宗像神社(北区宮原町四丁目)

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 大宮宮原郵便局の東40m程の位置に鎮座する宗像神社(さいたま市北区宮原町4-13)。
 扁額には「天神橋宗像神社」と書かれている。

 以上で3月26日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mm、FA31mm、FA43mm、FA77mm。X30。
 ウォーキングカウンターは14,126歩。
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天満宮(北区宮原町四丁目)

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 大宮宮原郵便局の北西30m程、県道164号鴻巣桶川さいたま線に面して鎮座する天満宮(さいたま市北区宮原町4-3)。
 一年程前にこの前を歩いて通っていたのにもかかわらず、まったく気付かずにスルーしてしまっていたが、後でこちらのことを知ってから少し気になっていたので、今回こちらまで来たので参拝。でも詳細は不明。
 鳥居の柱には昭和五十四年二月吉日と刻まれているので、1979年の建立。
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 拝殿右側の祠には宝珠紋がついているので、おそらく稲荷社であろう。

西新井稲荷神社(西区西新井)

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 上尾道路西新井交差点のそば、西新井自治会館前に鎮座する稲荷神社(さいたま市西区西新井)。
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 拝殿。
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 お狐さま。
 台座には平成十五年二月吉日建立と刻まれている。
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 青面金剛。
 左は元禄十三庚辰天十月吉日と刻まれているので1700年。右は享保十九甲寅天二月吉日と刻まれているので1734年の造立。その二つに挟まれているのは三寶大荒神だろうか。側面には嘉永五年八月と刻まれているので1852年の造立。
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富士浅間神社(戸崎)

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 大宮花の丘農林公苑の東側、花の丘通りに面して鎮座する富士浅間神社(上尾市戸崎)。

『富士浅間神社ノ由来
一、古文書ニヨレバ遠ク長元々年西暦一〇二八年長澤若狭守平朝臣信勝ハ譜代ノ家来秋山
 源六森田弥七榎本武助ト共ニ戸崎村ニ移リ開拓富士浅間神社ヲ祀リ社家ノ役ヲ勤メ百姓
 トナル御神体ハ駿河ノ富士浅間神社ノ分身ト言伝ウ 祭神木花開耶姫命安産子育ノ神ト
 崇敬
二、文政五年編纂新武蔵風土記稿足立十八ニハ名主又兵衛ガ先祖兵庫ノ勧請スル処ニヨリ
 富士浅間神社ハ又兵衛持トナル
三、検地
  建久二年諸国御改ノ節戸崎村ハ富士浅間神社々領トシテ免除
  延文元年並天承十三年 諸国御改ノ節戸崎村一五〇石ノ内 富士浅間神社々領持高五
 〇石二斗免除
  元禄七年細検地ニヨリ戸崎村二七〇石ニ改メラレル
四、改修
  大正二年一月十九日精神異常者ノ放火ニヨリ焼失直ニ改修
五、改築
  昭和六十三年五月改築末社下浅間神社本殿を富士浅間神社ノ本殿トナシ下浅間神社ヲ
 合祀ス 水屋ノ改築 鳥居、石段、末社ノ補修
   昭和六十三年七月一日』
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『上尾市指定有形民俗文化財 戸崎の浅間塚
 長沢家(大字戸崎231-2)
 浅間塚は富士塚ともいわれ、江戸時代後期から江戸を中心とした地域で造られるようになった。これは当時流行した富士浅間信仰によるもので、富士山参拝が難しい女性や子供でも簡単に参拝ができるよう、富士山を模した塚を造り浅間社を祀ったものである。特に埼玉県東部や群馬県東南部、栃木県南部の一部地方の富士塚では「初山」行事が行われる。この行事は、富士山の山開きの日である七月一日に合わせ、生まれて初めてこの日を迎える子供を連れて参拝し、健やかな成長を祈願するものである。
 戸崎の浅間塚は「浅間様」と呼ばれており、高さ4.8m、直径25mの円墳状の塚で、市内最大級の浅間塚である。築造年代は19世紀前半と考えられる。この塚と塚上にある浅間神社は、戸崎村を開拓したとされる長沢家が所有しており、毎年七月に行われる初山行事は、長沢家とその直接の分家など5軒で執り行っている』
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 牛頭天王。
 側面には明和七寅六月吉日と刻まれているので、1770年の造立。
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 鳥居をくぐって見上げて見ると、社殿が横を向いている。
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 なので、正面側へ。
 案内板に描かれた見取図によると、左側の小祠はおもり様と呼ばれているようだが、こちらがかつての下社であるのだろうか。
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 拝殿。
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 手水鉢。
 三面に渡って由緒らしき漢文がびっしりと刻まれているが、部分的に何と書かれているのか判らない文字があったり、柱で隠されていたりするので全てを読み取るのは難しい。
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 空の祠。
 案内板に記載されていないと言うことは、特に何かを祀っている訳でもないのだろうか。

御嶽神社(戸崎)

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 大鷲神社から150m程南下して行くと、道の傍らに御嶽神社(上尾市戸崎)が鎮座している。
 鳥居の柱には平成十六年六月一日建立と刻まれている。2004年だから十二年前か。
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 拝殿。
 中には御嶽大神・三笠大神・八海大神と刻まれた大きな石塔と小さな石祠が納められている。
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 左の石塔は役行者・普覚行者・一心行者。右は猿田彦大神。
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 庚申塔と青面金剛。
 庚申塔は延宝七己未年(1679)三月五日の造立。中央の青面金剛は元禄十一戊寅年(1698)四月廿八日、右の青面金剛は享保六辛丑年(1721)二月吉日の造立。

大鷲神社(戸崎)

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 氷川神社の100m程南東に鎮座する大鷲神社(上尾市戸崎)。
 鳥居の柱には大正十三年三月建之と刻まれているので、1924年の建立。
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 参道。
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 社殿。
 大鷲神社と言う事は、御祭神は日本武尊であろうか。

氷川神社(戸崎)

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 中新井稲荷神社の東480m程、埼玉県立中央高等技術専門校の西側に鎮座する氷川神社(上尾市戸崎983)。
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 参道と拝殿。
 左右の小祠は門守神的なものだろうか。
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 本殿。
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 左は弁財天宮。側面に天明七未十二月吉日と刻まれているので、1787年の造立。
 右は二つに折れた板碑らしきものが置かれているが、よくわからない。刻まれている梵字はキリークのように見えるので、もしかしたら阿弥陀如来なのかも。
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 馬頭観世音。

稲荷神社(中新井)

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 大宮花の丘農林公苑の北、天台宗西光寺の隣に鎮座する稲荷神社(上尾市中新井65)。
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『稲荷神社御由緒
上尾市中新井65
御縁起(歴史)
 「風土記稿」によると、神仏分離以前の当社は西光寺の境内社として祀られていた。西光寺は天台宗の寺院で、もと西方に寺家山の地にあったが、秀恵という僧が現在地に移して中興したと伝えられる。当社の創建は西光寺の中興以後のことと思われるが、明らかではない。ちなみに、同じ西光寺の境内社であった「牛頭天王」の石祠には「寛政己酉年(1789)六月吉祥日」「中新井村氏子中」と刻まれている。
 元来、当社の本殿は一二〇センチメートル四方に丸太を柱として掘立て、茅で屋根を葺いた形の建物で、氏子は毎年「屋根改い」といってこの屋根の茅を葺き改めるのを例としてきた。太平洋戦争後、社の建物の痛みが激しくなってきたため、小学校で奉安殿として使われていた建物を譲り受け、これを境内に移築して神体を納めた。ところが、間もなく村内に悪い病気が流行し、近くの納屋では夜な夜な狐の鳴き声がするようになった。氏子一同は、これを「稲荷様の祟り」として、神体を元の社殿に戻したところ、病気も治まり、狐の鳴き声もしなくなった。
 その後、小学校から移築した社殿は拝殿とし、本殿は従来通り毎年茅を集めて「屋根改い」を行ってきたが、近年は茅材の収集困難に加え、屋根替えの後継者不足が深刻な状況になってきた。そこで、臨時集会を開いて氏子一同で協議した結果、従来の本殿を廃し、平成三年二月に切妻造平入り瓦葺きの新しい本殿を建立した。
御祭神と御神徳
 倉稲魂命・・・五穀豊穣、商売繁昌
御祭日
 初祭り(一月一日) 初午(三月初午) お日待(十月十五日)』
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『中新井稲荷神社今昔のあらまし
 当字稲荷神社は正一位宇賀弥稲荷大明神と称す京都伏見稲荷の社霊を勧請し祭祀が始まる創立は江戸時代初期と推定されているが詳ではない作神として崇め毎年地区の安寧と五穀豊穣祈願を三月初午の前日茅葺社の屋根改えをして夜宮を翌日初午祭を三十数戸が二組に分かれて一升飯と云う高盛講の行事を大切に守り今日迄存続させお祝いをして来たのであるが都市化の波と多忙な生活環境及茅材収集作業の困難さと屋根改え労作に挺身する後継者難の今日及び将来を憂慮し臨時総会を開いて協議した結果近代的な社を建設し公民館一堂に会して夜宮をお祝いする運びとなった事を記す
 落慶平成三年二月十日』
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 本殿。
IMGS7750s.jpgIMGS7752s.jpg
 お狐さま。
 台座には明治廿戌年一月吉祥日と刻まれているのだが、明治二十年は戌ではなく亥の筈では? ちなみに明治二十年は1887年。戌の場合は明治十九年となり1886年。
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 牛頭天王。
 寛政元年六月の造立。
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正一位稲荷神社(堤崎)

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 堤崎交差点の東側、住宅区域の中に鎮座する正一位稲荷神社(上尾市堤崎)。
 詳細は不明。

愛宕神社(堤崎)

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 国道17号バイパス上尾道路堤崎交差点のそば、堤崎自治会館の隣に鎮座する愛宕神社(上尾市堤崎329)。
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 狛犬。
 台座には大正十年七月と刻まれているので、1921年の造立。
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 拝殿。
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 斜めから。
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『愛宕神社
上尾市堤崎329
祭神・・・軻遇突智命、倉稲魂命
 堤崎村は天正の末徳川氏の有となり、代官が所轄した。寛永二年(1625)安部備中守の領地となっている。
 当社は、社伝によると、元禄十年(1697)のころ、村内に悪病が流行した折、これを鎮めるために創祀したものであるという。また、「風土記稿」堤崎村の項には、当社は地蔵院の境内社として載り、「愛宕社 勝軍地蔵を安ず、是は加州大聖寺の禅苗和尚と云が刻める所なり、此僧は近来の人なればことに彫刻にたくみなりといへり」とある。
 地蔵院は、宝珠山と号した曹洞宗の寺院で、開山と伝わる一線斎は明暦三年(1657)四月に示寂している。神仏分離に伴い、明治五年(1872)に廃寺となり、現在、堤崎自治会館前に建つ地蔵堂(「本尊様」と呼ぶ)の中に、地蔵尊座像が、閻魔大王・大日如来像と共に納められている。
 また、当社の神楽殿に掛かる消防の半鐘として使用されている鐘には「武州足立郡堤崎村 本山永昌現住百川朝叟代 宝珠山地蔵院什物 世話人安藤善右衛門 天保十二辛丑年(1841)十一月吉祥日」と刻まれており、往時を偲ばせる。
 当社は、明治初年に稲荷社三社、熊野社を合祀し、同六年四月に村社となった。昭和三十六年(1961)、旧来の社殿の傷みが著しかったため、氏子全員の協力により本殿・拝殿を新築した。
 祭礼は一月の歳旦祭、三月の初午祭、七月の八雲神社例祭(祇園祭)、同二十四日の例大祭、十月のお日待ちの年五回である。
 境内社として「疱瘡社」「八雲社」を祀っている』
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 上尾市指定無形民俗文化財である祭囃子の案内板。
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 八雲社と疱瘡社。
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 地蔵堂。
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 上尾市指定有形民俗文化財である車地蔵。
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 車地蔵案内板。
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 車地蔵。
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 元禄五壬申年(1692)十一月造立の庚申塔と元禄八乙亥年(1695)十一月造立の青面金剛。右の祠の中には厨子に入った不動明王座像が納められている。

八幡宮(粕川町新屋)

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 女渕城址公園の北西500m程、新屋住民センター脇に鎮座する八幡宮(前橋市粕川町新屋376)。

『村社 八幡宮
 粕川村大字新屋村字八幡鎮座
祭神 誉田別命、大山祇命、保食神、火産霊神
由緒 不詳、明治四十四年四月二十六日許可本社境内末社三社(火産霊社、稲荷神社、大
  山祇神社)字山街道無格社大山祇神社同境内末社愛宕神社字稲田無格社稲荷神社同境
  内末社稲荷神社を合併せり
境内神社 四社
     菅原神社、八坂神社、琴平神社、日枝神社
例祭 陰暦八月十五日』
(「粕川村誌」より抜粋)
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 鳥居の左側に猿田彦大神。
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 鳥居は三基連なっている。
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 拝殿と狛犬。
 狛犬の台座には昭和二十七年十月十五日と刻まれている。
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 社殿斜めから。
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 天神宮と秋葉山社。右の石祠三基は不明。
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 金毘羅山宮と天照皇大神宮。左側には石祠が三基あるが、山神社以外の二基は不明。
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 天王宮。
 背面には寛政元己酉二月吉日と刻まれているので、1789年のもの。
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 なんでしょうね、これ、物置かな?
 傍らの木の根元には八幡宮と刻まれた石が置かれている。

 以上で3月20日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA20-40mm、50-150mm II。
 風が強くてあまりレンズ交換をしたくなかった為、他に持って行っていたレンズの出番無し。HD DA16-85mmとか欲しくなるなぁ。
 ウォーキングカウンターは15,977歩。近戸神社以後は車で移動していたから、ちょっと少なめか。

女渕城跡(粕川町女渕)

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 御霊神社の北側に位置する女渕城跡(前橋市粕川町女渕1221)。
『前橋市指定史跡 女渕城跡  THE RUINS OF ONA-BUCHI CASTLE
指定年月日 昭和49年5月1日
所 在 地 前橋市粕川町女渕1221番地1他
 城の要害に広く水濠を用い、東西約200m、南北約450mの広い地域を占める。北から北曲輪、本丸、御霊曲輪(三の丸)、竜光寺曲輪とつづき、全面岸高の河川が自然の周濠となっている。本丸は水濠に囲まれ、東北虎口は土橋で帯曲輪に、西南虎口は土橋で二の丸に、西北虎口が北曲輪にそれぞれ通じる。尚に西曲輪への架橋も考えられる。西曲輪は貯水池を隔てて別に深濠をめぐらし、さらにその西から南へかけて広い地域を囲む外堀、やや離れて西方にも外掘がある。
 伝説口碑に、高野辺家成、南渕秋郷の名があり、足利直義、荒井図書允、沼田平八郎等の名と共にこの城は古文書戦記に登場する城である。戦国時代の平城として貴重な遺構である。
 This castle was built from the 14th to 15th century. It appears in the archives and commentaries on war from that period.』
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 本丸跡は畑になっている。
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 縄張図。
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 女渕城址公園見取図。
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『女渕城跡 前橋市指定史跡
 女渕城は戦国時代に赤城山南麓にあった城の一つ、要害に広く水濠を用いた平城である。
 女渕城は、いつ、だれが城を築いたか詳しくわかっていないが、戦国時代から歴史上に出てくる。赤城山南麓地方の他の城と同じように、越後の上杉氏、甲斐の武田氏、小田原の北条氏などの戦国大名の侵攻を受け、城主の変遷が多かった。
 城跡は東西二〇〇メートル、南北四五〇メートルの広い地域を占めている。主要部は南北三二〇メートル、最大幅九〇メートルの水濠の東側にあり、低い土居と堀をめぐらして、北から北曲輪、本丸、二ノ丸、三ノ丸(御霊曲輪)、竜光寺曲輪が並んでいる。北曲輪と本丸の東に帯曲輪がある。
 本丸は東西四〇メートル、南北三〇メートルあり、広くて深い水濠で囲まれている。本丸に接する帯曲輪、北曲輪、二ノ丸にはそれぞれ土橋で通じている。西曲輪は本丸の西側の広い水濠をへだててあり、堀をめぐらしている。その先に外濠があった。城の東側は河川が自然の水濠となっていた。
 天正十八年(一五九〇)小田原の北条方の城だったので、豊臣秀吉方の軍勢に攻められ、小田原城落城と同じく、落城し廃城となった』
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 十の字沼。
 釣り禁止の看板があるにもかかわらず釣竿を垂らしている人がいたが、撮影のポイントを変える為にそちらに近付いたら立ち去って行った。禁止行為を行っている自覚はあったのだろうなぁ。
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 本丸橋。
 左奥に御霊神社が見える。
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 西宿沼。
 奥に見える白い橋は曲輪橋。
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 西曲輪跡には門があり、その前にも女渕城跡の標石が建てられているが、橋の手前に立てられた看板を見るに、この先は民家になっているようだ。

聖観世音(粕川町女渕)

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 御霊神社前の道を北へ向かうと、突き当たりに聖観世音堂が鎮座している(前橋市粕川町女渕282-2)。
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 鳥居に掛けられた扁額には「歸命觀自在大悲功德林」と刻まれている。
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 観音堂。
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 群馬県指定重要文化財である木造十一面観音立像の案内板。
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 なぜか床下に設置されている聖観世音菩薩像の案内板。
 まぁ、聖観音ではなく十一面観音であることが判明して新しい案内板が設置されたからだろうけど。
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 子安観世音像と書かれた板が打ち付けられているが、こちらも観音堂なのだろうか。

御霊神社(粕川町女渕)

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 女渕城址公園東側に鎮座する御霊神社(前橋市粕川町女渕1174-1)。
 境内に駐車場があるが、神社北側にも城址公園の駐車場がある。

『村社 御霊神社
 粕川村大字女淵村字殿原鎮座
祭神 早良親王、伊予親王、吉備真備公、藤原夫人吉子、藤原広嗣、橘逸勢、
   文室宮田麿、菅原道真公、火産霊命、大己貴命、誉田別尊、大山祇命、
   大物主命、火雷命、保食命、倉稲魂命、豊城入彦命、経津主命、少彦名命、
   天羽槌雄命、埴山姫命、速秋津姫命、速佐須良姫命、素盞嗚尊、大国主命、
   磐長姫命、別雷命、大雷命
由緒 不詳、口碑に曰「陽成天皇御宇元慶年中上野大椽南淵朝臣秋郷此の地の大領主たる
  とき崇祀し後菅公の神霊を追祀す天文年中長尾顕長の臣荒井図書允女淵城を守るに方
  りて再興せしも社地狭小なるを以て安政五年六月今の地に社殿を移せり」と、明治四
  十一年二月十三日許可本社境内末社四社(稲荷神社、八幡宮、菅原神社、河内神社)
  字赤城無格社赤城神社同境内末社大山祇神社字西宿無格社雷神社字中宿無格社愛宕神
  社同境内末社琴平宮字天神無格社菅原神社字上八幡無格社八幡宮字稲荷木無格社稲荷
  神社同境内末社稲荷神社を合併し同四十四年五月十六日許可本社境内末社三社(少彦
  名神社、大国主神社、八坂神社)字北粕川無格社稲荷神社、同境内末社十社(大山祇
  神社、当国式内十二社、八坂神社、大国主神社、琴平宮、愛宕神社、八幡宮、菅原神
  社、稲荷神社、長寿神社)を合併せり
境内神社 四社
     日枝神社、厳島神社、機神社、諏訪神社
神饌幣帛料供進指定 大正四年十月八日
例祭 九月十九日』
(「粕川村誌」より抜粋)
 上野国神社明細帳によると、機神社の御祭神は棚機姫命、河内神社の御祭神は大物主命であるのだそうだ。また、境内末社の中に長寿神社の名は見当たらず、代わりに月讀社の名が記されているのだが、何故か御祭神は素盞嗚尊となっている。
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 一の鳥居。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
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 社殿裏側から。
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 神楽殿。
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 前橋市指定重要無形民俗文化財である太々神楽の案内板。
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 末社群。
 天照皇大神碑と十六基の石祠が並んでいる。社名が確認できたのは王子稲荷大明神と河内宮、正一位稲荷大明神くらいか。
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 末社群。
 土塁の上に長寿大明神碑と猿田彦大神碑の他、十六基の石祠と庚申塔が並んでいる。
 社名が確認できた石祠は稲荷大明神、火産霊大神、大国主大神、八坂大神、琴平大神、山神、当国十二社、道了宮くらい。
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 本殿脇のこれはなんだろう? 神輿庫だろうか。
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 鳥居の残骸。
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 本殿裏に回ると、一段下がったところにも石祠がある。
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 鳥居跡。

近戸神社(粕川町深津)

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 八坂神社から北東へ800m程、桂川の西岸に鎮座する近戸神社(粕川町深津1437)。

『村社 近戸神社
 粕川村大字深津村字近戸鎮座
祭神 大己貴命、豊城入彦命
由緒 不詳、口碑に往古坂田大跨の勧請せし古社なりと云ふ、明治三十四年八月村社に列
  せられる
境内神社 拾九社
     琴平社、菅原社、八幡社、神明社、琴平神社、日枝社、雷電社、羽黒社、
     秋葉社、大山祇社、秋葉社、稲荷社、愛宕社、菅原社、疱瘡神社、琴平宮、
     菅原社、稲荷社、大山祇社
神饌幣帛料供進指定 明治三十九年十二月二十八日
例祭 八月十五日』
(「粕川村誌」より抜粋)

『本社ハ同郷三夜沢ニ在り、赤城神社即チ是ナリ、民戸ニ近ク遷シ祭ルカ故ニ近戸ノ号アリト云フ、往古赤城神社ハ室沢村ノ北野ニ在リコトヨリ同郡二ノ宮村ヘ遷シ奉リシ時、ソノ御神幸ノ道筋ナルカ故ニ本村ニ駐輿アリシ アリ、後其地ニ社殿ヲ建ツ、今ノ近戸神社ト稱スルハ實ニ此旧社ニソアリケル、然レモ旧記ノ存スル無ク勧請年号詳ナラサル也』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 鳥居の横に道祖神。
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 拝殿と狛犬。
 狛犬の台座には昭和二年四月六日と刻まれている。
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 拝殿斜めから。
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 本殿。
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 本殿裏には十六基の石祠と地神碑が並んでいる。
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 末社。
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 庚申塔。左奥に見えるのは社殿改築記念碑。

八坂神社(粕川町深津)

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 真言宗豊山派西福寺の北側に鎮座する八坂神社(前橋市粕川町深津560)。
 駐車場が無さそうに思えたので徒歩で向かったのだが、隣の深津集落センター前に置けるようだ。ちぇー。

『村社 八坂神社
 粕川村大字深津村字天王鎮座
祭神 素盞嗚命、倉稲魂命
由緒 不詳、古老曰和名抄上野国郷名深渠(布加無曾)と見ゆるは此地にして後に深巣、
  深栖に作り終に深津となれり、保元平治の際深巣(又は深栖)氏此地に住し崇敬頗る
  深かりきと、明治四十四年一月十二日許可字本郷東無格社稲荷神社を合併せり。
境内神社 七社
     火産霊社、大山祇社、星宮社、雨降社、熊野社、菅原社、稲荷社
神饌幣帛料供進指定 明治三十九年十二月二十八日
例祭 八月十五日』
(「粕川村誌」より抜粋)
 上野国神社明細帳によると、星宮社の御祭神は天御中主命。雨降社の御祭神は大雷神、大山祇神、高龗神。熊野社の御祭神は伊邪那美神であるとのこと。

『當社祭神ハ健速須佐之男命にましますを、中古以来牛頭天王と申せるよしハ、播磨國峰相記に吉備公帰朝の日於當山奉崇牛頭天王と見へ、改暦雑記に聖武天皇天平五年三月十八日吉備公帰朝播州逢牛頭天王なとあり、されハ須佐之男命を牛頭天王と為たるハ吉備公の所為なること著明なり、其ハ唐土に往て天竺ノ牛頭山ヨリ出る旃檀香の熱病を治すること、或ハ彼の國にも聞ゆる牛頭山の事をも聞得しより、備後風土記なる武塔天神の故事を付會せられ牛頭天王の號ハ天竺の神名にて、祇園精舎ノ守護神なりと平田大人のいわれたれが如し、かかれハ社地のあたりを総て天王といへり、もとよりましまセバなり、此村ハ和名抄に上野國勢多郡郷名深渠布加無曽と見へ後に深巣、深栖と作きつひに深津となれるなり、保元平治物語源義朝の軍勢のうちに上野國住人深巣七郎清國と見へ、東鑑に深栖兵庫介、同太郎、また鎌倉武鑑に深栖陵助光重上野人とあり、關東古戦録に太田三樂小田原を攻めんとす、其催促に應する人々の中に深津刑部少輔なと、あまた歴史に掲載セる武き將士の住みたりし所なりといふ、そこに古疊空濠のこれり、これ即深栖氏の城墟なりといふ、實に然もあるべし、また近戸西原といふ所の藪中なる古墳より、古刀、鏃、曲珠、管玉なと名もいひしらぬ竒異の物品種々出てたるハ由縁ありけなれと傳記なけれハしるへきよしなし、抑此御社を初めて齋ひ祀れれるハ何頃なりけんと詳にハ知られねと、保元平治より以前いと古きことなるへし、古老の説に深栖氏累代崇敬せられし鎮守神にて祈誓をかくれバ靈得竒瑞炳焉くおはしまして戦捷を得たりといへバ、その昔、神田も多く社殿も壮麗にて祭典ハいかばかりかいかめしかりけんと想像らるれハ、かにかくに古社なること疑ひなし、さて社號ハ明治二年御布告によりて改めつ』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 道の反対側に馬頭観世音。
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 社号標石の右側に大黒天の線刻碑。
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 神代文字神号碑と天照皇大神。
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 なにやらうねうねしているが、阿比留草文字と言うやつかな。
 右の碑には「安政紀元二月生日足日」「深津村里人等立石」とも刻まれているので、1854年に建てられたものである。
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 両部鳥居。
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 拝殿。
 扉の上に掛けられた縦長の扁額には「進雄尊社」と記されている。
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 斜めから。
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 道祖神。文政十二己丑正月と刻まれているので、1829年に建てられたもの。
 左奥に見えるのは西福寺境内端に建てられた祠。なにを祀っているのかはわからなかったが、祠の後ろには梵字の刻まれた石塔と庚申塔があった。梵字は青面金剛を表す「ウン」のように見えたので、たぶん青面金剛。
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 道祖神。側面に文政十二己丑正月と刻まれている。
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 道祖神。
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 本殿裏に末社群。
 この石像はなんだろう? 松尾芭蕉かと思ったけれど、違うよなぁ。こちらの神社は特に芭蕉と縁があるわけでもなさそうだし。と言って吉備真備にも思えない。道祖神だったりするのかな。
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 末社群。
 右から三番目は秋葉宮、二番目は摩利支天宮。

白山神社(粕川町込皆戸)

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 前橋市粕川公民館込皆戸集会所の南側に鎮座する白山神社(粕川町込皆戸131)。
『無格社 白山神社
 粕川村大字込皆戸村字白山鎮座
祭神 菊理姫命
由緒 不詳
境内神社 九社
     伊勢神社、稲荷神社、菅原神社、八坂神社、琴平神社、
     八幡神社、大山祇社、阿夫利神社、秋葉神社
例祭 十月十七日』
(「粕川村誌」より抜粋)
 上野国神社明細帳には、こちらの白山神社は昭和十二年九月十八日に村社に列格し、神饌幣帛料供進神社として指定されたとも記されている。
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 参道。
 右側の建物は神楽殿だろうか。
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 拝殿。
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 狛犬。台座には平成三年(1991)十二月吉日と刻まれている。
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 甲子大黒天と二十二夜供養塔。
 甲子大黒天の側面には大正十三甲子年(1924)十月甲子日とあり、二十二夜供養塔の台座には明和五戊子歳(1768)十一月吉日と刻まれている。
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 社殿斜めから。
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 末社群。

秀五郎稲荷神社(粕川町込皆戸)

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 白山神社の南150mm程の位置に鎮座する秀五郎稲荷大明神(前橋市粕川町込皆戸)。
 詳細は不明。
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 お狐様。
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七ツ石雷電神社(粕川町深津)

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 社会福祉法人フランシスコの町あかつきの村の北側に鎮座する七ツ石雷電神社(前橋市粕川町深津)。
 駐車場は無いので、車は大室公園に置いてそこから徒歩で。
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 割拝殿のような違うような。
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 磐座の上に鎮座する石祠。
 七つの大石があるから七ツ石なのだろうか。
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 額部分には七石社の文字が。
 ……あれ? 雷電神社はどこだ?

藤神稲荷神社(弥生町二丁目)

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 弥生町二丁目交差点の南東に鎮座する藤神稲荷神社(中野区弥生町2-19-4)。
 社号標石の裏には以下の文が刻まれている。どうやらこちらの神社はここから600m程南西にある神明氷川神社の境外末社であるようだ。

『藤神稲荷神社は、其の昔我等の祖先が郷町の鬼門除け「きよめ」産業繁栄の神として祀ったと伝えられております。
 戦前は夜店等が出て賑やかでした。それなのに戦火に御炎上したまま二十余年間復興の目処がつかず年月を重ねるばかりで氏子崇敬者の心痛の種で有ました。特に地元の有志渡辺憲太郎、秋元利助、秋元弥五郎、三氏の復興に対する熱願は一方ならぬものが有ました。その熱望は遂にむくいられ、茲に復興の時桟到来、昭和四十年三月本殿兼拝殿を本社神明氷川神社の基金を以て稲葉建設株式会社の施工により造営し、社務所は本社神明氷川神社の基金の一部と氏子の献金により特に地元の協力は偉大であり、尚多摩建築株式会社の奉仕的精神によって建築完成されました。
 是の社標を建立して敬神の美風を後世に伝える記念社標と致すものであります』
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 二の鳥居。
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 お狐さま。
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 拝殿。

 以上で3月12日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA20-40mm、DA15mm、50-150mm II。X30。
 この後はベルサール新宿で行われたPENTAX K-1の御披露目会へ。
 ウォーキングカウンターは22,255歩。

本郷氷川神社(本町四丁目)

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 東京メトロ丸の内線中野新橋駅の北200m程の位置、TUTAYA中野新橋店のすぐ西側に鎮座する本郷氷川神社(中野区本町4-10-3)。
 由緒書きは見当たらないが、こちらもまた鍋横区民活動センター運営委員会のサイトに本郷氷川神社についての記述があるので見てみると、文明元年(1469)に太田道潅が江戸城鎮護の為に大宮の氷川神社から勧請したのが始まりで、昭和二十年五月二十五日の大空襲により社殿とその他の建造物を焼失したが、昭和三十年九月に社殿を再建したとのこと。
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 狛犬。
 台座には「天保四癸巳年九月吉日  麹町十二丁目 願主 鹿嶋屋幸太良」と刻まれている。ちなみに天保四年は1833年。
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 拝殿。
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 神楽殿。
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 稲荷神社、稲荷神社、御嶽神社。
 御嶽神社の御祭神は日本武尊で、武州御嶽神社より勧請したと記されている。
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 中央の稲荷神社前には狐を浮き彫りにした石祠があるが、こちらは眷属を祀ったものであるのだろうか。
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 神輿庫……かな、多分。
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 本郷道改修記念碑。
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五柱五成神社(本町四丁目)

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 鍋屋横丁交差点の南、三菱東京UFJ銀行の裏手に鎮座する五柱五成神社(中野区本町4-30)。
 五柱五成と書いて「ごしゃいなり」と読むそうだが、「いなり」を飯成や伊奈利と書く神社は見たことがあるが、五成と書くのは初めて見た。と言うか五柱で「ごしゃ」と読ませるのはどうなんだ。いや、感覚的には理解できるんだけど。
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『略縁起
一、主祭神
 本殿
  天圀蔵五柱五成大神
    天日瑞穂造美尊、天豊穀食類媛命、天豊宇気比媛命
    天太田地土命、天大市比売尊
  正一位槙屋末広稲荷大明神
  天五色大天空大神
 摂社殿
  天五色辨財天
 碑(四)
  富士浅間両龍王神 天圀蔵五柱五成大霊魂
  天大圀主大霊魂  三社大口真大霊魂
一、祭日
 月次祭  十七日、午の日
 初午大祭 三月貮の午の日

 当社の御祭神槙屋末広稲荷様は、文政六年(1823)四月槙屋平兵衛京都伏見稲荷大社一之宮末広大神の御分霊を勧請せられたものであります。降って昭和五年、宗教法人解脱会開祖岡野聖憲師(御遷化後解脱金剛の法号を賜り皇室の御菩提寺である京都東山の御寺泉湧寺に御分霊が安置されております)が当地に御巡錫の折末広稲荷様の極めて高い御神徳を感ぜられ「この稲荷は單に一族一門の守護神としておくべきでない、広く世の人々にその御神徳を分つべきである」と申されて、新たに衣・食・住一切を司る稲荷の大祖神として頭書の五柱の神々を天圀蔵五柱五成大神と名付け奉り、併せて他の神々も同時に斎祀されたものであります。
 又当社は「日限りのいなり」と呼ばれ、お願いごとはすべて七日間或は二十一間というように、日限りで毎日お願いし、大願成就には必ず五色のお旗をあげるよう定め伝えられております』
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 拝殿。
 翌日の初午祭の準備をされていたので、あまり邪魔にならないように参拝と撮影を済ませようと思っているうちにどんどん人が増えて来たのでちょっと焦る。
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 眷属社。
 中には小さな陶器のお狐さまが大量に納められている。
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 天五色辨財天社。
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 上段は「冨士浅間両龍王神、天猿田彦大神、天五色中大小天空神」。昭和丁丑春建とあるので昭和十二年(1937)だろう。
 下段は左から「天大圀主大霊魂、大黒天、恵比寿」、「天圀蔵五柱五成大霊魂、大古以来土地守護 末廣稲荷」、「三社大口眞大霊魂」。いずれも昭和丙子建立とあるので、昭和十一年(1936)。

五福稲荷神社(本町六丁目)

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 青梅街道を挟んで新中野駅前郵便局の南西60m程の位置に鎮座する五福稲荷神社(中野区本町6-20)。
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 社殿。
 由緒書きは見当たらないが、ググってみると鍋横区民活動センター運営委員会のサイトに五福稲荷の項目がある。創建時期等は不明だが、五福稲荷の名の由来が、かつて当社が中野区本町通り5丁目2番地9に位置していたことから、「5・2・9」でゴフクと読ませる語呂合わせでつけられたものであるとのこと。こちらには昭和六十年五月に移転して来たそうなので、三十一年前か。
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 お狐さま。
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天祖神社(高円寺南一丁目)

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 東高円寺駅北交差点の南西100m程の位置に鎮座する天祖神社(杉並区高円寺南1-16-19)。
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『高円寺天祖神社
 当社は、「新編武蔵風土記稿」多摩郡高円寺村の項にある神明社で、「除地六畝十歩、小名小沢ニアリテ村ノ鎮守ナリ、本社ハ四尺ニ三尺、拝殿三間ニ二間、上屋二間ニ三間、東向、神体白幣、木ノ鳥居ヲタツ、例祭九月十五日、村内長仙寺ノ持」と記されているように、旧高円寺村の鎮守で祭神は天照大御神です。
 創建は、寛治元年(1087)と伝えられ、由緒は次の通り伝えられています。
 当時、極めて敬神の念厚い郷土民山下久七が、伊勢神宮へ参拝し、御分霊を賜ってこの地に仮に社殿を建てて奉斎したことが始まりで、その後、永長元年(1096)に村人が議り産土神となりました。
 現在の拝殿は天保二年(1831)九月、幣殿と本殿は明治二十一年(1888)二月に建設されたものです。
 関東大震災後、当社の氏子区域内に居住者が急増したのを契機に、大正十五年(1926)社殿の大修築とその他建物が整備され、昭和二年(1927)十月に村社となりました。
 境内末社には三峯神社と清姫稲荷神社があり、境外末社には、「新編武蔵風土記稿」の稲荷社の項に、「除地三畝、村ノ東ノ方田ノ畦ニアリ、田中稲荷ト称ス、社ハ三尺四方、上屋二間ニ二間半、鳥居ヲタツ、村民ノ持」と記された田中稲荷神社(祭神受持命、高円寺南1-30)があります。
 境内には、「寛文四年」と刻まれた手洗水盤や、拝殿正面には「宝永二年」の墨書銘のある「天照大御神の献額」があります。
 平成二十三年三月』
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 狛犬。
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 拝殿。
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 斜めから。
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 清姫稲荷神社、三峯神社。
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 神輿庫群。

田中稲荷神社(高円寺南一丁目)

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 東京都道433号線大久保通りの東高円寺駅北交差点より100m程東に鎮座する田中稲荷神社(杉並区高円寺南1-30-15)。
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『田中稲荷と堀之内新道
 田中稲荷神社は、「受持神」を祭神とした旧高円寺村の農家の守り神で、高円寺天祖神社(高円寺南1-16)の境外末社です。創建等の由緒については不詳ですが、桃園川ぞいに広がっていた水田の中にあったことから、田中稲荷の名で呼ばれるようになったといわれています。
 以前は、毎年二月最初の午の日(初午)に村の家々で赤飯を炊いておむすびを作り、神前に供えて豊作を祈願したとのことです。現在でも「稲荷講」として、一月遅れの三月の初午の日に、近くの商店や町会の人々によって続けられています。
 当社の前の道は、「堀之内新道」です。この道は、中野で馬糧商を営み、日蓮宗の熱心な信者で妙法寺の檀家総代をしていた関口兵蔵が、明治二十九年に私財を投じて作ったものです。中野駅から田中稲荷神社の前を通り、現在の蚕糸の森公園の西側を経て堀ノ内妙法寺の門前までの農道を整備して、道幅四間(七・二メートル)距離約二キロメートルの新道を作りました。「かいば屋」の叶屋が開いた道なので、通称「かいばや道」つまって「かいば道」といわれました。新道は、参詣人や地元の人々にたいへん喜ばれ、昭和三年翁の功績を讃えて地元有志により、「故関口兵蔵翁開道記念碑」が建てられました。
 平成五年三月』
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 お狐さま。
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 お狐さま。こちらは台座に昭和五年十月と刻まれている。

一本檜稲荷神社(中野三丁目)

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 JR中野駅南口から西へ550m程、タイムズ中野第18駐車場脇に鎮座する一本檜稲荷神社(中野区中野3-49-13)。
 ここから東へ100m程、第2田村ビル前にある小さな祠も一本檜稲荷神社であるようだが、気付かなかったので写真は無し。
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 社号標石には「囲 桃園鎮守 一本桧稲荷神社」とあり、倒れた御神燈台の奥にお狐さまが見える。
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 こちらのお狐さまの脇には由緒書きらしきものがあるのだが、所々文字が消えていて殆ど解らない。とりあえず中野氷川神社の境外末社であることはわかったのだが、他はさっぱりなのでググってみたところ、徳川吉宗が賞賛した檜が社名の由来になっているようだが、創建時期や由緒等の詳細は不明。
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氷川神社(高円寺南四丁目)

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 JR高円寺駅の南東、徒歩1分程の近距離に鎮座する氷川神社(杉並区高円寺南4-44-19)。
 高円寺と言うと「パタリロ!」で使われていた高円寺のおばさんと言うギャグしか思いつかないが、まぁそれはさておき、この日は12時から新宿で行われる「PENTAX K-1 体感&トークライブ」に行くので、それまでは神社巡りをしておこうと思い、まずはこちらから。ちなみにこのとき7時47分。
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『高円寺氷川神社
 この神社は、旧高円寺村小名原の鎮守で、祭神は素盞嗚尊です。
 創建について口碑によれば、天文年間(1531~1555)、村内曹洞宗高円寺の創建と同じ頃といわれます。また社伝によれば源頼朝が奥州征伐の際、この地に着き、安達藤九郎盛長に命じて社殿を建立させたとも、家臣の村田兵部某が高円寺村にとどまり農民となった時、大宮の氷川神社を勧請して社殿を建立したのが起源ともいわれています。しかし、詳細なことは詳かではありません。
 当社は「新編武蔵風土記稿」多摩郡高円寺村氷川社の条に「除地四段三畝十歩、外ニ供免一段五畝、小名原ニアリ、是モ鎮守ナリ、本社三尺四方南向、上屋二間二三間、木ノ鳥居ヲタツ、村内高円寺ノ持」と記されており江戸時代には、原の鎮守様として農民の信仰を集め、高円寺が別当職を務めていたといわれます。明治七年、村社となりました。
 境内には、三社の末社が祀られていますがなかでも気象神社(祭神・八心思比顕命)は、全国でも数少なく、非常に珍しい神社です。この社は、戦時中、旧馬橋四丁目にあった陸軍気象部内に祭られたものですが、戦後、関係者の要請で当神社の境内に遷されました。
 例祭日は、八月二十八日です』
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 拝殿。
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 狛犬。
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 気象神社の一の鳥居と二の鳥居。
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 何故か気象神社の参道脇に設置されている氷川神社の由緒書き。
『氷川神社について
 江戸名所図絵によれば、その昔源賴朝奥州征伐のとき武蔵国杉並の地に至り給う際、随兵の中に当高円寺村にとどまり終りに農民となる者あり……と記されている。
 一説によれば村田兵部某云々ともいわれ(因みに村田姓は高円寺の旧家なり)その時武蔵国大宮高鼻の本社よりの御神意の使者が同氏に伝え、この高円寺村の位置高く燥松杉稠茂し遠く水田を望みて風致絶佳とされる当地に社殿を建立したのが起源といわれている。御祭神は素盞嗚命で国土開発、災難除けの信仰がある。氷川神社の御分社は約一千社あり関東地方が大部分を占めている。当社の創建された時期は不詳であるが、口碑によれば天文年間曹洞宗高円寺の創建と同時に剏祀されたといわれている。末社には気象神社、稲荷神社、御嶽神社、日枝神社が祀られている。
 昭和四十六年十月十四日、社殿、社務所、神楽殿、神輿庫、手水舎が新しく御造営され、今日に至る。例大祭は毎年八月二十七、二十八日に行われる』
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 気象神社・御嶽神社・日枝神社合殿。
 高円寺氷川神社のサイトは無くなっているのに、気象神社のサイトはある不思議。
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 明治十丁丑年(1877)造立の狛犬。
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『気象神社由緒
 御祭神 八意思兼命
 この気象神社は昭和十三年、陸軍気象勤務の統轄、教育機関として旧馬橋四丁目(現高円寺北四丁目)に創設された陸軍気象部の構内に、昭和十九年四月十日造営、奉祀されたが、翌昭和二十年四月十三日空襲に因り焼失し、当社殿は終戦直前に急遽再建されたものである。太平洋戦争の終戦に当り神道指令に拠り除却される筈の処当局の調査漏れのため残存しており連合軍宗教調査局に申請して払い下げを受け当所に移設し、昭和二十三年九月十八日当氷川神社大祭に際し遷座祭を執行、奉祀して現在に至ったもので爾来毎年六月一日の気象記念日に例祭が執行されている。
 平成七年一月吉日   第三気象聯隊戦友会・気象関係戦友会有志 寄贈』

『気象神社由緒
 御祭神 八意志兼命
 この気象神社は、旧陸軍気象部の構内(旧馬橋4丁目、現在高円寺北4丁目)に昭和19年4月10日造営、奉祀され、途中空襲に因る焼失、再建されたが太平洋戦争の終戦に依り気象部隊解散に伴い旧気象部隊関係者によって払い下げを受け当高円寺氷川神社に昭和23年9月18日遷宮祭を執行し、移設されたものである。
 以来気象部隊関係者を始め多くの方々のご参拝、奉仕を受けて参りましたが月日の経過と共に社殿の腐蝕が甚だしく遷宮55年を記念して新しい社殿の御造営に着手し、平成15年6月1日の気象記念日に竣工式を挙行した。
 平成15年6月1日    氷川神社宮司 山本雅道』
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 三社いずれも稲荷神社。

K-1体感&トークライブ

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 ベルサール新宿セントラルパークで行われた「PENTAX K-1 体感&トークライブ」に行って来たのよさ。
 実はスペックを見て期待値が下がっていたりしたのだけれど、現物を触ってみたら、大きさも丁度良く、操作系も従来機からそう違和感無く扱えそうでいい感じであった。でもファインダーに透過液晶を挟んでいるせいで、スーパーインポーズでファインダー内が赤く染まるのはちょっといただけない。クロップ枠の表示などの為には透過液晶を挟まざるを得ないのだろうと言う事は理解できるのだけど。
 それと、大きなペンタ部の割にファインダー倍率0.7倍と言う控えめな数値なのも残念だ。K-5IIsが0.92倍(35mm判換算で約0.6倍)だから、そう大きな差は無い。実際、体験コーナーでいじっていた時にもあまり差は感じられなかったし。
 レンズ補正やHDR合成の処理速度が速くなっているのは好印象。K-3をいじった時にもK-5IIsより速くなっているなと思ったが、それよりも速い。神社撮影では輝度差の大きい状況が少なくないので、HDRの処理が速いのは有り難い。まぁそれでもそれなりに時間はかかるけど。またHDR情報をRAW記録できる為、後からHDRの強度調整が出来るのもナイスなポイント。
 フレキシブルチルトモニターはするすると動いて角度の調整はし易い。ソニーの三軸チルトに比べると傾きの範囲は狭いものの、実用上は申し分無いように思える。神社撮影をしていると可動モニターが欲しくなることもしばしばだが、通常のチルトモニターでは縦位置の対応できず、バリアングルモニターでは光軸がずれるのが気に入らないので、このフレキシブルチルトモニターは実にいい。
IMGS6982s_20160312231349d3b.jpg
 最高ISO感度が204800と言う超高感度だが、トークライブで田中希美男氏の表示した作例はISO51200でもかなりノイズだらけだったので、最高204800と言ってもどの程度使えるのかはわからない。ISO6400あたりならそう気にならないレベルであるようだが。
IMGS6981s.jpg
 SRユニットはさすがに大きくなっている。
 SR技術を利用したリアル・レゾリューション・システムは面白い機能だとは思うが、自分の用途としてはあまり使うことはなさそうだ。
IMGS7021s.jpg
 上下に動いてブレを発生させる装置に載せられたK-1。100mmマクロをつけて1/5secに設定されていた。新しいSRの性能はかなり良いようだ。
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