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 社殿東側にも境内社があるが、こちらは扁額が掛けられていないのでわからない。なのでいつものようにググってみると、こちらの方のブログにこの祠の記述を発見。それによると、疫病の流行により甚大な被害を受けた橳島村の復興を前橋藩より命じられた代官が全力で取り組み復興させた為、村人がその遺徳を偲び、弥功霊神と称して祀ったのがこちらの祠であるのだそうだ。ちなみに江戸時代末期の上野吉井藩に橳島氏という郷代官がいたそうなのだが、吉井藩があったのは現在の高崎市吉井町なので、この話との関係は無いのだろう。
 弥功霊神の脇には庚申塔、馬頭観世音、馬頭観世音(宝暦六丙子年(1756)七月)、庚申塔、大黒天(安政四丁巳年(1857)二月)、甲子塔、二猿庚申塔、馬頭観音が並んでいる。

 10月27日追記。
『飯玉神社の境内東側に赤松を背負い、遥かに赤城山を背景に高みの処へ祀ってある九尺二間の祠がこんどう様である。
 こんどう様は弥功霊神と言い、寛政五年(1793)七月十五日、前橋藩士の家に生まれ、安政元年(1854)十一月六日享年六十二歳で病没した代官、近藤弥市殿を祀ったものである。
 現在の場所までに二回移動している。文久三年(1863)、瑠璃光寺入口北側に祀られていたのを昭和十五年(1940)政府米保管指定庫を造る為西北の隅に移動した。そして昭和三十一年(1956)十月、再度現在の橳島町三十七番地に移る』
(「橳島町を温ねて」より抜粋)

 全文を書き写すのも面倒だったので要約すると、天保七年(1836)から九年まで続いた大凶作による被害は甚大で、天保九年九月に旧前橋藩に願い出たところ、代官近藤弥市が検分役と相成り、この代官は度々村へ出張しては荒地を始め耕地なども検分し、以後安政元年までの十六年間に亘って村を世話していたが、その後間もなく身罷り、その死を知った村人達はその恩恵に報いんと神に祀ることにした。文久三年に神祇官へ申し立て、弥功霊神と官位を頂戴し、瑠璃光寺境内に安置した。この祠には白木造りの内宮があり、形見の長刀が納められていたが、戦時中政府の命により戦場へ送られ、現在は今井兼平氏の寄贈した長刀が納められているとのこと。
 また、「橳島町を温ねて」によると、昭和五十四年(1979)十月に飯玉神社の屋根瓦を葺き替えした際、棟木に四枚の御祈祷札が納められていたことがわかり、古いものから明和元年(1764)九月、安政五年(1858)九月、明治十三年(1880)四月、大正元年(1912)十月であったと言う。

水神宮(南町二丁目)

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 利根川に架かる南部大橋の東側に鎮座する水神宮(前橋市南町2-49)。
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 水神宮拝殿。
 左側の建物には「神長寶」と書かれた扁額が掛けられているので、神長宝社の拝殿だろうか。
『群馬縣管下上野国東群馬郡宗甫分村字村内
 村社 水神社
一、祭神 罔象女神
一、由緒 不詳
一、本社 間口弐間 奥行壱間
     (追記)間口壱間弐尺 奥行壱間、廿年二月廿九日建換許可
一、拝殿 方弐間
     二十年二月廿九日建築許可、廿一年九月一日落成届
一、幣殿 間口三尺 奥行四尺
     (追記)間口壱間 奥行四尺五寸、廿一年九月一日落成届
一、境内 百拾坪 民有地、但林傳治外三十八人共有
一、境内末社 八社
 八坂社 
  祭神 素盞嗚尊      由緒 不詳   石祠 方三尺
 若宮八幡宮
  祭神 誉田別命      由緒 不詳   社宇 方弐尺五寸
 稲荷社
  祭神 倉稲魂命      由緒 不詳   社宇 方弐尺五寸
 神長宝社
  祭神 経津主神      由緒 不詳   社宇 間口壱間半 奥行壱間
 三峯社
  祭神 大物主命      由緒 不詳   社宇 方弐尺五寸
 秋葉社
  祭神 埴安姫命 火産霊命 由緒 不詳   石祠 方八寸
 菅原社
  祭神 菅原道真朝臣    由緒 不詳   石祠 方八寸
 青麻社
  祭神 不詳        由緒 不詳   石祠 方八寸
一、氏子 三拾九戸
一、管轄廰迄距離 拾八丁』(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 凛々しい狛犬。
 台座には「昭和三十年四月十五日 小峰石材天刻」「北海道 中村玉吉 北海道 中村武摩利 當町 中村仙治」と刻まれている。
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 神長宝社。
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 末社群。
 奥から秋葉山大権現、不明、牛頭天王、不明、天神宮、不明。上野国神社明細帳によれば石祠は四基の筈だが、六基ある。
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 庚申塔と馬頭観音文字塔。
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 神輿庫と仏堂、如意輪観音。
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『南町二丁目のあゆみ
 南町二丁目は古くは宗甫分村といい此の村は紅雲町の旧紅雲分と石倉の旧内藤分とともに三分と称されていた。分とはだれだれの領分という意味のものと解される。
 宗甫分はかつては群馬東郡または東群馬郡に属して明治二十二年(1889)四月には上川渕村大字宗甫分村となり同二十九年には郡名変更により勢多郡管下にあった。同三十四年四月にいたり上川渕村のうち宗甫分村、六供村、市之坪村、紅雲分村、前代田村、天川村の六大字が前橋市に合併してからは同市の宗甫分村となり同四十三年には前橋市宗甫分と改称した。
 この地には古代よりの東道も通り江戸初期には利根川畔に実正の関所が設置されるなど永きにわたり同川の両岸を船で結ぶ重要な交通の要地としてその名を天下に轟かせていた。明治元年に関所が廃されると地元の有志等は同十二年に長さ約一五五メートルの就安橋を架設したがこれは日ならずして流失しその後は幾度か渡船を通したがこれも今では語り草となった。
 この町は坂東太郎の崖崩れに遭ひつつ東進しかつては今の河川の中ほどにあったといわれる水神社もやがては現在地にいたり明治二十一年ごろには社殿が再建された。その神名は水波能売命と申しあげる。
 昭和の御代となり同四十二年が明治維新より百年目にあたり町名も南町二丁目となったのを機に六百余名の町民は結集して四十四年に水神社の境内に公民館を建設した。またこの地に同五十三年春に開通した南部大橋は当町の区画整理を促し町内は往古の活気を取り戻すにいたったが水神社も若干の移動をみたので町内有志は社殿の修覆と社屋の銅板葺きなど施工した。
 よってこの町ゆかりの経緯を刻し町内の鳳舞発展を祈念するものである。
 昭和五十四年三月吉日』
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