矢弓神社(寄居町西古里)

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 坂上神社の南2.1km程、埼玉県道69号深谷嵐山線の脇に鎮座する矢弓神社(大里郡寄居町西古里124-3)。
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 大正十一年造立の鳥居。
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 拝殿と石燈籠。
 拝殿には色褪せた「男衾のみどころ」が貼られており、それによれば、こちらは日本武尊を祀る神社で、東国下向の際に立ち寄り休息された記念に宮柱を建てられたと伝えられているのだそうだ。名前は似ているが、東松山市の箭弓稲荷神社とは関係無いようだ。
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 肇国二千六百年聖地巡拜記念碑。

 以上で8月8日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA20-40mmとDA15mm、FA50mm、50-150mm II。X30。
 ふと月別アーカイブを見てみたら、2011年から2014年まで八月はまったく参詣していなかったことに気付き、どんだけぐーたらしてたのかと。
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坂上神社(本田)

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 深谷市立川本南小学校の南側に鎮座する坂上神社(深谷市本田4898-1)。
 ちなみに「さかがみ」ではなく「さかうえ」と読むようだ。
 フカペディアによれば、天慶三年(940)に藤原秀郷が平将門追討中にこの地で病に罹り、信仰している上州赤城の神に祈ったところ平癒した為、この地に祠を建てて赤城の神を祀ったのが始まりとされているとのこと。後に秀郷の裔がこの地に移り住み、当地の地名を取って本田次郎近常と名乗り、社殿を再建して村の鎮守としたと伝えられているのだそうだ。古くは現在地よりも十町(約1.1km)余り西にあったそうなのだが、現在地に移転した時期は不明。
 御祭神は大己貴命と豊城入彦命、宇迦御魂命、菅原道真、軻遇突智命、天照大御神の六柱。新築記念碑の裏には明治四十四年(フカペディアによれば明治四十二年)に黒の谷の稲荷神社と後鷹の巣の愛宕神社を合祀して坂上神社と改称したとあるが、菅原道真公と天照大御神はどこから合祀したものなのだろう。
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 参道。
 ストリートビューを見ると、2012年7月にはまだ参道の脇に木々が残り、台湾産っぽい感じの狛犬も見当たらない。ここ二~三年程の間に今の姿になったのだろう。
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 狛犬。いや、どちらも阿形だから獅子と言うべきか。
 そう言えばこのタイプのもので吽形のものって見かけたことないな。
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 平成二年十一月十二日造立の狛犬。
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 昭和四十六年十月十五日に建てられた新築記念碑。
『当社は明治四十四年上本田赤城神社黒の谷稲荷神社後鷹の巣愛宕神社の財産等合併して坂上神社と改稱して現在に及ぶ 社殿は旧赤城神社を使用せしも甚しく老朽せる建物となりたるため神社基金並に愛宕神社持寄りの山林を売却して財源となし氏子中相計り本年二月總工費四五○萬円にて着工し同年十月竣工せり
 昭和四十六年十月十五日建之』
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 末社群。
 石祠には社名が記されていないので何神社なのかは不明。右の三つは一心霊神と御嶽大神、不動明王。

 2015年9月6日追記。
「埼玉の神社 大里 北葛飾 比企」によると、末社の石祠は左から稲荷社、浅間社、天神社、神明社であるようだ。

春日神社(本田)

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 八幡神社から東へ1.5km程、時宗安養山阿弥陀院教念寺の南側に鎮座する春日神社(深谷市本田2025)。
 ググル先生に訊いてみたところ、天平二十年(748)に河内国の枚岡神社を勧請したものと伝えられ、古くは枚岡神社と称していたが、神護景雲二年(768)に藤原氏が氏神である鹿島神宮の武甕槌命に香取神宮の経津主神と枚岡神社の天児屋根命・比売神を併せて御蓋山(通称春日山)に祀り春日神としたことから、それに合わせて春日神社と改称したのだそうだ。
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 参道。
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『春日神社之碑
              正三位勲一等男爵千家尊福篆額
春日神社在武蔵国大里郡本畠村大字本田祀天津兒屋根命村社也明治四十年三月移
社殿於社域中央以北同月得官允起拝殿及幣殿之工翌年四月竣功行遷宮式其工費一
千六百餘圓也先是明治三十九年降勅令行神社廢合於是氏子胥謀請官明治四十年四
月移轉字山之神無格社山之神社及字北社宮司無格社社宮司社於春日神社域内明治
四十一年十月又移轉字鹿嶋無格社鹿嶋神社及字宿無格社稻荷神社於其域内明治四
十二年二月合祀字平方村社大天白神社於春日神社移天神社於同社地域而字鹿嶋無
格社雷電社以明治四十二年九月得登載干神社簿同年十月合祀之於春日神社域内鹿
嶋神社於是時有氏子二百二十二戸又有社地一千七百四十歩社外宅地一百三十七歩
及土地一千九百七十七歩明治四十三年五月遂被指定神饌幣帛料供進神社焉而社域
四圍皆以荒川石新築石垣延長實一百六十一間五尺也屬其西者五十九間二尺氏子而
從軍於明治二十七八年役者六人同從軍於明治三十七八年役者四十二人及参加両役
者六人荅神恩且為紀念築之屬其東北者七十八間三尺明治二十九年一月仝三十一年
一月仝三十二年二月及仝三十五年二月氏子而参拝伊勢太廟者六十八人相謀築之屬
其南者二十四間為氏子一同所築焉於是社域肅穆神威益揚頃者氏子有志■貲建碑欲
以表彰神徳來徴余文因紀其所言如此
  大正二年十月           從六位林有章撰弁書』
 ■は抬の「口」の部分が「月」の左下が伸びていない妙な形になっている。異体字だろうか。
 この碑を見ると社宮司社と大天白神社も春日神社境内に移転して来ている筈なのだが、あれー? 見当たらなかったぞ。

『記念之碑
 天平二十年第四十五代聖武天皇の御代西暦七百四十八年の昔より下本田の鎮守として氏子の信仰の篤い春日神社であります
 拝殿幣殿の再建竝に神殿外宇の小屋替等三殿の竣工と併せて瑞垣を新に回らし幽神の霊氣漂ふ
 其記念之碑を建立するにあたり概要を茲に記す 抑新築にいたりたる主因は取替不能な拝殿東南の隅柱の腐蝕甚大なるによる 想うに財源なく後世までの護持に誠に憂慮にたえない事態であった
 時恰埼玉県営農林公園の川本町に設置が決定其用地内に所在する本田三社共有地を昭和五十九年八月埼玉県に拂下げる続いて埼玉県営川本工業団地が決定し昭和六十一年十二月同団地内の共有地を埼玉県に拂下げる又工業団地取付道路用地等三次に亘り埼玉県へ共有地の拂下げをする 三次に亘る拂下げ代金の内春日神社の取得分は合計金三千七百四十六万八千八百也であつた 又昭和六十二年一月境内の﨔の枯損木二本を金一千万円也と金四百五十万也の合計金一千四百五十万にて業者に拂下げ從来より蓄積せる資金と併せ概ね再建可能なる財源を取得し昭和六十二年十一月起工し 平成二年八月願望総ての工事を完了す
灼なる御神徳により財源を授かり尊厳にして華麗なる御社三殿の再建を達成す
             平成二年十月十四日
                   建築委員長 大澤仁三撰文』
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 拝殿と狛犬。
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 八坂神社。
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 かわもと郷土かるた。
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 末社殿。左から古峯神社、八幡神社、雷電神社、山之神社、冨士浅間神社。
 その右に天満大自在天神、天満天神社。
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 鹿島神宮、稲荷大明神、社日神社。
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 稲荷大明神。
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 深谷市指定文化財史跡第16号の高札場跡。
 昭和37年1月29日に川本町の指定文化財に登録されたが、川本町と深谷市の合併に伴い、記号番号変更の為平成18年1月1日に登録され直している。
『高札場跡
 この上に高札(現代の掲示板)が、江戸時代から明治初年にかけて立てられていた。
 おきてがきや、お知らせを一般の人々に知らせるためのものであった。
 この地は、「御高札の辻」、「札の辻」とも呼ばれている』

八幡神社(本田)

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 埼玉県道69号深谷嵐山線と県道81号熊谷寄居線が交わる本畠駐在所交差点の北側に鎮座する八幡神社(深谷市本田138)。
 ここから170m程南下した所にある歩道橋脇に有形民俗文化財3号の双体道祖神が鎮座しているのだが、この時は気付いていなかったので撮影していない。また機会があったならばその時にでも。
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 かわもと郷土かるた。
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 拝殿と狛犬。
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 斜めから。
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『八幡神社改修之碑
 敬神尊皇は建國以来の諄風國体の基てあり崇祖愛郷は報恩感謝に発する親和協力
繁学への道である当八幡神社の御創立は養老六年と伝へられ由縁に拠れば元正天皇
霊亀二年多治比縣守遣唐使を命せられし折筥崎八幡宮に祈請して霊験をうけ帰朝の
後更に養老四年持節征夷将軍として東國の鎮撫にも神護めてたかりしにより此處に
筥崎宮を勧請して報賽の礼を行へるに因るといふ誉田別命を祀れるより誉田八幡と
崇めこの地を誉田郷本田郷といふと爾来村人の尊崇篤く信仰近郷に及ふここ本田は
明治二十二年本田村連合戸長役場区域の畠山村と合併し本畠村となり開化の進むに
從ひ武川村と合体して昭和三十年川本村大字本田となった近時世情の進転は著しく
村勢弥々盛なれば圃場の整備を行ひ道路を舗装して縦横に貫通させ将来への備へを
完了した氏子総代人等は豫てから鎮守の護持に心を碎いてゐたが整備による社地の
提供により多額の代償を得ることとなったのでこれぞ神慮によることと畏みこれを
機会に神社の改修を計画し氏子一同の参画多数有志の浄財をも加へて社殿社務所を
改築し末社参道鳥居の修復更に境内の整備を行ひ此の度総てを竣成した依って碑を
建て時の流れと経緯を記し関係者一同の芳名を刻んで永く記念とするものである
   昭和四十九年一月吉日
     埼玉県神社庁長武蔵一宮氷川神社宮司 東角井光臣 題撰並書』
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 末社群。
 左端の石祠には○の中に金の文字が彫られており、また荒川の近くでもあることから見て、金刀比羅宮だろうか。右の石祠三基は不明。
 末社殿には左から熊野神社、浅間神社、東照宮、天照宮、八坂神社、天神神社、雷電神社、稲荷神社、山之神社、榛名神社。
 フカペディアによれば、景行天皇二十六年に武内宿禰が東国に派遣され、各地の視察をしていた折に荒川の増水により数日滞在を余儀なくされ、その時に里人に様々な教えを与えたり熊野社を祀らせたり松を植えさせたりしたと伝えられているのだそうだ。
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 末社かと思ったら、納札社殿と書かれていた。

菅沼天神社(菅沼)

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 川本天神グラウンドの北側に鎮座する菅沼天神社(深谷市菅沼480)。
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 かわもと郷土かるた。
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「的場の儀」案内板。
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 案内板の隣に神牛。
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 鳥居。
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 拝殿。
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 額などが無かったので社名がわからなかったが、すぐ後ろには昭和五年二月二十五日に建てられた三峯神社改築記念碑があるので、おそらく三峯神社であるのだろう。
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 神社の目の前には菅沼沈砂池。
 今更になって、沈砂池側から天神社の写真を撮れば良かったなと思ったが後の祭り。

明道寺(川原明戸)

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 諏訪神社に隣接する浄土宗川原山善樹院明道寺(熊谷市川原明戸182)。
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 由緒書き。
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 本堂。
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 機織地蔵堂。
 その左の小祠は馬頭観世音。
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 機織地蔵。右手には杼を持っている。
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『明道寺墓地改修記念碑
 抑此の地は鎌倉時代の初期武蔵七党の私市党に属する川原太郎高直が居住した所と言い伝へられる。当寺は鴻巣の浄土宗檀林勝願寺の末寺で川原山善樹院と号す。草創は室町時代の応永の頃、開山行満上人に開基上田和泉守が帰依し創建した580年程の歴史を有し、諸精霊の眠る静寂なる楽土であった。
本年は浄土宗第二祖鎮西第三祖良忠知恩院源智三上人の750回御遠忌正当の年であり、当山も記念事業として祖恩報徳の為壇信徒の敬佛崇祖の念願により墓地改修整備事業を発願す、今度熊谷西部土地改良事業実施により農地659㎡を墓地用地転用旧墓地に併合2,100㎡に設定し末永く墓所の清掃美化に努め願わくば子孫繁栄、地区安穏の御加護を給わらん事を乞い誌を録し後世に伝へんとす。
  昭和六十二年十月二十五日』

諏訪神社(川原明戸)

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 明戸八幡神社の東600m程、浄土宗川河原山善樹院明道寺に隣接して鎮座する諏訪神社(熊谷市川原明戸177)。
 由緒を記した物としては合祀無償譲与記念碑があったのだが、読み取るのが難しい為いつものようにググル先生で検索してみると、こちらの諏訪神社は南東1.2km程に位置する上新田諏訪神社熊谷市上新田227)と対になる神社で、上新田を男諏訪と呼び狩猟の神と崇め、こちらを女諏訪と呼び機織の神と崇めているのだそうだ。とすると、こちらの御祭神は八坂刀売神であろうかと思ったのだが、どうやら建御名方命であるようだ。
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 鳥居。
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 狛犬。
 台座には「第61回伊勢神宮式年遷宮記念 皇太子殿下御成婚記念 平成5年10月15日 氏子一同」と刻まれている。
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 拝殿。
 鬼瓦には「川」の文字があるが、川原明戸の「川」なのだろうか。
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 正面の木鼻には龍の彫刻。向拝虹梁にも龍の彫刻有り。
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 天手長男神社。
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 額は二つ掛けられており、一つには「稲荷神社・八幡社・宇賀神社・天神社・御嶽神社」、もう一つには「頭殿神社」と書かれている。中には朱塗りの祠が納められ、小さな狐の置物も並んでいた。
 脇から裏手に回ると石祠があり、社名は記されていないが稲荷社であろうか。或いはこちらが頭殿神社なのか。
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 多宝塔かな、と思ったら御神燈と刻まれていた。

八幡神社(川本明戸)

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 秩父鉄道明戸駅の南東250m程、瀬山八幡神社からは南西730m程の位置に鎮座する明戸八幡神社(深谷市川本明戸113)。
 社殿裏が駐車場になっている。
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 鳥居のそばには砲弾型の皇軍戦捷記念碑と土地の奉納碑が建てられており、奉納碑には「境内一畝十歩 昭和十五年三月十六日 當所 瀬山福太郎」と刻まれている。
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 拝殿。
 鬼瓦には並び矢羽紋と宝珠紋が見える。稲荷神社が合祀されているのだろうか。
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 天神社。
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 塞神、水神、塞神。

 2015年9月6日追記。
「埼玉の神社 大里 北葛飾 比企」によると、こちらの八幡神社は稲荷神社と神明神社を合祀しているそうだ。

八幡神社(瀬山)

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 真言宗豊山派少間山観音院龍泉寺前を東西に走る国道140号彩甲斐街道を渡って南へ少し向かうと、瀬山集会所の北隣に八幡神社(深谷市瀬山398)が鎮座している。
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 かわもと郷土かるた。
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 稲荷社。
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 拝殿。
 大棟には丸に並び矢羽根紋が見える。
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 神明社。
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『社殿改築記念之碑
八幡神社は当地の鎮守として古代より御神徳高く氏子の
崇敬日に篤きを加えたが拝殿の茅葺屋根は幾星霜の経過
と共に腐朽の著しいものがあつた偶然昭和四十一年九月
二十六日襲来の未曾有の台風によつて倒伏した数十本の
社木は本殿及び拝殿を無惨にも破壊した敬神の念の厚い
氏子一同は相謀りて本殿の修復並に拝殿の瓦葺入母屋作
り改築を決議して其の実行計画を樹立し基金五十万円社
木二百余石の代金百二十八万円及び氏子応分の奉賛金七
十五万円と社木二百五十石とを使用して昭和四十三年七
月起工し同年十月めでたく竣工した
本年は明治維新百年に当る記念すべき意義深い年である
この時に社殿の改築並に神域の整備の完成したことは氏
子各位の伝統的精神と崇高な敬神の誠意の顕現として誠
に慶賀に堪えない茲に氏子並に関係各位の絶大な御援助
御協力に対して衷心から感謝の意を表し併せて其の大要
を叙し後世に伝える
   昭和四十三年十月十一日
     埼玉県神社氏子総代会長勲二等石坂養平題額
     八幡神社社殿改築委員長藤野要次郎撰並書』

八幡神社(三ヶ尻)

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 熊谷市立三尻小学校の北隣に鎮座する三ヶ尻八幡神社(熊谷市三ケ尻2924)。
 一の鳥居は埼玉県道47号深谷東松山線に面して、熊谷市三尻公民館脇に建てられている。鳥居の傍に建てられた案内板は文字が薄れて読み難いが、主祭神は誉田別命、相殿に大日孁貴命と菅原道真公が祀られているとのこと。
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 二の鳥居。
 こちらの北側に八幡神社の駐車場と靖国社がある。虫除けスプレーをしていたので蚊に刺されることはなかったのだが、車の乗り降りの際に蚊が入って来るのが鬱陶しい。とても鬱陶しい。
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 三の鳥居。
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 位置を変えて。
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 拝殿。
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 狛犬。
 台座には新社殿竣工記念 平成十二年四月吉日とある。
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 背中。
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 狛犬のそばには祓戸大神。
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 本殿。
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『再建之碑
 篆額 鶴岡八幡宮 宮司 吉田茂穂
 当社の創建は 第七十代後冷泉天皇の御宇天喜四年 鎮守府将軍源頼義
義家父子奥州出陣の砌 当地に旌旗を停め戦勝を祈願したことに遡る 寿
永二年 後の征夷大将軍源頼朝 当時の三ヶ尻郷を相模国鶴岡八幡新宮若
宮御領として寄進されてより 当社は同宮の分祀として源家武士の崇敬篤
く 更には三ヶ尻の里の総鎮守として庶民の尊崇を集めていたのである
寛永六年には時の領主天野彦右衛門深く当社を崇敬し 八幡型大鳥居一基
と鷹絵額五枚を献上している 天保年間 三河田原藩家老華山渡邊登 故
あって当地に滞在し著した訪瓺録は 当時の深厳な境内と総彫刻極彩色の
本殿の威容を記し 往時の地域住民の崇敬深きを伺わせているのである
下って昭和二十年 郷社列格の栄に浴し 昭和六十三年 嘗て華山も紹介
した明和五年建造の本殿が熊谷市の文化財に指定された
 かくして氏子はもとより 近郷近在からの崇敬弥増し 神威は益々高ま
った 平成四年には 由緒深き本殿の尊厳を維持するべく 覆殿改築に着
手 工事は順調に進捗していた ところが同年十月二十日夜半 当然原因
不明の火災に遭い 完成を目前とした覆殿はもとより 本殿以下全ての社
殿を焼失するところとなった まさに青天の霹靂 関係者は茫然と自失す
るばかりであった しかし 一同悲しみを乗り越え社殿再建への思いに結
集し 八幡神社御社殿復興準備委員会を結成 計画の立案にとりかかった
平成六年には 予て要望していた第六十一回伊勢神宮式年遷宮の古殿舎撤
去古材譲与も聞き届けられるところとなり 約五十六石の檜材が平成六年
七月の佳日を卜し遥か伊勢路より搬送された また 本社鶴岡八幡宮には
物心両面に亙る支援を忝うし 社殿再建への気運はいやが上にも加速した
平成七年 八幡神社御社殿復興奉賛会を設立 伏して広く浄財を募ったと
ころ 赤誠溢れる氏子崇敬者等の暖かい協賛を賜り 遂に平成十年五月十
五日天高く響く着工の槌音を聞いたのであった 幸いにも本社との御神縁
により卓越せる技術を誇る建設業者に工事を依頼し 加えて地元建築業者
の協力を仰ぎつつ 本殿・拝殿・透塀の改築につき 懸案の境内整備事業
も完了した 時恰も皇紀二六六○年 御祭神応神天皇御降誕一八○○年の
佳年であった
 社殿完成により早一年 新緑目にしみる神域に思いを新たにし いささ
か慶事の経緯にふれその概略を石に刻し 併せて赤誠を捧げし各位の芳名
を後昆へ伝えんとする次第である
   平成十三年十二月吉日 八幡神社宮司 篠田宣久謹撰』
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『無償譲與記念
指令社第一一、一三○号
 埼玉縣大里郡三尻村大字三ヶ尻字八幡二九二四 八幡神社
 昭和二十六年三月十四日許可 坪数二四八三坪 立木共
  
指令社第三四六号
 仝縣仝郡仝村仝字社裏六七一 田中神社
 昭和二十三年十月二十日許可 坪数一一七坪 立木共

右神社境内及立木は国有財産法に依り曩に上地せしが今回大蔵大臣の指令に依り実地測量を了し無償譲與許可申請の処八幡神社境内より有償譲與百七拾五坪を除き右の通り許可を得たるは氏子一同の喜びにて永久に追憶記念せんと刻して之を江湖に傳ふ』

『新營■記           権田健長撰文
武之三尻邨有八幡大神祠是邨之生社也里人處事之正
長年間草創之来物換星移社頭頽壊宮司播磨常憂之今
茲里人周勝房豊長等五人相謀壇遺四面為■高貮尺許
衆亦舉奔貨而助其費不日成之條然改観神威益赫於是
播磨大喜曰吾望是矣願記此㓛鐫之于石以備不朽竟謀
之余故余記其概旦賦一詩以代銘其詩曰
  祠頭来謁起威風 東帯儼携箭與弓
  ■就千秋長不朽 㓛畱一片碣辭中
慶應二丙寅年孟夏        権田正賢書』
 ■は「石」偏に「巣」旁。Unicode:25558。
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 御嶽神社の前に建てられた鳥居。
 位置的には御嶽神社の鳥居とも、或いはその他の境内社全体の鳥居とも思えるが、どうなのだろう。
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 御嶽神社。
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 その傍らに三霊神と小御岳石尊大権現。
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 末社殿。
 左から「林 稲荷神社」「上野 愛宕神社」「古家 天神社」「馬場 諏訪神社」「馬場 天手長男神社」「森 坂下 林 久保 天手長男神社」「八幡 雷電神社」「上宿 八坂神社」「宮嶋 赤城神社」「中宿 八坂神社」「橋下 稲荷神社」「城下 八坂神社」が祀られている。
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 浅間神社と琴平神社。
 浅間神社に掛けられた額は、えーと……何宮って書いてあるんだろう? 浅間や仙元のようには見えないが。
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 冨士嶽大神と地神碑。
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 神武天皇遥拝所。
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 三尻村靖国社
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『八幡太郎義家公駒留の杉
 一○五六年奥州争乱(前九年の役)鎮定の砌 源義家公がこの杉に愛馬をつなぎ無事を祈願したといわれている』
 杉の根本に座する石祠は諏訪社と稲荷社。
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 裏参道の鳥居。

ヨコスカサマーフェスタ2015

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 知人に誘われ、海上自衛隊横須賀地方総監部(横須賀市西逸見町1丁目無番地)で行われたヨコスカサマーフェスタ2015へ行って来た。
 朝7時前に家を出て、横須賀に着いたのは11時頃。しかし花火の開始までには足利に戻ると言う予定だった為、こちらにいたのは二時間程。
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 こんごう型ミサイル護衛艦 DDG174 「きりしま」。
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 横須賀地方総監部の外から。
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 陸上自衛隊のAH-1S コブラも展示されていた。
 一緒に行った友人は海自のSH-60などを期待していたようで、少し残念がっていた。
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 海軍カレーで軽く食事を採った後、知人はマッキャンベルの方へ向かい、自分はきりしまに乗艦。
 壁には救命用の浮き輪が設置されていた。
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 浮き輪から目を上に向ければ、艦対艦ミサイルのハープーン。
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 20mm機関砲ファランクス。
 手前下側に見えるのはミサイル垂直発射装置。
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 54口径127mm単装速射砲 。
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 艦内を通って後部へ。
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 おやしお型潜水艦 SS598 「やえしお」の上甲板にも乗れたそうなのだが、行列が長くて待っている間にタイムアウトになりそうだったので、残念ながら眺めるだけに。
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 アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦 DDG85 「マッキャンベル」。
 その向こう側にはたかなみ型護衛艦 DD110 「たかなみ」。
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 その更に奥にも二隻の護衛艦が見えるが、なんだろう。はつゆき型 DD129 「やまゆき」と、あさぎり型 DD152 「やまぎり」だろうか。軍事ネタには疎いので正しいかどうかはわからない。
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 空自のペトリオットミサイルを搭載した車両。他には陸自の82式指揮通信車も展示されていた。

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 足利へと戻り、花火そっちのけで酒盛りした後、解散。

 使用機材はK-5IIsにDA FISH-EYE 10-17mmとDA 20-40mm、DA15mm。X30。
 横須賀駅の近くには鹿島神社や山王神社なども鎮座ましましているのだが、さすがに時間が無くて参詣している余裕は無かった。
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