北袋天神社(大宮区北袋一丁目)

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 さいたま新都心駅東口から400m程東に鎮座する北袋天神社(さいたま市大宮区北袋町1-183)。
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『北袋天神社
所在地 さいたま市大宮区北袋町一丁目一八三番
「学問の神」として知られる、菅原道真公祭神とする北袋天神社が安政二年(1855)この地に建てられました。
境内に入ると、左側に「疫病を防ぐ神」として知られる、牛頭天王(素戔嗚尊)を祭神とする天王神社があります。
右側は大正時代初期、同じ町内より移された「安産・火難消除・農業守護の大変美しい女神」木花開耶姫命を祭神とする、浅間神社があり三柱の神が合祀されている神社です』
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 拝殿と神楽殿を兼ねているのだろうか。
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 鞘殿。
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 天王社と浅間社。
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 念仏塔と小御嶽石尊大権現。

 以上で3月21日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA20-40mmとDA15mm、50-150mm II。
 この後は大宮駅西口のトミックスワールドで全国鉄道むすめ巡り2015限定グッズを購入。大宮駅開業130周年記念イベントとやらで駅周辺には出店が並び、鐘塚公園は人も多かったが、それ以外の場所ではまぁまぁ?
 この日の歩数は19,134歩。思ったよりも多かったが、歩いたルートを地図で追ってみると大体10kmくらいは歩いていた。
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足立神社(浦和区上木崎五丁目)

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 与野駅の北東800m程の位置、上木崎足立神社公園の南側に鎮座する足立神社(さいたま市浦和区上木崎5-11-1)。
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 二の鳥居。
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 三の鳥居。
 角鳥居の柱と玉垣が合体した少し珍しい形をしている。
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『足立神社
当社は開化天皇御代創立延喜式内足立神社と口碑に伝称されている。又、古来高埇明神社とも云い古く当地方を高埇郷と称したことに因るとも云われる。近世、上木崎・下木崎・北袋・瀨ヶ崎・針ヶ谷五村の鎮守の神として崇拝される。
旧木崎村村社
御祭神 猿田彦命   天鈿女命
    天照皇大神  倉稲魂命
    別雷命    菅原道真公
    木花咲耶姫命 應神天皇
    大山祇命   事代主尊
    清和天皇
例祭 新年祭   二月二十日
   夏季祭   七月六日
   秋季大祭  十月六日
   新穀感謝祭 十一月二十六日』
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 狛犬。
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 拝殿。
 一の鳥居から拝殿前までおよそ200mほど。
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 本殿。
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 拝殿西側に風天社と神明社。東側に浅間社、稲荷社、八雲社。
 風天社の案内板のみ御祭神の名が記されていないが、自然そのものを神格化して祀っているようだ。十二天の方とは関係無さそうかな。
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 百度石。
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 本殿改築記念碑と戦利兵器奉納碑、本殿改修神楽殿改築記念碑、拝殿改築記念碑。

中里稲荷神社(中央区新中里四丁目)

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 国道17号線下落合南交差点そばに鎮座する中里稲荷神社(さいたま市中央区新中里4-17)。
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 拝殿。
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 本殿。
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 力石と末社。
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 末社。

 こちらの北隣に大日堂があるのだが、詣でるのをうっかり忘れてしまっていた。まぁいいか。

下落合笠間稲荷神社(中央区下落合三丁目)

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 国道17号与野大宮道路と埼玉県道215号宗岡さいたま線、県道119号与野停車場線が交わる与野駅入口交差点のそば、西友与野店の南側に鎮座する下落合笠間稲荷神社(さいたま市中央区下落合3-7)。
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『下落合笠間稲荷神社
祭神 倉稲魂命
社殿 拝殿は向拝つき流れ造り、内陣に神璽筥を安置し、石造り白狐四躰を祀る。
沿革 起源は不詳であるが、新編武蔵風土記に記載されており、武蔵国郡村史には「平社
  社地縦10間、横7間5分、面積75坪、村の中央にあり、倉稲魂命を祀る、祭日2
  月初午」とあり、古くから五穀豊穣の農耕の神として耕地を見渡す台地の上に祀られ
  ていた。
   戦後、農地改革法等により、いくつかの変遷を重ねたが昭和37年稲荷町会館建設
  に伴い、社殿を敷地中央から東側に移し、改めて笠間稲荷神社の分霊を受け正遷座祭
  を挙行し、下落合笠間稲荷神社となった。
   その後社殿の荒廃が甚だしくなり、昭和56年に改築し今日に至っている。毎年、
  講中で本社笠間稲荷神社参拝を行うと共に、月遅れの3月の初午の前日「びしゃ講」
  と当日の初午祭りには、五穀豊穣・家内安全・商売繁昌の祈願のための祭りを挙行し
  ている。
   この稲荷は出世稲荷とも呼ばれ、氏子はもとより、近郷近在にも熱心な多くの信者
  がおり、往年は拝殿に合格祈願や病気平癒・大願成就などの絵馬が下げられたりもし
  ていた。
 平成8年3月吉日
 下落合笠間稲荷講発足35周年を記念して』
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下落合氷川神社(中央区下落合五丁目)

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 さいたま市産業文化センターの北側に鎮座する下落合氷川神社(さいたま市中央区下落合5-4)。公式サイトもあり。
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 拝殿正面。
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 狛犬。
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『氷川神社の由来と伝説
 古来より人が住み何らかの祭祀の行われていた氷川神社境内に、何時神社が創建されていたのか解らず笠間通り商店街とか、笠森神社と呼ばれている意味を知らずに使っていますが、下落合村そのものが桜木川とか霧敷川などが鴻沼という、東京湾の名残の沼沢地に幾筋もの川が落ち合っていましたので、何時しか落合と呼ばれ戦国末期頃から数軒の農民が開墾し定住しだしたのが起こりのようです。
 鎌倉末から室町時代に大宮台地の外れで、巨大な沼沢地を望む高台に渋川氏の戦闘施設として、落合陣屋が置かれ現在の最高地である神社境内の南の、交通の要衝として近郷の武装農民の盟主として君臨しており、村を形成していったのがそもそも発展の基礎となったようです。但し台地上に河川が無く僅かに湧き水がある程度なので、農業としてそれ程発展せずに村として成立した当時、落合七家と言われる程度の小さな集落だったようでそれ程重要ではありませんでした。
 然し神社そのものは伝説によると永承六年(1511)に始まった前九年の役に際し、征夷大将軍として前九年の役に向かう途中、源頼義、八幡太郎義家の親子が与野周辺で募兵し兵を休ませた時に、湖の彼方に美しい森が生い茂っているのを見て問い質し、古くからの神社があると聞いて参拝し無事凱旋するに際してもお礼参りをして、美しく笠のように見事な森だと賞賛したので笠森と言われ出したようです。
 やや時代が下がり文永十一年(1274)蒙古軍が九州に攻め寄せた時に、当地の武装農民つまり武士達が源頼義、義家の故事にあやかろうと氷川神社に参拝し奉納されていた石の笠を頂き、無事凱旋したのでそれ以来勝利の守り神と讃えられ、本来水神を祭るので巨大な水辺に有りましたから、無病息災、悪疫退散、五穀豊穣の神として地域住民の尊祇を受けて参りました。

下落合鎮守としての氷川神社の沿革
 当地に何時神社が鎮座したのか定かではありませんが、縄文海進の時代に神社境内地内に、縄文から弥生に掛けての生活の残滓が認められ、笠森神社遺跡として幾つかの住居跡が確認され、古墳時代から飛鳥時代に掛けて何らかの祭祀が行われ、祭器なども出土しているので神聖なる土地として崇められていたようです。
 神社としての機能の歴史は江戸時代の新編武蔵風土記などに、笠森明神社、笠間明神、或いは笠間氷川神社として、中村社として明治期に社格を与えられ、下落合村の郷社として時代時代の盛衰もありましたが、現在に至るまで地域内の尊志を受け旧社殿の改築も、明和七年(1770)棟札で確認されているそれ以前から確実に存在していました。
 記録として最古のものは元禄三年(1690)に徳川綱吉は、村の鎮守地として一反二畝十八歩を与えるとの朱印状があり、一時国有地として無登記だったために没収され掛かりましたが、元禄時代の下落合絵図及び綱吉の朱印状を証拠として取り戻し、現在の神社境内として下落合中の所有となっております。
 戦後宗教法人法が整備され村の神社としてだけでは通らなくなり氏子総代会と、責任代表者としての宮司を定めて登録いたしましたので、稲荷神社、向原不動尊の両地と共に宗教法人氷川神社と、正式名称になって現在に到っております。
 平成二十二年十二月』
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 本殿。
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 荒神社と八幡神社。
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鈴谷天神社(中央区鈴谷八丁目)

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 さいたま市立与野西中学校脇に鎮座する鈴谷天神社(さいたま市中央区鈴谷8-10)。
 鳥居の柱には「天下泰平國土安穏」「日月清明風雨和順」「文化十三丙子年三月廿五日建之」と刻まれている。文化十三年は1816年。
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『稲垣田龍の碑文
稲垣田龍は諱を玄節正雄字を仙松号を田龍剛弼ともいう。寛政元年(1789)三月足立郡鈴谷村下組名主の子として生まれる。幼少から武道を志し初め戸田流棒術を修めのち高橋玄門斉の門に入り剣術棒術柔術に励み文政二年(1820)九月三一歳のときその奥義を究め一刀流兵法目録を伝授された。また文政三年のころから江戸の天文学者東武深川廣斉舎の浅野北水について西洋流天文学を学び志筑忠雄の地動説に共鳴すると共に地転新図など数多くの貴重な天文暦学天体図などを書き残した。晩年になっても意気なお盛んで加藤昇三郎から越後流兵法の印加状を授けられたほか多くの門人に慕われるなど文武両道に優れた高潔な人物でありまことに私たち郷土の誇りとするところである。文久元年(1861)十二月九日沒。享年七二歳』
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 拝殿と狛犬。
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『碑文
昭和七年十一月十五日の夜半 関東地方を襲った暴風雨により天神社社殿が壊滅状態になりましたが 氏子が中心となり村民の協力を得て 二年後の昭和九年三月二十五日に見事に再建されました 本年は天神社再建から七十年という節目の年に当る事から これを記念して 狛犬一対を建立するものです
 平成十七年六月吉日』
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 本殿。
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 大口真神。
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 矢垂稲荷神社。
 左後ろの石碑は昭和十五年に建てられた天神社改修記念碑。

小石神社(敷島町)

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 敷島公園ばら園の西150m程の位置に鎮座する小石神社(前橋市敷島町255-1)。
『羣馬縣管下上野國東羣馬郡前𣘺横山町
 無格社 八坂神社 村社 小石神社
一、祭神 須佐之男命
     大物主命、大己貴命、菊里姫命、大山祇命
一、由緒 不詳
     明治四十年八月廿七日許可、本社境内末社琴平社及同市清王寺村々社琴平宮、
    無格社白山神社ヲ合併、同時ニ村社小石神社ト改称セリ、及明治四十一年二月五
    日許可、勢多郡桂萱村大字三俣村字宮下村社赤城神社、仝境内末社一社、字天神
    廻無格社菅原神社、仝境内末社一社ヲ合併セリ
一、境内末社
 三峯社  祭神 伊邪那岐命、伊邪那美命
 産泰者  祭神 木花佐久夜毘賣命
 琴平社  祭神 大物主神』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
 これは昭和四十六年に当地へ遷座してくる前の記録なので、現在では少し変わっているかも。旧地は現在のスズランデパート本館の辺りで、デパート屋上には小石神社の分社が祀られているとのことなのだが、屋上には入れないのでありました。
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 拝殿。
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 狛犬。
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 拝殿東側には赤い石があり、その周りに願いを記した祈願石が納められている。
 小石神社には疫病除の御神徳があるという赤い霊石の言い伝えがあるのだが、それに因んだものであるそうだ。
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 縁結びの石。
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 東の鳥居。

 以上で3月14日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA20-40mmとDA15mm、DA70mm。X30。
 この日の歩数は23,658歩。GoogleMapの距離機能で歩いたルートを追いかけてみたら、大体13kmくらい歩いていたか。

小出神社(上小出町二丁目)

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 敷島公園の東、上小出町公民館の隣に鎮座する小出神社(前橋市上小出町2-21-10)。
『小出神社
一、所在地 南橘村大字上小出字赤城
二、祭神  豊城入彦命
      保食命、誉田別命、菅原道真、木花咲耶姫命、猿田彦命、草野姫命、
      日本武尊、建御名方命、大物主命、罔象女神。
六、祭日  三月十五日、十月十九日
七、境内末社 八坂社(須佐之男命)、薬王社(少彦名命)
八、由緒沿革その他
 この神社の由緒は、社伝によると上野国神名帳所載の「勢多郡従五位上小出明神」とあるのに相当するが、祭神が豊城入彦命であるが故に、赤城神社と転称したと伝えられている。
 創立年月は不詳であるが、明治四十年五月に許可を得て、本社の境内末社二社(稲荷神社、八幡社)、字小田地の無格社霜川神社、同境内末社四社(菅原神社、大原神社、三柱神社、草薙神社)、字諏訪の無格社諏訪神社、同境内末社三社(八幡宮、琴平宮、天水分神社)を合併して今日に至っている。
 猶、合併された字小田地の霜川神社も、その社伝によれば上野国神名帳に記載されている「勢多郡従五位上霜川明神」であるといわれ、祭神は木花咲耶姫命である』
(「南橘村誌」より抜粋)
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『小出神社の由来
 当小出神社の創立は不詳であるが、考察するに四囲の状況から、戦国時代の末期の頃かと思考される、今から凡そ四○○年位前と思われる。
 境内には、享保十五年(1730)と刻まれた石宮が現存し、燈籠には元禄九年(1696)とある。いずれも、江戸時代の中期から前期のもので、今から凡そ二五○年から三○○年前のものである。
 当神社の祭神は、豊城入彦命、菅原道真公、日本武尊外八社である。
 境内末社に霜川神社、薬王社、諏訪神社外八社が祭られている。
 遠く昔、社伝によると、勢多郡従五位小出明神と言われていたが、祭神が豊城入彦命なるが故に又、字名が上小出村字赤城であるので、赤城神社と転称したと伝えられている。
 明治四十年(1907)五月に許可を得て、前述の末社と合併して以来、小出神社と呼称するようになった。
 現在の神社、社務所は大正七年(1918)に氏子七八名外、崇敬者によって建設されたと記されている。
 祭神の豊城入彦命は開運の神として其の名も高く、菅原道真公は学問の神として、又、日本武尊は武の神厄除の神として、薬王社少彦名命は万病を治す神として詣でる人が多い。
 小出神社に詣で祈念すれば、願事忽ちにして叶えられ開運の道が開けてゆく。
 氏神様として産土神として詣でて念じられん事を
 昭和五十六年五月十七日』
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 藍澤無満句碑。
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『遷宮記念碑
昭和五十三年より施行の前橋北部第二区画整理事業に伴い当小出神社も西方二十五米の現在地に換地を受け移転することになった。この社殿は大正七年に建立したものでその老朽が甚だしくこの機会に修復を併せ行い社殿の面目の一新をはかり尊厳なたたずまいを深め神道の高揚に努めることにした。たまたま神社所有の上河原一○四二‐二同一○四一‐七を前橋市より水道施設水源涵養地として譲渡の要請があり氏子総代協議の上氏子崇敬者に公告しこの要請に応えその譲渡金にて社殿の修復境内整備の費用に当て昭和五十六年五月十七日関係各位の協力に依りここに遷宮鎮座する
 昭和五十六年五月』
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 二の鳥居。
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 拝殿。
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 狛犬。
 台座には昭和十年十月十九日建と刻まれている。
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 末社。
 左の石祠は秋葉神社、右の石祠は三峰神社。
『当三峰神社は香集寺東方三百二十一番地付近に古より鎮座せるも前橋北部区画整理事業により昭和六十二年十月吉日小出神社末社として遷宮する』
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 末社群。
 右から三峰神社、河■社、不明、稲荷神社、不明x3、大神宮、雷電神社、不明の計十社。
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 末社。
 左の石祠は霜川神社。側面には昭和四十四年十月吉日と刻まれているので45年程前に建て直されたのだろう。
 右の石祠は何神社なのか不明だが、「文久元辛酉年林鐘吉祥且建」と刻まれているので1861年6月(陰暦)の造立。
『霜川神社
一、所在地 南橘村大字上小出字小田地
二、祭神  木花咲耶姫命
四、境内末社
 菅原神社(菅原道真)、大原神社(草野姫命)、三柱神社(豊受姫命、保食命、猿田彦命)、草薙神社(日本武尊)
五、由緒沿革その他
 この神社は社伝によれば上野国神名帳所載の「勢多郡従五位上霜川明神」であると伝えられている。後に明治四十五年に鎮守小出神社に合併された社である』
(「南橘村誌」より抜粋)

日輪寺(日輪寺町)

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 菅原神社の東隣に位置する真言宗豊山派朝天山日輪寺(前橋市日輪寺町412-1)の山門。
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 観音堂。
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 文化財の案内板。
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 こちらに十一面観音像などが収められているのだろうか。
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 青面金剛。
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 観音堂の横から奥へ向かうと日輪寺の本堂へ。
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菅原神社(日輪寺町)

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 桃ノ木川に架かる多嘉橋の北東150m程の位置、日輪寺の隣に鎮座する菅原神社(前橋市日輪寺町419)。
『菅原神社
一、所在地  南橘村大字日輪寺字宮本
二、祭神   菅原道真、大日霎命、建御名方神
六、祭日   四月二十五日、十月二十五日
七、境内末社 厳島神社(市杵島姫命)
八、由緒沿革その他
 この神社の由緒は明らかではないが、明治四十年四月に許可を得て、字伊勢の無格社神明宮、同境内末社諏訪神社を合併して今日に至っている』
(「南橘村誌」より抜粋)
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 拝殿。
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 向拝虹梁には「司馬温公のかめ割り図」の彫刻が施されている。
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 その上には龍の彫刻。
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 社殿斜めから。
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 額部分に辨財天とあるので、こちらは厳島神社だろう。
 菅原神社に背を向け、敷地的に日輪寺側に入っているように見えるのだが、南橘村誌には厳島神社はこちらの境内末社と書かれている。
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 道祖神と末社群。

愛宕神社(川端町)

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 日輪寺のほぼ真北300m程の距離に位置する愛宕神社(前橋市川端町215)。
 鳥居の柱には「安永九庚子十二月吉且」と刻まれているので1780年の造立。
『愛宕神社
一、所在地 南橘村大字川端字山下
二、祭神  火産霊命、大日霎命
六、祭日  四月二十四日、十月二十四日
七、境内末社
 雷電神社(大雷命)、八幡宮(誉田別命)、猿田彦神社(猿田彦命)
八、由緒沿革その他
 この神社の由緒は明らかでないが、明治三十三年十一日に許可を得て、同所の無格社神明宮を合併して現在に及んでいる』
(「南橘村誌」より抜粋)
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 石段登り口に庚申塔。側面には「萬延紀元歳次庚申季冬」と刻まれている。
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 斜面に朽ちかけた木祠があるが、何神社なのかはわからない。
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 薬師如来堂。
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 二の鳥居。
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 振り返るとこう。
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 拝殿。
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 末社。
 社名を記した額が掛けられてはいるのだが、文字が薄くなっていて殆ど読めない。その左には秋葉大権現と甲子大黒天。
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 道祖神と二十三夜塔。
 その横には「急傾斜地崩壊危険区域」と書かれた杭が立てられているのがちょっと怖い。
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 末社。
 こちらも何神社なのかさっぱりわからないが、左の二基は二猿や二鶏らしきものが陽刻されているので庚申講に関係したものであろうか。
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 二猿と二鶏?
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 二猿かな。
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 力石でもないだろうし、なんだろうこれ。態々覆っているのだから御神体かなにかだろうか。それにしては雑だが。
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赤城神社(関根町)

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 金剛寺から桃ノ木川に沿って200m程南東へ向かうと、赤城神社(前橋市関根町28)の社号標石と石燈籠が見えて来る。
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 石鳥居。
 柱には「安永七戊戌年季秋吉辰且」と刻まれているので、1778年のものである。
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 拝殿。
『赤城神社
一、所在地 南橘村大字関根字赤城
二、祭神  豊城入彦命
      誉田別尊、素盞嗚尊、大山祇命、火産霊命、建御名方命、大物主命
六、祭日  三月十五日、十月十七日
七、境内末社
 神明宮(大日霎命)、春日神社(天児屋根命)、菅原神社(菅原道真)、星宮神社(天御中主神)、稲荷神社(保食命)
八、由緒沿革その他
 この神社は戦国時代元亀二辛未年の創立と伝えられている。明治四十年三月に許可を得て、本社の境内末社四社(八幡宮、八坂神社、大山祇神社、愛宕神社)及び字八幡の無格社八幡宮、同境内末社六社(赤城神社、諏訪神社、愛宕神社、八坂神社、琴平宮、月読神社)、字十二の無格社大山祇神社、同境内末社八幡宮を合併して今日に至っている』
(「南橘村誌」より抜粋)
 ちなみに元亀二年は1571年。織田信長が比叡山延暦寺を焼き討ちしたのもこの年。
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 ユーモラスな表情の狛犬。台座には昭和三十一年四月十五日建之とある。
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 祓殿。
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 大山祇神社。
 昭和二十八年三月の造立。
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 末社。
 左奥から不明、不明(天保三壬辰年(1832)三月吉日)、不明だが梅鉢紋があるため菅原神社と思われる(天明五乙巳歳(1785)九月吉且)、水神宮(天明三癸卯歳(1783)七月初八日)。
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 末社。
 左端の石額には諏訪大明神、八幡宮、赤城大明神と刻まれているが、右の三社とは関係無いものと思われる。右の三基の石祠の内、左のものは納められた石板に「正八」の文字が見えるので正八幡宮と思われる。中央の石祠は秋葉宮。寛政十二庚申年(1800)六月の造立。右の石祠には文化七庚午歳(1810)六月の文字は刻まれているが、社名がわからない。右三つ巴紋もあるが、これだけではどうにも。

金剛寺(関根町)

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 国道17号線桃の木橋交差点の北東に位置する真言宗豊山派石梁山地蔵院金剛寺(前橋市関根町16)。
 こちらにお参りする予定は無かったのだが、朱い鳥居が見えたので寄ってみた。
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 本堂。
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 こちらでは摩多利神をお祀りしている。
 今月二十四日の午後には御祭典があるのだそうだ。御住職と思われる方からまた来てみてくださいと言われたが、その日って火曜日なのよね。無理。
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 摩多利神御堂。
『現在は関根の金剛寺の境内に祀られているが、以前は字片原の高橋、足立両家の間に在って伝染病の神として信仰されていた。毎年三月二十四日には、摩多利神様の祭礼が行われ護摩を炊いて病気のある人達は御願をかける。
 現在の位置に移されたのは大正初期であり、春の祭日には遠近の参詣人で賑っている』
(「南橘村誌」より抜粋)
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 円空堂と関根観音。
 円空堂内には円空仏と呼ばれる木彫りの仏様がずらりと並んでいる。
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 青面金剛明王塔。

橘神社(田口町)

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 八幡山の中腹に鎮座する橘神社(前橋市田口町甲461)の参道入口
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 石燈籠と参道。
 NAVITIMEを見ると参道の途中北側に赤城神社がある筈なのだが、そのようなものは見当たらなかった。
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 一の鳥居。
 傍には移築記念碑が建てられており、「大門よりこの地に移築する 平成十七年十月吉日」と刻まれている。
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 鳥居の横から西に目を向けると、榛名山の山並みが遠くに見える。
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 経塚跡。
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 二の鳥居。
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 拝殿と狛犬。
『橘神社
一、所在地 南橘村大字田口字八幡
二、祭神  誉田別命
      建御名方命、大物主命、市杵島姫命、岐神、加具土命、日本武尊、大雷神、
     菅原道真、大山祇命、大日霎命、水分神、弥都波能売命。
六、祭日  三月十五日、九月十五日
七、境内末社
  粟島神社(少彦名命)、熊野神社(伊弉冉命、速玉之男命、事解之男命)、春日神社 (武甕槌命)、稲荷神社(保食命)、赤城神社(豊城入彦命)、抜鉾神社(経津主神)
八、由緒沿革その他
 この神社は誉田別命を祭神とする八幡宮であったが、明治四十年三月に許可を得て本社の境内末社四社(菅原神社、神明宮、大山祇神社、愛宕神社)及び字諏訪の無格社諏訪神社、同境内末社三社(琴平神社、菅原神社、石尊神社、大山祇神社)、字天神窪の無格社菅原神社、同境内末社三社(神明宮、厳島神社、大山祇神社)、字橘の無格社橘水分神社、同境内末社水神社、字砂押の無格社雷電神社を本社八幡宮に合併し、橘神社と改称して現在に及んでいる』
(「南橘村誌」より抜粋)
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 社殿斜めから。
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 本殿。
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 福守神社・雷電神社への入口。
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 二の鳥居。
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 三・四の鳥居と三社神社(水分神社、雷電神社、福守神社)。
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『三社神社の由来
水分神社
 祭日 四月二十八日
 用水堰の守護と、農業の神様です。
雷電神社
 祭神 火雷神
 祭日 四月二十八日
 雷の災難除け、雨乞いの神、前年に借用した、馬の草鞋を返納して前年の無事を感謝し、同時に新しい草鞋を供え今年も借用して雷の災難除と、五穀の豊穣を祈願する神様です。
福守神社
 御神体 男性の性器
 祭 日 四月二十八日 
 子宝授与、子孫繁栄の神として昔から女性の信仰厚く、子宝を授かるよう祈願すれば間もなく大願成就し、幸福の喜びを迎えられると云われる神聖な神様です。
 猶、祈願参拝の折に御神体を一体借用し御礼の参拝の折、二体を奉納する慣習になっています』

 上野国神社明細帳によれば、橘水分神社は古くは橘山の山頂に鎮座していたものの後に山南麓に移されたとのことだが、更にその後、明治四十年にこちらの橘神社(当時は八幡宮)に合祀されている。
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 三社神社。
『福守神社由来
一、祭神 福守大明神
一、御神体
  重量 一○四キロ
  高さ 一○ニセンチ
  外周 一四十二センチ
  径  四十五センチ
一、願主
 前橋藩主、松平大和守の家臣、広桃両堰の堰守役人、富士見村小暮の住人、石田鋳右衛門為輝以下八名
一、奉納日 嘉永七甲寅年二月二十八日
一、製作者 石田鋳右衛門為輝
  左奥
一、願主  石田鋳右衛門為輝
一、奉納日 安政五戊午年三月大吉日
一、製作者 石田鋳右衛門為輝』

『福守様
 福守様は現在、鎮守橘神社の境内に祀られているが水分神社ともいって其の昔、広桃両堰の引入口の手枠に偉大な男性の性器(御神体)が引掛かっていたのを人足が引揚げて小屋の傍らに祀ったのに始まるという。
 昔は現代と違ってこうした男女の性に関しては非常に神聖なものとして崇拝されていたものらしい。又一説にはこの御神体は洪水の節、上流から流されて来たものであるとも伝えられている。
 前橋藩主松平大和守の家臣で富士見村小暮の石田某という堰方の士で広桃両堰の監督、人夫の指揮を命ぜられた武士が、つれづれに自分の刀で石の御神体を刻んで併せ祀って水の安全を祈ったという、この御神体には石田氏と刻んである。猶この他に大小奇形合せて数百の御進退が祀られてあり福運の神、又は性病の神として一時は前橋美妓連中の信仰厚く、毎月二十八日の縁日には社前列をなして非常な賑わいを極めたものであるが、戦争中、淫祠邪教を禁じられてから訪ねる人も少なくなったが今でも密かに参拝する者が相当にあるともいう』
(「南橘村誌」より抜粋)
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 秋葉神社。
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 末社群。
 右から少林山、水神宮、愛宕神社、天神様、菅原神社。
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 右から琴平神社、石尊宮、粟島神社、大山祇神社、金加羅山宮、厳島神社、金山、道祖神x3。
 南橘村誌によると、お社宮司様も橘山からこちらに移されている筈なのだが、どれだろう? 左奥の鞘堂のようなものがそうなのだろうか。中には何も無かったので特に気にしなかったのだが。
 余談ではあるが、橘山は日本武尊が弟橘姫を偲び冥福を祈念した場所と伝えられているのだそうだ。
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 三峰神社。

荒牧神社(荒牧町二丁目)

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 群馬県道161号線脇にあるミニストップ前橋荒牧店前から北へ向かうと、上宿公園の北隣に荒牧神社(前橋市荒牧町2-55-2)が鎮座している。
『荒牧神社
一、所在地 南橘村大字荒牧字後
二、祭神  大日霎命
      建御名方命、火産霊命、素盞嗚命、豊城入彦命、誉田別命、罔象女命、
      大雷命、菅原道真、埴山姫命
六、祭日  三月十五日、十月十七日
七、由緒沿革その他
 この神社は大日霎命を祭神とする神明宮である。里伝によれば、平安時代の末、源義経は荒牧の地で伊勢三郎義盛と主従になった。当社は以前には伊勢宮と称して伊勢氏の勧請した社であるという。
 明治四十年三月に許可を得て、字上宿の村社諏訪神社同境内末社八社(秋葉神社、八坂神社、赤城神社、八幡宮、雷電神社、菅原神社、愛宕神社、水神社)、同所の無格社八幡宮を本社神明宮に合併し、荒牧と改称して今日に及んでいる』
(「南橘村誌」より抜粋)
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『荒牧神社の由来
 源平盛衰記に「源義經は上州荒牧という所にて云々」「社は伊勢宮(神明宮)と称し云々」とあり、荒牧には平安時代から神社が存在し、宝暦年間(1751~63)に建て替えた。
 明治初期の神社調査書によると八幡宮、神明宮等があり諏訪神社の境内には末社として秋葉社、八坂社、赤城社、八幡社、水神社、雷電社、菅原社、愛宕社が祀られていた。
 明治四十年(1907)、政府は「神社合併令」を出し一村一社を奨励した。村民は許可を得て神明宮境内に八幡宮と諏訪神社(末社八社を含む)を合祀して村社荒牧神社とした。
 平成九年十二月吉日』
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『遷宮記念碑
 昭和五十七年より施行の前橋市都市計画北部第三区画整理事業に伴い当荒牧神社も北西百メートルの現在地に換地を受け移転することとなった。
 この社殿は宝暦年間に建立したもので一部老朽化しておりこの機会に修復を併せ行い幾百年の歴史ある荒牧神社としての尊嚴な社殿とし神道の高揚に努めることとした。
 建立資金は移転補償費、神社運営委員を始め篤志者の奉納金にて社殿の修復境内の整備の費用に当て平成二年十二月一日関係各位の協力に依りここに遷宮鎮座する。
  平成二年十二月吉日』
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 鳥居。
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 狛犬一号。
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 拝殿正面。
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 狛犬二号。
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 拝殿斜めから。
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 本殿。
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 末社群。
 左から水神宮、三峯神社、天神宮、菅原神社、雷電神社、愛宕神社、八坂神社、水神社、八幡宮、秋葉神社。
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 庚申塔群。
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市杵嶋神社(川原町一丁目)

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 群馬県道161号南新井前橋線川原町交差点の西側に鎮座する市杵嶋神社(前橋市川原町1-406)。
『群馬縣管下上野國東群馬郡川原嶋新田字臺
 村社 市杵嶋神社
一、祭神 市杵島姫命
     宇迦之御魂神、大宮姫命、火雷神、猿田毘古神
一、由緒 不詳
     明治四十年九月三日許可、本社境内社稲荷神社、同末社雷電神社ヲ本社ヘ合併
     大正四年十一月五日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進神社ト
    シテ指定セラル
一、境内末社
 琴平宮    祭神 大國主命
 御嶽神社   祭神 國之常立神
 少彦名神社  祭神 少彦名神
 神明宮    祭神 天照大御神
 月讀神社   祭神 月讀尊
 八幡宮    祭神 誉田別命
 三峯神社   祭神 大山祇命
 八坂神社   祭神 健速須佐之男命
 水神社    祭神 水波能賣命
 住吉神社   祭神 底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命
 塞神社    祭神 八衢比古神、八衢比賣神、岐神
 菅原神社   祭神 菅原道真公
        由緒 不詳、仝村字古川ヨリ移轉、明治廿年十二月許可
 大山祇神社  祭神 大山祇命
        由緒 不詳、仝村字古川ヨリ移轉、明治廿年十二月許可
 稲荷神社   祭神 宇迦之御魂神、大宮姫命、猿田毘古神
        由緒 村老ノ傳説ニ元禄年中吉井候領分ノノキ多胡郡矢田村ヨリ勧請セリ
          ト、明治三十五年五月五日西原ヨリ移轉
 雷電神社   祭神 火雷神
        由緒 不詳、稲荷神社ノ末社ニテ移轉』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 狛犬と拝殿。
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『市杵嶋神社の由来
一 祭神 市杵嶋姫命
     宇迦之御魂命 火雷命 大宮姫命 猿田彦命
一 由緒 この神社の起源は寛永七年に建立した弁才天で、当時は神仏習合で市杵嶋姫命
    と習合して斎き祀る嶋の意味で、神話による宗像三女神に由来して水辺を護る神
    様である。
     明治となり神仏分離になり、明治十四年に社殿を造営し、境内も拡張して共有
    地の山林、畑などを献納して一村一社の推進により菅原神社を明治二十年に、稲
    荷神社を明治四十年に合併して、勅令による神饌幣帛料を供進する村社に指定さ
    れた。
     戦後国家神道が解体になり昭和二十一年五月三十一日宗教法人となった。昭和
    五十二年に拝殿を茅葺きから瓦葺きにして昭和六十年には幣殿を改築した。
一 末社 神明宮、琴平宮、大山祇神社、三峯神社、若宮八幡宮、住吉神社、菅原神社、
    稲荷神社、水神宮など石宮が多数ある。
一 信仰 馬鳴菩薩、青面金剛、秋葉大権現など信仰の対象の石造物も多い。
    「赤ん坊の夜泣きを封ずる」神様として近郷近在からも参詣する人が多かった。
一 祭礼 春秋の祭典が行われている。
     近年は新年の初詣が行われている。
     江戸時代から大正の頃まで若い衆による獅子舞が演ぜられた』

『遷宮記念碑
 昭和六十三年より施行の前橋都市計画事業の川原第三土地区画整理事業に伴い、当市杵嶋神社も現在地に換地を受け、移転することとなった。
 この機会に氏子一同の総意により、老朽化の進む歴史ある神社を改修整備して後世に伝えるべく拝殿屋根を銅板葺きに、木造鳥居を石造に、本殿覆屋と狛犬及び玉垣を新設し、参道の整備と水屋を改修し、社務所を新築した。建立資金は移転補償費及び篤志者の奉納金を当て、平成十六年十二月一日関係各位のご尽力により遷宮事業は完成した。
 平成十六年十二月吉日』
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 社殿斜めから。
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 庚申塔群。
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 双体道祖神。
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 社殿西側の末社群。
 左奥から神明神社、不明、琴平神社、不明x7。
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 社殿東側の末社群。
 左から弁才天、不明、水神宮、不明x4、天王宮、二十三夜宮、御嶽山座王大権現。二十三夜宮は上記の月讀神社に当るのだろうか。
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 衣笠太神と秋葉大権現。
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 馬鳴菩薩。
 初めて聞いた名前の仏様なのでググってみたところ、貧しい人々に衣服を施すとされる仏様で、養蚕や機織に功徳があるのだそうだ。隣には衣笠太神の文字碑もあるし、この辺りでは養蚕を行っていたのだろう。
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