稲荷神社(谷中)

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 谷中集会所脇に鎮座する谷中稲荷神社(三郷市谷中52-1)。
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 鳥居の柱には文化九申歳二月初午と刻まれているので、1812年の造立。
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 拝殿。
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 本殿。
 前部分が張り出しているのは珍しいような気がする。
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 後ろから。
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 日枝神社と天神社。
 鳥居の柱には「當社草創天正十九歳再ニ建文政十三年」「奉納主里正石井九卋宗右衛門源■政」と刻まれている。■の部分は忠なのか足なのか定なのかよくわからない。当地に土着した初代の石井宗右衛門(または惣右衛門)は源政同と言う名であるようだが、この鳥居を奉納したのは九代目。ググってみても出て来ない。
 日枝神社の台座には「當社草創 天正十九年」「再建 文政十一子年 東武風早荘 八木之谷中邨」、天神社の台座には「草庵寺境内ニ安置ノ処明治八年五月遷座」と刻まれている。天正十九年は1591年、文政十一年は1828年。
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 諏訪大神、三寶荒神、不明、八大龍王・水神宮、不明。
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『抑本町稲荷神社ハ西ニ秀峰富士嶽ヲ望ミ東ニ滔々ト碧水ヲ流ス阪東太郎ヲ背ニ負フ所ニ位置シ其ノ昔延享四年三月大余ノ巨木ノ覆ヒ茂ル現在地ヲ神域ト定メ嚴ニ鎮座マシマシテヨリ轉興亡幾星霜流轉変々トシテ時ハ移ロ歴史ハ変レト靈験モ新タニ氏子ノ信仰ノ的トナリ松籟ヲ神殿ニ響カセツツ家内安全ヲ見守ッテ今日ニ到ッタノデアル
時昭和三十八年ハ九・十月ノ異状渇水ニ依リ東京都民ハ其ノ日ノ飲料水ニモ事缺ク程ノ水飢饉ニ襲ハレ爲メニ都水道局ニ於テハ緊急對策トシテ水量豊ナ中川ヨリ江戸川ニ導水シ金町浄水場ニ送リ都民ノ渇ヲ癒ヤス處置ヲ取リシモノナリ其ノ道水路ガ境内地ニアタリ緑ノ巨木モ伐採サレ境内地ハ削リ取ラレ昔ノ俤今何處トナリ此レヲ機ニ部落ニテハ樹木ノ代リニ周圍ヲブロック塀ニテ圍ミ境内地ノ石垣燈籠其他一切ノ修理改築セシモノナリ
昭和三十九年十二月吉日 石井春吉撰文 沖鶴丹書』

 ググると当社は天正十八年(1590)に石井惣右衛門源政同が勧請したと出て来るから、延享四年(1747)の創建と言うことではなく、その年に当地に遷座して来たと言うことだろうか。
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 力石。

 以上で11月21日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA20-40mm、DA15mm、DA70mm。X30。
 飲食店勤務の友人が三郷店に転勤になったと言うので、では行ってみようと思い今回は三郷市の神社巡りをしてみたのだが、店の方は結構混んでいたので寄るのはヤメ。まぁその内にまた行ってみることにしよう。その後は秋葉原まで行き、新刊を購入してから帰宅。ウォーキングカウンターは23,599歩。
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稲荷神社(市助)

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 富足神社から南へ650m程、大場川の東岸に鎮座する稲荷神社(三郷市市助1-115)。
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『稲荷神社建設之碑
敬神崇祖ハ我國惟神ノ大道國体ノ要素國民精神ノ
樞軸ニシテ郷土愛ヲ涵養スル日本民族ノ基本ナリ
故ニ社殿ノ興廃ハ其部落ノ消長ヲトスル足ル茲ニ
當字氏子敬神ノ觀念ヲ振起シ浄財ヲ據集シ奮勵努
力一致シ報本反始ノ實テ揚ゲ當部落ノ隆昌ヲ企圖
セント欲シ至誠ヲ以テ社殿ヲ建設シタリ
 神ハ人ノ崇敬ニ依テ稜威ヲ増大シ人ハ神ノ加護
 ニ依テ福祉ヲ増進スト爾云
昭和七年十月建之  神職 鈴木市太郎 撰并書』
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 拝殿。
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 藁龍。
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 昭和七年(1932)十月造立のお狐様。
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 疱瘡神と水神宮。
 疱瘡神は天保五午年(1834)、水神宮は寛政十二申年(1800)の造立。
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 遠景。
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 大場川を挟んで西側に位置する曹洞宗圓通山興禅寺。
 右側の赤い屋根の御堂はなんだかわからないけれど、御堂の前に不動明王の線刻碑があったので、もしかしたら不動堂なのかも。

富足神社(岩野木)

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 大場川上流排水機場の南150m程、大場川に架かる岩野木橋の東側に鎮座する富足神社(三郷市岩野木119)。
 御祭神は面足尊、惶根尊、猿田彦命。
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『市指定無形民俗文化財 幸房・岩野木の獅子舞
 富足神社は社伝によれば、明治四十三年(1910)三月十五日、早稲田村大字岩野木と同村大字幸房の各社を合祀して成立したといわれている。社名は、同村幸房の福富神社の「富」と岩野木の面足神社の「足」を組み合わせて「富足神社」としたと伝えられている。
 獅子舞の起源は、言い伝えによれば、大水に見舞われた時に、三頭の獅子頭が江戸川に漂着し、疫病が流行ったためそれを鎮めるために獅子舞が奉納されたといわれている。
 演目は一庭といい、全部で七庭(花がかり、御幣がかり、かんぬきがかり、弓がかり、網がかり、橋がかり、女獅子がかり)ある。各庭では女獅子、中獅子、大獅子の順で舞い、その後、それぞれのかかりの舞になる。庭により笛の曲が異なり、最後に全ての庭で三頭が神前にひざまずいて終わる。この間、先導役の猿は、猿まね踊りをしながら、見物客と交わる。以前は、十月十五日に興禅寺境内で、翌十六日に富足神社境内で舞っていたが、近年の社会情勢の変化に伴い、十月十五日前後の日曜日を祭礼日として一庭を奉納し、その前日を宵宮としている。
 指定年月日 平成十五年三月十七日』
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 拝殿。
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 狛犬。
 台座には平成十七年十月吉日と刻まれており、社殿建て替えの落慶記念に奉納されたものである。
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『社殿建て替え造営工事竣工記念顕彰碑
 当富足神社は、明治三十九年の勅令第二百二十号に基づき明治四十三年三月十五日に大字幸房福富神社、大字岩野木字大堤添面足神社、並びに同字大堤外猿田彦神社、及び同村地内の稲荷神社三社と香取。稲荷合殿一社の七社が合祀され、福富の「富」、面足の「足」を合わせ富足神社と命名されました。内陣には、金幣二柱、男神像、女神像、正一位稲荷大明神の神璽が祀られています。これらはこの地域に点在分祀していた産土神であり、先人達の信仰の対象でありました。
 また明治四十三年八月の記録的な豪雨により、当地区の殆どが水没する未曾有の水害があり、当時河川を管轄する内務省が江戸川改修工事をするため、当地区内社の移転を余儀なくされるという事情もありました。移転用地は、内務省が氏子総代吉田氏から、大字岩野木一一九番地、面積三百三十坪を譲り受け、富足神社の境内地として提供されました。このような経緯から、大正二年一月二十三日に富足神社の上棟祭が執り行われ、今日に至っています。
 現在までに九十有余年の歳月が過ぎ、社殿の老朽化が進み、最早風雪に耐えることは至難な状態になっていたことから、ごく自然な形で神社を建て替えようとの気運が高まりました。その背景には平成十七年という年は、つくばエクスプレスの八月開通・三郷中央駅の開業に神社の建て替えを合わせようということがあります。また懸案の興禅寺建て替え工事完成にも刺激され、推進する風潮が高まりました。さらに先人達が信仰・崇拝してきた遺物を護持しようという氏子の気持ちが表われた結果ともいえます。
 平成十六年八月建て替え検討会が立ち上げられ、氏子会代表者の全会一致決定、九月建設委員会発足、十月建設常任理事会が設立、浄財の調達等が協議されました。各地区代表有志の資金勧誘には、多額の資金が集まり、更に外溝工事一式及び旧石祠の移設整備、狛犬の建立、手水所等の設備も整えられることになりました。これは、先人達の信仰した氏神様のご霊験とご加護によるもので、当地域の将来への発展と興隆を予兆しており、悦びに堪えないところです。今後とも天壌無窮、五穀豊穣、国土安穏、氏子安全、家門繁栄、所願成就を謹んでお祈りいたします。
 平成十七年に入り、三月八日地鎮祭、四月二十九日上棟祭執行、十一月三日本殿造営工事竣工落慶の運びとなったものです。
 先人達がこの地を生活の基盤と定め、開拓に粉骨砕身、努力して美田を作り後世に残された遺業を称えこれを継承し、ここに社殿建て替え事業の落成竣工に際してご協賛者各位に深甚なる敬意と感謝を申し上げ、碑にその顛末を記し、その名も刻して後世のため永くこれを顕彰いたします。
 平成十七年十一月三日』
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 水神宮x2、申田彦大神、香取神社、天神社。
 左の水神宮は天明六丙午年(1786)、右の水神宮は明治廿一年(1888)三月六日再建。申田彦大神は寛文九己酉年(1669)。香取神社は嘉永四年辛亥(1851)十月建立。天神社は天保五甲午歳(1834)六月再建。
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 青面金剛x2、庚申塔、青面金剛、不明。残った形から見て、馬頭観音だろうか。
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 ちょっとだけアップで。
 左は享保三戊戌歳(1718)九月。中央は享保元丙申歳(1716)十月。右はわからなかったが、冠や武器の造形、鳥の有無などに違いが見られるので、違う時代なのだろう。また左の邪鬼は褌をしめていたり、右は邪鬼が二匹いたりなどの違いも見て取れる。
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 不明、庚申塔x2、水神宮、不明。
 左端は文久二戌年(1862)。左の庚申塔は文政五年午(1822)四月……かな? ちょっと分り難い。右の庚申塔は上の方が破損しており五月としかわからない。水神宮は天明七丁未(1787)八月。右端は天明六丙午(1786)三月。
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熊野神社(茂田井)

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 茂田井町会集会所脇に鎮座する茂田井熊野神社(三郷市茂田井615)。
 鳥居の柱には「安永六丁酉歳二月吉祥日」「流山石工 孫七」と刻まれている。安永六年は1777年。
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 叉木。
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 狛犬。
 台座には「昭和六年九月吉日 當字 要店號 石井増治郎」と刻まれている。昭和六年は1931年。
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 二の鳥居。
 柱の内側に「文化二乙丑年二月吉日」「中組 氏子中 石工 戸ヶ崎 林正明」と刻まれている。文化二年は1805年。
 実はこの柱に刻まれた文字と一の鳥居に刻まれた「流山石工 孫七」には初め気付かなかったのだが、たまたま居合わされた研究者の方から教えて頂いた。
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 奉納された砲弾。
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 拝殿。
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 金刀比羅宮と天満宮。
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 左から八大龍王・水神宮、三峯大権現、井戸水神宮、雷電社。
 井戸水神宮は大正五年(1916)十月、雷電社は明治十一年(1878)五月の造立。
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 光明真言百万遍塔。
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 青面金剛。側面には明和八辛卯歳十一月吉日と刻まれているので、1771年の造立。
 右は折れてしまっていてなんだかわからないが、馬頭尊だろうか。
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稲荷神社(茂田井)

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 茂田井熊野神社の北西100m程の位置に鎮座する稲荷神社(三郷市茂田井590)。
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 拝殿。
 大棟には右三つ巴紋が見える。

日枝神社(笹塚)

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 笹塚交差点のそばに鎮座する日枝神社(三郷市笹塚54-2)。
 鳥居の額には山王大権現と稲荷大明神の名が陽刻されており、また柱には「平成十八年七月吉日」「笹塚日枝神社氏子中」と刻まれている。
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 鳥居の手前右側に青面金剛。
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 拝殿。
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 天満宮。
 側面には「寛政四子年九月吉日」と刻まれているので、1792年の造立。
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 社殿裏から。
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 壊れた鳥居。
 柱には「天保十一庚子年六月 世話人 遠藤忠五郎 加藤弥市」「奉納 御寶前 武州葛飾郡笹塚村 願主 加藤冶右衛門 氏子中」と刻まれている。天保十一年は1840年。
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 石祠の表には「水難除 水神宮 八大龍王」、側面には「天明三癸卯三月吉日」と刻まれている。天明三年は1783年。
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 昔の社号標石だろうか。「山王大権現 八十八ヶ所札所 笹塚村」と刻まれている。

駒形神社(駒形)

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 稲荷神社から西へ向かい、特別支援学校前の細い道を南に入って行くと、駒形神社(三郷市駒形499)に到着。
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 宝暦二壬申年(1752)十一月造立の青面金剛。
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 鳥居。
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 古墳の上に建てられたのかと思ったが、ググってみたらそのようなことはなかった。
 創建年代は慶長年中(1596~1615)と伝えられ、明治四十二年七月に字内の無格社稲荷神社と日枝神社、天神社を合祀したとのこと。
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 拝殿。
 撮影中に銀杏がボットボットボットボットと落ちて来る。
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 社殿西側から。
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 天満宮。
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 八大龍王・水神宮。

稲荷神社(南蓮沼)

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 新三郷浄水場の南に鎮座する稲荷神社(三郷市南蓮沼33)。
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 拝殿。
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 平成三年(1991)十一月造立のお狐様。
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 末社など。
 左奥から正一位稲荷大明神(安永八己亥天十二月(1780)吉日)、水神宮・八大龍王(天明五乙巳(1785)三月六日)、大六天神社、庚申塔(萬延元庚申年(1860)六月吉日)、皇運隆昌の碑。

辨財天(仁蔵)

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 香取神社から西へ向かい、大場川に架かる新三郷橋を渡って南へ170m程へ歩いて行くと、川の畔に辨財天(三郷市仁蔵305-2)が鎮座している。
 鳥居の柱には「平成十三年十月吉日」「岡田久松」と刻まれている。
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香取神社(三郷三丁目)

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 埼玉県道29号草加流山線大広戸横断歩道橋のそばに鎮座する香取神社(三郷市三郷3-14-5)。
 参道両脇に埋もれている石は力石。
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 拝殿。
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 水神宮。
 側面には寛政三辛亥年三月吉日と刻まれているので1791年の造立。
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 石仏群。
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 右側の建物は大廣戸公民館。

稲荷神社(早稲田一丁目)

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 三郷駅北口交差点のそばに鎮座する稲荷神社(三郷市早稲田1-4)。
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箭弓稲荷神社(上野一丁目)

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 東京都道452号神田白山線湯島中坂下交差点の東側、豊昇堂美術店と上野ファーストシティホテルに挟まれる位置に鎮座する箭弓稲荷神社(台東区上野1-14-1)。
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『箭弓稲荷神社御縁起
御祭神
 宇迦御魂神
御由緒 
 鎮座の年月、由緒は不詳ですが往古より石川主殿頭成之の屋敷内に鎮座して徳川家光公より銀杏の木を拝領し後「銀杏稲荷」と云われていました。
 明治の初期廃藩置県により此の地は民家に移り神社は放置されましたがその後故松山治郎吉氏が武州松山箭弓稲荷神社より御分社を受けお祀りするに至りました。
 大正十二年九月関東大震災により神社御神木(幹廻り九尺五寸、高さ十四間)は類焼しましたのでその一部を以って御神体を彫刻し残りの木を資材として現社殿を御造営致しました。
 昭和五十四年五月再建五十周年を記念して修復され現在に至っております。
 当神社は特に火伏せと商売繁昌の神として古来より有名です。
大祭 毎年 五月二十二日
祭日 毎月   二十二日』
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 お狐様。
 台座には「正派富士松社中」とあり、「吾妻路家元宮古太夫」を始めとして十数名を越える名が刻まれている。
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 割拝殿になるんですかね、これ。
 拝殿前に階段があり、上は社務所か何かになっているのだろうと思われるので、単に少ない境内地に詰め込めるようにした結果なのだろうけれど。
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 拝殿。
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 破風には狐の姿が見える。
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 以上で10月31日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA20-40mm、DA FISH-EYE 10-17mm、DA15mm、DA70mm。X30。
 この後は秋葉原まで歩き、やはり新刊を購入してから帰宅。ウォーキングカウンターは19,272歩。

八幡神社(台東四丁目)

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 御徒町公園の端に鎮座する八幡神社(台東区台東4-13)。
 由緒書き等は見当たらないのでググってみると、こちらは伊予国大洲藩の藩主である加藤家の上屋敷跡であり、大洲八幡神社から勧請したものであると言う。
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 社殿の壁面には彫刻が施されているが、残念ながら背面の彫刻は見られなかった。
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秋葉神社(台東四丁目)

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 台東区立平成小学校の東側に鎮座する秋葉神社(台東区台東4-21-23)。
 こちらに参詣するのは2010年10月以来だから、五年ぶりか。前回は工事中だったのでお参りできなかったが、流石に今回は大丈夫。
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『佐竹秋葉神社由来
 正一位秋葉山中宮秋葉神社の御祭神は、火之迦具土命と申上げ火除けの守り神で御神徳は特に火の幸を恵み、悪火を鎮め、火防開運の神並びに火災消除、家内安全、厄除開運、商売繁盛、の霊験灼たかにして全国より信仰されている。
 町内に鎮座まします秋葉神社は二十八万石を有する東北地方屈指の大名で秋田藩十二代藩主佐竹右太夫義尭公、上屋敷の守護神にてこの地にあった広大な屋敷跡である。
 明治維新の大変動期に秋田藩も財政難となり国に上屋敷を上納その時に新政府によりこの地の住居表示が決まり、竹町十二番地一号より二十四号地迄と制定され現在もその儘使用されている佐竹町会の号地区分はその時出来たものである。秋葉神社は明治二十二年四月秋葉ケ原より勧請遷座し昭和五年四月町会先人有志の方々により現在地に社殿を造営したもので当町会では火伏せの神として崇め毎年十一月第二日曜日に大祭を行っている。世に名高い「秋葉の火祭り」は本宮秋葉神社で毎年十二月十五、十六、の両日盛大に行われ火災消除の大祈祷が古式豊かに荘厳の内に執り行われている。
 平成十年十一月祥日』
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 昭和五年五月造立の狛犬。
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西町太郎稲荷神社(東上野一丁目)

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 下谷神社の南西300m程の位置に鎮座する西町太郎稲荷神社(台東区東上野1-23-2)。
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『太郎稲荷の由来
当町は、江戸時代の万治年間、九州筑後柳川藩十一万九千六百石の太守立花左近将監が江戸上屋敷として設けた跡地であって、当太郎稲荷は立花左近将監の母堂みほ姫の守り本尊として同邸内の現在地に建立されたものです。諸々の祈願事を叶え給い、特に商売繁昌に御利益あらたかな処から江戸明治大正時代を通じて広くその名が知られ、多くの善男善女に厚く信仰されて来ております。現在も町内有志集って由緒ある当祠の維持運営に務め初午祭などが盛大に行われております。
 昭和五十九年三月十一日 初午祭』

下谷神社(松が谷三丁目)

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 東京メトロ銀座線稲荷町駅の南西、東京都道463号線浅草通りに北面して鎮座する下谷神社(台東区東上野3-29-8)。
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 二の鳥居。
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『下谷神社
 台東区東上野三丁目二十九番八号
 天平二年(730)、上野の忍ヶ岡に創建されたと伝えられる。寛永四年(1627)、寛永寺の建立のため山下に移された(現在の岩倉高校あたり)、しかし土地が狭く、延宝八年(1680)に広徳寺前通り(現在の浅草通り)の南側に移る(現在地の近く)。その周囲には武家の屋敷や長屋が建ち並んでいた。
 本社は下谷の鎮守として広く信仰を集め、「下谷稲荷社」・「下谷惣社」などとよばれた。稲荷町という地名も、本社に由来する。江戸時代にには開帳・人形芝居などがおこなわれ、祭礼の時には盛大な行列がみられた。
 「下谷神社」と改称したのは明治五年(1872)である。関東大震災の後、昭和三年(1928)の区画整理により、東南に五十メートルほどの現在地に移る。新築された拝殿には、池之端に住んでいた日本画の巨匠、横山大観により雲竜図の天井画が描かれた(平成十二年、台東区有形文化財)。
 平成十六年三月』

 下谷神社の公式サイトによると、御祭神は大歳神と日本武尊である。
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 旧町名由来案内板。
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 神門。
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 狛犬。
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 拝殿。
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 末社である隆栄稲荷神社の鳥居。
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 二~四の鳥居。
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 お狐様。
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 向かい側には力石と狐塚。
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 塚に寄って。
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 聖龍華……あとはなんだろう。院かな?
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 西の鳥居と神楽殿。
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 南の鳥居。

矢先稲荷神社(松が谷二丁目)

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 合羽橋交差点の南西150m程の位置に鎮座する矢先稲荷神社(台東区松が谷2-14-1)。
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 拝殿。
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『当たり矢の矢先稲荷神社
御由緒
 当社は寛永十九年(1642)十一月二十三日に三代将軍家光が、当地に浅草三十三間堂を建立した際、その堂の鎮守として稲荷神を祭ったのに始まると伝えられています。
 浅草三十三間堂射術稽古場の的先に奉納されたために、その社名も矢先稲荷神社と称されました。
御祭神
 倉稲魂命 福禄寿
御神徳
 五穀豊穣・長寿・商売繁昌・開運・所願成就・縁結び
御神宝
 神殿の天井絵・馬術絵百体
 (神武天皇から昭和に至るまでの馬乗りの絵百体/海老名駿堂画伯作)』
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 神職さんに声をかけてから拝殿に上がり、天井絵を拝観。
 ちなみに天井絵の撮影は許可されているが、本殿などの撮影は禁止となっている。
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『矢先稲荷神社 天井絵馬解説
作成年・・・昭和三十九年(昭和三十五年 作画開始)
作 者・・・海老根駿堂先生(明治三十八年~平成元年)
 寛永十九年(1642)当地に三十三間堂が建立され、京都三十三間堂に倣い、弓術の練成である「通し矢」が盛んに行われておりました。
(当地三十三間堂は一六九八年の大火に依り焼失。その後深川にて再建)
 矢場の的先に堂の守護として、稲荷大明神が祀られた事から「矢先」稲荷神社と命名されたと言われております。
 昭和三十五年、現社殿が完成した折り、弓術と縁の深い馬術の絵馬を社殿の格天井に揮毛したいとの氏子崇敬者達の強い思いから、斯界の権威 海老根駿堂先生の協力を得て、神代より昭和に至る馬乗絵を奉納する事になりました。
 海老根駿堂先生に依る作画は約五年の歳月に亘り、完成された百枚の馬乗絵は社殿に一層の荘厳さと威容を整えていただきました』
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 狛犬。
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『浅草三十三間堂跡
 台東区松が谷二丁目十四番一号
「文政町方書上」によると、寛永十九年(1642)十一月二十三二日、弓師備後が浅草において、幕府から六千二百四十七坪八合の土地を拝領し、三十三間堂を創建した。位置はこの付近一帯と推定される。
 堂創建に際し、備後は矢場(弓の稽古場)を持つ京都三十三間堂にならい、堂の西縁を矢場とし、その北方に的場を設けた。ここでの稽古は京都の例にならって、堂の長さを射通す「通矢」の数を競った。
 元禄十一年(1698)九月八日、世に「勅額火事」と呼ぶ江戸大火が起こり、三十三間堂も焼失。跡地は公収された。同十四年に替地を給され、三十三間堂は深川に移転して再建。以後、両者を区別するため、浅草・深川の地名を冠して呼ぶのが通例になった。
 矢先稲荷神社は的場に隣接していたのにちなみ「矢先」の名が付されたという。
 平成七年三月』

かっぱ河太郎像(松が谷二丁目)

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 合羽橋交差点の傍、蝦夷屋とヤマヤ商店の間に位置するかっぱ河太郎像(台東区松が谷2-25)。
 足下のタイルは河童の絵になっている。
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『かっぱ橋の由来
 合羽橋の由来には二つの説がある。
 その一つは、今から160年ほど前の文化年間のころ、この一帯は、水はけの悪い土地でたびたび出水を起していた。そこで、合羽川太郎(本名:合羽屋喜八)は、私財を投じて排水工事に着手したが、工事はことのほか難航した。昔、川太郎に助けられたことのある隅田川の河童たちは、これを見ていたく同情し工事を手伝ったおかげで、掘り割り(当時は新堀川と呼ばれた)は見事に完成した。この故事にちなんで「合羽橋」としたというものである。
 もう一つの説は、今の金竜小学校のあたりにあった伊予新谷の城主、加藤家下屋敷に住む侍や足軽が、内職に作った雨合羽を近くの橋で乾かしたことで、「合羽橋」と呼ばれるようになったというものである』
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『かっぱ河太郎像の碑
 古来合羽橋は商売とは深い縁で結ばれていた
 今から約二百年前の文化年間 商人として財を成した合羽屋喜八は このあたりの水はけが悪く 僅かな雨で度重なる洪水に人々が難儀をしていることを見かね 私財を投げ出し 治水のために掘割工事を始めた ところが工事は困難を極めなかなか捗らない その様を見ていた隅田川の河童達が喜八の侠気に感じ 夜な夜な現れては人知れず工事を進め さしもの難工事もついに完成した
 そして その河童を見た人は なぜかそれから運が開け 商売が繁盛したという
 この故事に鑑み 合羽橋道具街の誕生九十年を迎えるにあたり ご来街のお客様ともども幾久しい商売繁盛を祈念し 台東区の協力を戴きこの地に かっぱ河太郎像 を建立する
  平成十五年十月吉日』
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 かっぱ河太郎の像。
 ……えーと、これだとかっぱ河太郎(合羽屋喜八)が河童であるかのようになっていませんか。像を建てるなら河童の姿以外無いとは思うけど。

日枝神社(西浅草三丁目)

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 感應稲荷神社の西250m程の位置に鎮座する日枝神社(台東区西浅草3-8-1)。
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 拝殿。
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 拝殿から鳥居を見下ろしてみる。
 鳥居の柱に昭和三十一年五月十七日の文字が刻まれているのが見える。
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鷲神社(千束三丁目)

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 吉原神社の西130m程、東京都道462号蔵前三ノ輪線に西面して鎮座する鷲神社(台東区千束3-18-7)。
 11月5日、17日、29日が酉の市とあってか、色々と作業中。先週と言うか24日の内に来ておけば良かったかな。
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 一の鳥居。柱には昭和五年拾月吉日とある。昭和五年は1930年。
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 二の鳥居。柱には天保十己亥年九月吉日と刻まれている。天保十年は1839年。
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 二つめの叉木をくぐると、
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 拝殿。
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 なでおかめ。
 来歴などは公式サイトに記されている。
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 神楽殿兼授与所と瑞鷲渡殿。
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『鷲神社の御由緒
御祭神 天日鷲命・日本武尊
 鷲神社は江戸時代以前より此の地にまつられ、鷲大明神社と号し、福運を招き、強運にあずかる守り神として鷲大明神がまつられております。鷲大明神は天日鷲命と申され、開運・商賣繁昌にあらたかな神として古くから崇敬されております。そのお姿は、鷲の背に乗る衣冠束帯のお姿で「鷲大明神・おとりさま」とも云われ、江戸の数々の火災、関東大震災、第二次大戦の戰禍にもお守りされ、三百年以上にわたり鷲神社に安置されております。
 その発祥は、景行天皇の御代、日本武尊が東夷征討の時、鷲大明神社(鳥の社)に立ち寄られ、戰勝を祈願し、志を遂げての歸途、社前の松に武具の「熊手」をかけて戰勝を祝い、お礼参りされました。その日が十一月の酉の日であったので、この日を鷲神社の例祭日と定めたのが「酉の祭」即ち「酉の市」の起源発祥です。

「酉の市」は江戸時代は「酉の祭」と云われ、人と神が和楽する祭りを意味しております。「市」は「齋く」という意味で神様をお祭りするために「身を清めてつつしむ」ということです。
 このように「市」は"清浄な神様"を表しております。又、錦絵等に画かれて熊手にも神社で使われる「四手」や神様を祭る場所を示す注連縄がつけられております。この事からも「酉の市」が神社の祭りであり、神様と善男善女の人々が共に和み楽しむ祭りなのです』
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吉原辨財天(千束三丁目)

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 吉原神社の120m程南に鎮座する吉原辨財天(台東区千束3-22-3)。
 こちらは吉原神社に合祀されている吉原辨財天の本宮であり、飛び境内地となっている。
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 弁天宮。
 向かい側に弁天池があるのだが、撮るのを忘れていた。小さい。
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 新吉原女子保険組合と刻まれた台座の上に小さな石祠……かな? なんだろうこれ。
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 宇賀辨財天、辨財天、阿弥陀如来の像が安置されている。
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 琵琶を奏でる辨財天と、小さな白衣観音像。
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 宇賀辨財天と阿弥陀如来。
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 弁天池の脇に不動明王。
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 鳥居の向かい側には関東大震災殃死者追悼記念碑。
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 塚の頂には白衣観音像。
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『花吉原名残碑
 台東区千束三丁目二十二番 吉原弁財天
 吉原は、江戸における唯一の幕府公許の遊郭で、元和三年(1617)葺屋町東隣(現中央区日本橋人形町付近)に開設した。吉原の名称は、植物の葭の生い茂る湿地を埋め立てて町を造成したことにより、はじめは葭原と称したのを、のちに縁起の良い文字にあらためたことによるという。
 明暦三年(1657)の大火を契機に、幕府による吉原遊郭の郊外移転が実行され同年八月浅草千束村(現台東区千束)に移転した。これを「新吉原」と呼び移転前の遊郭を「元吉原」という。
 新吉原は江戸で有数の遊興地として繁栄を極め、華麗な江戸文化の一翼をにない、幾多の歴史を刻んだが、昭和三十三年「売春防止法」の成立によって廃止された。
 その名残を記す当碑は、昭和三十五年地域有志によって建てられたもので、碑文は共立女子大学教授で俳人、古川柳研究科の山路閑古による。
 昭和四十一年の住居表示の変更まで新吉原江戸町、京町、角町、揚屋町などのゆかりの町名が残っていた。
 平成十七年三月』
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『二神出世この方 男女相聞の道開け 日本国は常世の春となれり 中の頃江戸の初世に庄司甚右衛門といへる人あり 府内に一廓の遊所を開き 名づけて元吉原といふ 明暦三年故ありて廓この地に移り 名も新吉原と改む 爾来年を共に繁榮しやがて江戸文化の淵叢となれり 名妓妍を競ひ万客粹を争ひ 世俗いふ吉原を知らざるものは人に非ずと 開基以来火災を蒙ること十数度 震災又戦禍を受くるとも微動だもせざりし北国の堅城も 昭和三十三年四月一日売春防止法の完全施行を期として 僅か一夜にして消滅し了んぬ 人為の天工を亡ぼす何ぞ甚しきや 二万七百余坪の旧地悉く分散して 辛くも瓢池一半を殘すのみ 有志等この池畔に一基の碑を建つるは 麗人吉原が悲しき墓標の營みなりけりと云爾
 昭和三十五年五月二十日
         白面青客 山路閑古 撰並書』
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『新吉原花園池(弁天池)跡
 台東区千束三丁目二二番
 江戸時代初期までこの付近は湿地帯で、多くの池が点在していたが、明暦三年(1657)の大火後、幕府の命により、湿地の一部を埋め立て、日本橋の吉原遊郭が移された。以来、昭和三三年までの三○○年間に及ぶ遊郭街新吉原の歴史が始まり、とくに江戸時代にはさまざまな風俗・文化の源泉となった。
 遊郭造成の際、池の一部は残り、いつしか池畔に弁天祠が祀られ、遊郭楼主たちの信仰をあつめたが、現在は浅草七福神の一社として、毎年正月に多くの参拝者が訪れている。
 池は、花園池・弁天池の名で呼ばれたが、大正一二年の関東大震災では多くの人々がこの池に逃れ、四九○人が溺死したという悲劇が起こった。弁天祠付近の築山に立つ大きな観音像は、溺死した人々の供養のため大正一五年に造立されたものである。昭和三四年吉原電話局(現在の吉原ビル)の建設に伴う埋立工事のため、池はわずかにその名残を留めるのみとなった。
 平成十年三月』
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 通路に沿って、千手観音や大日如来、阿閦如来、阿弥陀如来、虚空蔵菩薩、勢至菩薩、観世音菩薩、薬師如来、普賢菩薩、不動明王などが並んでいる。

吉原神社(千束三丁目)

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 台東区立台東病院の東側、仲之町通りに面して鎮座する吉原神社(台東区千束3-20-2)。
 東京都神社庁による吉原神社の頁を見ると、吉原大門の手前に祀られていた玄徳稲荷社に、吉原遊郭の四隅に祀られていた榎本稲荷社・明石稲荷社・開運稲荷社・九郎助稲荷社の四社を明治五年に合祀して吉原神社と称したが関東大震災により焼失。その後昭和九年に現在地に新社殿を造営し、その際に吉原弁財天も合祀したと記されている。御祭神は倉稲魂命と市杵島姫命。
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 狛犬。
 鳥越神社の狛犬と似ている。稲荷神社系なのに狐ではなく狛犬なのね、ここ。そう言えば玉姫稲荷神社も狛犬だったか。
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『逢初桜
「逢初め」とは、恋焦がれている人に初めて会うおいう意味があり、二百年前に吉原神社(旧吉徳稲荷神社と称す)の御神木として崇信されていたが、明治四十四年の大火にて焼失し、忘れられて現在に至る。
今、うれしくも百年ぶりに吉原神社御神木として復活することが出来ました。浅草防犯健全協力会の甚大なる努力と奉納に深く感謝します。
 平成二十五年一月吉日』
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 拝殿。
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 境内社。
『お穴様
此処の地中には神社の土地をお守りする神様がおられます。
心をこめてお詣りすると必ず福が得られると伝えられ大切にお護りしております』
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 龍燈鬼と天燈鬼。
 昔はこれらが石燈籠として使われていたのだろうか。
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