赤城浅間神社(粕川町月田)

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 月田小学校の北側に鎮座する赤城浅間神社(前橋市粕川町月田)。
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 中山鳥居。
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『赤城浅間神社(旧称富士仙元神宮)
鎮座地 前橋市粕川町富士ノ宮二六八番地
祭 神 木花咲耶姫命
例祭日 三月十日
由緒沿革
 創立は西暦千六百年(約四百年前)江戸時代初期慶長十七年九月十七日、富士仙元神宮を建立と古文書に記載されています。
 祖先石橋平左衛門が駿河国富士山の山頂にある富士山本宮浅間大社に七度登山を行い、大願成就を経て御祭神の木花咲耶姫命の御分霊を願い受けいたしました。この時代は富士講が盛んで、全国から富士登山が行われ、御祭神の御分霊を受け全国各地に浅間神社が建立されました。また同時に石橋平左衛門は時の領主越前國長岡牧野駿河守康成殿より御領地内の土地を願い受け、同村内に富士仙元宮を建立したとも記載されています。またこの宮は古くから"ふじけんさま"と呼ばれ、家内安全、五穀豊穣を願う守り神として地域の発展とともに、地域住民の皆様方の御慈愛を受けております。
 平成十八年五月吉日』

 ちなみに慶長十七年は1612年である。この由緒書きには赤城神社についての記述が無いが、その辺りはどうなっているのだろう。
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 石祠がいくつか並んでいるが、どれがなにやら。
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 たぶん左奥が赤城神社で右手前が浅間神社なのかなぁと言う気がするが、確証は無い。
 ちなみに左側の石祠には「延享三丙寅年十二月廿五日」と刻まれているので1746年の造立か。
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 その二つの石祠のすぐ後ろにあるこちらは近戸神社だろうか。
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 庚申塔。
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『君が代石(さざれ石)
この石は赤城山噴火の時の花崗岩で我が国歌「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」と歌われたさざれ石です。大小無数の岩石が永年の風雪等により次第に固まり大きな岩と成長する様は日本国の如き姿です』
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 青面金剛。

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 吉沼の中の小島に小さな石祠の姿が見えるが、辨財天だろうか。
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伏見稲荷大明神(粕川町月田)

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 月田近戸神社の南東130m程の位置に鎮座する伏見稲荷大明神(前橋市粕川町月田)。
 由緒等は不明。
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薬神社(粕川町上東田面)

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 神明宮の170m程南に鎮座する薬神社(前橋市粕川町上東田面95)。
 粕川村誌にこちらの記述が見当たらないので、詳細は不明。神明宮の由緒には無格社薬神社を合祀したとの記述があるので、こちらはもしかしたら境外末社なのかも?
 扁額には「危除 薬神社」と書かれている。厄と薬は音が同じであるから、厄除けの神と言うことで御祭神は牛頭天王=素盞嗚尊だろうか? 素盞嗚尊の本地仏は薬師如来でもあるし。でもまぁ、普通に考えると薬神社と言う名から推測される御祭神は少彦名命かなとも思う。

 以上で4月16日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mm、DA35mm Macro、DA70mm、50-150mm II。

神明宮(粕川町上東田面)

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 上毛線膳駅の南300m程の位置に鎮座する神明宮(前橋市粕川町上東田面)。
『村社 神明宮
粕川村大字上東田面村伊勢森鎮座
祭神 大日孁尊、菅原道真公、誉田別命、素盞嗚尊、少名毘古那神、櫛御気之命、
   大物主命、別雷命、大己貴命、宇迦之御魂神、大山祇命、不詳一座
由緒 不明、明治四十三年三月一日許可本社境内末社八坂神社字天神村社菅原神社同境内
  末社琴平宮同所無格社薬神社同村大字下東田面村八幡皆戸村社八幡神社字権現無格社
  熊野神社同境内末社六社(菅原神社、八坂神社、赤城神社、琴平宮、大雷神社、粟島
  神社)字天神無格社菅原神社字稲荷山無格社八坂神社を合併し同時に村社(元無格社)
  神明宮と改称せり
神饌幣帛料供進指定 大正三年四月十五日
例祭 陰暦九月九日』
(「粕川村誌」より抜粋)
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 拝殿。
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 社殿東側から。
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 西側裏手から。
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 社殿脇の石祠。
 この石祠だけ他の末社とは離れているが、なんなのだろう。
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 末社群。

村主神社(粕川町前皆戸)

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 前橋東部商工会粕川支所の南東80m程の位置に鎮座する村主神社(前橋市粕川町前皆戸179)。
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 参道右手側に末社群。
 粕川村誌や上野国神社明細帳には境内末社として稲荷社、大山祇社、出雲社、琴平社、八坂社の五つの名が記されているが、どう見てもその倍の数がある。
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 南の鳥居。
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 鳥居のそばにはさかさ梅。
『さかさ梅
 天正八年(1580)甲斐の武田勝頼が信濃の兵を併せて上州に侵入、厩橋城、大胡城、伊勢崎城と攻落した。
 膳城侵攻前に勝頼は全軍の兵馬に一息入れさせ、自らも村主神社前の泉のほとりに馬を留め、持参していた梅の鞭を地面に逆さに挿した。それが芽をふき、村主神社の「さかさ梅」として残っている。
 勝頼滅びて四二〇年余、境内の中に移植され、二、三代目か。昔を偲ぶよすがとして伝承されている。
 平成十年十二月吉日』
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 二の鳥居なのか三の鳥居なのかわからないが、平成十九年四月建立の鳥居。
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『村主神社の由来
 村主神社の由来は古く、古老の伝えるところによると延喜元年(901)に創建されたという。本殿は宝永五戊子年九月再建されたが、前皆戸・西田面三十六戸により明治四十一年一月二十九日西田面字荒神東の菅原神社並びに同神社の末社二社を合祀し、明治四十五年に改築され、同時に現在の幣殿と拝殿が建築された。昭和四十年代、境内には六・七百年の星霜を経た老杉が多数繁茂し、現在の御神木の切株もその一本である。社頭に到れば昼尚暗く、遠く赤城山頂より本社の在処が分かり、尊厳の程が偲ばれた。
 祭神は事勝国勝長狭命・大日孁尊・菅原道真公・火産孁命・保食命で産土の神として五穀豊穣、延命長寿、学問成就、交通安全、安産の神として現在も信仰されている。最近になり、口碑の由来や御神木の年輪により千百年の古き歴史があることが考えられ、平成十三年が創建千百年に当たり、この記念すべき機会に何か後世に残そうと氏子の気運が高まり、さかさ梅由来の碑建立、山車庫・舞台の新築、鳥居の移動と補修、旗竿の土台の移動、末社の稲荷神社・山神社・出雲神社・琴平神社・神明宮・八坂神社・荒神社の遷祀等、郷土の繁栄安穏の祈願をこめて実施した。
 茲に本社の歴史を後世に伝えるべく、この碑を建立することとした。
 平成十三年八月吉日建立』
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 拝殿。
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 狛犬。
 台座には平成十一年六月と刻まれている。
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 掘り出された御神木の根。
 根の上には大山祇命の神牌が置かれている。
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『御神木の発掘
 社殿の下に広く根を張った壮大な御神木を後世に伝承すべく 工事委員会が担当し 平成十八年八月二十四日に発掘を開始した
 真夏の炎天下で汗と泥に塗れた重労働の一週間だった
 掘り上げてその全容の巨大さに驚嘆し 疲労困憊が消え歓喜に溢れた
 当時の工事委員平均年齢は七十三歳であった』
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八幡神社(粕川町膳)

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 膳城址公園の東300m程の位置に鎮座する八幡神社(前橋市粕川町膳)。
『村社 八幡神社
粕川村大字膳村字八幡鎮座
祭神 誉田別命、大日孁命、火産孁命
   豊受姫命、大国主命、大物主命
   経津主命、須佐之男命、国常立命
   大山祇命、阿夫利命、菅原道真公
   保食命、別雷命
由緒 不詳、古老曰「往古石祠なりしを建久年間鎌倉の執事三善康信社殿を新築し鶴ヶ岡
  八幡宮御分霊を勧請す三善氏滅後大胡高繁崇敬厚く天正十二甲申年社殿を造営し其後
  大破に付寛保元辛酉年前橋型主酒井忠知の命に依り再建に着手し延享元年十月落成す
  現今の社殿是也」と、明治四十四年二月十四日許可本社境内末社六社(琴平宮、菅原
  社、大国社、大山祇社、八幡社、神明社)同村大字中村字中町神明神社(同境内末社
  十三社(稲荷社、愛宕社、大国社、鹿島社、御嶽社、八幡社、雷電社、八坂社、大山
  祇社、琴平社、阿夫利社、赤城社、天神社)を合併せり
境内神社 六社
     稲荷社、白山社、鷺宮社、三峰社、織姫社、春日社
神饌幣帛料供進指定 明治三十九年十二月二十八日
例祭 陰暦八月十五日』
(「粕川村誌」より抜粋)

『群馬縣上野國南勢多郡膳村字八幡一二〇
 村社 八幡神社
一 祭神 譽田別命
祭神追記 大日孁命 豊受姫命 大物主命 別雷尊 大山祇尊 菅原道真公
     須佐之男命 保食命 火産霊命 大国主命 経津主命 国常立命 阿夫利命
一 由緒 古老曰徃古ハ石宮ト申傳候、後チ天正十二甲申年当國赤城社司奈良原紀伊奈祭
    典兼勤仕宮社造営武運長久之祈願仕、其後大破ニ付寛保元辛酉年当國前橋城主酒
    井忠知侯之命ニ依テ本社再建仕、即チ現今之社ニ御㘴候
一 境内末社
 稲荷社  祭神 倉稲魂命
 白山社  祭神 菊理比賣命
 鷺宮社  祭神 八十枉津日命
 三峰社  祭神 日本武命
 織姫社  祭神 織姫命
 春日社  祭神 天兒屋命』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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『當神社記
鎮座往昔由緒不詳■右者傳處建久年間鎌倉問注所執事三
善康信當村善城居定時隺岡八幡宮崇敬有仝社自現在宝物
嵯峨天皇御宸筆成御新号額面請受来右石宮木造本殿改築
譽田別尊息長足姫尊奉祀武門守護神鬼門除八幡宮累代崇
敬爲所也後善氏亡后社殿破損大胡髙廣公是憂天正十二年
六月三日田畑山林二町五段七畝十二歩進納本社脩繕武運
長久祈願爲後領主前橋城主酒井公別段信仰有社司箱田肥
後代酒井忠知公命受本殿改築着手寛保元年起工延享元甲
子十月竣工時東領二十三箇村總鎮守爲現在本殿是也明治
六年十六箇村々社列爲後制度之爲各分離矣
 聖地森嚴長参道 殿宇壮麗映旭已 賽者相謹願霊威
 神徳廣大輝六合     社堂 箱田勝次郎  謹書』
 ■は強の旁部分のみのもので、Unicode 27227。
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 拝殿。
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 拝殿東面に掛けられた大額。
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 白山宮。
 鳥居には昭和四十六年五月吉日と刻まれている。昭和四十六年は1971年。
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 正一位稲荷大明神。
 鳥居には寶暦十一辛巳六月吉日と刻まれている。宝暦十一年は1761年。
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 稲荷神社の脇に猿田彦大神と石祠。
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 末社群。
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 山百合の歌碑。
『ところ蔓からめるままにつかみさしぬ
 今朝もらひたる山百合の花
              泰一郎』

熊野大権現(粕川町膳)

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 上毛線膳駅の北130m程の道端に鎮座する熊野大権現(前橋市粕川町膳557-3)。
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神明宮(粕川町中)

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 近戸神社の800m程南、中区民センターの隣に鎮座する神明宮(前橋市粕川町中)。
 地図には何故か阿夫利神社と記載されているが、阿夫利神社は神明宮の境内社である。

『中の神社は明治十二年の明細帳では
「群馬県上野国南勢多郡中村字中町 村社無格社 神明社
 一、祭神 大日孁命、由緒 不詳
 一、社殿 間口 二間
      行  二間三尺
 一、境内坪数 四百六坪 官有地」
と中の地にあったのだが、明治四十二年の神社統合に依って、膳の八幡宮に合祀されてしまった。神社所有財産が維持に必要な程持っていなかったというのが理由であった。中の人たちは事あるごとに村に神社のないさびしさを味わい、大正初年から再建運動が起きていた。
 昭和四年十二月、膳八幡宮遥拝所として遷宮、再び村の鎮守として祀ってきたが表面は膳の八幡宮との関係を変えることができなかった。しかし、村人たちは、本殿を整備し、社地を整え、拝殿を作るなど努力を重ねた。
 昭和三十年、神社法の改正、宗教の自由という時代の中で名実ともに独立した神社への運動が村民、氏子一同の総意ですすめられた。
 昭和三十二年三月、三十余年の念願がかなって、神社設立承認書が中の人たちに下りた』
(「粕川村誌」より抜粋)
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 拝殿正面。
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 斜めから。
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 阿夫利神社の鳥居。
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 中央の石祠の額部分には阿夫利大神宮と刻まれている。側面には安永四年乙未八月吉日と刻まれているので1775年の造立。
 右の石祠は何神社なのかわからないが、側面には天明二寅年九月吉祥日と刻まれているので1782年の造立。左の石祠は金刀比羅宮。
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 蚕影山社。
 左奥には道路脇の道祖神が見える。
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 末社群。
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 宮田八幡宮と摩利支天。

近戸神社(粕川町月田)

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 近戸神社外宮から東南に1km程、吉沼の南側に鎮座する近戸神社(前橋市粕川町月田1261)。
『村社 近戸神社
粕川村大字月田村字近戸鎮座
祭神 大己貴命、豊城入彦命、大物主命、誉田別命、伊弉諾尊、伊弉冉尊、少彦名命、
   大山咋命、大山祇命、素盞嗚命、大日孁命、火産孁命、倉稲魂命、菅原道真公、
   保食命
由緒 不詳、明治四十年十一月五日許可本社境内末社十四社(粟島神社、保食社、八坂神
  社、菅原神社、琴平神社、稲荷神社、大山祇神社、筑波神社、大山咋社、疱瘡社、大
  国主神社、赤城神社、秋葉社、神明社)字大光寺無格社近戸神社同境内末社五社(琴
  平宮、神明宮、粟島社、大山祇社、地神社)字柳下無格社大山祇神社同境内末社六社
  (八幡神社、八坂神社、日枝神社、菅原神社、大国主神社、粟島神社)字富士之宮無
  格社神明宮同境内末社四社(絹笠社、琴平神社、大山祇神社、稲荷神社)字下原無格
  社稲荷神社同境内末社三社(菅原神社、愛宕神社、大山祇神社)を合併せり
境内神社 八社
  春日神社、諏訪神社、厳島社、石凝刀売神社、浅間神社、
  妙義神社、妙義社、妙見社、当国十二社
神饌幣帛料供進指定 大正五年三月十日
例祭 陰暦七月一日』

『近戸神社由緒記
 上野国勢多郡月田村者、人皇第十二代景行天皇御宇、当国太守八綱田の王子、彦狭島王の男、御室別命の家人等此地に来住仕り農夫民と成り耕田林園開墾、当地に居住候に附、田村郷、上野風土記に田村郷と号し候此地初の事也
 抑、千鹿戸大明神者、高彦根命、大己貴命、御室別命、少彦名命を祭神とし前記御室別命の官人等の子孫、天田・関口・田村・岡田。建仁三癸亥(1203)年、長峯に前の神々を祭り奉幣仕候、其後、承元二年(1208)壱社を勧請し赤城磐筒雄神、会幣奉り是に赤城山千鹿戸大明神と称し奉る。其後、宝治元丁未(1247)年七月朔日、千鹿戸林内に本社を移す依て此所を千鹿戸の里と称す、社内に御室別命の石碑あり。天田・関口氏、御供米を奉進田を御手洗とす、其後天田子孫、修験、毎月三度奉幣致候。
 当国二宮赤城大明神赤城山御殿に毎年、御饌米を奉るに事り、当社千鹿戸大明神に御興休み致候を古例と称す。其後建治二丙子年、祭礼行事に此赤城川辺に於て身曾気抜神事此時氏子者一同供致し濁酒を此川に流し候此後此川を粕川と唱え候。文和三甲午年月田村惣氏神と相成候也。
(中略)
近戸神社についての伝説(関口茂次郎記)
 赤城神社は、元三夜沢、即ち赤城山の南中腹、御殿と称る所に在り、伝うる所に依れば、往古、豊城入彦命、東国を鎮定し、永々居住し給いし所なりと云う。命のこの地に居住せらるるや、毎年七月一日を以て、天神地祇を奉斎し、祭事の終りに濁酒を川に流し、祭事の完了の信号とせり。命の長女、某姫宮、月田京丸山に邸宅を築きて居ませしが、同日此地にても亦祭事を営み、然る後川流に至り、酒粕の流れ来るを見て、御殿の祭事終了せしことを知るを常例とせしと、依って此川を名付けて「粕川」と謂う。現今粕川村を貫流する川即ち是なり。
 近戸神社は県社赤城神社と同一祭神にして某姫宮の創始せる社なるべく、又近戸と称するは赤城神社に近きが故なるべし。
 以上の古事に依り近戸神社の例祭(旧七月一日なりしも今は九月一日に改めたり)には必ず神輿を舁ぎ、神職、氏子其他信徒数百人、之に供奉して、粕川の対岸に、方一間四尺斗りの石垣の上に近戸神社の石祠あり。神輿を此処に安置し、且つ祠前にて古雅なる獅子舞を奏し、神酒を供奉者に饗し、再び神輿に供奉して帰り来る。此神事を御川隆(おかおり)と云う。
 上野神明法所蔵の正五位上霜川明神と称するもの即ち近戸神社なり。前記御殿の近傍より、赤城神社は現地に移転せしなりと伝え、霜川と称せしは下川の意にて、元三夜沢の辺より流れ来る粕川の下流にある社なるが故に斯く名づけたるものなるべし。元三夜沢に赤城神社の在りし頃は、二の宮赤城神社の神輿毎年一回渡御し、此の近戸神社を休息所とせられしが、今の三夜沢に移転後は、河原浜近戸神社を休息所と改めたりと云う。
 近戸神社内には、往古より虚空蔵菩薩の尊像安置しありしも、神仏混合禁止の際之を分離したり。現今宝物神鏡一なり。
 一説に云う、近戸神社は元、地勝明神と称し、景行天皇の御仕、豊城入彦命の孫、御室別命の家人来りて此地を開き、豊城入彦命の祠を丸山に建立せしに始まると、而して大字月田は耕田を築きしにより築田と称せしが、転じて月田となりしと云う。又、赤城神社の斎田(いつきだ)の転訛なりとも伝う』
(「粕川村誌」より抜粋)

『詳ナラサルモ正五位上霜川明神今称近戸神社ナリ、右ハ上野國神名帳ニ載ル所ノ古社ナリ、今近戸ト称スルハ赤城神社ニ近キカ故也、サテ古ヘ霜川ト号セシハ下川ノ意ニテ、元三夜澤ノ邊ヨリ流ルゝ粕川ノ川下ナル社ナレハナルヘシ、今本村ノ西隅ニ方リテ粕川ノ涘ニ石祠アリ、是ソ近戸ノ本社ニテ當今ノ村社ハ何年度ニカ川邊ヨリ遷セル也、毎年例祭ノ日神輿ヲ川邊ニ渡シ奉リ赤城山ニ向ヒテ祭式アリ、其例古雅ナル獅子舞ヲ奏ス、此ヲ号ケテ御川降神事トイフ、祭神ハ赤城神社ト同シ』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 二の鳥居。
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 狛犬。
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 拝殿。
 近戸神社と記された神額の左側には、蠶影山大神と記された神額が掛けられている。しかし粕川村誌にも境内に設置された由緒書きにも蚕影神社の記述は見当たらない。いや、合祀された末社の中に絹笠社の名があるにはあるが、まさかこれのことではないよなぁ。
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『近戸神社由緒
鎮座地 前橋市粕川町月田1261番地
一、御祭神 大己貴命・豊城入彦命
一、由 緒 当社は東国を鎮定した豊城入彦命の姫宮が字丸山に勧請した社を延暦十三年
     (794)に移築したものと言われている。
      現在の社殿は、鎌倉時代の宝治元年(1247)に造営されたものと言われ、その
     後何度か改築された。
      昔から地域の鎮守神・産土神として信仰されるとともに、赤城神社と同じく
     赤城山信仰による里神であり神仏習合時代は、小沼(粕川の水源)の本地仏であ
     る虚空蔵菩薩をお祀りしていた。
      六百年の伝統を誇る獅子舞と華麗な神輿を舁いでの御川降り神事に伴う粕流
     し神事は「粕川」の由来として有名である。
一、例大祭 八月最終日曜(旧例は九月一日)
一、御神徳 五穀豊穣・家内安全・厄除開運・交通安全・安産祈願
      合格祈願・縁結祈願等
一、文化財等
  日挟流獅子舞(ささら)及び御川降り神事(群馬県指定重要民俗文化財)
  御神輿(前橋市指定文化財)
  石造狛犬(南北朝から室町時代に造られた県内最古の狛犬)
  虚空蔵菩薩像(江戸時代前期の作 木像で高さ四十センチ)
  穴地蔵石殿(旧文部省指定重要美術品)
  赤城塔及び中世石仏群
  野口雨情歌碑
 平成二十一年二月一日』
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 本殿裏手から。
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 社殿西側へ向かうと、獅子舞練習場へと続く石段がある。
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 野口雨情童謡碑。
「近戸ののんのさま さゝらすき さゝらはうたすき 笛がすき  雨情」と刻まれている。ちなみに野口雨情の自筆であるのだそうだ。
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『近戸神社の石造狛犬
この狛犬は、碓氷峠の熊野神社の狛犬とともに石造狛犬では県内で最も古い狛犬です。狛犬は、古代中国の廟所守護として阿吽一対を置いたのが始まりと言われています。日本では、奈良時代の宗風様式の木彫狛犬と鎌倉時代後期と推定される和風様式の石造狛犬があります。南北朝時代になると石造狛犬は畿内各地に見られますが、東国では、中世(鎌倉時代~室町時代)石造狛犬の現在例は極めてまれです。群馬県内では熊野神社とこの近戸神社の二例だけがともに室町時代の和風彫刻です。この狛犬は、他の時代のものと異なり頭部が小さく扁平で童顔をしています。また、巻き毛も丸みがあって穏やかで親しみの持てる像です。以前は拝殿前にありましたが、一部欠損したため新しい狛犬が奉納され、以後現在地へ遷し大切に保存されています』
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 別角度で。
IMGS8995s.jpgIMGS8994s_20160422223912499.jpg
 狛犬の案内板傍に鎮座する石祠。
 この一基だけは何故か他の末社とは離れてこちらにぽつんと置かれている。
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 獅子舞練習場。
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 練習場の隣に六地蔵殿と赤城塔。その傍には仏様をの姿を刻んだ石もあるが、元は石垣か何かの一部だったのだろうか。
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『粕川村指定重要美術品
 昭和十八年十月一日文部省指定
 石造六地蔵殿
  粕川村大字月田近戸神社境内
 正面と両側面をそれぞれ二区にわけ、一体づつ浮彫りして、計六体を刻んである。背面の銘で暦応五年壬午(1341)二月十五日、幽阿弥陀佛の建立とわかる。全体を堂に見たて屋根は欠損甚だしいが四注造りの型式を示している、石は安山岩である。吉野朝時代の地方石造品の標準になる』
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 末社群。
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『前橋市指定重要文化財 近戸神社神輿
指定年月日 昭和49年5月1日
所 在 地 前橋市粕川町月田1261 近戸神社
 赤城信仰の表徴として数百年の数百年の伝統を持つ特異の神事「お川降り」に奉納の「獅子舞」はこの神輿を奉じて外宮まで渡御する。制作年代は不詳であるが、安政3年、江戸の神輿師が修理し、その後、浦和の大仏師が修覆し、明治36年前橋の仏師が総塗替を行ったという記録がある。本体は高さが約145cm縦横それぞれ約90cm扛棒の長266cm、別に長さ約2mの鉾が付属している。保存や取扱には行き届いた配慮が続けられており装飾の細部まで完全に保たれ、塗装も光沢鮮やかで壮麗荘厳な風格を備えている。地方に数少ない神輿の中で特に重要な工芸美術品である』
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『前橋市指定重要無形文化財 月田近戸神社の獅子舞
 月田近戸神社の獅子舞は、関東地方に多い一人立ち三頭獅子舞でも早い段階の創始で、「近戸神社由緒記」には室町時代の永享五年(1433)に奉納されたとある。獅子舞は九月一日の近戸神社の例大祭で天下泰平・五穀豊穣を祈念して奉納される。社頭での奉納の後、神輿の渡御に従い粕川対岸の近戸神社外宮まで道中を連ねる。外宮は獅子山とも呼ばれ、獅子舞が奉納される間、神官により粕川への濁酒流しが行われる。これら一連の神事は「御川降り」神事と呼ばれ、粕川の名の由来となっている。一行が神社に戻り宵闇せまる頃、「雌獅子隠し」が奉納される。躍動感溢れる舞いで、神事の終了後に観衆を楽しませる余興ともなっている。
 この獅子舞を奉仕する獅子連は、かつては月田近戸組の家の跡取りのみで構成され、口伝により舞いの所作が受け継がれてきた。流派は「天下一日挟流」で、獅子を演ずる「獅子っ子」は十代の早くから獅子連に加わり、年齢を追うごとに「笛掛り」、「歌掛り」へと進み、人生の半ばを獅子舞に奉仕する。この世代を超えた獅子連構成の仕組みが、地域住民あげての協力と共に、昔からの厳粛な芸態を現在まで継承してきた要因となっている。
 平成一四年三月二十六日指定』
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 神社裏手に並ぶ庚申塔と石仏群。
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 近戸神社の南130m程の位置に伏見稲荷大明神が、そして北西500m程の位置には赤城浅間神社があるのだが、この時は気付いておらず、後でストリートビューを見直していた時に気が付いた○刀乙 また後で行ってこよう。

 7月22日追記
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 近戸神社のすぐ裏に蚕影山神社跡地。
 蠶影山大神の神額はこちらにあった蚕影山神社から移されたものであるのだろう。
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『粕川村文化財 月田三ノ二 社家光善寺
 古文書、木像仏、子持曲玉石造物群』

近戸神社外宮(粕川町月田)

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 粕川親水公園の端に鎮座する近戸神社(前橋市粕川町月田)。
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 粕川に架かるささら橋。
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 橋脚にはヤマメと獅子舞の絵が嵌め込まれている。
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 橋を渡って北側へ向かうと近戸神社。
 周囲にぐるりと紐が渡されており、ここから神域と言うことなのだろう。
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『お川降り神事と粕川の由来
 この石宮周辺を土地の人は獅子山と読んでいます。
 この獅子山に鎮座する石宮は、月田の氏神である近戸神社の外つ宮です。毎年九月一日には、近戸神社で祭典を行った後、「道中」を舞う獅子に導かれて神輿が渡御します。神輿はこの石宮の祭壇に据えられ、この前で祭典を行い獅子舞を奉納します。獅子舞奉納の後、神前に供えた濁酒を石宮の西を流れる小川に流し外つ宮での祭典はめでたく終了します。この濁酒を川に流す神事をお川降り神事又は濁酒神事といいます。この神事は、建治二年(1276)に始まったといわれています。
 粕川の上流の親神である赤城の神が下流の神である近戸の神に息災を伝えるもので、この神事が今に残っているといわれています。
 この「粕川」の名は、粕の流れる川ということに由来し、「粕川村」の名は、この川の流れる村ということから名付けられたといわれています』
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 御旅所。
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 この上に神輿が置かれるのだろうか。
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 天井には龍の絵が描かれている。
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 何神社なのかはわからなかったが、おそらくこちらが月田近戸神社の外宮なのだろう。
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 石祠。
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 粕川に面して鎮座する石祠。
 右奥の石祠には大神社と刻まれているが、左手前の石祠は不明。
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 案内板には「神前に供えた濁酒を石宮の西を流れる小川に流し」と記されているが、この小さな水路に流すのだろうか。
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 庚申塔。
 背面には天保六年乙未仲春と刻まれているので、1835年のもの。奥に見える庚申塔は天保四癸巳年八月善法日と刻まれているので1833年。
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 青柳花明詩碑。
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諏訪神社(大前田町)

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 大前田集落センター隣に鎮座する諏訪神社(前橋市大前田町814)。
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 文化財の案内板。
『前橋市指定重要無形文化財 大前田諏訪神社の獅子舞
指定年月日 昭和60年7月4日
所 在 地 前橋市大前田町816 諏訪神社
 宝暦年間(1751~1763)に始まった大前田の獅子舞は、龍頭獅子舞といわれる。
 古くは西原の下の諏訪神社で行われていたが保存していた小屋が火災にあったとき、獅子頭3体が火の玉となって今の諏訪神社の方へ飛んでいき、それからこの場所で行うようになったといわれている』

 前橋市役所のサイトには、大前田内出砦跡の所在地は大前田町1328-1他と記されているのだが、周囲を軽く車で流してみた限りではよくわからなかった。
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 拝殿。
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 狛犬。
 台座には昭和二十三年十月吉日と刻まれている。
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 御神庫と由緒碑。
『村社諏訪神社 大前田鎮座
祭神 
建御名方命 武神
猿田彦命  土徳神
倉稲魂命  五穀神

由緒
口碑傳フ所ニ因レバ吉野時代應永十年ノ春人皇第百
代小松天皇ノ御代今ヨリ五百四十二年前始テ爰ニ祀
ル後寛文五年七月二十六日即チ江戸時代人皇第百十
二代霊元天皇ノ御代今ヨリ二百七十六年前信濃國下
諏訪神社ヨリ分社ヲ乞ヒ勧請セリ続テ翌二十七日大
祭典ヲ執行爾後祭典日ト定メ更ニ九月二十七ニ改メ
今日ニ至ル明治四十一年末社各社ヲ合併認可セラレ
大正七年村社ニ列シ神饌幣帛供進指定セラレ神ノ威
徳ハ倍々盛ナリ』
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 運動広場誕生の碑と天神宮及びその他の末社。
 石燈籠は明和三丙戌年(1766)九月、右端の天神宮は寛政五癸丑年(1793)三月二十五日の造立。
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 歌碑。
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 末社。
 若狭宮……かな?
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 八幡宮。
 右端の石祠の額部分には「雨宮」と刻まれている。
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 末社。
 右から二つ目の小さな石祠には「八百萬神」と刻まれている。
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 左の石祠は八坂大神。
 右の三基の石祠には意波羅、御嶽山、八海山と刻まれている。木曽御嶽三神は御嶽山・八海山・三笠山じゃなかったかなと思いググってみると、木曽御嶽信仰の開祖である普寛行者は御嶽山・武尊山・意波羅山を一組にしており、普寛の弟子である順明行者は御嶽山・八海山・意波羅山を一組にし、同じく普寛の弟子である広山行者は御嶽山・八海山・三笠山を一組にしたとあるので、こちらは順明行者の流れを汲んだものであるのだろう。因みにこの三基の石祠はいずれも文政二己卯年(1819)十一月朔日と刻まれている。
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稲荷神社(粕川町稲里)

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 上毛線粕川駅の北西1km程、稲里集落センター南側に鎮座する稲荷神社(前橋市粕川町稲里494)。

『村社 稲荷神社
粕川村大字稲里村字宅廻り鎮座
祭神 木花開耶姫命、保食命、大己貴命、武甕槌神、倉稲魂命、天照大神、素盞嗚尊、
   大山祇命、菅原道真公、火産霊神、大物主命、武内宿禰
由緒 不詳、明治四十四年二月二十二日許可字鎌田村村社稲荷神社同境内末社十社(稲荷
 神社、伊勢神社、八坂神社、赤城神社、鹿島神社、白髭神社、愛宕神社、大山祇神社、
 菅原神社、琴平神社)を本社(元子守神社)に合併し村社稲荷神社と改称せり
例祭 陰暦九月二十四日』
(「粕川村誌」より抜粋)
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 拝殿。
IMGS8712s.jpgIMGS8714s_2016042020125357f.jpg
 お狐さま。
 台座には昭和十五年二月吉日と刻まれている。
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 顕彰碑。
「粕川村の県営土地改良事業は、昭和五十三年度から毎年計画区ごとに実施されてきたが稲里地区の中心耕地である九工区の事業は昭和五十六年度実施に向けて昭和五十五年度に新農業構造改善事業推進委員会を設置、委員長に阿久沢広也氏が就任し、稲里集落センター建設のための建設委員会を発足させ、建設委員長に同氏を選出し地区住民全員が利用できる広場の設置も併せて検討され幸いにして阿久沢広也氏のご芳志により五百平方米の土地を御寄附いただくことができ、ここに広場を設置することができた次第である
この広場が地区住民のスポーツの振兴は勿論、明るい豊かな村づくりの為に区の諸行事等巾広く永久に活用できることを希い貴重な財産を御寄附下された阿久沢広也氏に対し稲里区民一同感謝の意を表し茲に顯彰碑を建立する」
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 如意輪観音と庚申塔。
IMGS8733s.jpgIMGS8739s_20160420213205b0c.jpg
 末社群。
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 天照皇大神宮・豊受大神宮。

第12旅団創立15周年・相馬原駐屯地創設57周年記念行事

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 友人に誘われ、群馬県北群馬郡榛東村にある陸上自衛隊相馬原演習場で行われた「第12旅団創立15周年・相馬原駐屯地創設57周年記念行事」に行って来た。
 到着したのが10時近かったこともあり、既に大勢の人々でろくに前も見えない状態に。人の隙間から撮ろうとすると、シャッターを切る直前に人がフレームインして来るのでなかなか思うように撮れず。
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 155mm榴弾砲、FH70。
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 多用途ヘリコプター、UH-60JA。
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 UH-60JAの編隊飛行。SS1/2500では速すぎてプロペラ止まっちゃった○刀乙
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 観測ヘリコプター、OH-6D。
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 輸送ヘリコプター、CH-47J。
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 パラシュート降下部隊。
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 演習場入口近くから続く桜並木。
 この周辺でドローンを飛ばすと、航空法違反により50万円以下の罰金が科せられるのだそうだ。
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 ずらりと並ぶ出店。花見目的であろう人々も多数。
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 12時頃には撤収し、その後は何故かカラオケに。聞いてねーっつーの。久しぶりに歌うと、声が出なくて結構きついわ。
 帰宅後に駐屯地周辺の地図を見てみると、意外と神社が多いのね。後でこの辺りの神社巡りもしようかな。

諏訪雷電神社(神明一丁目)

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 JR高崎線第二町谷踏切の傍に鎮座する諏訪雷電神社(桶川市神明1-1-33)。
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『雷電社 御由緒
桶川市神明1-1-33
□御縁起(歴史)
 中山道の桶川宿の南に位置する町谷には、「風土記稿」町谷村の項に「雷電社 村の鎮守なり、村民の持」「諏訪社 元禄十五年(1702)勧請の棟札あり、持前に同」と記されているように、雷電・諏訪の二社が祀られていた。そのうち雷電社の境内は、町谷の南端に当たる下宿の高台にあり、諏訪社の境内は北部の上宿にあった。
 この両社は、共に町谷の人々から信仰されてきたが、明治四十年六月十一日、政府の合祀政策に従い、無格社の諏訪社はその境内社の稲荷社と共に村社である雷電社に合祀された。この合祀に伴い、雷電社は諏訪社の境内に移ることとなったが、諏訪社は小さな祠であったため、そこに村社にふさわしい社殿の新築や境内の整備を行った上で、明治四十一年十月十日に移転を実施した。ちなみに、この社殿の建設用材は、雷電社境内の杉を製材したものであった。当社のことを「お諏訪様」と呼ぶ人があるのは、当社の境内が元来は諏訪社の境内であったことによるもので、雷電社の元地は「雷電跡」と呼ばれている。
 こうした合祀・移転といった動きの際に、古い資料等は散逸してしまったらしく、当社には合祀以前の記録は残っていない。本殿には、雷電社の幣束と諏訪神社の神璽筥が安置されているが、この神璽筥の背面にある「明治四拾弐年壱月拾九日移転」の墨書から、実際に移転が完了したのは書類上の日付よりやや後のことと思われる。
□御祭神と御神徳
 別雷大神・・・厄除け、雷除け、豊作祈願
□御祭日
 元旦祭(一月一日) 春祈祷(三月二十五日) 祭礼(四月十五日)
 新嘗祭(十一月二十三日) 大祓式(十二月十八日)』
IMGS8223s.jpgIMGS8222s_2016040522030085a.jpg
 台湾産っぽい感じの狛犬。
 台座には2001年4月吉日と刻まれている。
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 拝殿。
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 拝殿前の白玉石の中に謎のハートが。
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 社殿を東から。
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 末社殿。
 左は石神社(祭神 手力雄命)。右は天神社(祭神 菅原道真公)。

 以上で4月2日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにFA28mmとDA35mm Macro、FA50mm F1.4、DA70mm。X30。
 この後は大宮まで行って新刊を購入し、昼食を摂ってから帰宅。当初は桶川駅北側の稲荷神社や若宮神社も参拝する予定だったのだが、気が削がれたと言うかなんだかもう色々と面倒臭くなってしまったので、また次の機会でいいやと。

稲荷大明神(伊奈町小針新宿)

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 第六天神社から北へ560m程、小針新宿集会所の西側に鎮座する稲荷大明神(北足立郡伊奈町小針新宿)。
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 石段の途中には鳥居の跡らしきものがある。
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 稲荷大明神から南西に250m程、埼玉県道311号蓮田鴻巣線の端に鎮座する青面金剛(北足立郡伊奈町寿一丁目)。
「右 いわつき
 明和三丙戌霜月吉祥日
 左 かうのす 小針新宿村講中」
 と刻まれているので、道標を兼ねているようだ。明和三年は1766年だから、ほぼ250年前か。

 この後は稲荷大明神から500m程東北に位置する小針神社へと向かったのだが、神社入口脇にある駐車できそうなスペースには駐車禁止と書かれたパイロンが置かれていた為、ぐるりと周囲を回ってみるもやはり駐車できそうな場所が無く、参拝は断念して上尾市上の上氷川神社へ。しかし上氷川神社は祭礼の準備中であったようなので、今回は参拝を見送って次の神社へ。

第六天神社(須ケ谷二丁目)

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 須ヶ谷集落センターの隣に鎮座する第六天神社(上尾市須ケ谷二丁目)。
 鳥居の柱には大正十三甲子年(1924)五月と刻まれている。鳥居のそばには由緒らしきものを刻んだ石碑が建てられているが、所々崩し字になっていたり薄くなっていたりして読み取り難い。
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 拝殿。
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 天狗の面が掛けられている。
 上尾市教育委員会のサイトを見ると、こちらの神社で行われる大山灯籠行事が無形民俗文化財として市に登録されており、この天狗面もその縁なのであろう。拝殿の大棟や水盤にも羽団扇紋がついているし。
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 拝殿脇には末社が二つ並んでいるが、何神社なのかはわからない。

山王社(上)

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 箕の木公民館前に鎮座する山王社(上尾市上)。
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「陰陽の機を司どる山王社 箕の木の氏の守利なり」
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 小さな猿の石像が並んでいる。
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 隣には浅間神社。
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 浅間神社の前には正徳元辛卯年(1711)に奉納された力石。
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 山王社の裏には石のテーブルと椅子が設置されている。
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 元禄十五壬午年(1702)十月造立の青面金剛。
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