東照宮(大手町三丁目)

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 前橋公園の端、群馬県道10号前橋安中富岡線大手町交差点のそばに鎮座する前橋東照宮(前橋市大手町3-13-19)。公式サイトもあり。
『群馬縣管下上野國東群馬郡前橋北曲輪町
 縣社 東照宮
一、祭神 源朝臣徳川家康公 菅原道眞公
     木之花之佐久夜毘賣命、日子番能迩藝命、建御雷命、三神ハ長壁神社祭神
一、由緒 不詳、慶應三年当地へ遷座、明治九年一月再興、旧前橋藩松平氏代々崇敬ノ神
    也、菅原神社者慶長年中酒井河内守重忠勧請年月不詳、旧前橋藩松平氏当地ヘ遷
    座、明治九年一月当社ヘ合祭ス
     明治三十一年一月二十一日無格社長壁神社合併
     明治三十九年十二月廿八日、幣饌料供進指定
     昭和四年四月十六日縣社ニ昇格
     昭和四年五月拾七日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進神社ト
    シテ指定セラル
一、境内末社 一社
 稲荷神社  祭神 倉稲魂命
一、境内招魂社
 由緒 勧請明治十一年十一月廿四日、同九年西南役王師ニ属シテ戦死セシ上野全国精兵
    ノ霊ヲ祀ル也』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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『東照宮
鎮座 前橋市大手町
祭神 徳川家康公
例祭 四月十七日
創祀 寛永元年家康公の二男結城秀康の五男である松平直基が越前勝山城内に創祀
沿革 松平家は百二十年で十回にも及ぶ移封の都度その城内に奉遷。江戸中期に姫路城より前橋城へ移封されるも利根川の氾濫で城が流され分領の川越に奉遷。幕末の慶応二年に前橋城が復興し再び前橋へ。社殿は川越で解体され明示四年現在地に復元。昭和四年県社に昇格し戦後は神社本庁包括の宗教法人に認証される』
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 拝殿。
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 狛犬。
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 東照宮所蔵文化財の案内板。
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 厩橋護国神社。
『明治十年(1877)十一月二十四日の創建で西南の役以来大東亜戦争に至るまでの前橋市出身の英霊二千三百四十六柱を奉祀しております。
 尊い命を捧げられた方たちの御霊を慰め、その事績を後世に伝える役目を担っております』
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 営築稲荷神社。
『文久三年(1863)前橋城再築にあたり工事の安全を祈願するため松平直克(松平家十一代藩主)が勧請した神社でございます。
 御祭神は宇迦之御魂神で主な御神徳は商売繁盛・工事安全とされ信仰を集めています』
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 営築稲荷社脇に奇妙な形の石と子育て地蔵、石祠。左の石は陰石だろうか?
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 西の鳥居。

 以上で2月21日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA20-40mm、DA FISH-EYE 10-17mm、DA15mm、DA35mm Macro。
 この日の歩数は17,953歩。まぁまぁ歩いたか。
 この後は県立文書館に行き資料を漁ってから帰宅。そして今更ながらに気付いたのだが、文書複写許可書の注意書きに「複写物から引用等をする場合は、原本が群馬県立文書館所蔵のものであることを表示すること」と書かれていた。と言う事で、当ブログの引用元である「上野国神社明細帳」「前橋市史」「木瀬村誌」「大胡町誌」「上川淵村誌」「下川淵村誌」はいずれも県立文書館所蔵のものである。「桂萱村誌」は県立文書館と市立図書館桂萱分館所蔵、「荒砥村誌」は県立文書館と前橋市立図書館城南分館所蔵のものである。
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虎姫観音堂(大手町一丁目)

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 長壁神社から北に200m程、群馬県庁の裏に鎮座する虎姫観音堂(前橋市大手町1-13)。
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『虎姫観音堂
 虎姫観音・弁財天をまつる。縁日 毎月七日
 厩橋城(前橋の旧名)はかつて徳川家康によって関東の華とまでいわれた名城ですが、たび重なる利根川の洪水のため城域は次第に流失し遂に酒井氏に代る松平氏に至って川越に移りました。
(当時の本丸は現在の河心に当り県庁のあたりは三の丸であったといわれます)
 このため前橋はさびれ果てたので町民はお城の再建を願いいで五年がかりで護岸築城を終え慶応三年(1867)百年ぶりに城主を迎えました。
 利根川洪水の災禍はそのまま本県災害の歴史ですが前橋もそのほかではありません。
 ここに有志相い図り遠い昔厩橋城主にまつわるお虎の怨霊によって次々に水災を招いたと伝えられる虎姫を観世音にまつり、音楽、弁財、福智、延寿、防災、得勝の功徳すぐれた河川の神弁財天とともにゆかりのお虎が渕のほとりに堂をたて永くその加護を祈念するものです』
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 虎姫観音。
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 前橋城天守閣推定復元図。
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 利根川。

長壁神社(大手町一丁目)

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 群馬県政会館の脇に建てられた長壁神社(前橋市大手町1-12-3)の社号標石。
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 矢印通りに歩いて行くと長壁神社に到着。
『群馬縣管下上野國東群馬郡曲輪町
 無格社 長壁神社
一、祭神  木花咲也姫命 建雷命 天津彦火尓々岐命
一、由緒  勧請年月日不詳、旧前橋藩松平氏崇敬ノ神ニシテ現米二石金貮円年々寄付、
     明治四年ニ至リ止ム』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
 長壁神社なのに御祭神は刑部親王と富姫ではなく、木花開耶姫命・瓊々杵尊・武甕槌命の三柱と言う不思議。
 なお、長壁神社の伝説については前橋東照宮の公式サイトに詳しく書かれている。
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 瑞垣には「因幡の白兎」の大己貴命と兎のレリーフがあるが、なぜここに?
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 拝殿。
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 狛犬。
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 拝殿内部。上の写真は木花開耶姫命。
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 稲荷神社の鳥居。
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 末社群……なのだろうか。上野国神社明細帳によれば境内社は無い筈なのだが。
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 長壁神社の真後ろに岩と融合した稲荷神社。
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 水天宮。
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 二十三夜塔。
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 猿田彦大神と馬頭観世音。
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竪町神明宮(千代田町一丁目)

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 群馬県道10号前橋安中富岡線千代田町交差点から100m程北上した辺りに鎮座する竪町神明宮(群馬県前橋市千代田町1-13)。
『群馬縣管下上野國東群馬郡前𣘺竪町甲34
 村社 神明宮
一、祭神 大日孁命
     合殿大国主尊
一、由緒 勧請年月不詳ト雖モ往古ヨリ神明山ト称ス、文明年間宮殿再建ノ由社伝ニ存ス
     合殿大国主尊ハ明細帳脱落追加明治三十四年二月廿八日許可
     明治三十九年十二月廿八日 幣饌料供進指定
一、境内摂社 一社
 稲荷神社  祭神 倉稲魂命
       由緒 勧請年月不詳
          當社ハ神明山中ニ在リ、伊勢内宮外宮ニ倣ヒ神明社ニ相並フ、即神
         明社ノ摂社タリ、蓋シ倉稲魂命ハ外宮ノ大神ト同神ナル故欤
一、境内末社
 三峯神社  祭神 伊弉諾命 伊弉冊命
 菅原神社  祭神 菅原道真公
 厳島神社  祭神 市杵島姫命
 宇受賣神社 祭神 宇受賣命
 猿田彦神社 祭神 猿田彦命
 稲荷神社  祭神 倉稲魂命』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 参道。
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 厳島神社銭洗弁財天の鳥居と神橋。
『銭洗弁財天縁起
 神明宮神域に鎮り座す弁財天より湧出づる清水にて金銀財宝を洗い清めれば不浄の塵垢消えて銭は必ず一粒万倍の功顕はし一家繁昌子孫長久の守になるという』
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 厳島神社。
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 厳島神社側から見た鳥居と神橋。
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 神橋。
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 狛犬。
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 神明宮の鳥居。額には太神宮の文字。
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 拝殿。
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 社殿西側から。
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 猿田彦神社。
 案内板の文字は殆ど読み取れないほど薄くなっていたが、上野国神社明細帳には猿田彦神社宇受賣神社合殿と記されているので、その二社を併せて祀っているのだろう。
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 左から雷電神社、菅原神社、三峰神社。
『雷電神社
 御祭神 火雷命
 年毎に雷雨おびただしく人家の焼失人畜の被害多かったので氏子相謀りて板倉村の雷電神社の御分霊を勧請奉斎した処以後雷鳴はあっても災厄はなく御神徳の広大なるに驚きかつ喜びいよいよ崇敬の念を深くしたと言う』

『菅原神社由緒
 御祭神 菅原道真
 菅原道真公は文学・詩歌の神と尊崇されている。今なお学問の神として信仰され受験の祈願が盛に行なわれている』

『三峰神社
 御祭神 伊弉諾尊、伊弉冉尊
 往古日本武尊当山を開いて伊弉諾・伊弉冉尊の二神を三峰大神として祀られた時嶮しい秩父の山の道案内をされた勇猛な山犬を三峰大神の御眷属とされた。これを大口真神と敬い御威力は火防盗難除、諸祭消除を祈り崇敬されている』

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 青麻大明神、猿田彦大神、道祖神。
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 摂社稲荷神社の一の鳥居。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
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 お狐さま。
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 社殿東側から。
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『格納稲荷神社
 竪町一丁目に御鎮座守護給っていたが区画整理事業により氏子相計りて神明宮境内に御遷座して毎年稲荷神社に並び祭典を行っている』
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『奥ノ宮嬬恋稲荷大明神
 大正三年九月信州浅間の焼石を買求め築山し嬬恋稲荷社を奥ノ宮として御鎮座する』

飯玉神社(若宮町四丁目)

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 群馬県道151号津久田停車場前橋線と県道4号前橋赤城線が交差する若宮四丁目交差点の南西に鎮座する飯玉神社(前橋市若宮町4-8-24)。
『群馬縣管下上野國東群馬郡才川村字飯玉
 村社 飯玉神社
一、祭神 保食命 倉稲魂命 建御名方命
一、由緒 不詳
     明治四十年十月二十三日許可、本社境内末社稲荷神社及字諏訪無格社諏訪神社
    ヲ本社ヘ合併
     昭和十八年九月十七日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進神社
    トシテ指定セラル
一、境内末社 二社
 菅原神社 祭神 菅原道真公
 石神社  祭神 思兼命』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 拝殿正面。
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 狛犬。
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 社殿斜めから。
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 石祠と石神社。
 石祠は稲荷社と思われるが、「善光寺如来寳前祈祷之牘」と記された木札が置かれている。石造のしゃもじは石神社に奉納されたもので、杓(しゃく)と石(しゃく)の語呂合わせだろう。
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 菅原神社。その脇には猿田彦命と道祖神。
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 国幣中社弥彦神社。
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『社殿改築記念之碑
上野神名帳ニ正五位上伊勢大明神ト録セラルルハ當祠也
ト聞ケリ故ニ近古迠ハ一祠内ニ内宮外宮ヲ併祀セラレキ
沿革如斯ク遥ニ祭神亦如此ク嚴ナリト雖社殿莊重ナラザ
レバ焉ゾ神靈ノ尊ヲ知ランヤ神靈ノ尊キヲ知ラザレバ神
徳以テ厚カラズ此故ニ鎮守ノ社殿ノ莊ト陋トハ直ニ以テ
其ノ郷ノ消長ヲトスルニ足ル輓近戈川町ノ郷運祠運ト倶
ニ逐年隆昌曩ニ境内ノ擴張續テ玉垣建設ノ事有リ今又越
路ヨリ斎匠ヲ招キ浄財ヲ吝シマズ昭和九年八月本殿改築
ノ工ヲ竣シ更ニ十月幣殿及内玉垣ヲ造營シ茲ニ社殿ヲ整
備シ茲ニ祭祀ヲ篤厚ニシ報本及始ノ誠ヲ格セバ人ハ神ニ
依リテ祉ヲ亨ケ神ハ人ニ依リテ光ヲ増シ氏子久遠ニ殷榮
ナル可シ聊カ記シテ以テ后毘ニ傳フト云爾
  昭和九秊拾月』
 正五位上伊勢大明神だとか嘗ては内宮と外宮を併祀していただとか、元々は神明宮だったりしたのだろうか? 上野国神名帳には正五位伊勢明神の名を持つものとしてこちらの若宮飯玉神社の他に渋川市中郷の中郷神明宮が記されているようだが、なにか縁があるのだろうか。

 この後はスズランデパートの屋上にあると言う小石神社の分社に参拝しようと思っていたのだが、エレベーターにR表示はあれどもその階には止まらないし、階段の方も立入禁止になっているのでどうしたものかと受付嬢に訊いてみたところ、やはり屋上には入れないようだ。残念。

赤城神社(下小出町一丁目)

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 群馬大学医学部附属病院の東に鎮座する赤城神社(前橋市下小出町1-22-12)。
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『赤城神社社務所(旧公民館)改修機念碑
 昭和四十二年(1967)、前橋市北部区画整理事業に伴い、当赤城神社の所有地も換地を受けた。そして昭和五十七年三月(1982)境内地である赤城廻一○一(境内地)乙一○一(境内地)一○二の一(畑)は本換地され、下小出町一丁目二十二の二(境内地)となった。所有者─赤城神社地積九一三平方米(増加分を含む)
 社には豊城入彦命が祭神として祀られ、春と秋に祭典が行われる。境内には往時を語る老松高く、社殿を巡れば多くの末社─絹笠社(豊受姫命)神明社(大日孁命)天神社(菅原道眞)雷電社(火雷命)稲荷神社(宇迦之御魂命)山神社(大山祇命)厳島神社(市杵島姫命)が並び四季折々に参詣祈願に訪う人の姿を見る。社殿の造営は慶応四戊辰三月(1868)とあり、降って明治二十四年(1891)屋根換、昭和二十五年(1950)改修工事が行なわれている。
 爾来三十有余年をけみし、ために拝殿、奥殿の修復は急務とされていた。そこで関係者の協議により境外地を売却し、神社修理費の捻出をはかった。ちなみに、境外地は原堰六○三の一(原野)越里二二六(宅地)の二筆、三三三、一八平方米(宅地)及び保留地四五、九八平方米を併せ地積三七九、一六平方米である。かくて社殿及び社務所(県公民館)は関係各位の協力するところ今ここに装いを新たにし社殿の風姿を望み五穀豊穣町内安穏の祈りを捧げる。
 昭和五十七年八月吉日 之を誌す』
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 二の鳥居。
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 拝殿。
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 狛犬。
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 拝殿前の石畳に混ざって敷かれた石に「鯉里橋 治■■年十二月架設」と刻まれている。かつては路面電車が前橋駅から渋川駅までを結び、その停留所の一つに鯉里橋があったようであるから、それが廃止された後にその一部をこちらに移したものなのだろうか。
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 向拝に下げられた鈴には葵の御紋が入り、東照宮の文字も見える。何故こちらにあるのかはわからないけれど。
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 末社群。
 左から四天王堂、秋葉宮、摩多利神、水神宮、水神・火神・天祖参神、道祖神、八幡宮、不明x3。
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 三峯神社。
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 双体道祖神と道祖神。山神堂、石尊宮、不明。
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『鳥居之記
今上天皇陛下明治天皇陛下第三皇子也明治四十五年七月三十日踐祚
大正四年乙卯秋十一月十日擧御即位禮於紫宸殿皇位彌高皇運彌隆盛
今茲大正五年三月十日鎮守赤城神社陞格為村社於此乎神位愈顯著也
夫我青年會捧誠歡誠喜為奉永遠紀念即奉献御影石鳥居一基以祈國家
之益隆昌矣』
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岩神稲荷神社(昭和町三丁目)

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 群馬県道6号前橋箕郷線脇、群馬大学前郵便局の斜向かいに鎮座する岩神稲荷神社(前橋市昭和町3-29-11)。
『群馬縣管下上野國東群馬郡岩神村字岩南
 村社 稲荷神社 絹笠神社
一、祭神  倉稲魂命 木花咲耶姫命
一、由緒  旧領主酒井雅樂頭勧請、年月日不詳
      絹笠神社ハ十四年十一月十日仝村字河原町ヨリ合併』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
 元号は記されていなかったので、絹笠神社の合併がいつの十四年なのかわからないが、おそらく昭和十四年と思われる。
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 斜めから。
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 お狐さま。
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 本殿とその背後の飛石。
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 末社。
 道祖神には「左 高㟢 伊香保  右 沼田 白井」と刻まれている。道標でもあったのだろう。
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 稲荷神社。
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『国指定天然記念物 岩神の飛石
 所在地 前橋市昭和町三丁目29-11 岩神稲荷神社
 周囲が約60m、高さは地表に露出した部分だけで9.65m、さらに地表下に数mは埋もれているこの大きな岩は、「岩神の飛石」と呼ばれています。昔、石工がノミをあてたところ、血が流れ出したという伝説があります。岩は赤褐色の火山岩で、表面には縞のような構造も見えます。しかし大きさのそろった角ばった火山起源の岩や石が多い部分もあります。この岩は火口から溶岩として流れ出したものではなく、火口より噴出した高温の火山岩や火山灰などが冷えて固まってできたものと考えられます。
 この地点より約8km上流の坂東橋の近くの利根川ぞいの崖では、10万年以上も前に赤城山の山崩れでできた厚い地層の中に同じ岩が認められます。このことから、この岩は赤城火山の上半分が無くなるほどの大規模な山崩れに由来することがわかります。さて前橋の街の地下には、「前橋泥流」と呼ばれる地層が厚く堆積しています。これは約2万円前に浅間山で起こった山崩れが、水を含んで火山泥流に変化して流れてきてできた地層です。この地層の中にも、岩神の飛石と同じような石が多く含まれています。またここは火山泥流の堆積後、平安時代以前までの間に、利根川が流れていたところでもあります。
 これらのことから、この岩は現在の阪東橋のあたりに堆積していた地層の中から、約2万年前の火山泥流によりこの近くまで押し流されてきたものと思われます。さらにその後の利根川の洪水によって。今の場所まで運ばれてきたと考えられます。岩神の飛石は、私たちに前橋とその周辺の自然の歴史とその営みを教えてくれます』
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観民稲荷神社(岩神町二丁目)

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 前橋岩神郵便局の北70m程の位置に鎮座する観民稲荷神社(前橋市岩神町2-21)。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
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 大正十四年九月十九日造立のお狐さま。
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『観民稲荷神社の案内
●慶長六年(1601)酒井河内守重忠候が厩橋城主となった時城に水を曳きこむ風呂川の改修にあたって、その守護神として祭ったのが、この神社の始まりで以来酒井家累代の崇敬あつく、毎年御供米八斗二升の奉納があり寛永二年(1749)より松平大和守引き続いて崇敬ありて明治に至る。
●明治四十四年(1911)社殿が老朽化し建て替えする事となり、吾妻郡岩島村大字岩上にあった社殿を当時の金、金五十円にて買い受け、それを改修した総費用は壱千二十四円九十七銭で大正元年(1912)九月十八日に完成し、現在に至る。
●御祭神は含稲魂命で境内面積は六六六坪(約2,200平方メートル)
●主な年中行事は歳旦祭(一月)初午祭(二月)春祭(四月)秋本祭(九月)
●境内には厳島神社弁財天(福徳、知恵、財宝の神様)金比羅宮(交通安全の神様)秋葉神社(防火の神様)天満宮(学問の神様)水天宮(水防の神様)等の社がある。
●観民と言う地名は神社境内に酒井忠挙候が観民亭と言う別荘を造り御家中の遊興の場があったところからこの地域を観民と名付けられた。
●稲荷神社の稲荷は神様に稲の束を担って捧げたところから稲荷となったと言われ商売繁盛の神様として信仰されて居ります。全国で三万社位あり、その中心神社が京都伏見稲荷大社です』
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 社殿斜めから。
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 大勢至菩薩。側面に文政二己卯九月(1819)の文字が見える。
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 厳島神社弁財天。
『七福神の紅一点弁財天女を祭った社で琵琶を弾く豊満な美人神で、音楽、弁才、技芸、学問などの守護神であり又財産の運営管理に優れた神様でもあります』
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 水天宮。
『京都府の貴船神社が大社で祭神は闇御津羽神で疾病を防ぎ水難から身を守る神として知られています。
 明治二十七年に観民稲荷神社境内に建立され、利根川に関わる水難の防止と、又生活用水としての水の有り難さに感謝の念を捧げるために祭ったものです』
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 金刀比羅宮。
『祭神は大物主神(大国主命)と後に合祀された崇徳天皇です。総本山は四国讃岐の国、象頭山の中腹に鎮座する金刀比羅宮です。昔は海上航海安全の神様として祭られていたが近年交通事情の変化により一般に交通安全の神様として広く崇拝されている』
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 秋葉神社。
『祭神は火之迦具土神で鉱山、粘土、灌漑、用水など農耕工業の発達を促した神であり、鉱業、製鉄、農機具包丁などの刃物や陶磁器製造などの守護神となり特にそれらに関わる火の扱いについては優れ火防の神様として知られています』
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 天満宮。
『祭神は菅原道真公で学問の神様として良く知られております。受験生はこの天満宮にお参りすると念願が叶うと有名で、受験期にはお参りする人が多数居ります』
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 狛犬。
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 石祠、猿田彦大神、「長翁壽天禅定門 妙秋禅定尼」という戒名の刻まれた石碑。
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 西の鳥居。

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 観民稲荷神社の北120m程の位置にある、静御前の墓と伝えられる祠(岩神町2-20)。
 前橋まるごとガイドにその言い伝えが記されているが、前橋市にはこちら以外にも、三河町一丁目にある法華宗世久山養行寺に静御前の墓とされる五輪塔があるのだそうだ。
 久喜市栗橋にも静御前の墓があったが、義経や静御前にまつわる話はあちこちにあるものだなぁ。

水神宮(大手町三丁目)

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 前橋公園の中、臨江閣南側の池の畔に鎮座する水神宮(前橋市大手町3-15)。
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 詳細は不明。
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 以上で2月16日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA20-40mm、DA15mm、DA70mm。
 この後はけやきウォーク前橋内のユナイテッド・シネマに行き、「劇場版 蒼き鋼のアルペジオ ‐アルス・ノヴァ‐ DC」を見てから帰宅。来場者特典のミニ色紙はマヤだった。できればヒュウガが欲しかったのだが、ランダムだからまぁしょうがない。

雷電神社(平和町一丁目)

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 平和町一丁目・二丁目交差点の東、平和町公民館に隣接して鎮座する雷電神社(前橋市平和町1-8-1)。
『群馬縣管下上野國前橋市向町八拾壱番地
 無格社 雷電神社
一、祭神 火雷命
一、由緒 慶應元年勧請、明治十年再興ス、當所年々雷火ノ為メ人民盡ク難渋ニ及フヲ以
    テ當國邑樂郡板倉村雷電神社ヨリ分靈ヲ迁祭、以来近隣雷災コレナク故ニ一同崇
    敬ス、明治三十二年二月二十四日許可當町三十七番地ヨリ移轉ス
     大正九年十月二十九日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進神社
    トシテ指定セラル
一、境内末社
 三峯神社  祭神 伊弉諾命 伊弉冊命』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 拝殿正面。
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 狛犬。
 面白い形をしているのだが、残念なことに金網で囲まれていて見づらい。
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 拝殿斜めから。
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 本殿。
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 末社。
 左の石祠の額には三峯神社、右の石祠の額には正一位二荒神と刻まれている。
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 猿田彦大神。

尺司神社(昭和町一丁目)

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 琴平神社から300m程西へ向かうと、住宅地の中にひっそりと鎮座する尺司神社(前橋市昭和町1-4-13)。
 上野国神社明細帳にこちらの記述は見当たらなかったので詳細不明。社名から見て塞神の系統だろうと思うのだけど、位置的に微妙だなぁ。
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 若宮八幡宮と庚申塔。

琴平神社(国領町一丁目)

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 国道17号線住吉町交番前交差点の北西に鎮座する琴平神社(前橋市国領町1-1-18)。
『群馬縣管下上野國東群馬郡國領町
 村社 琴平宮
一、祭神  大物主命 大山祇命
一、由緒  不詳
一、境内末社 三社
 稲荷神社  祭神 倉稲魂命
 淡島神社  祭神 伊邪那岐命 伊邪那美命
 八坂神社  祭神 素佐之男命』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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『国領町琴平宮の歴史
 祭神  大物主神 大山祇神
 創建年月は不明である古くは金刀比羅宮と書き金毘羅、金比羅大権現と称した。
 慶長六年(1601)に徳川家康の命令で酒井河内守重忠が川越城主から厩橋城主に代った時、当社に家臣をつかわして着城奉告祭を行ない以後酒井氏が代々崇敬してきた神社である。
 徳川家綱が征夷大将軍に任ぜられた時、厩橋城主酒井忠清(四代城主 大老下馬将軍といわれた)が家綱に代り京都の朝廷へお礼に出向いた折り、道中の安全祈願をして大任を果たした。帰城後六歌仙の額を献じて奉賽祭(お礼参り)を行なっている。慶安四年八月(1651)のことである。
 その後寛延二年(1749)に、松平大和守某が姫路から厩橋城主として移ってきた時も着城奉告祭を行ない前の酒井氏と同様に篤く崇敬した。
 また当社は庶民の信仰を集め旅立ちにあたり道中無事を祈願する人が多く、文化文政の頃(1804~1830)は広瀬川の舟の往来が盛んで沿岸住民からの奉額等がずいぶんあったようである。
 文化八年(1811)には手水舎と鉢の寄進。文政十二年(1829)と天保三年(1832)にはそれぞれ立派な燈籠が一対ずつ奉納されている。
 天保十一年六月(1840)には、社殿お建て替えがなされた。当時の世話人は、島田専兵衛、井下清七他十名の前橋の名主たちであった。
 当社が道中安全旅の神様として人々から信仰され隆盛であったのは文化・文政・天保・弘化の頃(1804~1847)で毎月九・十両日特に十月の大祭には参拝の人々が列を作り広瀬川にかかる厩橋を経て細ヶ沢かた当社に通ずる道筋は露天商が連なり遠くは利根・吾妻・新田・佐波・多野・甘楽にわたる広い地域からも集り境内には小屋掛け舞台を設けて諸芸を演じ、一隅の土俵では、氏子連の奉納角力があり近郷近在きっての、にぎやかなものであったという。
 規模こそ壮大ではなかったが、長い歴史と共に生きてきた大木に囲まれて、人々に親しまれ静かな憩いの場であった琴平宮は、太平洋戦争中昭和二十年八月五日前橋大空襲の折りに社殿やゆかりの品々と共に焼失し、往時をしのぶよすがとてないのは、まことに惜しまれる。
 現社殿は昭和三十三年建立。境内は区画整理の為およそ三分ノ一の広さに縮小された。境内には二社があったが、現存するのは、稲荷神社(百十年前に川越町奉行所内から移築)のみで他は定かでない(淡島神社もあった)
 昭和四十九年十月』
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 拝殿。
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 本殿。
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 正一位北野稲荷大明神。
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 彫刻が施されているが、なんだこれ。
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 二十二夜供養塔、庚申塔、猿田毘古命。
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 国道17号線に面して建てられた社号標石。

寄居稲荷神社(若宮町一丁目)

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 ベイシア文化ホールの北側に鎮座する寄居稲荷神社(前橋市若宮町1-19-5)。
『群馬縣管下上野國東群馬郡清王寺村字寄居
 無格社 稲荷神社
一、祭神 倉稲魂命
一、由緒 不詳』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 拝殿。
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 お狐さま。

愛宕神社(住吉町二丁目)

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 熊野神社からほぼ真北に240m程、あたご公園内に鎮座する愛宕神社(前橋市住吉町2-5-22)。
『群馬縣管下上野國東群馬郡前橋小栁町
 村社 愛宕神社
一、祭神 火産霊命 譽田別尊 伊弉冊命 菅原道真公 伊弉諾命 倉稲魂命 大山祇命
一、由緒 寛永七庚午年勧請、元禄十五年壬午旧城主酒井忠舉再建
     明治四十二年三月二十五日許可、仝市市ノ坪村村社稲荷神社、仝境内末社一社
    及本社境内末社八幡宮、三峯神社、稲荷神社、菅原神社を合併、村社愛宕神社ト
    改稱セリ
     明治四十四年十月三十一日 幣饌料供進指定
一、境内末社
 松尾神社  祭神 大山咋神
       由緒 不詳
 八幡宮   祭神 譽田別尊
       由緒 不詳。明治四十二年三月二十五日許可本社へ合併
 三峯神社  祭神 伊弉諾命 伊弉冊命
       由緒 不詳。明治四十二年三月二十五日許可本社へ合併
 稲荷神社  祭神 倉稲魂命
       由緒 不詳。明治四十二年三月二十五日許可本社へ合併
 菅原神社  祭神 菅原道真公
       由緒 不詳。明治四十二年三月二十五日許可本社へ合併』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 参道。
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 拝殿。
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 狛犬。
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『愛宕神社
 寛永7年(1630)京都府亀岡市の愛宕神社から分社。鬼門除け、火伏せの神として信仰の厚い「火産霊命」を祭神とします。
 本地仏には、「勝軍地蔵」を祀り戦勝、災難、魔除けの神として今日まで広く信仰されています。
 正保2年(1645)広瀬川の河畔に「廣瀬河岸」が開設され、神社は江戸を結ぶ水運の守り神として崇拝されました。
 元禄15年(1702)神社は五代前橋藩主 酒井忠挙(さかいただたか)により再建され、文政2年(1819)に改修されました。以後昭和五十二年(1977)に再築し今日に至ります。
 祭礼は3月24日、9月24日に行います』
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 左から庚申塔。寛政元己酉年(1789)九月造立の馬頭観音…じゃなくて大日如来かなこれ。宝暦三癸酉年(1753)三月十六日造立の……なんだろう、杯のようなものを持つ仏像ってなんだっけかな。
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『「柳座」跡地
 明治初年、ここに愛宕座という芝居小屋が建設されました。その後は野中倉吉が経営を引き継ぎ、明治36年「柳座」と改名されました。
 明治から昭和初期にかけて、前橋市民の娯楽や文化の殿堂として親しまれましたが、昭和18年7月14日の火災で幕を閉じました。
 「柳座」における主な興行は次のとおりです。

明治43年10月17日 早稲田大学の創始者で、総理大臣を歴任した大隈重信が講演を
           行いました。
大正 5年 5月23日 松井須磨子、澤田正二郎によるトルストイ原作の「復活」が上
           演されました。
大正 9年 9月 9日 初代中村鴈治郎が一門120名を連れて歌舞伎の公演を行いま
           した。
昭和 4年 6月23日 竹久夢二、西条八十、直木三十五らを招き「漫談と音楽の會」
           を開催。夢二が作詞した「宵待草」が披露されました』

熊野神社(千代田町三丁目)

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 群馬県道3号線通称立川大通りに面して熊野神社(前橋市千代田町3-8)の鳥居が建てられている。
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『熊野神社
熊野神社は、天照大神の弟。素戔嗚尊をお祀りし、大願成就の神として古くから信仰されてきました。
出雲国八束熊野より分社されたと伝えられていますが、その歴史は定かでありません。
この地域一帯は「熊野の杜」と云われ、うっそうとした木立ちにつつまれた神域でありました。
江戸時代以降は町の発展と共に現在のような鎮守としての神社になったと考えられます。
熊野神社に願をかけると必ず成就すると、厚い信仰を集め「恩熊野様」と唱えて崇拝しました。
これが子供たちには「おくまんさま」と聞こえたのでしょう、以後、当熊野神社は「おくまんさま」と称せられ親しみ愛されています。
今日も「おくまんさま」は世の中の平和と人々の幸せを願いつつ鎮座しています。

 三ツ足 八咫烏石
三ツ足八咫烏石は、熊野神社境内東側にあります。
熊野神社の神使である八咫烏は開運をもたらす、三本足の烏で平成四年の台風により奥の院が崩壊し氏子の総意によりいち早く修復をいたした折基礎石の中に、三ツの足跡のある石を発見開運の証しとして、お祀りいたしました。

 笠欠け 三猿塔
笠欠け三猿塔は、熊野神社社殿右側にあります。
江戸時代に奉納されたと推測されます。
奉納時には、笠を被っていましたが先の戦争(太平洋戦争)で空襲に遭い、爆風により上部を失いました。
戦火を避け神社境内に集った人々を身をもって守ったと、伝えられています』
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 鳥居と狛犬。
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 参道左手側に猿田彦大神。
『猿田彦大神は「道しるべ」の神であり道祖神として道の端などに祀られる。
この碑の裏面には昭和二十年八月と記され前橋大空襲(8月5日)直後に建立されている。
焼け野原になった市街地で失意の中いち早く希望の「道しるべ」にすべく熊野神社の氏子により祀られた。
私達は、どんな苦境にも希望を失わない強い心で毎日を生きたいものである』
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 社号標石の裏には『太平洋戦争終戦六十年を記念し戦火によって焼失した御神門を世界の平和を祈り再建する』と刻まれている。
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 拝殿斜めから。
『群馬縣管下上野國東群馬郡前𣘺立川町
 村社 熊野神社
一、祭神 櫛御氣野命 誉田別命 大屋津比賣命 思兼命 五十猛命
一、由緒 不詳。明治四十一年四月三十日許可、仝市萩村字若宮村社八幡宮、仝境内末社
    一社ヲ合併、仝時ニ村社幡野神社と改称、氏子百五十五戸ト更正
一、境内末社 三社
 稲荷神社   祭神 宇迦之御魂神
 三峯神社   祭神 伊邪那岐命 伊邪那美命
 大山祇神社  祭神 大山津見神』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 社殿東から。
 西側から見ると拝殿西壁面に八咫烏御影石が嵌め込まれているそうなのだが、気付かなかった。御影石のすぐ脇に設置された案内板は見ていたのに、なんで見落とすかな○刀乙
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IMGS6309s.jpgIMGS6311s_20150219004825fc8.jpg
『笠欠け 三猿塔
「見ざる、聞かざる、言わざる」でお馴染みの三猿は、物事を軽率にとらえず大切な事は心にしまう謙虚な気持ちで、日々過ごしましょうと言う戒めを三匹の猿に託した物と言われています。
この三猿塔は、地域の人々の融和を図るため熊野神社に奉納されたものと考えられます。後部に記された奉納者名は定かではありませんが、江戸時代に寄進されたものと思われます。
太平洋戦争末期の昭和二十年八月五日アメリカ軍B二九爆撃機による前橋大空襲により塔の上部を欠損するも戦火を逃れて熊野神社に集った人々を身をもって守った塔として、護身、開運のご利益ありと信仰されています。
平和を祈りつつ、おまいり下さい』
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『熊野神社 八咫烏石 縁起
 熊野神社は、天照大神の弟、素戔嗚尊を祀りし、古くから開運の祭神として信仰されてきました。
 先の戦争(太平洋戦争)において社は焼失するも氏子の熱意によりいち早く再建を果たしました。しかし、長い年月が経過し社は老朽し、平成四年の台風により奥の院が崩壊してしまったのを機に社の大修復を行いました。
 戦争の砲火によって傷んだ基礎の一部を改修していたおり、いとも不思議な礎石を発見し宮大工が手拭で拭き清めると何と三つの烏の足跡がくっきりと刻み付けられているではありませんか。この出来事に立ち会った宮司は、熊野神社では古くから三本足の烏が神の使者としてお祀りされており大酉祭「お酉さま」と称され商売繁盛、五穀豊穣、大願成就のお祭りを行い毎年多くの参拝者を集めているので、これを期に清めた衣でこの礎石に願い事を託す。
「御神■」の行事をもって参拝者の大願を成就せられるよう祈願しました』
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 石の上部に確かに烏の爪跡のような窪みが見える。
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 本殿裏に庚申塔。
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 三峯神社。

諏訪若御子神社(城東町二丁目)

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 諏訪会館の隣、群馬県道3号前橋大間々桐生線に面して鎮座する諏訪若御子神社(前橋市城東町2-8-15)。
『群馬縣管下上野國東群馬郡前橋諏訪町
 村社 諏訪若御子神社
 若御子ノ三字明治廿六年五月四日追加許可
 明治三十九年十二月廿八日 幣饌料供進指定
一、祭神 建御名方命
一、由緒 文明十二年笠間明玄入道厩𣘺築城ノ際當國西群馬郡ニ鎖坐諏訪若御子神社東群
    馬郡前𣘺一毛村ニ遷祭、地名字諏訪町ト改称、朱雀宮南方大神ト崇敬シ今勢多郡
    ニ属シ前𣘺諏訪町ト云、旧城主代々崇敬ノ社ナリ
一、境内末社 四社
 御嶽神社  祭神 天櫛真智命
          大己貴命、少彦名命、豊受姫命、廣國押武金日天皇、日本武命
 菅原神社  祭神 菅原道真公
 稲荷神社  祭神 倉稲魂命
 国造神社  祭神 豊城入彦命』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
 諏訪若御子神社と言う名なので、建御名方命の御子神を祀っているのかと思ったら違った。建御名方命の子は二十二柱いるそうで、その中にはよく似た名前の建御名方彦神別命と言う神がおられるが、これと混同していると言う事は……無いか。若御子の名が付いたのは明治二十六年になってからだそうだし。と言うかそもそもどういう経緯で出て来たんだこの三文字。
 文明十二年は1480年で、室町幕府第九代将軍足利義尚の時代。
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 鳥居と昭和三年四月造立の狛犬。
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 拝殿正面。
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 斜めから。
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 本殿。
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 2月23日追記。
 前橋市史に以下の記述があったので抜粋。
『「上野国神名帳」の「群馬郡之内西郡之分」に、「従三位諏訪若御子明神」が見えている。そのほかには諏訪神の名は載っていない。上野以外の国に鎮座の神々の名の記載されているのは、碓氷郡に鹿島明神をはじめ二十八に及んでいるが、このうち群馬東郡に丹生明神、物部明神、伊勢明神、息津宮明神、群馬西郡に大奈智明神、小奈智明神、尾張明神、諏訪若御子明神、息津宮明神、鹿島明神、胷形明神、南宮若御子明神、香取若御子明神、勢多郡に鳥取明神、等がある。これらは氏族または部族によって持って来られたもの、あるいは信仰によって分祀されたものであろうが、諏訪、南宮、香取は特に若御子明神となっていて、いずれも群馬西部に属している。上野國内の神社名に若御子明神をつけたものも、抜鉾若御子、車持若御子、榛名若御子、倭文若御子、白羅根若御子、赤城若御子等が記載されている。ただし、伊香保榛名及び赤城若御子が勢多郡に、抜鉾若御子が甘楽郡に、貫前若御子が邑楽郡にある。都合、抜鉾、貫前関係が三社、赤城と榛名が各二社、他は一社ずつである。この抜鉾・貫前の若御子二社が甘楽、邑楽両郡にある意味ははっきりしないが、上野国内各社の若御子社が群馬西郡に集っていることは行政上の関係からではなかろうか。つまり、本社から独立した一社ではなくて、国府付近へのいわば出先機関ではなかろうか。このことからみると、南宮明神は美濃国、諏訪明神は信濃国の筆頭の神社であり、東山道の名社である。香取明神は南関東のうちでの東海道の名社である。それぞれの若御子神は連絡機関としての機能をもっていたのではなかろうか。
 城東町二丁目、旧諏訪町の諏訪若御子神社は文明年間の勧請と伝えられ、当時同地は旧利根川の流路であり、その流路の一洲上に祀られたものとされていた。この地が「上野国神名帳」の「群馬郡之内西郡」に属していたかどうかは不明だが、「上野国神名帳」で群馬西郡の分として列記されてあるものに駒形明神、学校院若御子明神、横手明神、田口明神、大島明神等現在の地形で考えると当然東郡に入れられるべき神名が西郡になっていう。これらを考えると諏訪若御子明神の「西郡」は現在地を指しているように思われる。また同社には境内社として国造神社(祭神豊城入彦命)が祀られており、同社の社伝によると西群馬郡に鎮座していた同社を遷し、地名を諏訪にしたとなっている。この「西部」とう点に多少の疑問はあるが、いずれにしても同社が「上野国神名帳」の「諏訪若御子明神」に合致するようである』

『「学校院若御子明神」とは、どういう神であるか明らかではない。学校院が存在していたことは明らかであるが、それが廃退して、後にこの名の神社が存在していたことになる。あるいは文廟を神社としたものではなかろうか。ただし、「若御子」ということがはっきりしない。「若御子」というのは、国帳によると、貫前、抜鉾、赤城、伊香保、榛名、火雷等の国内及び香取、南宮等の国外諸名社の名を冠したもので、群馬郡及び近郡に多く認められる。従って、これは国府または国司と特別な関係にあったものであろう』

萱町出世稲荷神社(千代田町五丁目)

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 中央前橋駅の北西150m程の位置に鎮座する萱町出世稲荷神社(前橋市千代田町5-15-8)。
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『萱町出世稲荷神社の由来
御祭神 宇迦之御魂命
由来の沿革
京都伏見稲荷大社の御分霊を奉斉した社で神社明網帳には稲荷神社と記載されているが古来出世稲荷神社と謂う
前橋城築城の際、鎮護の為に勧請せりと謂う
古記録には萱町鎮守とされているが、この辺が萱原地帯の頃、既に鎮守されたものと思う
旧幕時代前橋藩士の信仰厚く時の寺社奉行は石燈籠を献納し当社を信仰した
武士町人の多くが非常に出身出世をしたので出世稲荷と謂う
御祭日 春季 四月十四、十五日
    秋季 十月十四、十五日』
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 拝殿。
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 お狐さま。
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上志柄天満宮(羽附町)

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 群馬県道372号線花山入口交差点の東270m程の位置に鎮座する上志柄天満宮(館林市羽附町1784)。
 駐車スペースは無いので、240m程東にある上志柄集会所に駐車。
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 鳥居と社殿。
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『上志柄・天満宮由緒(森田勇氏所蔵文書より)
抑、上志柄天満宮は、元和元年(1615)今成丑之丞なる者、大阪の陣に徳川方として出陣する。母は息子の無事帰還の節は、天満宮一宇を建立すべしと、松原村に祭るを始めとする。
その後、上志柄・大袋地内に、鎮守の無きことを嘆き、松原村世話人に懇願したところ、社地は羽附分に願いたしとのことにて、相談の上延宝年間(1673~1680)大袋地内に祭るなり。
以来、幾多の変遷を経て、大正初期に富士嶽神社に合祀せられ、空宮になった堂宇は、損傷が甚だしい為、取り壊すことになる。
建築資材は普済寺に預け置かれたが、腐朽の虞れがあり、これを見兼ねた、当地森田幸助氏は尊崇の念厚く、自費を投じ屋敷内に天満宮を建立し、戦後間もなく富士嶽神社より再勧請せり。
実に上志柄天満宮の初めなり。
昭和六十年十月新築再建立する。
 神主 菅原道真公
 例祭 一月二十五日
    十月二十五日』
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 旧社殿。
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 天満宮の20m程北に富士塚らしきものがある。
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 天満宮の東側にあるアパートの駐車場端に立てかけられた猿田彦大神。根元がぽきっと逝ってしまっている。

 以上で2月7日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA20-40mmとDA15mm。X30。
 この後は市役所隣の図書館に行って館林の神社について調べてみたのだが、今回巡った場所に関しては記述が少なく、あまりわからなかった。また後で前橋の文書館に行って神社明細帳でも調べて来ようかな。

子神社(赤生田町)

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 国道354号線赤生田交差点の南100m程の位置に鎮座する子神社(館林市赤生田町2215)。
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 狛犬。
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 狛犬二号。
 いや、こっちの方が古いからこっちが一号か?
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 拝殿正面。
 こちらの絵馬は一風変わっており、金の草鞋になっている。
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 向拝虹梁には鼠(子)の彫刻。
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 金の草鞋……かな。履くとダメージを受けそうな見た目だけど。
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 社殿斜めから。
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『子神社
通称(子ノ権現様)の由来記
一、鎮座地 群馬県館林市赤生田町二二一五番地
一、御祭神  大己貴命(大穴牟遅命)
一、祭 儀  例大祭    三月十五日
       祈年祭 春祭 二月下旬
       新嘗祭 秋祭 十一月下旬
一、鎮座由来 創建不詳。子神社は明治初年神仏分離後の名称で一般には「子ノ権現様」
      の名で知られている。現在の社殿は明治二年(一八六九)に改築をされたも
      の。伝説に依れば御祭神大己貴命は非常に旅好きの神様でそして大変な健脚
      の持主で鉄の草鞋をはいて旅をしたと言伝えられております。それにあやか
      ってか何百年も前から鍛冶屋で草鞋作り又手作りの草鞋にて祈願を致してお
      ります。大祭日には氏子を始め遠近の崇敬者諸々の信仰厚く門前境内は参拝
      者にて列をなします。花火奉納神楽余興等行われ数多くの露店も並び祭に華
      を添えております。足腰の神様として近郷近在にない御利益のある神様で関
      東各地より参拝祈願される者多く又大願成就御礼の額に収め奉納されており
      ます。
       御参拝方々の御健勝と御健脚を祈念申し上げます』
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 稲荷神社鳥居。
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 稲荷神社。
『稲荷大明神建立由来記
 現在の館林市赤生田町二二一五番地にある稲荷大明神祠は享保十六年(1731)に長谷川源兵衛殿が発願造立した記録がある。今から二百五十六年以前である。其の後の事は別記の通りである。
一、石燈篭石洗文字寛延二巳三月(1749)
  今より二百三十八年前中島小右衛門奉納
二、宝暦第四歳次甲戌(1754)赤生田内志柄氏子中奉再営稲荷大明神組内氏子各願圓満祈
 処二月初吉祥日別當養老山住尊宣
  今より二百三十二年前
三、山城國紀伊郡京都伏見稲荷大明神より分社
  当所中島小右衛門殿今より二百三十二年前
四、奉再建正一位稲荷大明神 惣氏子
  文久四年(1864) 今より百二十三年前
五、奉再建 昭和六十二年二月吉日(1987)』
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 十九夜堂。
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 如意輪観音と青面金剛。
 こちらの青面金剛は合掌、弓矢、日月のタイプ。貞享三丙寅年(1686)八月吉日とある。

八坂神社(羽附町)

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 羽附交差点の北東、本宿集会所の東隣に鎮座する八坂神社(館林市羽附町679)。
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 拝殿。
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 大日如来。
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 集会所の横にお堂らしき建物があるが、何を祀ったお堂なのかは不明。

大山祇神社(赤生田町)

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 国道354号線東国歴史文化街道と群馬県道362号山王赤生田線が交わる羽附交差点の南側に鎮座する大山祇神社(館林市赤生田町)。
 隣接する山田集会所前に一台分の駐車スペ-スあり。
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 拝殿。
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 地蔵尊と辨財天。
 地蔵尊は享保十六辛亥(1731)八月造立、文化六己巳(1809)八月再建と刻まれている。
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 末社と山田監物之碑。
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 西から。

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 県道362号線を挟んで南西に富士塚。
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 石祠の額には富士山の文字が、また左の石祠には枎桑教の文字が見える。
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 青面金剛と神武天皇。
 青面金剛が手にしているものはショケラ、弓、宝輪、三叉戟、矢、宝剣……の筈なのだが、三叉戟と言うよりも十字架のように見えるなコレ。側面には天明の文字が見えるが、その下はちょっと読み取り難い。
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 小御嶽神社。

笠置神社(明和町上江黒)

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 群馬県道304号今泉館林線脇、株式会社ジコーテック前に鎮座する笠置神社(明和町上江黒339)。
 加須市や古河市などに行く際によくこの前を通り気になっていたのだが、今回ようやく参拝。駐車スペースは無いので、北西の交差点脇にある退避エリアに駐車してささっとな。
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 額には笠置大明神と記されている。
 明和村誌にこちらの神社の記述は見当たらなかったので詳細は不明だが、岐阜県にある笠置神社は伊弉諾尊、伊弉冉尊、天児屋根命、火産霊神、水分神、誉田別命を御祭神としているそうなので、こちらもそうなのだろうか。

 2月23日追記。
 上野国神社明細帳によれば、こちらの御祭神は経津主命となっている。邑楽郡江黒村字笠置にあるので笠置神社と言う名になっているようだ。また、明治四十一年一月二十九日に下江黒の長良神社に合祀されたとのこと。

大林稲荷神社(赤生田本町)

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 東洋水産関東工場の北300m程、大林集会所に隣接して鎮座する大林稲荷神社(館林市赤生田本町)。
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 お狐さま。
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 拝殿だけの写真を撮っておくのを忘れた○刀乙。

駒方神社(上赤生田町)

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 東洋水産関東工場の北西400m程の位置に鎮座する駒方神社(館林市上赤生田町3526)。
 御祭神は保食命。創建時期等の詳細は不明。
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 拝殿。
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 年中行事の貼紙。
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 狛犬。
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 稲荷神社と八坂神社、菅原神社。
 稲荷神社がなにやらすんごい状態に……。
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 富士塚かと思ったら石祠の額に御嶽山とあったので、こちらは御嶽塚なのだろう。
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 道を挟んで北側に鎮座する……なんだろ。碑には養蠺眞道弘大霊神とあったから、蚕影神社かどうかはわからないけど、蚕の神様なのかな。
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 養蠺眞道弘大霊神と天照皇大神。
 どちらにも「故神道唯一分教會長中教正山田極」の名が刻まれている。
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熊野神社(堀工町)

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 茂林寺公園の東、堀工会館に隣接して鎮座ずる熊野神社(館林市堀工町734)。
 御祭神は伊弉諾尊、伊弉冉尊、大日孁命、倉稲魂命。慶長年間(1596~1615)の創建と伝えられるとのこと。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
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 斜めから。
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 境内南東端に八坂神社。
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 末社。稲荷社だろうか。
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 庚申塔と二十三夜塔。

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 熊野神社の南150m程の位置に鎮座する祠。何神社なのかは不明。
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 その脇には明八幡宮。側面には大正七年(1918)三月吉日と刻まれている。

根本山神社(堀工町)

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 東武伊勢崎線茂林寺前駅と曹洞宗青龍山茂林寺の中間辺りに鎮座する根本山神社(館林市堀工町)。
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 ぐるぐる巻きの鎖が奉納されているけど、どんな意味があるんだろうコレ。
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金福稲荷神社(南千住五丁目)

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 南千住駅の北西およそ300m程、浄土宗真覚山菩提院西光寺の東に鎮座する金福稲荷神社(南千住5-16)。
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『金福稲荷神社縁起
 当金福稲荷神社は、文化七年(1810)江戸時代の史家林大学頭編纂による「新編武蔵風土記稿」中に、この近一体は往昔「武蔵国中村」と称せられ、今から凡そ六百年前の貞和五年(1349)足利時代に現西光寺境内地に「金子福寿稲荷」として創建されたものと記録され、その後、天文年間に西光寺が建立され、この金福稲荷が由緒ある霊験あらたかな神として地元の崇敬の中心となっておりました。かかる由緒深い稲荷神社が戦災後信仰深い有志の方々により昭和三十二年(1957)二月に西光寺境内に再建復元され、この度現在地に遷座いたし、益々地元の福祉と発展の守護神としてお祀りした次第であります。
 昭和五十三年四月記』
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 以上で1月31日参拝分終了。
 使用機材はFUJIFILM X30とFinePix AX300。
 先月は珍しく仕事が忙しかったので、神社巡りが出来たのは最終日の31日だけ。今月はさすがに休日出勤するほど忙しくはならないようなので、神社巡りもいつものようにできるだろう。

日枝神社(南千住七丁目)

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 隅田川の南岸に鎮座する日枝神社(南千住7-23-17)。
 こちらも門が閉じられていて境内に入ることはできない。
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『山王清兵衛(日枝神社)
 日枝神社は、江戸時代山王社とよばれた旧中村町(千住宿)の鎮守であり、正和五年(1316)に建てられたと伝える。
 この社の入口にあたる旧砂尾堤土手北端に歯神清兵衛を祀った小祠がある。いずれかの藩士清兵衛が虫歯の痛みに耐えかねてこの地で切腹し、遺言によってその霊を祀ったという。俗に山王清兵衛とよばれ、歯痛に悩む者が祈願して効き目があれば、錨をくわえた女性の絵馬を奉納する慣わしで、千住の歯神として有名であった』
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 社殿。
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 日枝神社のおよそ100m程南、くすりの福太郎南千住七丁目店前の交差点脇に鎮座するこちらが歯神清兵衛を祀った祠なのだろう。

素盞雄神社(南千住六丁目)

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 日光街道脇に鎮座する素盞雄神社(南千住6-60-1)。公式サイトもあり。
 御祭神は素盞雄大神と飛鳥大神(事代主命)であるそうだが、鳥居脇の掲示板には素盞雄命・事代主命・大己貴命の三柱の名が記されていた。
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 狛犬。
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 拝殿。
 境内案内によれば拝殿の西側に末社三社(福徳稲荷神社、菅原神社、稲荷神社)がある筈なのだが、パイプテントが張られていて見えなかった。
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 獅子山と狛犬。
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 浅間神社の鳥居。
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 富士塚の頂あたりに見える石祠が浅間神社だろうか。中腹には小御嶽石尊大権現。
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 瑞光石。
 ズイコーと聞くとオリンパスのレンズを思い出してしまうが、あれも瑞光から命名したものだしなっと。
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『瑞光石
 瑞光石は、素盞雄神社の祭神が翁に姿をかえて降臨した奇岩といわれ、「瑞光荊石」とも称される。また、この塚を「古塚」と呼んだことから、小塚原の地名の由来をこれにもとめる説もある。
 嘉永四年(1851)には周囲に玉垣を築き、元治元年(1864)には浅間神社を祀った。
 万延元年(1860)に編纂された「江戸近郊道しるべ」には、千住大橋架橋の際、この石の根が荒川(現隅田川)まで延びていたため、橋脚がうちこめなかったという伝承を紹介している』
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 狛犬。
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 庚申塔三基。
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 森昌庵追慕碑と松尾芭蕉碑。
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 日光街道側に建てられた東の鳥居。
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『素盞雄神社
 小塚原・三の輪・下谷通新町・三河島・町屋など、区内で最も広い地域を氏子圏とする鎮守で、「てんのうさま」とも呼ばれる。
 石を神として尊崇する信仰は全国各地にみられるもので、当社も石神信仰に基く縁起を有する。延暦十四年(795)、荊石が微妙な光を放ち、その光のうちに翁の姿をした二神(素盞雄命・事代主命)が現れて神託を告げたという。そのためその石は「瑞光石」と呼ばれ、出現した二神を祭神として祀る。
 宝暦年間(1751~64)頃まで行われていたという千住大橋綱曳は、その年の吉凶を占う当社の神事で、「東都歳時記」(天保九年)にその勇壮な様が描かれている』
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 南千住図書館側に立てられた西の鳥居。
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 南千住図書館前に復元された橋本左内の墓旧套堂。
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若宮八幡宮(南千住六丁目)

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 若宮八幡児童遊園の端に鎮座する若宮八幡宮(南千住6-35-8)。
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『若宮八幡神社と八幡太郎義家伝説
 若宮八幡の名のとおり仁徳天皇を祭神とする。平安時代、奥州攻めに向かう八幡太郎義家(源義家)が、荒川の「渡裸川の渡し」を渡る際、目印に白幡を立てたとも伝える。足立区千住仲町の白幡八幡は、この白幡が納められた神社という言い伝えを持ち、この付近が古くから渡河地点であったことを推測させる。
 婦人の病に効験があるとされ、祈願して治った時には二股大根を描いた絵馬を奉納するという。近隣の崇敬を受け、平成十四年に社殿の新造営が行われた』
 ……うん? 白幡八幡宮は千住仲町ではなく千住宮元町では? と思ったが、ググってみたら元和二年(1615)から明治四十一年(1908)までは千住仲町の氷川神社に合祀されていたようだ。
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 狛犬。
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 拝殿。
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 向拝虹梁の彫刻。
 経本を読む女性と武人と多頭の龍……これ、奇稲田姫を守って八岐大蛇と戦う素盞嗚尊かな。なんでここに?
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 虹梁の横には邪鬼の彫刻。
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 斜めから。
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 地図を見ると、ここから北西に向かって行くと荒川自然公園のそばに鹽竈神社があるのだが、ストリートビューで確認したら、あ、ダメだこれ。そこにある会社の守護神かなにかだ。と言う事でそちらはパス。
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