敷島公園の東、上小出町公民館の隣に鎮座する小出神社(
前橋市上小出町2-21-10)。
『小出神社
一、所在地 南橘村大字上小出字赤城
二、祭神 豊城入彦命
保食命、誉田別命、菅原道真、木花咲耶姫命、猿田彦命、草野姫命、
日本武尊、建御名方命、大物主命、罔象女神。
六、祭日 三月十五日、十月十九日
七、境内末社 八坂社(須佐之男命)、薬王社(少彦名命)
八、由緒沿革その他
この神社の由緒は、社伝によると上野国神名帳所載の「勢多郡従五位上小出明神」とあるのに相当するが、祭神が豊城入彦命であるが故に、赤城神社と転称したと伝えられている。
創立年月は不詳であるが、明治四十年五月に許可を得て、本社の境内末社二社(稲荷神社、八幡社)、字小田地の無格社霜川神社、同境内末社四社(菅原神社、大原神社、三柱神社、草薙神社)、字諏訪の無格社諏訪神社、同境内末社三社(八幡宮、琴平宮、天水分神社)を合併して今日に至っている。
猶、合併された字小田地の霜川神社も、その社伝によれば上野国神名帳に記載されている「勢多郡従五位上霜川明神」であるといわれ、祭神は木花咲耶姫命である』
(「南橘村誌」より抜粋)
『小出神社の由来
当小出神社の創立は不詳であるが、考察するに四囲の状況から、戦国時代の末期の頃かと思考される、今から凡そ四○○年位前と思われる。
境内には、享保十五年(1730)と刻まれた石宮が現存し、燈籠には元禄九年(1696)とある。いずれも、江戸時代の中期から前期のもので、今から凡そ二五○年から三○○年前のものである。
当神社の祭神は、豊城入彦命、菅原道真公、日本武尊外八社である。
境内末社に霜川神社、薬王社、諏訪神社外八社が祭られている。
遠く昔、社伝によると、勢多郡従五位小出明神と言われていたが、祭神が豊城入彦命なるが故に又、字名が上小出村字赤城であるので、赤城神社と転称したと伝えられている。
明治四十年(1907)五月に許可を得て、前述の末社と合併して以来、小出神社と呼称するようになった。
現在の神社、社務所は大正七年(1918)に氏子七八名外、崇敬者によって建設されたと記されている。
祭神の豊城入彦命は開運の神として其の名も高く、菅原道真公は学問の神として、又、日本武尊は武の神厄除の神として、薬王社少彦名命は万病を治す神として詣でる人が多い。
小出神社に詣で祈念すれば、願事忽ちにして叶えられ開運の道が開けてゆく。
氏神様として産土神として詣でて念じられん事を
昭和五十六年五月十七日』
藍澤無満句碑。
『遷宮記念碑
昭和五十三年より施行の前橋北部第二区画整理事業に伴い当小出神社も西方二十五米の現在地に換地を受け移転することになった。この社殿は大正七年に建立したものでその老朽が甚だしくこの機会に修復を併せ行い社殿の面目の一新をはかり尊厳なたたずまいを深め神道の高揚に努めることにした。たまたま神社所有の上河原一○四二‐二同一○四一‐七を前橋市より水道施設水源涵養地として譲渡の要請があり氏子総代協議の上氏子崇敬者に公告しこの要請に応えその譲渡金にて社殿の修復境内整備の費用に当て昭和五十六年五月十七日関係各位の協力に依りここに遷宮鎮座する
昭和五十六年五月』
二の鳥居。
拝殿。
狛犬。
台座には昭和十年十月十九日建と刻まれている。
末社。
左の石祠は秋葉神社、右の石祠は三峰神社。
『当三峰神社は香集寺東方三百二十一番地付近に古より鎮座せるも前橋北部区画整理事業により昭和六十二年十月吉日小出神社末社として遷宮する』
末社群。
右から三峰神社、河■社、不明、稲荷神社、不明x3、大神宮、雷電神社、不明の計十社。
末社。
左の石祠は霜川神社。側面には昭和四十四年十月吉日と刻まれているので45年程前に建て直されたのだろう。
右の石祠は何神社なのか不明だが、「文久元辛酉年林鐘吉祥且建」と刻まれているので1861年6月(陰暦)の造立。
『霜川神社
一、所在地 南橘村大字上小出字小田地
二、祭神 木花咲耶姫命
四、境内末社
菅原神社(菅原道真)、大原神社(草野姫命)、三柱神社(豊受姫命、保食命、猿田彦命)、草薙神社(日本武尊)
五、由緒沿革その他
この神社は社伝によれば上野国神名帳所載の「勢多郡従五位上霜川明神」であると伝えられている。後に明治四十五年に鎮守小出神社に合併された社である』
(「南橘村誌」より抜粋)