井出上神社(飯土井町)

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 国道17号上武道路と県道74号伊勢崎大胡線が立体交差する江龍跨道橋交差点の東400m程に鎮座する井出上神社(前橋市飯土井町甲1)。
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『群馬縣管下上野國南勢多郡飯土井村字中央
 村社井出上神社
一、祭神    罔象神 保食神
  祭神追記  倉稲魂命 大日孁命 須佐之男命 豊宇氣姫命
        火産靈命 菅原道真公 大宜都比売
一、由緒 創立年月不詳
     當井出上ノ社号ハ井堤ノ邊ノ義ニシテ境内ニ井堤アリ、里俗此ヲミタラシト称
    シ極旱ノ年ト雖モ常ニ水絶ル ナシ、亦社地ノ北辺ニモ溜井堤アリ、是本村田方
    用水ノタメ古来設ル所ナリ、今村号ヲ飯土井トイフ、土ノ字ハ出ノ書誤レルニテ
    井デノヘノ誤云ナルヨシ、今モ近郷ノ俗ハイヒテ井ト称スルモノ多ク有之、尚飯
    土井村ノ村号ハ産ノ神社ノ旧号ナルヨシ村老古来申傳フ、亦社辺ノ田畑耕耘ノ際
    時々曲玉管玉祝甕等ヲ掘出ルモノ有之、コハ疑フベクモアラス、往古彼ノ地ヘ祭
    典ノ器物ヲ埋メシナルヘシ、上野国神名帳ニ従四位井出上明神ト記載アルハ當社
    ナリ、イツノ頃ヨリカ稲荷神社ト唱ヘシヲ明治十一年願済之上改称
     明治四十一年五月廿二日許可、本社境内末社山神社、仝村字南平無格社稲荷神
    社、仝境内末社五社、仝村字石山無格社石神社、仝村字二ノ堰無格社八坂神社、
    仝村字中央無格社神明宮ヲ合併セリ
     明治四十四年九月一日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進神社
    トシテ指定セラル
一、境内末社 七社
 木花開耶姫神社  祭神 木花佐久夜姫命
 雷電神社     祭神 大雷命
 阿夫利神社    祭神 大山祇命
          明治四十一年五月廿二日許可、境内末社山神社ヲ本社ヘ合併シタリ
 八幡神社     祭神 誉田別命
 琴平神社     祭神 大物主命
 厳嶋神社     祭神 市杵島姫命
 山神社      祭神 大山祇命
          明治四十一年五月廿二日許可、末社阿夫利神社ヘ合併
 久須志神社    祭神 大己貴命 少彦名命』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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『井出上神社誌
祭神 罔象神、倉稲魂命、須佐之命、保食命
   大日孁命、豊受姫命、火産霊命、菅原道真公
由緒 不詳、伝上野国神名帳に、従四位井出上明神とあり後に稲荷神社と改め、更に明治
  十一年井出上神社に改称した。明治四十一年(1908)稲荷神社(南平)八坂神社(二
  ノ堰)石上神社(石山)神明宮(中央)を合祀し、本殿は寛延元年(1748)建築、大
  正四年鳥居を石鳥居にかえた。昭和二十四年本拝殿茅ぶきを、瓦ぶきに模様替し、昭
  和四十四年舞台を瓦ぶきにした。昭和五十五年社務所、神泉池(弁天池)、運動広場
  造成。平成二年御大典記念大修理竣工、井出上は、いずみ湧く上に鎮座せる意味であ
  り、現在も赤城山の伏流水が湧き出て神泉池を満している。
祭日 一月  一日 元旦祭    三月二十四日 例祭
   七月三十一日 八坂祭    八月  一日 御輿渡り
   十月 十七日 秋祭    十一月二十四日 感謝祭
   十二月 七日 献穀祭   十二月 三十日 大祓
境内社 雷電神社、厳島神社、阿夫利神社、久須志神社
    八幡神社、琴平神社、木花開耶姫神社
社殿 中宮、本殿、拝殿、舞台、社務所、手水舎』
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 前橋市天然記念物の椎。
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 椎の傍に山神宮。
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 拝殿正面と狛犬。
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 斜め。
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 横から。
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 左から大国主神、天照皇大神・大己貴命・少彦名命・埴山姫命・倉稲魂命、不明。
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 道祖神。
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 なんだろう、輘祖神? いや、輘だとまずいか。道祖神だろうな、多分。
 左から三つめの石祠の額には「菅霊」と刻まれている。菅原道真公を祀っているのだろうか。その右隣の石祠は文字が薄くなっていて読み取れず、その右の石祠の額には「大宜都姫」、更にその右の石祠の額には「愛宕」の文字が刻まれている。他は不明。右端の祠は古札納所。その陰に隠れて小さな庚申塔が一つ。
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 道祖神の脇から裏参道が延びており、そちらへ向かうと北の鳥居が上武道路に面して建てられている。
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 井出上神社社殿西側に富士塚があり、その麓に鳥居が建てられている。
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 塚の頂には石祠が三基並び、左から冨士山、雷電宮、石尊宮。
 冨士山と刻まれた石祠が木花開耶姫神社で、石尊宮が阿夫利神社なのだろう。
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 社号標石の西側に神泉池があり、その中で祀られているこちらは厳島神社だろう。

 以上で11月22日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA20-40mm。Finepix AX300。X30。
 木瀬村誌を見ると、下増田には今回巡った神社の他に須永の八幡宮と大松の稲荷社があるとのことなのだが、それがどこなのかがわからない。まぁ、仕方がないか。
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赤城神社(新井町)

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 新井沼の東南に鎮座する赤城神社(前橋市新井町24)。
『群馬縣管下上野國南勢多郡新井村字鎮守二十四番
 村社赤城神社
一、祭神 大己貴命
一、由緒 不明』(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 社名を記したものは見当たらないが、祠の中を覗いたら不動明王像が見えたので、不動堂なのだろう。右の小祠は不明。
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 高尾山。
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 拝殿。
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 左から秋葉社、八坂社、天神社。
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 末社群。

諏訪神社(上増田町)

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 宮川に架かる稲荷橋の西にある塚の頂に鎮座する諏訪神社(前橋市上増田町字宮原)。
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『宮原では諏訪様を祀っている。もと近戸神社に合併したが、組内によくないことがあるのでまたもどして祀っている(第二次世界大戦後のこと)。祭日は八月二十七日。前の晩に灯籠をつけて祀っている。組世話の人が祭りの世話をしている』
(「木瀬村誌」より抜粋)
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 末社群。
 左から不明(享保三戊戌年(1718))、居森殿(寛政八丙辰年(1796)六月)、牛頭天王(寛政六甲寅年(1794)七月)、彌五郎殿(寛政八丙辰年六月)、不明(享保元辛酉年(1801)八月)、金比羅宮、道祖神。
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 大黒天。
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 諏訪神社前のブロックで囲まれているのは三角点。
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 東から。

智技授山文殊尊堂(二之宮町)

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 荒砥川に架かる文殊橋の東側、新土塚城跡の一角、文殊山古墳(亦は新土塚古墳)の頂に鎮座する文殊尊堂(前橋市二之宮町)。
 プレートには「古利根河畔東岸七里ヶ堤十三仏像上野国一霊場智技授山文殊尊」とある。
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 山門。
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 山門右側の…なんだろう。屋根部分には「崇」の文字があったが、よくわからない。
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 石塔。
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 文殊尊堂。
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 お堂脇の石仏。
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 伏見稲荷大明神。

摩利支天尊(下増田町)

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 今宮八幡宮の南東200m程の道端に鎮座する摩利支天尊(前橋市下増田町)。
『摩利支天尊百拾年祭記念碑
 摩利支天尊は、明治十九年十一月二十八日に当時の佐波郡芝根村川井の御本社より守護神として奥原の地に分祀されました。以来この日を御例祭日と定め毎年茅の御仮屋を造奉る慣例としておりました。昭和四十年四月十六日に摩利支天神社を造営して今に至っております。
 時代は、明治、大正、昭和、平成の時を経て百拾余年を迎えております。この度奥原組氏子三十八戸の総意にて末永い繁栄とご加護を祈念し、百拾年祭を執り行いました。
 平成十二年十一月二十八日』
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 道祖神。

今宮八幡宮(下増田町)

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 前橋厄除大師こと真言宗智山派今宮山蓮花院増田寺の西隣に鎮座する今宮八幡宮(前橋市下増田町1624)。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
『群馬縣管下上野國南勢多郡下増田村字奥原
 村社今宮八幡宮
一、祭神   譽田別命
  祭神追記 素盞嗚命 経津主命 倉稲魂命 建御名方命 大國主命
       菅原道眞公 大物主命 大雷命 保食命
一、由緒 不詳
     明治三九年十二月廿八日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進神
    社トシテ指定セラル
     明治四十年十二月廿六日許可、本社境内末社稲荷神社、琴平神社、菅原神社、
    八坂神社、并仝村字中阿久津無格社原稲荷神社、仝境内末社六社、仝村字須永無
    格社若宮八幡宮、仝境内末社三社、仝村字天神無格社菅原神社、仝境内末社一社
    ヲ合併セリ
一、境内末社 弐社
 稲荷神社 明治四十年十二月廿六日本社へ合併
  祭神 倉稲魂命  由緒 不詳  社宇 間口四尺 奥行壱間
 琴平神社 明治四十年十二月廿六日本社へ合併
  祭神 大物主命  由緒 不詳  社宇 間口八寸 奥行七寸
 蚕影神社
  祭神 稚産靈命  由緒 不詳  社宇 間口八寸 奥行七寸
 赤城神社
  祭神 大己貴命  由緒 不詳  社宇 間口八寸 奥行七寸
 菅原神社 明治四十年十二月廿六日本社へ合併
  祭神 菅原道眞公 由緒 不詳  社宇 間口八寸 奥行七寸
 八坂神社 仝上
  祭神 素盞嗚命  由緒 不詳  社宇 間口八寸 奥行七寸』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)

『八幡宮は、下増田に今宮八幡宮が、野中に八幡宮が祀られている。今宮八幡宮には別掲のとおり、江戸時代の「由緒」が伝えられている。今宮八幡宮は木瀬地区では最初(明治三十九年)に神饌幣帛料供進指定を受けている。また、社伝の北に寛永元年(1624)に深沢氏によって建立された石宮がある。これには「今宮八幡宮」と刻まれ、建立者として深沢氏五名の名がある。この石宮と今宮八幡宮との関係は詳細不明である。

 下増田でも各クルワごとに小祠を祀っている。
(中略)
 須永では、組の神様として八幡様を祀る。祭日は十月十七日のオクンチ。前日の十六日の晩に組の人が寄って、境内に灯籠をたてて祀る。明治時代に今宮八幡に合祀したが組内に変事が続いたので、また戻して祀るようになったという。

 上野国勢多郡下増田邑今宮八幡大明神之縁起
抑當社今宮八幡宮者欽明天皇三十一歳豊前国於莬狹縣祭應神天皇之宗廟而号八幡大神矣
豊浦天皇于御宇當新田開圃之時勅使飛弾鳥工上毛野國以赤城大明神之神主兔狹宮祭於増
田邑殿造而号今宮八幡大明神云』
(「木瀬村誌」より抜粋)
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 本殿。
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 右の石祠には水神宮・大師堂山と刻まれている。左は庚申塔。
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 社名を記したものは見当たらないが、中の石祠には陶器の狐が一緒に置かれているので稲荷社なのかも。
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 左から天満宮、天照皇御神・埴安大神・大己貴命・稲倉魂命・少彦名命、金毘羅宮、蚕影山宮、古峯神社、城峯神社。
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 天来人去者道命・地来人去者道命と刻まれているが、なにこれ。
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 左から道祖神、蚕影山宮、天満宮、天王宮、諏訪宮、秋葉山宮。
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 左の石祠は不明。右は道祖神。
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 八海山神社。奥にも文字塔があるのだが、読めなかった。
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 社殿北側の石祠。屋根の上には不気味なドラえもんのような顔が付いている。鬼瓦のようなものか。
 側面に寛永元甲子歳九月吉日と刻まれているので、こちらが深沢氏によって建立された今宮八幡宮なのだろう。
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 その東側に石祠が二基並んでいるが、こちらは何神社なのか不明。
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 本殿東側に飼育神社と赤城神社。
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 飼育神社の扁額には「祭神武内宿禰命」とも書かれている。
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 神楽殿。

天神宮(上増田町)

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 荒砥川に架かる東橋の西側、東組公民館裏に鎮座する天神宮(前橋市上増田町)。
 側面には嘉永元申年八月吉日と刻まれているので1848年の造立。
 左の小さな石祠は何神社なのか不明。ここが川のそばで十字路の脇であることを考えると、水神か道祖神であるように思える。
『東組では天神様を祀っている。東組公民館の裏に石宮の天神様が祀られている。祭日は八月二十四日、この日の晩に灯籠をつける。なお、この日は東組の納涼祭を兼ねての行事となっている』(「木瀬村誌」より抜粋)
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天神社(上増田町)

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 島宮下公民館の敷地内に鎮座する天神社(前橋市上増田町)。
『島組では下増田の島組と一緒に天神様を祀っている。天神様は島宮公民館の敷地に祀られている。祭日は七月十四日と十月十四日。組の当番(二名)が世話をして、小・中学生によって灯籠がたてられる』(「木瀬村誌」より抜粋)
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 末社群。
 右二つは大黒天と天王宮。他は不明。

近戸神社(上増田町)

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 上増田公民館に隣接して鎮座する近戸神社(前橋市上増田町乙859)。
 氏子の方々による掃除中だったので、邪魔にならないようささっと参拝と撮影を済ませることに。
『群馬縣管下上野國南勢多郡上増田村字宮下
 村社近戸神社
一、祭神 大己貴命
     建御名方命 保食命 大物主命 火産靈命
     素盞嗚命 武夷島命 大國主命
一、由緒 不詳
     明治四十三年五月二十七日許可、字欠薬師無格社諏訪神社、仝境内末社五社及
    本社境内末社稲荷神社、八坂神社、琴平神社、愛宕神社、諏訪神社ヲ合併セリ
     大正七年五月十日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進神社トシ
    テ指定セラル
一、境内末社 七社
 神明社   祭神 大日孁命
 稲荷神社  祭神 保食命    明治四十三年五月二十七日本社へ合併
 八坂神社  祭神 素盞嗚命   明治四十三年五月二十七日本社へ合併
 琴平神社  祭神 大物主命   明治四十三年五月二十七日本社へ合併
 菅原神社  祭神 菅原道真公
 愛宕神社  祭神 火産靈命   明治四十三年五月二十七日本社へ合併
 諏訪神社  祭神 建御名方命  明治四十三年五月二十七日本社へ合併』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)

『上増田近戸神社社伝
社傳云古老口碑ノ傳フル所ニ當社附近廣ク往昔平源野ニシテ(上州平又ハ関東平トモ云)推古天皇御宇ニ諸國ニ新田開圃此時ニ當リ勅命ニヨリ飛騨ノ國ヨリ大仁氏来リ此地ニ住シ新田開圃ニ着シ飛騨ノ國ニテ崇敬セシ一ノ宮水無大明神ト當國赤城大明神ヲ分霊シ一祠ヲ創立シ祭神大己貴命天児屋根命天津日大御神少彦名命大山祇命級津彦命級津姫命磐筒男命磐筒女命豊城入彦命日本武命ヲ合祀シ近戸山神ト称シ宮柱ヲ建テ(宮下ト傳云字宮下名ハ此トキ起ルヨシ)守護神ト奉リ崇敬ス数多大神ヲ祭リ新田開圃拡張ニ伴ヒ地名ヲ神坐田(カミマスタ)ト名称ス後上増田ト改称スト傳云境内奥一段高キ処ニ古石宮有ルヲ元宮トス称(造立年号不明)中ニ石葉二ツ現存ス一ツハ赤城社一ツハ水無社ノ分霊神璽ト傳フ又境内地一隅ニ堂宇有ヲ観音ノ堂ト傳云寛仁年間摂津守源朝臣頼光丹波國大江山夷賊追討蒙此時ニ當リ別當社僧ハ成相寺衆徒ニシテ大神等ト共ニ祈願セシモノト傳云
明治維新ノ際ニ神仏混淆不成シテ境外ニ改祭セシ処村内ニ種々様々ノ變リ有リ古老ノ言ニ産土ノ神璽観音ヲ穢セシ由ヲ申スニ付協議上元々通リ安置ス村内平穩ト傳云(頼光黒印書ハ神社ニ保存ス)頼光始メ其時々ニ當ル武門武将藩士領主往古ヨリ神威照然タル故崇敬セシト云モ保元平治ノ戦源平ノ盛衰元弘建武ノ乱足利将軍十五代ノ季天下泰平ナラズ一日モ安カラズ信徒ハ何レモ敬神ノ念ヲ失ヘ茲ニ永ク星霜ヲ経後ニ此地ヲ大胡ノ城主上泉常陸之助領地ス庄城ヲ築キ子孫佐馬守ヲ分ケ増田佐馬守ト云入城以来篤ク崇敬シ社殿再建シ近外山神ヲ近戸山大明神ト改称シ守護神ト奉リ祈願所ト云別當社僧ハ聖護院宮付ニシテ近戸山多樂院相應寺ト云其時々ニ當ル武門武将藩士領主ハ天下泰平國土安穩武運長久五穀豊熟ノ御神徳ヲ垂レ給フ祈願ヲ命シ其都度御札守献上セシ云モ小田原北條氏ノ兵乱ニ罹リ社殿及ビ別當院大仁氏勧請ノ古記録等焼失シ茲ニ又永ク星霜ヲ経シ故ニ由緒明細ヲ知ルヲヨシナシ社僧始メ信徒集リ神霊ノ厚キ崇敬ヲ思ヘ社殿ヲ再立シ後享保三年十月神祇管領卜部兼敬卿正一位神位宗源宣旨授奉リ此時ニ領主酒井雅樂頭親愛公ハ厚ク敬拝シ神號御染筆額ヲ奉納ス寶暦年間領主前橋城主十八代松平大和守臨時御幸ノ節本殿ノ大破ナルヲ見目シ神威照然タル故境内大欅木一本(三十尋余ヲ)切リ本殿ヲ造営此時ニ大和守神號額奉納御染筆人ハ公卿ナルヨシ傳フ現今社殿ハ是レナルヲ傳云祭神一柱トセシハ何ノ頃カ別當社僧ノ誤リナルベシ又社僧ハ明治維新ノ際復職ス明治十二年村社ニ列セラル明治四十一年二月二十三日訓令第五十五號ニヨリ明治四十三年五月二十七日許可欠薬師無格社諏訪神社同境内末社五社(稲荷神社琴平神社疱瘡社阿夫利神社愛宕神社)及本社境内末社五社(稲荷神社八坂神社諏訪神社琴平神社愛宕神社)合併セリ大正七年五月十日群馬縣指定村社ニ列セラル木瀬村ヨリ年々神饌幣帛料ヲ受ク
右取調候也
 大正十年 月 日 右社掌 北爪徳重郎』
(「木瀬村誌」より抜粋)
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 拝殿西側の末社。
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 社殿裏の石祠と石塔。石塔は輪廻塔かな?
 社伝によればこれらの石祠の内二基は赤城社と水無社だと思われるのだが、さて、どれがなにやら。
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 千手観音堂。
『神仏混淆
 本地区においても神仏混淆の時代のあったことは、上増田の近戸神社境内に千手観音をまつること、下増田の蓮華院が同地の若宮八幡宮の別当を、同じ下増田の多楽院が上増田の近戸神社の、上長磯の長昌寺が鎮守稲荷神社のそれぞれ別当を務めていたことなどによっても知ることができる。明治維新による神仏分離についての具体的な動きを示す資料は見当たらないが、一つだけ、上増田の近戸神社境内の観音様のことについては、次のような記録があるのでとりあげておく。
 上増田の近戸神社には大正十年に勢多郡資料として、社掌北爪徳重郎氏がまとめたと思われる「由緒書」が残されている。
 この中に次のような記述がある。
  又境内地一隅ニ堂宇有ヲ観音ノ堂ト伝云(中略)明治維新ノ際ニ混淆不成シテ境外ニ
 致祭セシ所村内ニ種々様々ノ変リ事有リ古老ノ言ニ産土ノ神霊観音ヲ穢セシ由ヲ申スニ
 付協議上元々通リ安置ス村内平穏ト伝云(以下略)
 右の記述によると、明治維新の際神仏分離令によって、上増田の近戸神社境内に祀られていた千手観音は、神社からきり離されて別の所へ祀られた。ところがその後、上増田村内に変り事が起ったので、これは観音様を分祀したためということで、また元のように神社境内へ戻した。その後は何事もなくなった。現在でも別項のように、毎年九月七日に宮下の人たちによって、千手観音は祀られているのである。
 上増田の近戸神社境内に祀られている千手観音は、神仏融合と神仏分離の様子を具体的に示す事例の一つといえよう』
(「木瀬村誌」より抜粋)

冨士嶽浅間神社(上増田町)

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 桃ノ木川に架かる繁年橋のすぐ東側に鎮座する浅間神社(前橋市上増田町303)。
『大塚田の浅間様は明治十六年に勧請したもの(明治十七年五月六日文部省認可)。祭日は一月十六日と十月十六日』(「木瀬村誌」より抜粋)
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 拝殿裏の富士塚頂の石祠が浅間神社本宮。
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 拝殿西側の末社群と青面金剛。
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 青面金剛。元禄十年丁丑二月十日と刻まれているので1697年の造立。
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 拝殿裏の末社群。
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 桃中軒雲右衛門顕彰碑。

三宝荒神(小屋原町)

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 稲荷神社前から南下して行くと、前橋市消防団第十五分団三部車庫詰所の東隣の塚上に三宝荒神(前橋市小屋原町字本郷)が鎮座している。
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 正面。
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『荒神様(三宝荒神)
 信仰の初めとお堂の創設年代は、推定四○○年前、
         仏宝 仏陀
 仏徒の三つの宝 法宝 教法 (小屋原町では特に火伏の神で祀る)
         僧宝 修行

 仏法僧を守護する神様
 火伏せの神として信仰され火災除け即ち防火の守護神。
 1、屋内の火を使う場所(カマド)に祀られ火の神、火伏せの神とされている。
 2、屋内に祀られ屋穀神、国賊神、集落神
 3、牛馬の守護としての信仰
 縁日は、七月三十一日。本縁日は八月一日(八朔)。
 当日は多くの町民がお参りに来ている』
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 御神木の栃の木は樹齢三百五十年以上で、小屋原町指定一号の天然記念物とされている。
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 御神木の根本に置かれた石祠。

稲荷神社(小屋原町)

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 中嶋医院の北側に鎮座する稲荷神社(前橋市小屋原町969-2)。
『群馬縣管下上野國南勢多郡小屋原村字稲荷島
 村社稲荷神社
一、祭神 倉稲魂命
     菅原道眞公 大山祇命
一、由緒 不詳
     明治四十三年一月十四日許可、字天神無格社菅原神社、仝境内末社一社ヲ合併
    セリ。昭和十五年一月三十日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進
    神社トシテ指定セラル
一、境内末社 六社
 八坂神社  祭神 素盞嗚命
 諏訪神社  祭神 建御名方命
 秋葉神社  祭神 大國主命
 愛宕神社  祭神 火産靈命
 冨士神社  祭神 木花咲耶姫命
 石神神社  祭神 経津主命』(「上野国神社明細帳」より抜粋)

『稲荷神社
 稲荷神社は上長磯・下長磯と小屋原に祀られている。
 (中略)
 小屋原の場合は、稲荷島という小字があるように、古くから稲荷社を祀っていたが、他の大字とはちがって、久しい間「村社」として認められず、小島田とともに笂井の近戸神社の氏子として、笂井の近戸神社の祭典に参加していた。同社が無格社から村社に昇格したのは昭和十五年のことで、同年二月に神饌幣帛料を受けることになった(社殿改築昭和十一年)。

 小屋原では「小屋原町規約」の中に祭典関係のとりきめを記している。それによると、町内の小祠の祭典は次のとおりである。
 護国神社祭礼日・・・四月十日
 八坂神社祭礼日・・・七月二十四日
 三宝荒神祭礼日・・・八月一日
 護国神社は、昭和三十年五月に、稲荷神社境内に建てられた(石宮)。日清戦争以来、小屋原出身の戦死者の霊を奉祀している。祭日当日は、遺族会の人びとと町内の役員が参列して祭典が行われる。日清戦争以来の町出身の戦死者の冥福を祈る行事である。
 八坂神社は稲荷神社の境内末社、祭日は七月二十四日。
 小屋原の本郷に祀られている三宝荒神は八月一日が祭日、町内の当番が出て世話をしている。宵の七月三十一日に灯籠をつけてまつる。火伏せの神様として信仰している。荒神様のおかげで、小屋原には大火がないという。
 むかしは、稲荷神社の前に天神様があったが、稲荷神社に合併した。天神講に参加した子供たちが、天神講の翌日ここへおまいりしたという』(「木瀬村誌」より抜粋)
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『村社稲荷神社
由来 今から四百年位前元号は慶長年間の頃、当時の住民が話し合い農作物の豊作が長続
  きする事、そして全ての住民が安心して暮らせる為に、この地を選び、社殿を築造し
  倉稲魂命の神様をお奉りしたのが稲荷神社の始まりであり、その後宝暦八年社殿改修
  石鳥居の建立、尚明治四十三年には、菅原道真公と大山祇命を合祀お奉りしました。
   村の鎮守様として今日でも極めて厚く信仰されています。
   昭和十四年無格社を村社に昇格、関係者の努力によって格式のある稲荷神社に成り
  ました。
主祭神
 倉稲魂命(宇迦之御魂神)
  五穀を司る神とされ、稲荷神社の祭神と成っている。
合祀
 大山祇神(大山津見命)
  山を司る神、水の神、田の神として信仰されている。
 天満大自在天神(菅原道真公の神号)
  学問の神、近世では受験の守護神。
祭例
 初詣    一月元旦
 春季例大祭 四月第 日曜日
 秋季献穀祭 十一月二十三日』
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 二の鳥居。
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 拝殿。
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 横から。
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 蚕影山宮。
 石祠の側面には立ち止まる馬と駆ける馬の姿が陽刻されており、背面には明治十八年(1885)二月吉祥日と刻まれている。
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 城峯神社と天王宮(八坂神社)。
 城峯神社は以前は稲荷神社そばの田圃の中にあったものを、現在の氏子総代の方がこちらに移転したものだと教えていただいた。御祭神は大山祇命だろうか。
 天王宮は側面に文化九壬申年(1812)六月二十八日當邑中と刻まれており、城峯神社は側面に朱文字で昭和四拾八年(1973)四月とうっすら残っている。
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 女體宮。
 手前の金精様の根本をよく見ると、玉状の石が二つ置かれている。
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 多野叶山貫通石。なんだろうこれ。
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 岐塞神と道祖神。
 その右側には菅原神社、大山津見大神、愛宕神社(文化五年)、石上神社(寛政十一年)と並び、残りの二社は不明。
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 社殿裏に並ぶ末社群。
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 月山大神・出羽大神・湯殿山大神と大国主大神。左端の石祠は不明。
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 大国主大神、大国主大神、不明、大国主大神。
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 護国神社。
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 神楽殿。

近戸神社(笂井町)

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 前橋市立笂井小学校の北隣に鎮座する近戸神社(前橋市笂井町1156)。
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 神楽殿。
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『近戸神社略記
一、鎮座地  前橋市笂井町一一五六番地
一、御祭神  大己貴命、大日孁命、大山祇命、菅原道真公
一、例祭日  四月三日
一、氏 子  二三○戸
一、境内末社 絹笠神社、琴平神社、秋葉神社、日枝神社
       菅原神社、阿夫利神社、天津神社、八幡神社
       愛宕神社、八坂神社、稲荷神社
一、境内地  二一三六平方米(六四七、二坪)
一、主な年中行事
 五月一日   絹笠神社祈願祭  七月二四日  阿夫利神社宵祭
 一○月一六日 秋祭前夜祭    一二月二三日 感謝祭
一、由緒沿革
  近戸大明神縁起及び社伝によれば、昔(一三四○年頃)南朝の臣の藤原氏の人がこの
 地に来て、地名を宇津保井と名づけ、奈良の都にいた時の氏神をここに移し、春日の末
 社として祠を創立し千鹿頭明神と称した。
  その後、小田原北條氏の兵乱(一五九○年頃)により、社殿や記録を焼失したため創
 立年月は不明であるが、いつの頃か宇津保井を笂井と書き、千鹿頭を近戸と書くように
 なった。
  古くから御神徳が高いため慶長年間(一六○○年頃)大胡城主牧野氏は城内に社殿を
 造り勧請した。
  文政年間正一位の神位を神祇官より受け近郷の総鎮守として崇敬され、小屋原、小島
 田の二村もこの神社の氏子であった。
  社殿は、宝永二年(一七○五年)氏子によって造営され、石の鳥居は、同四年 別当
 宝蔵寺良寧外二名の寄進によるものである。
  明治一二年村社となり、大正四年群馬県指定の村社に列せられた。昭和二六年(一九
 五一年)宗教法人となり今日に到っている』

『社傳云
古者口碑ノ傳フル所ニ昔奈良朝ノ臣藤原氏来リテ此地ニ住シ地名ヲ
宇津保井ト號シ一祠ヲ創立シ大己貴命天児屋根命豊城入彦命少彦名
命天津日大御神大山祇命級津彦命級津姫命磐筒男命磐筒女命日本武
尊ヲ合祀シ千鹿頭明神ト称シ奉ル藤原氏勧請ノ縁起古書等ハ小田原
北條氏ノ兵乱ニ社殿及ビ別當寺院焼失シ縁起古記録烏有ニ帰セリ因
テ勧請年月日知ルヨシナシ後世何頃ナルカ宇津保井ヲ笂井ト書シ千
鹿頭ヲ近戸ト書セリ
往古ヨリ神威照然タル故守護地頭崇敬ス中ニモ牧野氏大胡入場以来
志厚ク崇敬ニヨリ分霊シテ城南ニ勧請ス越後國長岡城ヘ移ラレシモ
時々代参有テ額面其他ノ奉納品アリタリ文政 年 月 日正一位神
位ヲ神祇官ヨリ授奉リ往古ハ近郷ノ惣鎮守ト崇敬シ明治維新ノ際ハ
第七大区十二小区ノ郷社ト云現今大字小屋原小島田ノ二ケ村ハ當神
社ノ氏子也前記祭神十一種ナリシヲ何頃カ一柱トセシハ別當社僧ノ
誤リナルベシ明治十二年村社ニ列セラル明治四十年二月二十三日訓
令第五十五號ニヨリ明治四十三年六月八日認可本社境内末社菅原神
社及大字小島田村社神明宮同境内末社二社大山祇神社菅原神社同境
内社赤城神社ヲ合併セル大正四年八月十三日群馬縣指定村社ニ列セ
ラル木瀬村ヨリ神饌幣帛料受ク
                  右神社兼務社掌
                       北爪徳重郎』
(「木瀬村誌」より抜粋)
『群馬縣管下上野國南勢多郡笂井村字近戸前
 村社近戸神社
一、祭神 大己貴命 大日孁命 大山祇命 菅原道眞公
一、由緒 不詳 明治四十三年六月八日許可、本社境内末社菅原神社及大字小島田村々社
    神明宮、仝境内末社大山祇神社及仝境内末社ヲ合併セリ、及境内無格社赤城神社
    ヲ合併セリ。大正四年八月十三日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料
    供進神社トシテ指定セラル
一、境内末社
 絹笠神社  祭神 稚産靈命
 琴平神社  祭神 大物主命
 秋葉神社  祭神 大国主命
 日枝神社  祭神 大山咋命
 愛宕神社  祭神 火産靈命
 八坂神社  祭神 素盞嗚命
 天津神社  祭神 国常立命 天照大御神
 稲荷神社  祭神 保食命
 八幡神社  祭神 譽田別命
 菅原神社  祭神 菅原道眞公  明治四十年六月八日本社へ合併』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 拝殿。
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 末社群。
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 大黒天。
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 文字塔。大黒天や雷電神社の文字が見える。
 雷電神社には昭和六年十二月十日と刻まれているので1931年に建てられたもの。
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 山王宮と山神宮。
 山王宮は享保七壬寅天九月吉日と刻まれているので1722年の造立。山神宮は享保五庚子年二月で1720年の造立。
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 末社群。
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 絹笠神社。
 ごつごつとした大きな石が納められているが、御神体だろうか。

神明宮(小島田町)

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 国道50号線と県道40号線の交差する小島田町交差点の北西300m程、小島田町公民館の脇に鎮座する神明宮(前橋市小島田町503)。
『小島田の神社
 小島田は小屋原と同様、笂井の近戸神社の氏子となっていた。第二次世界大戦後に、神明社をもとの赤城神社の跡地に再建して、小島田の鎮守様とした(昭和五十年四月七日に遷座)。神明社にはもと字鎮守廻りに鎮座していたが、明治四十三年六月、時の政府の神社合祀政策によって、笂井の近戸神社に、神明社境内にあった赤城神社、大山祇神社、菅原神社と一緒に合併したもの。小島田一村では神社の維持が出来ないという理由による』(「木瀬村誌」より抜粋)
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 拝殿。御祭神は大日孁命。
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 左手側には月読神。
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 右手側には雷電宮。
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 石祠、庚申塔、猿田彦命、道祖神、辨財天、謎の石塔。
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 神明宮前の十字路脇に建てられた里程標。

 以上で11月15日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mmとDA20-40mm、50-150mm II。X30。

三柱神社(富田町)

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 群馬県道40号藤岡大胡線と県道76号前橋西久保線が交差する富田町交差点の南180m程、富田町集落センターの隣に鎮座する三柱神社(前橋市富田町812-1)。
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 鳥居と拝殿。
『群馬縣管下上野國南勢多郡冨田村字東原
 村社三柱神社
一、祭神 宇氣母智神 大穴牟遅神 天児屋命
一、由緒 當社ノ儀ハ往古ヨリ稲荷神社、赤城神社、春日神社トテ三柱ナリ、然ルヲ去ル
    明治十年十月五日合併願濟上社号ヲ三柱ト御免許相成ル
一、境内末社 六社
 菅原神社  祭神 菅原道真公
 八坂神社  祭神 速須佐之男命
 秋葉神社  祭神 火産靈命
 阿夫利神社 祭神 大山祇命
 琴平神社  祭神 大物主命
 八幡神社  祭神 譽田別命』(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 社殿斜めから。
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 末社群。
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 えーと、なんだろう、読めない。

六所神社(江木町)

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 県道76号線江木町交差点の南西、江木町多目的研修会場の西隣に鎮座する六所神社(前橋市江木町9-1)。
『群馬縣管下上野國南勢多郡江木村字六所
 村社六所神社
一、祭神   大國主命 瓊々岐命 素盞嗚命 大宮女大神 
       伊佐那岐命 布留大神 建御名方命
  祭神追記 八衢彦命 八衢姫命 菅原道眞 宇賀延御魂命
一、由緒 不詳
     明治四十年十一月三十日許可下諏訪無格社諏訪神社ヲ合併セリ
     明治四十三年四月二十三日許可、字天神無格社菅原神社、仝境内末社三社及本
    社境内末社石神社ヲ合併セリ
     大正五年三月十日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進神社トシ
    テ指定セラル
一、境内末社 拾社
 大山祇神社 祭神 大山祇命
       由緒 不詳 明治四十年十一月三十日許可、本社境内末社御嶽神社ヲ合併
 秋葉神社  祭神 火産霊命
       由緒 不詳
 白山神社  祭神 白山姫命
       由緒 不詳
 伊勢神社  祭神 天照皇大御神
       由緒 不詳
 雷電神社  祭神 大雷命
       由緒 不詳
 六所神社  祭神 大己貴命
       由緒 不詳
 八幡神社  祭神 誉田別命
       由緒 不詳
 石神社   祭神 八衢彦命 八衢姫命
       由緒 不詳 明治四十三年四月二十三日許可本社ヘ合併
 飛鳥神社  祭神 賀夜奈流美命
       由緒 不詳 明治四十年十一月三十日許可、本社境内末社大通龍神社ヘ合併
 御嶽神社  祭神 大山祇命
       由緒 不詳 明治四十年十一月三十日許可、本社境内末社大山祇神社ヘ合併
 大通龍神社 祭神 迦夜奈流美命
       由緒 不詳 明治十年六月中本村字下諏訪ヨリ移轉 
          明治四十年十一月三十日許可、本社境内末社飛鳥神社ヲ合併』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 神門。
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 門をくぐると小さな石鳥居。
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 社殿側から見るとこう。
 額束に享保二十年乙卯年(1735)の文字が読み取れる。
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 拝殿。
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『六所神社
御祭神
 大國主命 瓊々岐命 素盞嗚命 大宮女大神 伊佐那岐命 布留大神
 後に村内の諏訪神社、天満宮、貴船神社、大通竜神社、白山神社を合祀
御神徳
 農商工の各産業の信仰発展の神として
 家庭円満の守護の神として
 勝負、健康、道徳を守る神として
 入学試験合格、並びに学業成就の神として
 縁結び、安産の神として
 交通安全厄除の神として
 永く氏子を始め近郊の人々の崇拝者が多く、此の神社の御守護の広大無辺の恩恵に只々有り難く誠に恐懼に堪えません。
例祭
 春 四月八日
 秋 十月十九日』

『由緒沿革
 社伝によれば垂仁天皇二十六年八月、此の地方に疫病が流行したので勅命により一國一社、三輪の神を奉斎せしめる当社は、その上野國の一社と伝う
 翌二十七年に神地が定められて、江木郷六十町が社領として与えられその中心となった
 後に景行天皇五十三年御巡幸の際、此処より萱を刈りしと謂う
 以後歴代の皇室や将軍藩士に献上したと伝う
 そして時代の変遷と兵乱のため廃絶、六所ヶ原と言う地名だけが残った
 安永五年(1776)三月、快乗院町田隆光、修験者となり、前社殿を建築再建した。当時の氏子四十八戸
 明治四十一年(1908)三月氏子総代代表大島徳多の先達のもとに大改築が行なわれた。当時の氏子八十一戸
 大正五年(1916)三月十日神饌幣帛料供進の拝受を賜り指定村社となる。当時の氏子総代代表齋藤佐七他氏子九十戸
 昭和二十八年(1953)北爪一雄他総代の方々の御尽力により宗教法人となる、当時の氏子百三十戸
 昭和五十五年(1980)県農業試験場の拡張と昭和五十八年清水県政の地方振興開発に伴う事業として、県企業局の計画により萱野住宅団地造成工事に社有地を氏子総会に計り提供する
 昭和六十年氏子総会において社殿新築工事が決議され昭和六十一年五月二十八日着工~昭和六十二年三月吉日完成。これを記念してここに謹んで明記す
 昭和六十二年三月吉日
      氏子総代代表 齋藤要吉
      氏子総数   百九十三戸』
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 山神宮。
 石祠の中に更に小さな石祠が収められている。
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 でんと置かれた大きな石。なんだろうこれ。
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 社殿裏に並ぶ末社群。
 左奥は猿田彦神。それ以外は不明。

熊野神社(堤町)

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 群馬県道76号線に面して鎮座する熊野神社(前橋市堤町49-1)。
『群馬縣管下上野國南勢多郡堤村字沼下
 村社熊野神社
一、祭神 櫛御氣野命 大屋津比女命 抓津比女命
一、由緒 不詳 明治四拾四年壱月拾六日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料
    供進神社トシテ指定セラル
一、境内末社 四社
 稲荷神社 祭神 宇賀廼御魂神 由緒 不詳 社宇 間口壱尺 奥行弐尺
 八幡神社 祭神 誉田別命   由緒 不詳 社宇 間口三尺五寸 奥行四尺
 菅原神社 祭神 菅原道真公  由緒 不詳 社宇 間口壱尺七寸 奥行壱尺
 雷電神社 祭神 大雷命    由緒 不詳 社宇 間口壱尺五寸 奥行九寸』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
 ググってみると、景行天皇五十三年(西暦123年または303年)に奉斎されたとある。
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 拝殿。
 狛犬の台座には平成24年10月吉日と刻まれているので、二年前に作られたばかりだ。
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 鳥居の右側近くに建てられた石碑には沙土煮尊、豊斟渟尊、天照皇太神、國狹槌尊、泥土煮尊の名が刻まれている。
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 鳥居の左側近くに猿田彦大神。萬延元年(1860)十一月の建立。
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 拝殿右手前には絹笠大神。背面には明治三十四年九月吉辰と刻まれているので1901年の建立。
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 拝殿左手前には雷電宮。
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 境内社。
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 社殿裏手の境内端にも石祠があるが、こちらは稲荷社だろうか。
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 裏から。
IMGS4228s.jpgIMGS4230s_20141118011317ca2.jpg
 薬師堂。
 その隣には青面金剛王塔や地蔵尊、馬頭観音などが並んでいる。

赤城神社(亀泉町)

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 群馬県道3号前橋大間々桐生線と県道76号前橋西久保線が交差する上泉町交差点の北東600m程の位置に鎮座する赤城神社(前橋市亀泉町451)。
『群馬縣管下上野國南勢多郡亀泉村字赤城廻
 村社赤城神社
一、祭神   大己貴命
  祭神追記 大雷命 倉稲魂命 大日孁命 不詳一座 菅原道眞公
       誉田別命 保倉命 大山祇命 宇賀魂命
一、由緒 不詳
     昭和参年拾弐月弐拾八日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進神
    社トシテ指定セラル
     明治四十年六月六日許可ヲ得テ本社境内末社 八幡神社、稲荷神社、大山祇神
    社、字中山ニ祭祀セル稲荷神社及境内末社 八幡神社、鳴雷神社、稲荷神社二社、
    疱瘡神社、字丸山ニ祭祀セル神明宮及仝境内末社 菅原神社ヲ合祀セリ
一、境内末社 三社
 八幡神社 祭神 誉田別命
      由緒 不詳、明治十年六月同村字江戸原ヨリ移轉
         明治四十年六月六日許可本社ヘ合併
 稲荷神社 祭神 倉稲魂命
      由緒 不詳
 大山祇社 祭神 大山祇命
      由緒 不詳、明治四十年六月六日許可本社ヘ合併』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 拝殿脇の石祠。
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 何故か北を向いている末社群。
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上野神社(東上野町)

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 東上野公民館のすぐ北側に鎮座する上野神社(前橋市東上野町76)。
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『上野神社
 東上野の上野神社の祭神は萱野姫命。この祭神は野槌神ともいって「野ノ神、また、草の祖神」という(「神道大辞典」)。伊弉諸、伊弉冊二神の御子という。上野神社は駒形神社とともに地名に関係ある神社名である』(「木瀬村誌」より抜粋)

『群馬縣管下上野國南勢多郡東上野村字村中
 村社上野神社
一、祭神 萱野姫命
一、由緒 不詳
一、境内末社 拾社
 諏訪神社   祭神 建御名方命
 大己貴神社  祭神 大己貴命
 菅原神社   祭神 菅原道真公
 大山咋神社  祭神 大山咋命
 市杵嶋姫神社 祭神 市杵島比賣命
 熱田神社   祭神 日本武尊
 阿夫利神社  祭神 大山祇命
 住吉神社   祭神 底筒男命 中筒男命 表筒男命 息長帯日女命
 竈神社    祭神 澳津彦命 澳津姫命
 八幡神社   祭神 誉田別命』(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 拝殿。
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 本殿と末社。
 左の石祠は天王宮。側面には弘化五戊申年二月吉日とあるので1848年の造立。
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 末社。
 左は石尊宮。文久二壬戌年(1862)七月造立。右は不明。
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 本殿脇の末社。
 何神社なのかはわからないが、左の石祠は明治四未年(1872)九月、右の石祠は寛政八丙辰年(1796)八月の造立。
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 本殿が乗っている塚は木瀬村二号墳と呼ばれる円墳であるのだそうだ。
 右端の石碑は土地改良記念碑。
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 末社。
 左は寛政八丙辰歳(1796)八月、右は文化六己巳年(1809)十一月の造立。
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 馬頭観音かな。
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八坂神社(江木町)

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 菅原神社の430m程南に鎮座する八坂神社(前橋市江木町380)。
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 おそらくこちらが八坂神社だと思うのだが、三菱紋のようなものはなんだろう。
 石祠前の石段には寛政元酉歳六月吉祥日と刻まれているが、何か別のものからの流用のように思える。
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 その左の石祠。何神社なのかはわからない。
 左に月読尊、右に千手観世音菩薩。
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菅原神社(江木町)


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 江木町会館の北200m程の位置に鎮座する菅原神社(前橋市江木町175)。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
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 大黒天と地蔵尊。
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 末社群と言うよりは、廃棄場所かなにかのように見える。

神明宮(堀之下町)

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 熊野神社の北東160m程の位置に鎮座する神明宮(前橋市堀之下町348)。
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 改築中のようだったので、境内には入らずにここまでに。
 ストリートビューを見ると2012年7月時点では社殿前に鳥居の姿は見えないので、こちらは新たに建てられたものなのだろう。

 2015年2月23日追記。
『神明宮(堀之下)
由緒 神社は大塚家の本家である「東明の大尽」と呼ばれた屋敷の乾の隅に延宝年間大塚
  家の氏神として祭神「大日霊命」を祀ったことにはじまる。明治九年村社熊野神社と
  合併することになり、境内に建てられていた石碑や上野十二社の石宮もこのとき一緒
  に村社に移された。その後、明治三十三年一村一社とする布達、また、明治四十年二
  月二十三日に神社維持法が制定され、この条件を満たない神社は統合されることとな
  った。村社では毎年度八拾円以上の収入が必要であったが、基本財産が基準に達しな
  かったため、直接管理していた大胡町の大胡神社に合併した。こうして村社は留守宮
  となり、このことを心配した大塚萬造は御嶽教の先達、中谷猶次郎や嶋田覚太郎、中
  島源平等の協力を得て、同年五月八日再び元のところに一族の氏神(大日霊命)を遷
  宮した。
   祭日は十月十六日。
境内 入口は境内の北側となっている。現在の建物は大塚萬造が中心となり、四十三名の
  協力を得、百円の費用で昭和四年十一月完成した。この建築の大工は地元の郷長吉で
  ある。拝殿は南向きに間口二間、奥行一間半の木造亜鉛葺、入母屋造りである。幣殿
  は間口半間、奥行一間半の木造亜鉛葺。本殿は石宮である。境内には明治三十五年一
  月の伊勢神宮参拝記念の手洗石。昭和十二年十二月十日に十名の氏子によって建てら
  れた御影石製の鳥居、拝殿前に木製の鳥居がある』
(「桂萱村誌」より抜粋)
 昭和四年は1929年だから、85年が経過したことになるか。まぁ、さすがにその間にも改修などはされていたのだろうとは思うけれど。

熊野神社(堀之下町)

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 前橋工業高等学校の東側、脇を走る道路より少し上がった所に鎮座する熊野神社(前橋市堀之下町388)。
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 拝殿。
 こちらの神社の由緒等を記したものが見当たらず、詳細は不明。近くに堤町の熊野神社があるので、御祭神はそちらと同じ櫛御氣野命 大屋津比女命 抓津比女命の三柱ではないだろうか。
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 鸕鷀草葺■■■■、彦火火出■■、天照皇■、瓊々杵尊、忍穂耳尊、嘉永元の文字が読める。左の三つは鸕鷀草葺不合尊と彦火火出見尊、天照皇大神だろう。嘉永元年は1848年。
 右の石は世話人芳名碑。
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 末社群。
 右手前から抜鉾宮、赤城宮、伊香保宮、榛名宮、美和宮、火雷宮、■祝宮、大國宮、加茂宮、寓藝宮、甲波宿祢宮、倭文宮、猿田彦大神。奥の五社は不明。
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 少し離れて。
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 遠く北には赤城山が見える。

 2015年2月23日追記。
『熊野神社(堀之下)
由緒 集落が女堀の南の低地にあったところから、堀之下の名が生まれたと伝えられる。
  神社は北側の旧利根川の岸(七里が渕)で集落を一望する高台に熊野神社が祀られた。
  その後、高台の現在地に移った。明治九年神社合併で大塚一族の祀る神明宮と合併、
  境内に祀られていた石造物もこのとき集められた。
   明治三十三年、一村一社令が出されたが、神社の基本財産が不足していたため、大
  胡町の大胡神社に合併。境内は整理された。
祭神 大屋津比賣命
祭日 十月十九日
境内 郡村誌によると境内地は東西十一間四尺、南北十三間の百五十坪で、杉と松の大木
  十二本に囲まれた森であった。古くは南側に入口があり石段を登り境内に入った。そ
  その後、付近は土地改良が行われ、西側と北側に四メートル道路がつくられて入口は
  北側となった。
   境内の西側には神明宮から移された上野国十二社の石宮が並び、北側には石造物二
  基が並ぶ。
建物 大胡神社に合併するまでは木造萱葺の間口九尺、奥行二間の建物であったが、合併
  整理された。
   現在の建物は土地改良の完工した昭和四十年に造られたもので、間口一・八○メー
  トル、奥行一・五○メートルの亜鉛葺、コンクリートブロック造のさや宮で、この中
  に杉皮葺の神明造の小形の社殿がおさまっている』
(「桂萱村誌」より抜粋)

X30用オリジナルサムレスト到着

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 X30発売記念キャンペーン品のオリジナルサムレストが到着。発送は応募の約1ヶ月後と書かれていたのだが、僅か11日で送られて来た。ひゃっほい。
 今月20日に発売されるサムレストと同じものであるそうで、普通にそちらを買うと税別で11,500円なのだとか。富士フイルム太っ腹だな。
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 サムレストが無いと背面のコマンドダイヤルをうっかり回してしまったりしたのだが、これがあるとガードしてくれるので有り難いし、なによりホールドし易くなる。ドライブボタンやビューボタンは少し押し難くなるが、元よりビューボタンなんてそう押さないので問題無い。ドライブボタンはブラケットの切り替えや画像削除にも使うのでちょっとアレだが、そう困るほどでもないか。

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 購入してから色々いじってみた結果、現在のファンクション設定は
Fn1 動画         → 動画
Fn2 マクロ        → マクロ
Fn3 セルフタイマー    → 超解像ズーム
Fn4 フラッシュ      → RAW
Fn5 フォーカスエリア選択 → フォーカスエリア選択
Fn6 ワイヤレス通信    → モニター撮影効果反映
 こんな感じ。セルフタイマーとフラッシュは使用頻度が高くないのでQメニュー送りに。ワイヤレス通信は必要無い。
 フィルムシミュレーションブラケット、ホワイトバランスブラケット、ダイナミックレンジブラケット、超解像ズームなどはRAW記録時には使用できないので、RAWとJPEGをワンプッシュで切り替えできるようにファンクションにイン。超解像ズームはなんとなく。モニター撮影効果反映はDCWatchの記事を読んだら便利そうだったので。
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 カスタムメニューが7つ登録できるのはいいのだが、登録可能な内容がISO感度、ダイナミックレンジ、フィルムシミュレーション、ホワイトバランス、カラー、シャープネス、ハイライトトーン、シャドウトーン、ノイズリダクションの9項目だけなので、あまり意味を感じない。撮影モードなども登録できればとても便利なのだがなあ。
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 シーンポジションが2つもあるのがわからない。このクラスのカメラを買うような層がシーンポジションを多用するとは思えないのだが、なぜ2つも。シーンポジションよりもカスタムモードを希望したいところだ。

赤城山大明神(宮地町)

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 宮地町公民館の隣に鎮座する赤城山大明神(前橋市宮地町85-1)。
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 鳥居脇に天王宮。
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 拝殿。
『赤城神社
位置 大字宮地村字梅天神二二四番地
祭神 磐筒男命 経津主神 磐筒女命 豊城入彦命
末社 厳島神社 市杵島姫命
   稲荷神社 豊受姫命
   天神宮  菅原道真
   八坂神社 素戔嗚命
   神明宮  大日霊命
由緒 不詳(上野国神名帳ニ正五位赤城若子明神トアルハコレカ)
氏子 四十一戸(昭和七年五月二十日許可トナリ氏子五十三戸トナル)

 明治十四年社寺制度の改革によって一定の財産がなく無格社となったが、その後明治末期から村社への昇格を望み、基本財産造成のため、金千円を年次計画で氏子全員に寄附割当てをした明細表が保存されているが、なお規定額に満たないため、昇格がおくれ、昭和七年五月二十七日村社として神饌幣帛料を供進すべき神社に指定された。同年十月二十日昇格祝賀式を挙行、村名誉職員、役場吏員等参列し当日は、太々神楽を奉舞。(大字後閑より一式借上げた)相撲大会等が行われた。
 祭典日は、四月八日、十月十七日の年二回行われていたが、現在は四月八日一回となった。

 宝物古物
一、鏡 一個 経、一尺
  裏に加賀田河内守とある。

 赤城神社と地蔵院(口説と調査結果)
 赤城神社について村内の年長者細野平吉氏、勝山辰雄氏を始め故人となった年輩者が一致して伝えられたと云う口説によると、この赤城神社は、勢多郡宮城村三夜澤の赤城神社に並ぶか、あるいはそれ以上に古い歴史と格式を持つものであるという意見である、その理由としては、現在の細野恒己氏の曽祖父、先代の和助氏が氏子総代の当時、明治初期頃か、それ以前のことかは明らかでないが、当時本村赤城神社所有の秘蔵の古文書と、お墨付、五反下がりの大のぼりを三夜澤の赤城神社の要請によって貸与したところ、それがそのまま、戻されていない。しかし証拠となる貸与証が紛失したかどうか保存されていないために手の打ちようがなかったということである。やむなく明治中期に至って大のぼりについては、以前同様の五反下がりのものを再調整をしたが古文書がないために立証する何ものもないということだけは今も伝えられている。
 又、この貸借関係については、粕川村出身の元県会議員故鎌塚酉次郎氏も肯定したような発言をされていたということも伝えられている。という話もされている。
 又前橋市公園愛護会連合会発行の「みどりのひろば」第二号中の斎木孝雄氏の「わが里朝倉町の由来」の項の一部に三夜澤の赤城神社のことが説明されており、その中に「ここに今一つの命の屋敷跡というのがあります。これは前橋南の宮地であります。ここは、梅屋敷、竹屋敷、松天神などと臣下の屋敷跡も今なお地名となっており、また古くから名主細野金太夫と云う人の家に"開かずのつづら"と云う物があり、太政官令と云う物が来ており、今なお飾ってあり、開かずのつづらは、赤城神社が国幣中社となった時に古文書として赤城神社に納めさせられ今は宮地にはない。そして宮の屋敷跡は氏神、同じく赤城神社になっております。このような点からして命も山から下り里にもお住まいしたとも思います」と云われている。
 以上の口説や資料に基づいて、赤城神社に関する資料を調査したところ、宮地村字梅天神の赤城神社を認めているのは、群馬県神社輯覧に見られるだけで、その他は祭神豊城入彦命ということだけが一致するのみである。そこで前橋市史における三夜澤の赤城神社の説明によると、「東西両社が区別されていて、東社は地蔵、西社は虚空蔵千手観音を本地仏としていたものである。」と記されており、又このことは、尾崎喜佐雄氏の「上野國信仰と文化」の中にも明記されて当時の神仏混淆説も唱えられている。又市史によれば「三夜澤には元三夜澤から移ってきたとの伝承がある。明治初年に記されたと思われる簡単な社誌があるが、そのうちに、「元宮地鎮座ノ時ハ」とか、この「元宮地」というのは元三夜澤を指す。」とか又「赤城神社は三夜沢の地に他からうつってきたとつたえられていた。」とか全く本村宮地村に関係ある文字が使用されている。
 このような資料から考えて村内に古くから口伝えられていることも全く無根であるとは考えられない点もある。神社の所在地も宮地村字梅天神であり、その他の小字も神明とか松天神、前田などすべてが社寺に関係あると思われる地名である。そこでさらにこの赤城神社の隣地は寺屋敷と云われており、その隣りに墓地も現存している。又勝山辰雄氏の祖父彌治衛門氏はこの寺屋敷を本籍として住居を構えていたが、彌治衛門氏の死後、養子伝治氏の代に現在の住所に移転し、本籍は辰雄氏の代になってから現住所に転籍したことは事実である。そこでこの寺について調査したところ、この寺墓地に和尚の墓石は七基あるが、文字等で判明したものは、宝永二年十月六日、(二七三年前)(法名不明)享保十八年六月十三日、(二四四年前)(法名不明)。宝暦四年四月二十三日三部都法大阿閣梨法印尊應覺。明和九年二月二十一日。竪者法印義隣和尚、のみである。この寺は「赤城山宮地邨地蔵院」と判明した。又寛政七年に富士領陰士之彫として、「赤城山大明神、護摩供御札、欽言」という木版が保存されていることから神仏混淆の時代における寺の併設が考えられる。これらによて、さきに述べた赤城神社の東社が地蔵仏に関係すると云われている前橋市誌や尾崎喜佐雄氏の著書によっても、赤城神社と地蔵院の結びつきが考えられるが、神社の建設や格式等については確たる資料がないんが残念である。しかし神社の古さを立証するものとしては、境内の松の大木である。目通り三・二メートル、根本四メートル余の大木の現存と社殿の造りが伊勢神宮と同様、拝殿と本殿の棟の向きが違うことなど多くの疑問を持っている』(「上川淵村誌」より抜粋)
 宝永二年は1705年なので、それに273年を足すと1978年。享保十八年は1733年なので、それに244年を足すと1977年。とすると、この調査結果が記されたのは昭和五十二年から五十三年頃となるか。
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 拝殿斜めから。
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 左の石祠は天満天神宮。右は不明。
『天神祭り
赤城神社境内に安置されている天神様は、毎年十二月二十五日が祭日で、数年前までは反下がりの、のぼりを立てて村内で赤飯を供えてお祭りしていたが現在はのぼりも廃されてしまった。細野平吉氏の話しによると、この天神様は、一枚橋の西南の東海道沿いの畑に祭られていたものを、明治末期になって、今の地に移したものだということである。又この天神祭りは各村々によっても行われている』(「上川淵村誌」より抜粋)

『天満天神宮
祭神 菅原道真
祭日 三月二十五日(旧暦二月二十五日)
宮地町のこの天神宮もこの末社として(年代不詳)宮地町字梅天神一八一番地(現在では県道高崎~駒形線の東宮地入口の信号機のある十字路の北西約三十メートル地点)の道路沿いの畑の一角に祭られ、多くの旅人に参詣されていたものと推測されるが明治初期にここに遷座されたようである。かつては十二月二十五日に天神講の行事として子供が書道向上の祈願に神のぼりを奉納していた』
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 キメラ仏。おそらく大黒天の身体に地蔵尊の頭を融合させた全く新しい神仏……ではなく、なぜこうなったのかはわからないが、なんとも不穏な雰囲気の石仏だ。
 その隣には十二天社。
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 八将神社。
 左側面に豹尾神、黄幡神、歳殺神、歳破神。右側面に歳刑神、大陰神、大将軍、太歳神と刻まれている。
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 末社。何神社かは不明。
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 二十三夜塔に庚申塔、馬頭観音、道祖神、双体道祖神などの後列に無縫塔。
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 誰が描いたのか、よくわからない落書きがあったのでなんとなくフレームインしてパシャっとな。

 以上で11月8日参拝分終了。
 使用機材はPENTAX K-5IIsにDA20-40mmとSIGMA 50-150mmII。FUJIFILM X30。

女躰神社(亀里町)

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 阿内城三の丸跡に鎮座する女躰神社(前橋市亀里町1194)。
 左の石柱には明治三十四辛丑年(1901)九月吉日と刻まれている。鳥居前の道幅は車一台分に少し余裕がある程だが、神社西側はもう少し狭くなり、ロードスターでギリギリ通り抜けられるくらいなので、車幅のある車ではきついだろう。
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 鳥居。
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 境内。
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 下川淵村誌に記載された境内見取図。
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 社殿。
 右の石祠は八坂神社。狛犬の台座には「阿内宿氏子一同 平成五年十二月吉日建之」と刻まれており、明治四十一年(1908)一月二十二日に亀里の諏訪宮に合祀された後、現在になってもこちらで祀られていることがわかる。
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『女躰神社
 阿内宿にある。昔は、旧十一月三日に、ゴゴシンジと云う祭があった。その時は、白木のお膳が九十九膳あって、それで供えものをした。現在では膳は破損してしまったけれど、祭りの日を九十九膳と云って、その日に油餅をついて、めいめい供える。

 阿内宿字城に女躰神社があり、明治四十一年に諏訪神社に合併されたが、その跡にはまだ再建の小さな石宮を置き、境内地はそのままとなっている。社地が阿内宿城址といわれる一角にあり、北側は濠址、南には馬場址などを存している。また南へ出ると観音やしきの明応の六地蔵石幢がある。

 阿内宿の城址
 小字城、その南方一角に女躰神社址があり、濠址、その規模を覗うことができよう。近世築城と違って、濠と土居に囲まれた廓が不規則な回字状をしている点は、別項の屋敷の環濠と、大小の差があっても相似している。遺址は北から東へ亘って端気川が環流し、川の屈曲部と並行して田と林がロ字形に連って低地となっている。北辺の田に残る用水堀が西側の宅地を廻り、南側は用水が「山」形に東西に走って、東南側の宅地を直角に折れて、端気川に入っている。この附近の小字宿前に東西百間、巾三間の地があって、馬場跡だという。
 東辺の南角に小字太鼓櫓がある。濠址の田に囲まれた歪んだ四辺形が一段高くなり、ここが小字城の中心である。濠址と中心の畑との高低は約三尺、村に遺る城址の中でも最も原形を留めている。なお附近の小字に大町・中屋敷などがある。城に因むものと地元では考えている。阿内宿城の沿革伝承は殆ど消えて、女躰社参道を出て、表通りの西に輪廻車のついた延徳の燈籠が存して室町末期戦国時代といった頃、この城の関係者によって建てられたものと考えられる。僅かに残る伝承によって、三輪右丹がここに起り勇武をもって四隣に奮った。武田氏に属していたので上杉氏が進出するに及んで滅ぼされた。竜門の三輪氏が右丹の後であると言われる。なお、阿内宿の小字大橋はここから東南へ約一粁をへだて大橋の南、小字古城址と南北に連る。端気川の西岸に位置して、地名のとおり小字城の城址よりも古い城跡だと、土地の人に信じられている。別項の五輪塔、南端に石の八幡の宮があり、平夷されて田となっている』(「下川淵村誌より抜粋」)

『羣馬縣管下上野國東群馬郡亀里村字城
 無格社女體神社
 明治四十一年一月二十二日許可、同大字村社諏訪神社へ合併
一、祭神 伊邪那美命
一、由緒 不詳
一、本社 間口弐間 奥行壱間半
一、境内 貮百四拾坪 官有地
一、境内末社 壱社
 石神神社 祭神 八衢比古神 八衢毘賣神  由緒 不詳  社宇 方弐尺
一、信徒 百拾人』(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 末社。上野国神社明細帳の記述により、石神神社と思われる。
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 下川淵カルタ。
 力丸城跡にも同じ物が建てられている。ここからだと南東に直線距離で2.7km程の場所。

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 女躰神社の西70m程の位置にある阿内宿公民館前に置かれた石幢と石仏など。
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 下川淵カルタ。
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 石幢の案内板。
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 石幢の他には道祖神、馬頭観音、如意輪観音、青面金剛塔、馬頭観世音塔などが並んでいる。

五社稲荷大明神(公田町)

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 日枝神社の西方約250m、ショウワフェニックスゴルフガーデン傍に鎮座する五社稲荷大明神(前橋市公田町1197)。
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 二の鳥居。
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 本殿。
『公田稲荷神社
 字小暮に鎮座、宇迦之御魂神を祭っている。由緒は不詳であるが相殿の一座は明治十年九月十日の合祀にかかる。明治二十四年に修繕した』(「下川淵村誌」より抜粋)

 五社稲荷の名から察するに五柱の神が祀られているのかと思ったのだが、下川淵村誌にも上野国神社明細帳にもそれらの記述は見当たらなかった。
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 本殿正面の扉の彫刻。
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 側面の彫刻。
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 背面の彫刻。
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 末社だろうか? 何神社なのかはわからないが、台座には昭和四十一年十二月吉日改修とあり、氏子総代を始め刻まれている六名はいずれも石原姓だ。下川淵村誌を見ると、明治二十四年の改修時の願主は高岸長太郎とあり、連名で石原、町田、代田、酒井、田中と記されている。公田町の熊野神社は石原氏と縁が深く、日枝神社は高岸氏、諏訪神社は町田氏が祀っていたとも記されているので、これらがこの地域の有力な一族なのだろう。
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 西側から。

日枝神社(公田町)

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 熊野神社の北西約570m、田圃の中に鎮座する日枝神社(前橋市公田町807)。
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 拝殿。
『三公田の日枝神社
 日枝神社は字山王の田圃の中に矩形の土地を劃して鎮座する。祭神は大山咋神で、相殿に建御名方神を祭っている。高岸氏の同族神だと伝えられる』
(「下川淵村誌」より抜粋)

『群馬縣管下上野國東群馬郡三公田村字山王
無格社日枝神社
一、祭神   大山咋神
  相殿   建御名方神
一、由緒   不詳、相殿一座ハ明治十年九月八日合祭
一、境内末社 厳島社 祭神 市寸島比賣命』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 下川淵村誌に記載された境内見取図。
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 社殿裏の石祠。
 見取図には元禄の山王宮と書かれているので、こちらは日枝神社の旧本殿になるのだろうか。
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 末社と猿田彦大神、馬頭観音、庚申塔など。
 上野国神社明細帳によると厳島社がある筈なので、二基ある石祠のどちらかがそうなのだろう。
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 西から。
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 X30のパノラマ機能を使ってみたのだが、途中でガイドラインから外れて中断してしまった。手持ちで360°をぐるりと撮るのは難しいと言うかちょっと慣れが必要かも。
 ……全天周見られるストリートビューでいいじゃんとか言うのは無しの方向で。

熊野神社(公田町)

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 公田町公民館の西隣に鎮座する熊野神社(前橋市公田町533)。
『公田の熊野神社
 三公田字熊野に鎮座する。小さな円い丘上にあり乗明院と田圃をはさんで東西に相対する。
 祭神は櫛御気野命、相殿に建御名方神となっている。由緒は分らないが、明治十年九月八日、相殿に建御名方命が合祀された。
 石原氏と関係のある神社とも伝えられるが、村持で祭られて久しい。寛延二年の村銘細帳に
 一、寺社御修覆無御座候
 一、熊野堂氏子修覆に御座候(寛延二己巳年二月「上野国群馬郡茂右エ門分村」)
とあるのがそれで、村持の費用で維持して来たことがわかる。境内神社に菅原神社の石宮がある』(「下川淵村誌」より抜粋)
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 下川淵村誌に記載された境内見取図。
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 鳥居の左側に庚申塔。
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 鳥居右側に馬頭観音。
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 拝殿。
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 本殿。
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 社殿裏には小さな丘があり、その頂には石祠二基と宝篋印塔、如意輪観音が鎮座している。石祠の一つは菅原神社である筈なのだが、どちらがそうなのかは不明。
 この丘は下川淵3号墳と呼ばれる古墳の一部であるそうなのだが、現在は消滅古墳として扱われているのだとか。
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諏訪神社(公田町)

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 利根川に架かる昭和大橋の袂近くに鎮座する諏訪神社(前橋市公田町)。
 下川淵村誌に「諏訪神社は不動堂の後方にあり町田氏が祭った」と書かれているのみで、詳細は不明。
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 拝殿斜めから。
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 石燈籠。
 竿部分に石尊宮と彫られている。またその隣にも文字が彫られているのだが、よく読み取れない。不動尊だろうか。
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 石仏と石塔と石祠。
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