皆中稲荷神社(百人町一丁目)

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 JR山手線新大久保駅のすぐ西側に鎮座する皆中稲荷神社(新宿区百人町1-11-16)。
 鳥居の柱には昭和三十四年九月建之と刻まれている。
 こちらに参拝するのは二年ぶり。前回は正月三が日の内だった為に参拝者が多く、撮影をするのは躊躇われたのだが、今回は一月も下旬となればほぼいないだろうと……思ったよりいるな。
 公式サイト有り
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 明治天皇の詠まれた和歌を刻んだ歌碑。
「まがねしく 道のひらけて つつじ見に ゆく人おほし 大久保の里」
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 お狐さま。
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 拝殿前の鳥居。
 こちらの柱には平成二十五年五月と刻まれている。
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 拝殿。
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 狛犬。
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『新宿区登録無形民俗文化財 江戸幕府鉄砲組百人隊行列(出陣の儀)
 所 在 地 新宿区百人町一丁目十一番十六号
 指定年月日 平成十四年二月一日
 皆中稲荷神社の例大祭で隔年(平成は奇数年)に開催される行事で、江戸時代に現在の百人町一帯に屋敷を与えられていた幕府鉄砲組百人隊が、神社に奉納したと伝えられる出陣式を再現したもの。
 当日は、甲冑に身を固めた武将が百人町周辺を隊列行進し、火縄銃を構えた鉄砲隊が、数ケ所で古式にのっとり試射を行う。
 鉄砲組は四組あり(百人町に住んだのは二十五騎組、別称久保組)、通常は交替で江戸城大手三之門を警備した。また、将軍の寛永寺・増上寺・日光東照宮参詣には護衛をした。
 皆中稲荷神社は、鉄砲組から信仰された。ある隊士が稲荷の霊夢により百発百中の腕前に上達したことが起源という。皆中は「みなあたる」の意味がある。
 平成十五年三月』
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 末社。左から御嶽神社、開運稲荷大神、三峯神社、辨財天社。
 公式サイトには大鳥神社と厄除稲荷神社の名も記されているのだが、どこにあったのだろう。見落としたかな?

 以上で1月23日参拝分終了。使用機材はK-5IIsにDA20-40mm、DA15mm、DA35mm Macro、50-150mm II。X30。
 この後は秋葉原で新刊を購入したりヨドバシAkibaでカメラをいじったりしてから帰宅。ウォーキングカウンターは25,651歩。
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鎧神社(北新宿三丁目)

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 東京都中央卸売市場淀橋市場の南西、中央緩行線鎧ガード下を抜けた先に鎮座する鎧神社(新宿区北新宿3-16-18)。
 鳥居の柱には平成八年九月吉日を刻まれている。
 公式サイト有り
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『鎧神社縁起
新宿区北新宿三丁目十六番十八号
祭神
 日本武尊 大己貴命 少彦名命 平将門公
縁起・氏子他
 当社は江戸時代迄、鎧大明神と称し此の辺りの古社として人々の尊崇を受けて来たが、鎧の社名は日本武尊御東征のおり、甲冑六具の内を此の地に蔵めた事より社名起ると伝えている。天慶三年(940)関東に威を称えていた平将門公、下総猿島に亡びし時、土俗の公を追慕して天暦(947)の始め、将門公の鎧も亦此所に埋めたという。別説によれば将門軍残党を追って此地に来た藤原秀郷、重病を得て悩み苦しんだ時、是れ皆将門公の神霊の怒り也と怖れ、薬師如来を本尊とする円照寺々内に公の鎧を埋め、一祠を建てて厚くその霊を弔った所、病い悉く癒えたという。これを聞いた里人達その神威のあらたかなるを畏み、柏木淀橋にかけての産土神、鎮守の社として深く信仰して来たものである。明治初年将門公は朝廷に反したものとして官の干渉で末社に移されたが、大戦後氏子全員の願いで本社に復する。氏子他は北新宿全域と西新宿一部』
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 拝殿。
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 どっしりとした狛犬。
 台座には昭和十一年九月吉日と刻まれている。
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 西の鳥居。
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 狛犬。
 台座には天保七年丙申五月と刻まれているので、1836年の造立。
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 末社稲荷神社・三峯神社・子の権現社。
 と言うことなのだが、あっれぇ? 祠は二つしか無いぞ。どちらかが相殿になっているのかな。
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 お狐さま。
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 摂社天神社。
 鎧神社のサイトによれば、こちらの天神社は成子天神社の元宮であることから元天神とも呼ばれているのだそうだ。成子天神社はここからほぼ真南に1km程の距離にある。
 鳥居の柱には平成十三年五月吉日と書かれている。
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 社殿。
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『新宿区指定有形民俗文化財 狛犬型庚申塔
 所 在 地 新宿区北新宿三丁目十六番十八号
 指定年月日 昭和六十年十月四日
 素朴な一対の狛犬を用いた庚申塔で、台座正面に「庚申奉造立供養」。側面には武州豊島郡柏木村在住の講中の氏名と享保六辛丑天十一月(1721)の紀年銘が記されている。
 向って右側が阿形像(雄)、左側が吽形像(雌)で、当時の姿をほぼそのまま残している。
 狛犬型の庚申塔は珍しく民俗学的にも貴重なものである。
 平成四年八月』
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 狛犬の形をした庚申塔。
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諏訪神社(高田馬場一丁目)

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 東京メトロ副都心線西早稲田駅の西、諏訪通りに面して鎮座する諏訪神社(新宿区高田馬場1-12-6)。
 公式サイト有
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『東京市淀橋區諏訪町鎮座 諏訪神社
祭 神 武御名方神
    大國主神
    事代主神
大 祭 二月二十七日  祈年祭
    九月二十七日  例大祭
    十一月二十七日 新嘗祭
中 祭 一月二十七日  五月二十七日
小 祭 毎月二十七日  月次祭
恒例祭 六月三十日 十二月三十一日  大祓式
由 緒 鎮座ノ儀ハ弘仁年中從三位左大辨小野篁朝臣
    祭祀ト言承和年中眞雅僧正再營ト言永承年中
    源頼義父子奥羽征伐ノ時祈願有テ凱陣ノ節武
    器ヲ納ム人皇八十二代後鳥羽院御宇文治五年
    春源二位賴朝郷奥州發向ノ時祈願有テ凱陣ノ
    後社殿造營ス應仁三年春太田持資再營ト言寛
    永年中將軍家光公再營ス明和年中將軍家治公
    鷹狩ノ節御成有之當社ノ神ヲ御城庭ヘ遷座ノ
    上意ニ付紅葉山吹上兩御庭ヘ遷祭ス天保十二
    年松平出羽守ノ依賴ニ因テ赤坂邸内ヘ遷祭ス
    射的砲術天覽トシテ明治天皇御幸ノ節當社ヘ
    神酒鴨ヲ被献明治四十年當社修繕ノ際近衛各
    聯隊ヨリ金品ヲ寄附セラル同年五月幣帛供進
    神社ニ列セラル』
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 二の鳥居。
 柱には大正四年十一月と刻まれている。
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 狛犬。
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 狛犬二号。
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 拝殿。
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 斜めから。
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 御嶽神社。
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『新宿区登録有形民俗文化財 塞神三柱の塔
 所 在 地 新宿区高田馬場一丁目十二番六号
 指定年月日 平成五年三月五日
 天和二年(1682)に造立された舟形の石塔で、中央に「塞神三柱」、その右側に「諏訪神社上下大明神」および「正八幡大菩薩」、また左側には「天(以下欠損のため不明)」および「稲荷大明神」と刻まれている。
また、その上方には右に月形、左に日形が彫られている。
 塞神は、村の境や峠に祀られる、境界を守護する神とされ、石塔としては江戸時代に南関東地方を中心に盛んに造立された。
 諏訪神社の塞神塔は区内で唯一のもので、また、「塞神三柱」の文字が刻まれた例は少なく、大変貴重である。
 平成六年六月』
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 塞神三柱の塔と庚申塔。
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 稲荷神社。
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 神輿庫。
『校倉造 神輿庫
 校倉とは奈良時代に神社佛閣が宝蔵として盛んに作った純日本的高床式の倉庫です。
 現存する有名なものに正倉院があり、二月堂、手向山八幡、唐招提寺などの校倉も現存しています。
 然しこれらの校倉はすべて木造で、これをコンクリートで、作ることは、技術的にも、様式的にもむずかしく、知る限りではまだ一棟も完全なものがありません。
 当社では今回数少ない専門的技術人を得て、ここにコンクリートによる完全な校倉造りの大神輿の倉庫を建造しました。
 大変珍しく、貴重な建物ですから大切に保存して下さい。
 昭和五十二年六月二十五日』
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 神楽殿。
 左奥に見える建物は各氏子地域の神輿庫だろうか。
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『明治天皇射的砲術天覧所阯
 明治十五年、諏訪の森近衛射的場が神社前に出来ました時、明治天皇の行幸があり、当社境内よりその射撃演習を御覧になられました。その折、畏くも天皇より神酒、鴨を賜り、氏子の歓喜、感激は大変なものでした。その後、御社殿の屋根には菊の御紋を付ける様になり、又射的場にみえられる各宮殿下には、皆当社の社務所に御休憩遊ばされました。
只今拝殿に掲げている神号額も小松宮彰仁親王殿下の御真筆であります。昭和十八年には当天覧所阯は東京都より行幸史跡に指定されました』

『諏訪の靈泉
 この水は昔から諏訪神社の境内よりこんこんと湧き出ている靈泉です。
 現在は動力で汲み上げていますがお諏訪様は龍神様(水神)としての古い信仰があり、特に眼病に故があり、又諸病にもごりやくがあると言い伝えられています。だいじにお使い下さい。
 猶少年犯罪を誘発するので、水鉢に投銭しないで下さい。お氣持ちは本殿賽銭箱へ』
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『聖蹟
 明治天皇射的砲術天覽所趾
 明治十五年十一月九日近衛射的場開場式ニ臨御同十五年十一月二十九日射的砲術ヲ天覽アラセラレタ所ナリ
 昭和十八年十二月』
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月見岡八幡神社(上落合一丁目)

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 落合中央公園の西側に鎮座する月見岡八幡神社(新宿区上落合1-26-19)。
 スライドゲートが閉じていたのでどうしたものかと思っていたら、ちょうど出て来られる方がいたので参拝は可能かと尋ねてみたところ、可能であるとのことなのでゲートを開いて境内へ。ちなみに参拝中にも何人かの方々が出入りしていたが、皆出入りする度にゲートを開け閉めしていた。開けっ放しにしないのは境内に保育園が併設されているからなのだろうか。
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 狛犬。
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『由緒
豊臣氏の公簿に古跡神社と記載さる当社の創建極めて古く是の地が余戸の郷と言はれし以前旧境内の樹間に湧く溢れ井を錦に染めし月光の華麗さに里人が月の美霊(ミタマ)と崇め敬ひしに創まる神地にして後世三社に座す八幡大神を合祀し奉るに及むで月見岡八幡神社と改稱し今日に至りし■のや

三社斎神 品陀和氣乃命
     息長帯比賣命
     大雀乃命
旧斎神  月讀命 美井乃神 杉井乃神
祭日   五月中    午前十時  末社祭
     九月第一日旺    午前九時  例大祭
     一月一日      午前十時  元旦祭
     二月三日・閏年四日 午后三時半 節分祭』
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『新宿区指定有形民俗文化財 月見岡八幡神社の庚申塔
 所 在 地 新宿区上落合一丁目二十六番十九号
 指定年月日 昭和六十年八月二日 
 正保四年(1647)に造立された区内最古の庚申塔である。宝篋印塔形で、高さ一八四・五センチ、石質は安山岩である。
 塔身部の四面にはそれぞれ金剛界四仏の種子が、また基礎部の四面には造塔銘が刻まれている。

新宿区登録有形文化財 絵画 谷文晁の絵
 登録年月日 昭和六十年八月二日
 月見岡八幡神社旧社殿の格天井に描かれていた板絵三十数枚のうちの一枚で、縦四三・六センチ、横四二センチの方形の板に描かれた円形(径三五・二センチ)の絵で、春の野の早蕨が彩色により描かれている。作者は江戸後期の画家谷文晁(1763~1840)と伝えられる。なお、この一枚は、取外されていたため戦災をまぬがれた。

新宿区登録有形文化財 工芸品 月見岡八幡神社の鰐口
 登録年月日 昭和六十年八月二日
 天明五年(1785)上落合村氏子により奉納されたもので、江戸時代の典型的な銅製の鰐口(社寺の礼拝所にかけ縄等で打ち鳴らす法楽器)である。直径三五センチ、短径三十センチ、厚さ十一・三センチ、左右中央に幅六・四センチの目が出ている。
 明治以後紛失していたが、昭和初年に北海道で地方巡業の芝居一座が使用しているのが発見され、再度奉納されたものである。
 平成六年六月』
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 拝殿。
 左手前には神楽殿。
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 天祖神社。
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 天祖神社の左隣に北野神社。
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 天祖神社の右隣に道祖神社・足王神社。
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 狛犬。
 台座には享保六辛丑八月吉日と刻まれているので、1721年の造立。
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 笑福稲荷神社の鳥居と浅間神社。
 浅間神社の隣に新宿区指定有形民俗文化財の庚申塔がある。
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 笑福稲荷神社。
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 お狐さま。
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 浅間神社の裏に富士塚。塚の頂には小さな祠も見える。
 柵が閉まっていたので入れないのだと思っていたが、ググってみるとどうやらそうでもなかったようだ。
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 庚申塔の隣に天狗らしき石像。

天祖神社(高田馬場四丁目)

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 セブンイレブン高田馬場店の北側に鎮座する天祖神社(新宿区高田馬場4-33)。
 鳥居の柱には昭和三年十一月吉日と刻まれている。
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 狛犬。
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 拝殿。

鐵砲稲荷神社(高田馬場四丁目)

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 シチズンプラザの南側に鎮座する鐵砲稲荷神社(新宿区高田馬場4-29)。
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 平成九年十一月造立のお狐さま。
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清水川稲荷神社(高田馬場三丁目)

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 高田馬場駅早稲田口の北側、さかえ通り入口のそばにひっそりと鎮座する清水川稲荷神社(新宿区高田馬場3-1-1)。
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 ぱっと見で神社とは気付かないが、扉の上に「清水川稲荷神社」と記された額が埋め込まれている。
 この辺りは古くは「字 清水川」と言う地名で呼ばれ、また神田川の支流として清水川と言う短い川が流れていたのだそうだ。とすると、こちらの神社はこの地域の守り神として祀られていたのであろうか。
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