香取神社(下柳)

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 イオンモール春日部の東側に鎮座する香取神社(春日部市下柳369)。
 鳥居の柱には「平成十四年九月吉日」と刻まれている。平成十四年は2002年。
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 鳥居の柱には「文政八乙酉年二月吉日」と刻まれている。文政八年は1825年。
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 拝殿。
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 拝殿裏手には浅間大神を中心として、その周囲に三峯神社、小御嶽神社、国常立尊・国狭槌尊・豊斟渟尊、胡桃下稲荷神社……かな? 崩し字になっていてわかり難いが、二文字目以下は桃下稲荷神社と読めるので、ならば笠間稲荷の別名である胡桃下稲荷だろう。
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 参道右手側に末社と庚申塔三基。祠の中には天神宮と稲荷大明神が祀られている。
 庚申塔三基の内左右の二基の三猿はどちらも見猿言猿聞猿だが、中央の三猿だけは妙にアクティブなポーズと言うか見猿言猿聞猿になっていない。親猿二匹と子猿一匹のようにも見えるが、なぜこのような形にしたのだろう。
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 参道左手側に庚申塔と末社二社。右の祠は天満宮。
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 不動明王。

 以上で10月22日参拝分終了。
 この後はイオンシネマで「劇場版 蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ- Cadenza」を見てから帰宅。去年太田のイオンシネマで二回見て、その後ブルーレイディスクを買って見たりもしているのだが、今回はULTIRA上映であると言うのでついつい足を運んでみたり。実のところ、今回この辺りの神社巡りをしたのはイオンシネマで映画を見るのが主な目的だったりする。上映時間が16時半からなのでそれまでに回り切れるルートを選んでみたのだが、あと一箇所、金崎の天満宮くらいまでは参拝できたかも知れない。
 使用機材はK-5IIsにDA15mm、FA43mm、DA20-40mm、50-150mmII。X30。
 ウォーキングカウンターは27,336歩。
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稲荷神社(下柳)

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 小原運輸倉庫春日部倉庫の東側、民家脇に鎮座する稲荷神社(春日部市下柳)。
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天神社(下柳)

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 埼玉県道42号松伏春日部関宿線の脇に鎮座する天神社(春日部市下柳)。
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 境内には他に末社など無く、平成十七年七月に建てられた下柳田中組天神社落成記念碑があるのみ。
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稲荷神社(下柳)

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 マルゼン東日本物流センター北側に鎮座する稲荷神社(春日部市下柳1286)。
 鳥居の柱には「昭和六十年二月吉日」と刻まれている。
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 明治三十七年一月造立の稲荷大明神と平成八年七月建立の改築記念碑。
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雷電神社(下柳)

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 藤崎稲荷神社から200m程東に鎮座する雷電神社(春日部市下柳)。
 鳥居の柱には「昭和五十九年六月吉日」と刻まれている。
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 拝殿。
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 明治三十六年の雷電社改築碑と昭和六十年の雷電神社改築記念碑。
 明治の方は崩し文字が入っていたり文字が薄くなって読み取り難い部分もあるが、要約すると社殿が傾くほどに朽ちていたところを明治三十五年九月二十八日の烈風強雨により倒れた為、境内の杉を伐採して再建費用を作り、明治三十六年五月三日起工、二十九日竣工。六月十七日に遷座式を行ない、十二月十五日に記念碑を建てたと記されている。
 昭和六十年の方の記念碑の碑文は以下の通り。
『雷電神社改築記念碑
 雷電神社は別雷大神を祭り、寛永六年の創建で宝永三年に改築されたものである。この地域は明治以前には下総国桜井郷下河辺庄内領に属し、正保年間に開墾された村である。開墾以来代官の支配地であったが、明治元年下総知事の所轄となり二年葛飾県、四年印旛県に属し、六年千葉県に転じ八年埼玉県に属し今日に至っている。
 終戦後の農地改革により神社は農地を持つこと不能とな氏子協議の結果、分筆して買受ける事となり従来通り当番製で耕作して小作料を神社に上納して祭礼と神社の維持管理に当ってきたのである。ところが先年広域農道の建設に際し祭面も買収されてその面積も減少し又世の変転と共に耕作意欲も低下、更に世帯主の交代も多く将来を展望考察してこの際祭面を売却して老朽化した神社三社の改築及び住民福祉を図るコミュニティセンターを建設することを昨年九月二十二日氏子会で協議決定をみたのである。その後神の御加護により工事も順調に進んで本年五月十九日雷電神社、六月三十日稲荷神社と小雷電神社の上棟式を厳修し十一月吉日遷宮式を斉行して華麗荘厳なる神社に御神体を奉迎、郷土の繁栄と安泰の基礎が確立され氏子として無上の慶びである。
 敬神崇祖は、我が国民道義の大本であり、益々涵養して風教の維持、道徳の振興に資することは、私達の本分であり神社は産土神として一郷の神聖なる中心であり団結の基である。
 茲に碑を建て改築の由縁を銘記し関係者を併記して後世に伝えるものである。
  昭和六十年十一月吉日
      藤崎神社氏子奉賛会長 小島義夫撰文書』
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 成田山不動明王、青面金剛、青面金剛。
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 弘法大師。
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 天神宮と香取大明神。
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 社殿裏手には六地蔵尊。
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 神社裏手から隣家へ続く道の脇に浅間大神。
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 雷電神社北側に小雷電神社。
 鳥居の柱には「平成二十三年三月吉日建之」と刻まれている。
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 天満宮。
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 右が雷電神社。左の祠が小雷電神社。

藤崎稲荷神社(下柳)

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 中川に架かる中川人道橋の70m程北に鎮座する藤崎稲荷神社(春日部市下柳)。
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 拝殿。
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 裏から。
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 夜の藤崎稲荷神社。と言ってもまだこの時18時50分。
 ISO感度を25600まで上げているのでさすがにノイズが凄いが、撮れるだけ充分。

雷電神社(下柳)

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 スーパービバホーム春日部店の南側、川端共同生活センターの隣に鎮座する雷電神社(春日部市下柳)。
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 拝殿。
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『大字下柳川端組雷電神社改築記念碑
斯の雷電神社は安永四年の頃(今より弐百拾五年前)に當所に木造平家建茅葺屋根建坪四坪余りとして建造され當組の氏神様として崇敬されて参りましたが度重なる補修も現在では限界に達し今回新しく改築する事に昭和六拾壱年四月吉日決定致しました 組内氏子一同は積立金を開始し約五年間にて予定金額の半額に達したので建設委員会を結成し建坪屋根型等現状を維持する設計にして改築する事とした 尚小社の大杉様天神様大師様については各々にお祀してあったが今回連棟式一社にして合祀する事とした 古い社殿の取毀を平成参年参月拾七日実施し平成参年五月廿九日地鎮祭同年八月四日上棟式同年拾壱月参日竣工落成式と予定の通り完成した 尚資金の不足分に就いては篤志者の寄附金を以って充當したものである
 平成参年拾壱月吉日  川端組氏子一同

 別記
當雷電神社西側の稲荷神社は下柳七百参拾七番地壱に文化拾弐年の頃(今より百七拾五年前)建設されたものであるが埼葛廣域農道敷地の協力に依り昭和四拾九年七月吉日移転したものである』
 ちなみに安永四年は1775年、文化十二年は1815年である。
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 末社殿。
 左から大杉大明神、天満宮、弘法大師が祀られている。
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 稲荷神社鳥居。
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 稲荷神社拝殿。
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 稲荷神社の裏手に稲荷大明神。
 石祠の側面には「宝暦十四甲申二月吉日」と刻まれている。宝暦十四年は1764年。
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 道路脇に並ぶ成田山不動明王、観世音菩薩、如意輪観音、六地蔵尊。

香取神社(新川)

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 真言宗智山派香林山無量院の西隣、埼玉県道321号西金野井春日部線に面して鎮座する香取神社(春日部市新川124)。
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 拝殿。
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 斜めから。
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 浅間大神×2.
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 稲荷大明神、稲荷神社、疱瘡神、天満宮、不明(うっすらと残る一文字目は天であるようなので、天満宮か天王宮である可能性有り。たぶん天満宮)、不明。
 稲荷大明神は宝暦十庚辰天(1760)九月、稲荷神社は明治十三年(1880)、疱瘡神は元文五庚申歳(1740)六月、天満宮は安永六酉(1777)二月、天■■は元治元甲子(1864)四月の造立。
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 稲荷大明神。

天満宮(樋籠)

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 牛島公園の北側、埼玉県道10号線に面して鎮座する天満宮(春日部市樋籠474)。
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 拝殿正面。
 石燈籠の側面には「享和二壬戌六月吉祥日」と刻まれている。享和二年は1802年。
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 斜めから。
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 末社。何神社なのかはわからなかったが、ググってみたら稲荷神社だった。
 その脇に並んだ六基の石祠は左から天満宮、疱瘡神、大杉大明神、稲荷大明神、稲荷五社大明神、大杉大明神。
 左の大杉大明神は安永六酉(1777)六月、右の大杉大明神は文化六己巳(1809)三月、稲荷大明神は明和五戊子(1768)十二月の造立。
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女體神社(牛島)

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 牛島公園の西側に鎮座する女體神社(春日部市牛島605)。
 鳥居の額には「女躰宮」、柱には「元禄五壬申天十月吉祥日」と刻まれている。元禄五年は1692年。
 ググってみたところ、こちらは元来は神明社であったがいつ頃からか女体神社となり、神明社は末社にされてしまったものと思われるとのこと。元禄四年七月に再建され、明治三十九年に荒神社と天満宮、稲荷社を合祀し、御祭神は比賣命と奇稲田姫命、澳津彦命・澳津姫命、菅原道真公、保食命、火産霊命の七柱であるそうだ。
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 二の鳥居。
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 参道右手側の石燈籠の台座に嵌め込まれた「東日本大地震 神社被害記」。
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 拝殿正面。
 賽銭箱の両脇に小さな狛犬が控えている。
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 斜めから。
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 左の祠は天神宮。中央は稲荷大明神。右の祠は石祠の中に置かれた御幣で社名が隠されており、確認できなかった。
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 左から馬頭観世音、天満宮、稲荷大明神、聖徳太子、大杉神社。
 天満宮は文化十四丁丑(1817)正月、稲荷社は享保十八癸丑歳(1733)十一月十五日、聖徳太子は文政五壬午年(1822)九月の造立。
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 富士塚。
 頂には三国第一山仙元大神。
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 麓には山王大権現と小御嶽・石尊大神。
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 ストリートビューを見ると社務所西側の道路脇に小祠が確認できるのだが、現在は潰されて駐車場の一部になっている。女體神社境内に移転されたのかとも思ったが、境内にこの祠は見当たらなかった。どこへ行ったのだろう?

白山神社(樋堀)

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 樋堀大師の200m程北西、旧倉松川のそばに鎮座する白山神社(埼玉県春日部市樋堀265)。
 鳥居の柱には「昭和三年十一月建之」と刻まれている。
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 拝殿。
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 末社。
 左側は稲荷社。

樋堀大師(樋堀)

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 樋堀地区集会所の横に鎮座する樋堀大師(春日部市樋堀216)。
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 関東の厄除け三大師は西新井大師、川崎大師、観福寺じゃないんですかね。

東八幡神社(粕壁東二丁目)

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 大落古利根川に架かる八幡橋の南側に鎮座する東八幡神社(春日部市粕壁東2-16)。
 参道入口は一宮交差点の傍にある。
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 例大祭案内板と由緒書き。
『東八幡神社
当神社は誉田別尊(第十五代応神天皇)をお祭りする春日部市内有数の古社で現在の氏子区域(旧町名)は、元町、本町、三枚橋、一宮町、大砂、東町、川久保及び太田の八町内であります。東八幡神社は、古き昔から氏子の人々を始めとして近郷近在の多くの人達から下の八幡様の愛称で親しまれ篤い崇敬を集めてまいりました。
口碑によると京都「男山」に鎮座する「石清水八幡宮」からの分霊を勧請し、氏神としてお祭りしたものと伝えられており、家内安全、商売繁昌、五穀豊穣、厄除開運の神として広大なご神徳を輝かしめております』
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 二の鳥居。
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 参道右手側には樹齢約六百年と伝えられる御神木の大欅。
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 拝殿。
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 斜めから。
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 狛犬。
 台座には「文久三年八月十五日建」と刻まれている。文久三年は1863年。
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『改修記念
     八幡神社 宮司 松島  寛選
当八幡神社ハ 古来 我々ノ産土神トシテ 常ニ尊崇シテ来タ所デアツタガ第二次世界大戦コノカタ極端ナ思想ノ混乱ト社会ノ不安定トニ見マワレ 敬神崇祖ノ念ハ トミニ地ニオチソノ結果カ社殿ハカエリミラレズイタズラニ朽チ 神苑モマタ荒レルニマカセル有様トナツテシマツタ
戦後十五年ヲ経 産業モ振興シ 生活ニモユトリヲトリモドシタ今日 コノアリサマヲ見ルニ忍ビズ 氏子総代相ハカリ社殿神域ノ復興ノ議ガオコリ 遂ニ 全員ノ賛同ヲ得テ八幡神社改修奉讃会ヲ組織シ 氏子ヨリ浄財ヲ募ルコトニタツタ氏子ノ方モヨク協力シタノデ 昭和三十五年三月起工ノ運ビトナリ 昭和三十五年八月竣工ヲ見ルニ至ツタ
コレト併セテ 市ノ計画ニヨル 參道側溝ノ改修 參道一部ノ舗装モ行ワレ更ニ玉垣ノ増築モ加ワツタノデ環境モ整備サレ神苑ノ面目ヲ新タニシタ ヨツテココニ由来ヲ記ス
   昭和三十五年十一月三日建之  石原儀平書』
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 稲荷神社。
 左側の石塔は庚申塔。側面に「春日部驛松樹里」「天保甲辰十一月立」と刻まれているので天保十五年(1844)の造立。
『松の樹稲荷大明神
 祭神 宇迦之御魂神
 京都伏見稲荷を勧請する。農工の守護、商売繁盛の神として信仰厚く、神使は白狐と伝えられる。
 古時松ノ樹村の氏神として祭られていたが、明治末期の頃、政府の神社統合令にもとづき、当境内に合祀される』
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 松の樹稲荷大明神案内板の前に雷電宮。嘉永二己酉(1849)十一月の造立。
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 雷電神社。
『川久保雷電神社
 祭神 別雷命
 群馬県板倉の雷電神社を勧請する。
 古時川久保地区の氏神として祭られていたが、明治末期の頃政府の神社統合令にもとづき、当境内に合祀される』
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 榛名山満行宮大権現。
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 松の樹稲荷神社と川久保雷電神社の間に猿田彦大神と神倭伊波礼比古命。
 猿田彦大神は側面に「春日部驛三枚槁」「天保十五年十月立」、台座正面に「勿言勿聴勿視」と刻まれている。三猿が文字で刻まれているのは初めて見たかも知れない。
 神倭伊波礼比古命は神武天皇の別名なので、こちらは遥拝所だろうか。
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 弁天社。
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 左奥から浅間神社、大杉神社、大国玉神社。
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 豊玉稲荷大明神と天満宮。
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 青面金剛、猿田彦太神、猿田彦大神、大青面金剛、石碑。
 青面金剛、猿田彦大神、石仏、天神宮。石仏の台座には「春光童子 幻理童子 俗名八兵衛」と刻まれているが、供養塔のようなものだろうか。
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 大正記念碑。
 その後ろには力石が並んでいる。
『三之宮卯之助の力石
 卯之助は、江戸時代の文化四年(西暦一八〇七年)越谷市在の三之宮に生まれ江戸時代の見世物興行の力持ちとして日本一になったこともあり、牛一頭を乗せた小舟を持ち上げるのが売物だったと言う。
 この一〇〇貫目(三七五kg)の力石は、卯之助が八幡神社境内で興行したさい、持ち上げた記念に奉納されたものである』
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 左から天保十己亥(1839)八月朔日六拾五貫余、天保三辰(1832)二月六拾貫余、天保三辰二月百貫余。右端は文字が薄くなっていてわかりにくいが、おそらく三十二貫目かな。三之宮卯之助の名が刻まれているのは天保三年の二つ。

八坂神社(粕壁東四丁目)

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 日枝神社から東へ100m程、国道4号線に面して鎮座する八坂神社(春日部市粕壁東4-1-18)。
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 ほぼ真上に近い位置から鳥居を俯瞰する機会はあまりない。
 柱には「平成十五年七月吉日建立」と刻まれているので13年前に建てられたものだ。
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 拝殿。
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『八坂神社復興の碑
  ◎ご祭神 須佐之男命(牛頭天王)
  ◎例祭日 七月十五日(現在七月中旬の土日)
 明和七年(一七七〇年)の火災によって社殿が焼失したため、勧請の由来は不詳である。
 明治以降は、須佐之男命を祭神としてお祀りしているが、神仏分離以前は「牛頭天王」を祀っていた事から、今でも「天王さま」の通称で親しまれています。
 古くから粕壁宿の市の守護神として信仰厚く、元来例祭は、七月九日から十五日まで一週間にわたって行われていました。太平洋戦争後は一時中断していましたが、復興が模索される中、春日部市制二十周年の昭和四十八年からは市民夏祭りとして、毎年七月中旬に例祭が執行され、神輿渡御と山車・屋台巡幸が盛大に行われています。
 氏子区域は、旧粕壁町一体の町会であり、通常は宮元である一宮町から総代が選出され、各町会並びに自治会の参加協力のもとで神社の管理運営を行っています。
 去る平成二十二年十月二十五日夕刻、放火被災により社殿が焼失。その後、復興奉賛会を組織して工事を施工し、翌平成二十三年七月に社殿が再建され、内陣他調度品も整えて夏祭りが例年通り無事齋行されました。
 ここに後世のため、神社由緒を記します。
 平成二十四年七月 吉日』
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『日光道中粕壁宿 ①八坂神社
 粕壁宿は、日本橋から九里二丁(約三六キロメートル)の距離にある。幅約九メートルの道沿いには、約一・一キロメートルもの町並みが続いていた。嘉永二年(一八四九)には、人口は三七七九人、旅籠屋は三七軒あった。宿の入口にある八坂神社は、江戸時代には牛頭天王社と呼ばれた。明和七年(一七七〇)に火災に遭い、詳しい由来は不明だが、宿の市神として信仰された。神社の祭礼は、現在の春日部夏まつりの起源でもあり、江戸時代には毎年六月(旧暦)に行われた』
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 徳祐彦霊神、猿田彦大神、猿田彦大神、神苑記念碑。
 左側の猿田彦大神左側面には「文政二己卯秋九月建」、右側面には「五臓安寧 身體吉祥」と刻まれている。文政二年は1819年。
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 徳祐彦霊神裏面の碑文。
『詩者志之所行也文者貫道之器也百千者數之勤功也桺二者強與和也控者自作為不忘太公曰勤無價寶也毿々桝絲遠客繁以雜木巨廈工如一勾一章得而趣意立不怠也噫拙而先後之賢者可笑焉右 元治元年初冬
 柳工先生之遺語男孚祐保之 鑑章齋書』
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 神苑記念碑裏面の碑文。
『當神社ハ明和七年八月二十一日火災ニ罹リ御社殿ハ勿論備付書類一切燒失シ勧請年月日及由緒等不詳ナリ當時桝氏カ社家トシテ奉仕シ來レルモ故有リテ職ヲ辞シ境内敷地モ一二轉シテ私有セシカ今回崇敬者總代相議リ御神苑トシテ讓リ受ケラレタルモノナリ』

 ここから国道4号線沿いに300m程南下した所に稲荷神社があるのだが、事前に気付かなかった為チェック漏れ○刀乙
 また後で機会があったら参拝しよう。

日枝神社(粕壁東三丁目)

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 国道4号線と埼玉県道2号さいたま春日部線、埼玉県道10号春日部松伏線が接続する一宮交差点の南西、一宮町会館脇に鎮座する日枝神社(春日部市粕壁東3-5)。
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 拝殿。
 その脇には庚申塔と猿田彦大神、力石がある。賽銭箱の前に的が置かれているのは何故だろう。

碇神社(粕壁東二丁目)

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 春日部市立中央図書館の200m程西、大落古利根川縁に鎮座する碇神社(春日部市粕壁東2-2)。
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 社殿。
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 お狐さま。
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『埼玉県指定天然記念物 碇神社のイヌグス
       指定年月日  昭和三十年十一月一日
       所 在 地  春日部市粕壁二丁目六一二四‐三
       所 有 者  多田キヨ
       現   状
     高   さ  一二  メートル
     根回り周囲  九、四八メートル
     目通り周囲  四、四 メートル

 この木は、中部以南の主として海岸地に多く自生している暖地性の常緑高木です。
 学名をタブノキといい、老樹の材に巻雲状の美しい模様の現われたものは、タマグスと呼ばれます。
 イヌグスという名は、クスに似ているがクスではなく、木質が劣っているところから、頭に犬の字をつけてこう呼んだものです。
 昔、粕壁宿は、米麦の集散地で、船運が盛んでした。帆掛船は、古利根川を上り下りし、イヌグスのあるこのあたりは船着場でした。根方に祭られている祠を、碇神社と呼ぶ習わしも、そのようなところからきたものといわれています。
 碇神社のイヌグスは、樹齢六〇〇年といわれていますが、樹勢は極めて良く、イヌグスのうちでは巨木に属します。
 昭和五十年三月二十五日』
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 イヌグス。
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 碇神社入口。

 以上で10月15日参拝分終了。
 この後は中央図書館で神社の資料を探してみたが見つからず。あまり時間も無かった為軽く探しただけなので見落としていたのかも知れないが。
 使用機材はK-5IIsにDA15mm、DA70mm、DA20-40mm、DA FISH-EYE 10-17mm。X30。
 ウォーキングカウンターは28,919歩。

元町稲荷神社(粕壁東一丁目)

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 春日部駅東口から東へ300m程、元町会館入口脇に鎮座する元町稲荷神社(春日部市粕壁東1-16 )。
 ……あまり敬われてはいないような感じがする。

内谷稲荷社(南一丁目)

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 三郎谷稲荷神社の400m程北東、内谷町会集会所脇に鎮座する内谷稲荷社(春日部市南1-9)。
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『内谷稲荷社由緒略記
 当内谷稲荷社は、安永六年(一七七七年)に内谷氏子連により本宮(伊勢神宮の外宮)から璽令を頂き豊受姫命を祭神として祭祀されました。
 豊受姫命は、伊弉諾尊の孫の和久産巣日神の子で食物を司る神伊勢神宮外宮の祭神です。左側には病魔悪疫除けの神(けんぼう様)、右側には子女の賢明、円満な育成を念じて天神様を併祀してあります。
 昭和五十年(一九七五年)内牧本町線の道路拡張事業により社殿を現在地に移設しました。
 当社には、寛政六年(一七九四年)~嘉永六年(一八五三年)にかけての庚申塔、供養碑、石燈籠、扁額などが奉納されています。又、境内にある富士塚には明治期に造立された氏子供養碑などがあります』
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 社殿。
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 富士塚。
 神社前には富士塚改修工事のお知らせが掲示されていたが、工事期間は10月15日から10月末日であるとのことで、丁度この日、10月15日に工事が始まったばかりのようだ。
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三郎谷稲荷神社(中央五丁目)

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 TAIRAYA春日部中央店の東側に鎮座する三郎谷稲荷神社(春日部市中央5-4)。
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 鳥居。
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 拝殿。
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 左から庚申供養塔、青面金剛(正徳三癸巳年(1713)十一月)、青面金剛、天満宮、雷電宮(嘉永四辛亥年(1851)二月)。
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『高田宮水田移管記
高田宮ハ我三郎谷地方ノ開發恩人タル高田三郎氏ノ
霊ヲ稲荷神社ノ境内ニ祀レル私設神社ナリ組合員
種村六藏氏ノ高祖父谷村長次郎氏水田六畝歩ヲ奉納
シテ祭祀ノ料ニ供セシヨリ世々之ヲ管理シテ六藏氏
 代ニ及ビ其収益ヲ以テ水田壹及歩トナセリ然ルニ
其水田ハ依然トシテ種村家ノ私有財産トシテ登録セ
ラレタルニヨリ六藏氏ハ之ヲ高田宮ニ移管セントセ
シニ高田宮ハ公式ニ登録セラレタル神社ニ非ザルヲ
以テ法律之ヲ許サズ是レ巳ムヲ得ズシテ稲荷神社ノ
名義ヲ假用シテ其所有権ヲ移セル所以ナリ後世ニ至
リ事實ノ不明ニ歸シ高田宮ノ祭祀ヲ忽ニセンコトヲ
恐レ茲ニ其顛末ヲ記スモノナリ
    昭和五年三月十日   谷原新田三郎谷組』
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 左から石碑、三郎谷之碑、高■■、王地経■生美銕……で、いいのかな?
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『埼玉県春日部市大字上谷原二一二番地田一段歩は仝所二一四丁五四五番地板橋正治の所有地にして親田ともども当該地区開発者高田三郎氏より継承し現在に至るも此の度春日部市の開発事業として区画整理が行はれるに当り道路敷として使用する事を市当局の要請に答へ承諾した
  昭和四十年七月吉日
             板橋正治』
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『三郎谷之碑
東距嵓築城一里所曰谷原邑惟■寛文巳酉東都人
高田三郎中邨重政倶乞 縣宦攸㠯辟易也當旹有
司三分厥墜一㠯爲牧墜二則㠯賜二子焉故今㠯東
西穪之也三郎居東邑重政處西邑各㠯艸創之功領
厥邑人民聚楽到于今受其賜也呂覧曰民從■贒如
二子豈可弗謂贒矣哉后三郎有故厺東邑終不知其
攸卒也今東邑穪三郎谷者乃是三郎之舊墜也頃者
東邑長平君美憫其有功而無後與西邑長藤存義謀
將建碑虖厥墜㠯表之廼介冨子遐請子文夫叓曠世
而相感或待其人而后顯故身懐瑾瑜名或煙滅而弗
穪此史遷攸歎也而今吾有感于斯舉因叙厥叓鑱焉
天保四秊昭陽大荒落蕤賔 嵓築潜龍源親㥧撰
            ■壁鶿鷺飛鳥回書
                野口通衛列』
 IMEパッドでも出て来ない文字がいくつかあるので、実際の碑文とは文字が違う部分もある。城はu29ae8、則はu207fb、終はu239e9、不はu2001a、世はu2ff1-u5341-u4e16、回はu2ff4-u353e-u53e3が碑文と合致する。■の部分は異体字で探しても出て来なかった。
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 こちらの石祠が高田三郎氏を祀る高田宮なのかと思ったが、どうも違うようだ。二文字目の途中から表面が剥がれて読み取り難いが、少なくとも田ではない。義に似ているようにも見えるが、はて……?

谷原香取神社(大沼七丁目)

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 大沼野球場西側の交差点脇に鎮座する香取神社(春日部市大沼7-70)。
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『香取神社 御由緒
 春日部市大沼七‐七〇
□御縁起(歴史)
 谷原新田は、代々名主を務めてきた中村太左衛門家の先祖の多左衛門によって開発された新田である。「風土記稿」東谷原新田の項の記事によれば、多左衛門は元は工匠を生業としていたが、寛文九年(一六六九)の日光東照宮の修営に携わって得た金を元に開発を行ったといい、元禄期(一六八八‐一七〇四)以降に東西二村に分かれたことが記されている。
 当社は、その東谷原新田の鎮守として祀られてきた社で、「風土記稿」東谷原新田の項に「香取社 村の鎮守、浄法庵の持」と載る。この浄法庵は当社の真北に隣接する村の共同墓地にある堂のことで、延宝六年(一六七八)の造立であるという。したがって、当社が創建されたのも、それとほぼ同じころのことと思われる。神仏分離の後、浄法庵の管理を離れた当社は明治六年に村社になり、廃寺となった浄法庵は村の集会所に転用され、現在に至っている。
 明治七年、東谷原新田は西谷原新田と合併し、谷原新田となった。西谷原新田では八幡社を鎮守としてきたが、この合併に際し、両村の鎮守を統合することはなかった。それは、開発以来、村の鎮守として信仰し続けた神社に対する氏子の敬神の念を反映したものであろう。関東大震災では幣殿・拝殿が全壊したが、大正十五年四月には再建が果たせたのも、こうした氏子の信仰の厚さによるものといえよう。
□ 御祭神・・・経津主神
□ 御祭日
 ・御歩射(二月十一日) ・夏祈祷(七月十四日)』
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 参道左手側に菅神と白山権現。
 右手側には天神宮が二つ。この周辺の神社は菅原道真公を陽刻した石祠が多いなぁ。
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 拝殿。
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 拝殿の側面には神社復興事業奉賛者芳名板が設置されている。
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 鎮守香取神社並びに浄法庵改装記念碑。
『谷原新田の草創より現代までの概史
  谷原新田は春日部市の南西に位置し面積は、一九二ヘクタールであった。
 昭和四十一年(一九六六年)より、春日部市の発展にともない、駅西口の区割整理が行われ住居表示が中央、谷原、大沼、豊町、谷原新田と改められた。春日部市の起源は古く約二千年前に遡り、大沼四丁目の郵政省グランド造成のとき、その地下より弥生時代の完形土器が発見されて谷原新田遺跡として有名である。一三〇〇年頃、鎌倉時代末期に岩井氏一族が、当時、利根川の本流であった古利根川の乱流によって生じた、微高地に移住して開発したのがヲモレ耕地である、現在の新方領に所属する地域は、鎌倉時代は下総国葛飾郡下河辺庄丁方と呼び、鎌倉時代末期より、一四五〇年頃の室町時代にかけては、更に拓けて新方庄と成った、下総国に属した関係から産土神は下総の香取神宮を、この地域の村々に分祠して今日に至っている。鎌倉時代より古利根川と元荒川の度重なる河川流路の変遷によって新方庄は両河の輪中の湛水場となって、谷原新田の大半は大場谷原沼と称されて、江戸時代の初期まで粕壁宿、一の割、中村、大場、大畑、大枝、平方、備後、大泊の一町八ヶ村の入会の草刈場として九二ヘクタールがあり、他の一〇〇ヘクタールは沼地であったが、一六六一年の寛文初年に、徳川幕府の新田開発により、町人請の開発が認められ、一丁割、西組の地を中村多佐衛門重政、廿十四丁、大塚、三郎谷、六丁物、を高田三郎君美、東組分を神田治佐衛門義將などの縁者によって開田され、寛文九年(一六六九年)に谷原村が成立し、同年村の中央部に鎮守香取神社が勧請された。十年後の延宝六年に村の共同墓地に粕壁宿、最勝院の門徒寺として浄法庵が開基され、元禄八年(一六九五年)に幕府の検地が行われて谷原村は幕府の直轄領となり、二年後に武蔵国の総検地があり、この年に三郎谷組、六丁物組、大沼組、中組、ヲモレ組は東谷原村となり、廿十四丁組、大塚組、一丁割組、仲通り組、下耕地組は西谷原村に分離して二ヶ村と成った。この頃より東谷原村の神田、岩井系の大半は越谷市大松の浄土宗栄廣山浄土寺清浄院檀徒となった。三郎谷の開発者高田三郎はこの年に年貢の収納が出来ず谷原村を去ったが、この高田氏の遺徳を偲び、三郎谷に開村一六四年後の天保四年に村民は稲荷神社を勧請し、顕彰碑を建立した。宝永二年(一七〇五年)より、谷原村は岩槻城付の領地となり幕末に至った。明治二十二年の市町村制施行によって、豊春村大字谷原新田と改まり、市町村合併促進法によって、昭和廿九年七月一日に春日部市大字谷原新田となった。ここに開村三三〇年を期し、現在の氏子によって鎮守香取神社の屋根を銅板葺きに新装した。また清浄院と最勝院の檀徒により浄法庵を改装増築を成し、ここに谷原新田の草創より今日までの概略を碑に刻して後世に伝える。
 一九九六年 平成八年三月吉日 建立』
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 拝殿改築並玉垣修繕費寄付芳名碑に刻まれた碑文。
『維持大正十二年九月一日正午関東ヲ襲ヒ夾ル大震災ニ罹リ大字谷原新田総戸数八六戸ノ内住家全潰廿八半潰六大破廿倉庫及物置全潰廿六半潰七大破廿七神社全潰一寺院全潰二其際當香取神社拝殿全潰ニ付氏子ハ奮起力ヲ復興ニ注キ改築シ茲ニ記念碑ヲ建て之ヲ傳フ
 大正十四年九月上棟』

神明社(谷原新田)

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 浄土宗大龍山安静院心光寺の北東に鎮座する神明社(春日部市谷原新田1214)。
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 鳥居。
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 拝殿。
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 本殿。
 手前の石祠は三峯神社。
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 末社群。
 社名の読み取れるものは無かったが、菅原道真公を陽刻した石祠が二つあるので、少なくとも二つは天神社であることになる。
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 別雷之命と猿田毘古神。

香取神社(上大増新田)

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 下大増新田の香取神社から600m程北上した所に鎮座する香取神社(春日部市上大増新田445)。
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『香取神社 御由緒
 春日部市上大増新田四四五
□御縁起(歴史)
 大増新田の開発は、新方袋に本家がある杉崎家の先祖が寛文十年(一六七〇)に行ったと伝えられる。大増新田は、開発当初から上・下に分かれていたと考えられ、名主(里正)もそれぞれに置かれ、鎮守も各々別に祀ってきた。「風土記稿」上大増新田・下大増新田の項に「香取社二宇 一は上新田、一は下新田の鎮守にて、上下里正の持」とあるのは、そうした状況を表したものであり、当社は、そのうちの「上新田」の香取社である。
 口碑によると、これらの「香取社」は、新方袋の鎮守香取神社の氏子であった杉崎家が、新田開発に際して当地に移り住んで来た折に分社したものという。また、社蔵の享保二年(一七一七)の「覚」(香取大明神除地覚)には、当社が寛文十年に新田開発に際して新方袋の香取社から勧請され、名主佐太夫持ちの土地に祀られ、新方袋村の満蔵寺が別当であった旨が記されており、この名主佐太夫が杉崎家の先祖を指すと考えられる。
 また、当社は無格社ではあったが、「明細帳」には「往古近郷総鎮守なりと言伝ふ」との記載がある。このことについては詳しい事情は明らかでない。本殿は、朱と黒に塗られた一間社見世棚造りである。
 祭神は経津主命である。
□ 御祭神・・・経津主命
□ 御祭日
 ・御毘沙(二月十一日) ・感謝祭(十二月第二日曜日)』
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 鳥居。
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 拝殿。
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 左から庚申塔、稲荷大明神、菅原道真公、菅原道真公、天満自在大神、青面金剛。
 庚申塔は安政六己未年(1859)正月造立、青面金剛は宝永二乙酉年(1705)四月造立。
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 青面金剛。
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 富士塚。
 頂には浅間大神と小御岳神社。
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 疱瘡神。
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 基標。
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香取神社(下大増新田)

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 田圃に囲まれた道路脇に鎮座する香取神社(春日部市下大増新田358)。
 鳥居の柱には「昭和十二年十二月建立」と刻まれている。
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 拝殿。
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 馬頭観音と庚申塔。
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 菅原道真公、菅原道真公、天満宮、菅原道真公、疱瘡神、菅原道真公

大神宮(谷原新田)

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 水神社から800m程北西、かすかべ湯元温泉東側の道端に鎮座する大神宮(春日部市谷原新田)。
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水神社(増田新田)

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 アピタ岩槻店の300m程北に鎮座する水神社(春日部市増田新田3-1)。
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 参道脇には日月浅間大神と青面金剛、俸の文字だけが残った石塔が並んでいる。
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 鳥居の柱には「昭和四一年 鳶 小島」と刻まれている。
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 拝殿。

 11月20日追記。
 「内牧・幸松・豊野・武里地区の伝説〈春日部市郷土資料館〉」に記されている「増田新田水神社の謂れ」によると、宝永三年(1706)、岩槻藩主小笠原長重より大場沼の埋め立てを命じられた増田彦右衛門は人を集め工事に着手するが、突如として沼の水面が波立ち地面も激しく揺れだした為、人々は恐れ慄き工事がままならぬ有様となってしまった。これを聞いた小笠原佐渡守は沼の神の怒りであると思い、自ら沼に赴いて祈りを捧げると沼は鎮まり再び工事に取り掛かれるようになった。こうして沼の埋め立ては完了し無事田圃にすることができたので、神への感謝を捧げる為にこの水神社を建立することにした、と言うことだ。

稲荷神社(恩間新田)

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 谷中稲荷神社の450m程南西に鎮座する稲荷神社(越谷市恩間新田559)。
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 鳥居。
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 鳥居をくぐってすぐ右手側に天神社。そしてその脇にも天神社。
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 参道の両脇には平成十年四月造立の狛犬とお狐さま。
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 拝殿。
 香取大明神と稲荷大明神の神額が掛けられている。
 こちらの社殿は平成22年10月20日深夜に放火され、その後新たに建て直されたもの。この後に参拝した谷原香取神社はこちらが放火された翌日の21日に放火されており、24日には宮代町の蓮谷稲荷神社で放火未遂、25日には粕壁東三丁目の八坂神社備後西の備後須賀稲荷神社、杉戸町の稲荷神社が立て続けに放火により焼失。しかし26日に犯人が春日部市梅田の雷電神社を狙っていたところを春日部署員により逮捕されたのだそうだ。放火の理由は賽銭泥棒の証拠隠滅の為だと言うから呆れ返る。しかもこの犯人、四年後の平成26年4月6日に春日部市内の神社に放火、9日には杉戸町本島の稲荷神社と粕壁一丁目の山中千手観音堂を放火して、しかもやはり賽銭泥棒の証拠隠滅の為だと……。
 二年前と六年前にこんな阿呆が起した連続放火事件があったとは知らなかったが、この犯行理由はいくらなんでも短絡的過ぎやしませんかね。いや、どんな理由でも放火は許されないけど。
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 牛頭天王。
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 お狐さま。
 台座には文久元年酉十二月吉日と刻まれている。文久元年は1861年。
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 納税組合記念碑。

谷中稲荷神社(大場)

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 大場香取神社の南側にある中野屋商店前から450m程南、谷中橋の北側に鎮座する稲荷神社(春日部市大場701)。
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 鳥居。
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 拝殿正面。
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 稲荷神社田誌碑と石祠。石祠は何神社なのかわからなかったが、検索をかけてみたら雷電社であるとのこと。
『稲荷神社田誌碑 関根作次郎篆額
元和頃萩原六右衛門者傳爲以仝姓森三郎氏祖矣 本豊公
家臣大坂城陥遇於主家殄滅災禍乎罔措悲憤慷慨竟欲爲志
背生平崇信文殊菩薩靈像変装手錫罣免敵難退去大阪一望
遍行諸國具當辛酸遽來住於此地 軏迎妻業農挙男曰吉右
衛門後愈勤稼穡専計子孫 然寛文中喪妻己亦延保三歳逝
矣 因吉右衛門氏承厥後襲考名改六右衛門 氏資性動直
恭敬克守父意生嗣子助右衛門成其人也乃譲於之家督奉戴
於背持佛尊像而詣宗利丹後國切戸文殊堂奉酬其父免難與
普代冥福且途次遍歴曳錫于西國諸州霊場市井坊間於寄與
多額金品歸郷而寶永年中安置尊像於閭内十日坊上艮田七
畝歩而以爲永代寶燈料且猶投巨資建立寶經院塔六地藏塔
等信仰甚篤遂寶永六年寶算矣
噫六右衛門父子信耶即眞信歟 上記上田至于明治維新改
稲荷社有而今日五等亨其恵澤星霜經于茲三百餘年愈霑其
徳豈可罔不幸末代下哉 ■當於今秋曠古 大典記念之書
斯誌于石以傳後世焉
 大正四年十一月  文学士 九ノ里虎之助撰』
 ■部分は輒のようにも見えるのだが、旁が白カビでわかりにくい。
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 谷中稲荷神社記碑と石祠三基、谷中稲荷神社新築再建費寄進者芳名碑。石祠は天満宮、天神宮、天満宮。
『谷中稲荷神社記
原大隅屬武田氏武勇赫赫其及爲織田氏所壓逃來于東武大
場之地而家焉隠于農厚奉斎稲荷神社是原又右衛門氏之祖
也原氏有子尚幼乃以某爲其女婚正保中分家與谷中郷田五
町餘歩亦奉祀稲荷神社郷人尊崇加敬以爲氏神云是八十三
翁原敷躬氏之説也頃日郷人相議新構鳥居敷石幟椊即記其
事以傳後人
大正十年十月
  埼玉縣立粕壁中學校教諭關根作次郎撰并書及題額』
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 浅間大神。
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大場香取神社(大場)

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 大畑香取神社から西へ700m程、春日部市立武里小学校の北に鎮座する香取神社(春日部市大場799)。
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 二の鳥居。
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 三の鳥居。
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 拝殿。
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 左の祠は御神木の切り株を祀っているようだ。
 右の石祠三基は左から母可美神社、雷電宮、不明。母可美とは龗のことだろうか。
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『共済金配命碑
徳川氏世設驛傳以便諸侯吏人來住大場之地以其沿陸羽道土民常服其
役天保三年幕府賜金六兩二分以勞之衆議案利殖法收薄利而貸之於里
人名曰助成金備荒貯蓄令之出也毎月納穀粟年若干以貯蔵之明治維新
以後以其不堪蟲鼠害糶之合助成金以充里中費且貯之三十四年五穀不
稔民皆大困有力者憂之卽貸而賑之又購培糞以頒之於闔郷大場民由是
獨無恙相呼曰眞是不背共濟金之名也所集積實一千有餘金皆曰享今日
福祉一因神靈加護宜答其徳則割其一部敷石甃於村社香取祠前以表其
意大正七年二月起工不日而成所費一百金鳴呼有此敬神敦樸之里俗故
能成勤儉貯蓄之美果天下村落取範於此則無大過歟
 大正七年六月     關根作次郎撰幷書及題署 關根金八鐫』
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 三社神の鳥居。
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『大場稲荷神社由来
当所稲荷神社は伏見稲荷神社の末社であることは古老傳言にて明らかであるが其の昔大場の里の各所に在りし八幡大菩薩天満天神と共に祀られありしが時移り幾星霜経るうち祠堂の老朽化土地の変革等で講中相謀り現在地香取神社境内に移し参らせ合祀通稱三社神として今日に至る爾来本社香取神社と共に此の里の守護神として村人信仰の神と爲す今茲に稲荷講中念願の三社神祠堂新築を果たし神徳の験かさを体し彌々郷土の繁栄家内安全五穀豊穣の祈願を籠むる爲の本社参拝の総意を結集し本望達成の機会を得たり依って一文を草し記念の碑となす
   昭和六十三年二月初午』
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 三社神祠堂。
 天神神社、稲荷神社、八幡神社の三社を合祀している。左側の建物は古札納所。
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 大場稲荷神社の鳥居と狛犬。
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 青面金剛。

大畑香取神社(大畑)

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 武里駅の南側、伊勢崎線第107号踏切の傍に鎮座する大畑香取神社(春日部市大畑230-1)。
 この踏切は遮断機が一度下がるとしばらく待たされ、上がってもまたすぐに下りて来る所謂開かずの踏切。立体交差化計画が出てから八年だか十年だかが経っているそうだが、もしかしたらいずれはこちらの神社が移転される可能性も無きにしも非ず、か。
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 鳥居。
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 入口脇には「やったり踊り」の案内板が設置されている。
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 拝殿。
 向かって左手側に富士塚、右手側に大畑稲荷神社。それから弁天堂……かな?
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 富士塚。
 塚頂には浅間大神が鎮座し、麓の石祠二基には「武藏国府中六所大明神本地彌勒菩薩縁日廿之六日」、「若宇迦能賣大神」と刻まれている。
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 富士塚脇の末社群。
 左から鳴若雷大神、天満宮、天神宮、不明(刻まれているのは菅原道真公像と思われる為、天満宮であるのかも)、不明、不明、秋葉三尺坊守護之攸。
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 左から猿田彦大神、久那戸大神、庚申塔、普門品十萬巻供養塔、久那戸大神・八衢比古大神・八衢比女大神。
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 大畑稲荷神社。
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 中には宇賀辨財天らしき像と不動明王像が納められているので、弁天堂と言うべきなのか不動堂と言うべきなのか。
 右側の石塔は血盆経湯殿山大権現供養塔。正面には如意輪観音、残りの三面には二体ずつの地蔵菩薩が陽刻されている。
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 ところでこの如意輪観音、なぜか如意宝珠ではなく十字槍を持っている。

大枝香取神社(大枝)

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 武里駅入口交差点から50m程南、真言宗豊山派蓮華山歓喜院の脇に鎮座する大枝香取神社(春日部市大枝774)。
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『大枝香取神社由緒略記
当社は下総国一之宮「香取神社」の末社で、祭神は「経津主神」で、昔から現在地の日光街道沿いに鎮座し、古くから「五穀豊穣の神」として崇められていました、創建の年代は詳らかではありません。
本殿裏側には、文化十一年(一八一四)の墨書銘がある本殿再建の棟札が三枚打ち付けられています。
当社は、「武里観音」の名で知られている隣接の「歓喜院」の寺鎮守として祀られましたが、村の鎮守でもありました。
当社は、明治初年の神仏分離政策により、歓喜院から境内を分けて独立しました。そして明治四十二年(一九〇九)には、神社合祀政策によって、字池の端の村社「浅間神社」(祭神は木花之開耶比売命)・字屋敷前の無格社「第六天神」(祭神は面足命惶根命の二神)・字井堀外の無格社「雷電神社」(祭神は別雷命)を合祀し、旧大枝村の村社となり大枝全域の鎮守様・氏神様となりました。
現在の「拝殿兼覆屋」は、昭和四十五年に旧位置より南に約十メートル移動して新築したものです。旧社殿は現在の「神楽殿」です。
当社の神職は、市内浜川戸の「八幡神社」の宮司が兼務されています。

当社の年中行事は
○元旦の初詣で
○一月二十一日の豊作を祈願する祈念祭
○四月二十一日の例祭(越谷市南荻島の神楽師による神楽が奉納されます)
○七月一日の浅間神社のお祭り「初山」
○十一月二十七日の新穀感謝祭
○十二月三十一日の古い神札のお焚き上げ
の六回のほかに七月十五日の天王講があります。
氏子は、大枝の住民で元来の戸数は六十戸余りで、現在も氏子として神社にかかわっている家は、約百戸です。
当社の運営は五人の総代が二年任期で当たり、ほかに祭事係りの「年番」を氏子が十戸ずつで交替して努めています』
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 拝殿。
 その前には「奉納御寶前 元文五庚申六月吉日」と刻まれた水盤と石祠、力石らしきものが並んでいる。ちなみに元文五年は1740年。
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 裏手から。
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 拝殿の前に神楽殿。
 由緒書きに依れば旧社殿を流用したものであるとのこと。
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 左から不明、天神宮、牛頭天王、不明、天王宮、不明、不明、伊勢参拝記念碑。
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 歓喜院。
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