北関東三県ウマいもん合戦in桐生

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 友人に誘われたので、26日は「北関東三県ウマいもん合戦in桐生」に行って来た。
 開始時間よりも大分早く着いてしまったが既にそこそこ人が入っており、まだ人が少ない内にと席を確保。
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 なすの蒲焼重なるものがあると言うことなので一つ買って見た。なんだか有名なものらしいけど、このイベントまで知らなかったよ自分。この日は肌寒く、蒲焼重が冷えるのも早かったがまぁまぁ美味い。温かければもっと美味かったのだろう。
 全体的に茶色いものが多く腹に溜まり易い為か3~4箇所ほど回ったらもう満腹ですとなり、出店されているもののほとんどに手を出さぬまま帰路に着くことに。
 そして不幸なことに、X30が故障○刀乙 電源Off→少し経ってまた電源Onにしようと思ったらズームリングが途中で引っかかって回らない。ぶつけたり落したりしたのならば仕方が無いとも思うが、電源のOff→Onで壊れるのは納得いかんわー。うちにある富士フイルムのデジカメ5機の内4機がレンズ周りの故障経験有りと言うのは、ちょっとこれ故障率高いんじゃないだろうか。とりあえず近い内に修理に出そう。
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雷電社(粕壁)

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 八木崎駅の東北400m程、ファミリーマート春日部粕壁店の隣に鎮座する雷電社(春日部市粕壁4607)。
 社号標石の裏側には「昭和四十九年四月二十六日 社殿改築記念」と刻まれている。
 前回お参りした八木崎稲荷神社からは500mも離れていないのだが、こちらを見落としていたことに気付いたのは帰宅後だったので仕方がない。今回はお参りできたとは言えこの時既に五時近くになっており、もう少し遅くなっていたら撮影するのに困っていたかも知れない。三脚とか持ち歩いてないし。
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 鳥居。
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 拝殿。

 以上で11月12日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA15mm、DA20-40mm、DA FISH-EYE 10-17mm、50-150mm II。*ist DsにDA35mm Macro。X30。
 ウォーキングカウンターは34,617歩。

東町大下稲荷神社(粕壁東五丁目)

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 国道4号線脇に鎮座する東町大下稲荷神社(春日部市粕壁東5-9)。
 鳥居の柱には「平成元年二月初午建立」と刻まれている。
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 拝殿。
 左手側には昭和五十七年二月に建てられた再建記念碑がある。
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 稱名百萬遍と刻まれた念仏塔。

 参拝と撮影をしていたら、後からやって来た方がずっとこちらを見ていて、撮影を終えて次へ向かおうと境内を出たらその方も去って行ったようだが、あれは監視されていたのだろうなあ。そんなに怪しかったかな○刀乙
 この後は郷土資料館に向かい、「春日部市の伝説」のリーフレットをいただいて館内を見学した後、この日最後の神社へ。

元新宿八幡神社(南三丁目)

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 伊勢崎線第117号踏切の西側に鎮座する元新宿八幡神社(春日部市南3-18-17)。
 鳥居の柱には「昭和四年五月吉日」と刻まれている。
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『八幡社 御由緒
春日部市南三-一八-一七
□ 御縁起(歴史)
 旧粕壁宿には三社の八幡神社が祀られている。当社はそのうちの一社で、「元新宿の八幡様」と呼ばれている。
 口碑によれば、正親町天皇の御世、天正二年(一五七四)四月に北条氏の家臣関根家が常に信仰していた宇佐八幡宮の分霊を勧請して建立したことに始まり、神霊を迎えるに当たって、関根図書助が強弓を放ち、その矢の落ちた所こそ神慮に叶った所であるとして、この地を選んだという。
 関根図書助については『風土記稿』粕壁宿の旧家者九佐衛門の条に、先祖は某郡内関根村を領したことから関根を称し、その後、真蔵宗氏なる者が兵乱を避けて当所に来て隠棲した。宗氏の没後、その子が父の菩提のため、墓所に庵室を結んで真蔵庵と名付け、後に真蔵院として一寺となった。真蔵宗氏から数代を経て元亀四年(一五七三)に関根図書助が「糟ヶ辺」の合戦で戦功を立てたことにより、北条氏繁から感状を賜ったという。関根村とは、現在の行田市関根である。また、同書に当社は「八幡社二宇 真蔵院持」とあり、真蔵院持の一社として記されている。また、もう一社は、江戸初期に粕壁宿が日光街道の宿駅として定められ、字新宿(元新宿)の住民の多くが町並の新宿組に転居した際、そちらに祀られた八幡社(下の八幡様)である。当所の南にあった真蔵院も同時期にこの八幡社の隣接地に移転した。
□ 御祭神
 ・誉田別尊(応神天皇) ・息長足姫尊(神功皇后)
 ・武内宿禰
□ 御祭日
 ・元旦祭(一月一日) ・祈年祭(二月二十日)
 ・例祭(七月十五日) ・新嘗祭(十二月二日)』
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 拝殿。
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 狛犬。
 台座には「昭和二年三月吉日」と刻まれている。
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 斜めから。
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『元新宿八幡神社 由緒略記
[御祭神]
 誉田別命(應神天皇)
 息長足姫尊(神功皇后)
 竹内宿禰命(春日部氏の祖)
[神社行事]
 春祭 二月二十日
 例祭 七月十五日
 秋祭 十二月二日
[由緒・沿革]
 鎮座年月日は不詳なれど口碑によると、正親町天皇の御世天正二年(一五七四)四月、当時の岩槻城主北条氏の家臣、関根家が常に信仰していた宇佐八幡宮の御分霊を勧請して建立したと伝えられている。御霊をお迎えするに当たり、関根図書助は常に使用していた強弓を放ち、その矢の落下したところを神慮の叶った場所とし、この地を選んで糟壁本新宿の鎮守として神社をお祀りしたと云われる。
 爾後新宿(江戸時代に粕壁宿本新宿と改む)の鎮守として鎮座ありしが大正十二年(一九二三)九月、関東大震災により、本殿・拝殿共に全壊せり。この時、本新宿の民家も被害が甚大で、神社の修復について住民協議し、神璽を一時大砂の村社八幡神社にお預けして、民家の復興後神社を再建してお迎えすることに決した。
 ところが、その後本新宿地内に禍が再三あり。住民は、これを神様のお怒りと恐れ、協議の結果、民家の復興より先ずは神社の再建が必要と感じ工事に着手し、大正十五年(一九二六)現在の社殿を建立したと伝えられている』
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 稲荷神社。
 鳥居の柱には「平成九年壱月吉日」と刻まれている。
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 猿田彦大神と青面金剛。

稲荷神社(緑町四丁目)

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 川守稲荷大明神の西南470m程、株式会社コダマホーム脇に鎮座する稲荷神社(春日部市緑町4-4-57)。
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川守稲荷大明神(緑町三丁目)

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 大落古利根川の畔、ベルク春日部緑町店北側に鎮座する川守稲荷大明神(春日部市緑町3-12)。
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 一の鳥居と二の鳥居。
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 拝殿内部には石祠と笠間稲荷神社の神璽が納められていた。と言うことは、こちらの稲荷神社は笠間稲荷からの分霊なのだろう。
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 天満宮と青面金剛。
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萩原稲荷神社(藤塚)

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 東武野田線藤の牛島駅から350m程南、民家の脇に鎮座する萩原稲荷神社(春日部市藤塚)。
 鳥居の柱には「平成六年甲戌十一月吉日」と刻まれている。鳥居新築寄付者芳名碑もあるが、神社の由緒等は記されていない。

大杉神社(藤塚)

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 中川に架かるはなみずき橋の西側、都市計画道路藤塚米島線から少し北に入った道端に鎮座する大杉神社(春日部市藤塚)。
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 鳥居にも拝殿にも社名を示すものは無いので何神社なのかわからないが、藤塚米島線と春日部松伏線が交わる交差点脇のポケットパークに設置された周辺案内図に大杉神社と記載されているのでこちらがそうだとわかる。
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 大杉神社の傍に稲荷社。
 中には正一位稲荷大明神と刻まれた石祠が納められている。周辺案内図に大杉神社の名が記されていなかったら、このエントリーのタイトルは稲荷社になっていただろう。
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稲荷社(藤塚)

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 藤塚香取神社の北側、民家の脇と言うか道端に鎮座する稲荷社(春日部市藤塚683)。
 今回藤塚香取神社はパス。「祝七五三 藤塚香取神社 平成二十八年十一月十二日(土)~十三日(日)」と書かれた看板が神社前のみならずあちこちに立てられていたので、これはタイミング的によろしくない。そちらはまた後で参詣することにしよう。
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大池鎮守(南五丁目)

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 大池親水公園の南側に鎮座する大池鎮守(春日部市南5-8)。
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 鳥居。
 柱には「昭和四十七年十二月吉日 筧田六郎 建之」と刻まれている。
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 西側稲荷社、稲荷社、水神社。
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 浅間大神と雷電宮。
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『大池鎮守の神々
水神社(水神様)
祭神 弥都波能売神(みずはのめのかみ)
神徳 豊水安全・商売繁昌・子宝安産
創建 不明 安永三年(一七七四)に書かれた粕壁宿絵図に記載あり
大池北側に遷座する。
創建には、大池の池と大きな関係が有ったと思われる。
なお、大池の起源も不明である。粕壁宿絵図に弐町四反歩(七二〇〇坪)
武蔵国郡村誌(池沼)によると元標(粕壁宿中央)より南方にあり
東西六十間・南北五十間・周回百七十三間と記載あり
一間一・八二メートル、東西一〇九メートル、周囲三一四・八六メートル

稲荷社(伏見稲荷大社より勧請)
祭神 宇迦之御魂大神(うかのみたまのかみ)
神徳 商売繁昌・家内安全・芸能上達
創建 不明
武蔵国郡村誌第十一巻によれば、平社社地東西十四間・南北十五間
面積二百十坪 粕壁宿南方字大池に有り
安永三年に書かれた粕壁宿絵図にも記載あり
しかし、長年の間に衰退し廃社となる。
昭和五十四年十月二十九日京都伏見稲荷大社に出向き、新たに御霊を申し受けこの地に勧請する。

西側稲荷社(豊川稲荷 仏教系)
祭神 荼吉尼天(だきにてん)
神徳 家内安全・商売繁昌
詳細不明 老人の話によれば、元々祠は無く大池の西側民家を一年ごとに社として祭日には甘酒を作り、人々に振舞われたそうです。(オビシャ)と云われた。ご神体とされる掛け軸には、荼吉尼天が白狐に跨り天を舞う姿が描かれている。

浅間大神
祭神 木花咲耶姫神(このはなさくやひめのかみ)
神徳 縁結び・子授け・安産
石塔 明治四十四年四月の銘

雷電宮
祭神 賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)
神徳 夫婦和合・子宝安産・病気治癒
石塔 文化八未六月吉日の銘あり 大池村

大池鎮守整備事業完成記念
  平成十一年十月吉日』
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 大池親水公園。
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 中の島には厳島神社でもあるのではないかと思ったのだが、扉が閉められていた為橋を渡ることはできなかった。案内図には神社の記載は無く、また大池鎮守が池の南にあるのだから、中の島には特にそう言ったものは無いのかも知れない。

一ノ割香取神社(一ノ割一丁目)

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 東武伊勢崎線一ノ割駅の南西200m程、浄土宗圓福寺の隣に鎮座する一ノ割香取神社(春日部市一ノ割1-30-4)。
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 一の鳥居。
 柱には「平成十二年四月吉日建立」と刻まれている。
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 参道右手側に由緒沿革を記した石碑が建てられている。
『記念碑
由来
 当、一ノ割香取神社は、創建の年代は明らかでないが、ご祭神に経津主神をいただき、円福寺の縁起によると、元は新方領の総鎮守で行基作の十一面観音を本地仏とし、祀ることや、享徳三年(一四五四年)末太郎と言う者が奇異の霊護を蒙り、鰐口を寄進した事、平方村林西寺中興の呑竜和尚が祈願して霊験を得たことなどが記されている。一方、風土記稿にはこれらの話しと共に当地域は江曽堤とも呼ばれ現在地より西、三百メートルほどのところに当社が鎮座していたが、天正年間(一五七三~九二)現在地に移ったという。又鰐口は昭和十年代に紛失してしまったが風土記稿の挿図から享徳三年本願末太郎新方壮一披目香取大神鰐口の銘があったことがわかる。
風土記稿に香取神社は、村の鎮守にて円福寺にあづかれりと記されているように、当社は江戸時代には隣接する円福寺によって祭祀が行われていたが、神仏分離により円福寺の管理を離れ、明治二年村社に列格し、明治四十二年新方領耕地整理と共に当地の無格社稲荷社、諏訪社、三島社、天神社を合祀し、後に現八幡神社宮司家が継ぎ昭和二十四年宗教法人香取神社となる。当神社で行われる祭事としては、元旦祭、お備社(三月一日)祭礼(七月十三日)二百十日(九月一日)新穀感謝祭(十二月六日)がある。且ては祭のある日には氏子全員で鎮火香取大神と刻したおおのぼりを立てたものであった。このおおのぼりは江戸の大火に当地の氏子が火消しに出て鎮火せしめ、その功績に江戸幕府から鎮火香取大神の称号を送られたものである。以後火防の神として信仰を集めるようになった。現在毎年十二月二十五日に配布される御札も鎮火香取大神と刻印されている。
又当社の境内には富士塚があり、万延元年(一八六〇年)から明治中期に至る迄の多数の建塚あり、これらは地元の人々によって建立されたものである。
一ノ割地区は本田(現町会は第一~第三)・根耕地・新田(新田大沼地区)三地区からなっており、高地の本田・根耕地は畑作、新田は低地の為稲作が中心であった。戸数も九十戸余りであったが、昭和四十年代の高度経済成長に合わせて東京のベッドタウンとして人口が急増し、農業地帯から住宅地へと変化し、現在では四千世帯になろうとしている。これも先人の努力と英知の結果であると思い、ここに拝殿・境内整備の完成を期に尚一層の発展を願い記念碑に記し長く後世に伝えるものである』
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 二の鳥居。
 柱には「弘化五戊申弐月吉日」と刻まれている。弘化五年は1848年。この年の二月末には嘉永に改元されているので、改元される直前に建てられたのだろう。
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 拝殿。
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『香取神社御由緒
 春日部市一ノ割一-三〇-四
□ 御縁起(歴史)
 大落古利根川と元荒川の間の平野に広がる農業地域の一角に位置する一の割は、古くは「市野割」もしくは「一割目」ともいい、地内にある円福寺の住職祖岌が文禄元年(一五九二)に書き記した同寺の縁起によれば、岩付城主太田氏の家臣井上将監が岩付城の落城後に当地で帰農したと伝えられる。当社は、創建の年代は明らかではないが、前述の円福寺の縁起には、元は新方領の総鎮守で、行基作の十一面観音を本地仏として祀ることや、享徳三年(一四五四)に、末太郎という者が奇異の霊護を蒙り鰐口を寄進したこと、平方村林西寺中興の呑竜和尚が祈願して霊験を得たことなどが記されている。
 一方、『風土記稿』市野割村の項には、これらの話と共に、「一の割の村内にある堤は、かつては『江曽堤』とも呼ばれ、当社はこの堤の上に鎮座していたが、当地を開発した井上将監と大熊弾正という者が力を合わせて現在地の境内地に引き移した」という話も見える。ここにいう「江曽堤」は、当社の西三〇〇メートルほどの所にあったが、今では小高い盛土に面影をとどめるばかりとなっており、『明細帳』によれば当社がそこから現在の社地に移ったのは天正年間(一五七三-九二)のことであるという。また、前述の鰐口は、昭和十年代に盗まれてしまったが、「風土記稿」の挿図から「享徳三年本願末太郎 新方壮一披目香取大神鰐口」の銘があったことがわかる。
□ 御祭神
 ・経津主神〔・建御名方神・事代主神・菅原道真〕
□ 御祭日
 ・元旦祭(一月一日)  ・お備社(三月一日) ・祭礼(七月十三日)
 ・二百十日(九月一日) ・お日待(十月九日) ・新穀感謝祭(十二月六日)』
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 狛犬。
 何故このように凶悪そうな風に塗るのか……。
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 拝殿斜めから。
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 浅間神社の鳥居。
 柱には「平成二十六年二月吉日」と刻まれている。
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 左から孝心塔(庚申塔)、「献敷石伊勢太々連」と刻まれた記念碑、神武天皇遥拝處、疱瘡神。また富士塚の麓右手側には神社合併記念碑もあるが、殆どの文字が読み取れない程に薄くなってしまっている。
『浅間神社
 御祭神 木花開耶姫命
 記録によると明治二十一年にこの地に住む先人達が富士山に登山をし、山の守り神様神社からお札を迎え鎮座しました。
 その後、何回かの富士登山、浅間神社参拝を行い現在に至っております。
 この度、富士山が世界遺産に認定されたことを記念し、鳥居を建立し永く後世に伝え継ぐものであります。
 平成二十六年三月吉日』
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 塚の頂には浅間大神と仙元大菩薩。
 浅間大神の裏面には「明治二十一子年建之」、仙元大菩薩の裏面には「萬延元庚申年 八月吉祥日 薬師如来 願主 鈴行重山」と刻まれている。
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 天神社。
 鳥居の柱には「平成拾参年拾弐月吉日」、狛犬の台座には「平成二十七年七月吉日」と刻まれている。
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 浅間神社鳥居と天神社の間に線刻碑。
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 拡大。菅原道真公と梅の木であるように見える。
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 諏訪神社。
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 狛犬。
 台座に刻まれているのは嘉永四■年正月吉日……かな? 読み取り難くていまいち自信がない。
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備後香取神社(備後東一丁目)

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 東武伊勢崎線一ノ割駅の南東250m程、浄土宗真福寺の隣に鎮座する備後香取神社(春日部市備後東1-27-17)。
 鳥居の柱には「昭和三年二月吉日」と刻まれている。
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『備後香取神社由緒略記
■ 御祭神
 経津主神  (香取さま)
 宇迦之御魂神(稲荷さま)
■ 祭礼日
 例祭    四月十五日
 お日待   十月十五日
 新穀感謝祭 十二月八日
■ 由緒
 当社の鎮座する備後は、春日部市の南部に位置し、東端には古利根川が流れその自然堤防が広がっている。また、この周辺は西川と呼ばれているが、これは江戸期まで、当社の裏を古利根川が流れていたことに由来する。
 創建は、文明年間(一四六九~八七)との言い伝えがある。往古、当時上中下三組の鎮守であったが、明和年間(一七六九~七二)に下組は雷電社を奉祀して分離する。また【風土記稿】に「香取社 村の鎮守 真福寺持」と記され、江戸期には隣接する真福寺が別当を務めていたことがわかる。その後、明治四十五年に、大字備後字大道東の稲荷神社を合祀し現在に至る。
 御祭神の香取さまは、強い心を育み運勢を開く神さまで、地域の方々の家内安全を守り、また稲荷さまは、豊作・商売繁盛の神さまとして厚い崇敬をうけています。
 平成十年十二月吉日』
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 拝殿。
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 斜めから。
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 本殿。
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 厳島神社。
 鳥居の柱には「昭和三年二月吉日」と刻まれている。
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 中には宇賀辨財天の像が納められている。
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 富士塚。
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 塚の頂には浅間神社があり、その奥に浅間大神。

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 お隣の真福寺。
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 香取神社南側の十字路脇に鎮座する丸彫庚申塔(春日部市備後東1-23)。
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 案内板。
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稲荷神社(備後東四丁目)

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 備後須賀稲荷神社から東北へ1.2km程、パチスロ店北側の道端に鎮座する稲荷神社(春日部市備後東4-6)。
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 ふと何の気なしにストリートビューで周辺を見ていたら、ここから南東120m程の場所にも祠があることに気付いた。もっと早く気付いていればそちらにも行けたのに○刀乙

備後須賀稲荷神社(備後西五丁目)

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 武里小学校の北隣に鎮座する備後須賀稲荷神社(春日部市備後西5-5-1)。
 鳥居の柱には「昭和五十六年三月初午建立」と刻まれている。
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 二の鳥居。
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 参道左手側に縁起を記した石碑が建てられている。
『正一位稲荷神社畧縁起
老松古木天を生いここ清浄の地に鎮座する稲荷神社は今を去る七百七十五年前建暦元年春日部の地頭職春日部大和守実平の創建によるものと伝承されております昔の当地域は大小の河川縦横に走り東京湾まで続く低湿地帯にして大雨の際は海の如き觀を呈し須賀島はその一台地であつた往時この島中より怪光発し煌煌として水中を照すこと長期に及び住民漁するを恐れその旨を地頭に訴えたり役人来りこの地を臨検するに島中に古木ありその朽たる処より観音像を発見す不思議に思いその尊像を捧持し館に安置せりある日旅僧の来訪あり地頭に引見すその時観音像を拜せしむるに僧驚きてこれは大唐より將来し給ふ靈像にしてその昔弘法大師入唐の時文殊の浄土に至り文殊菩薩より伝法の時に法門契約の証として伝授し歸朝の後備後の國に安置し給ふ世にこれを契約本尊と稱し誠に得難き靈像なりと爾来幾星霜を経てその地域に兵亂起りし時人民途に安んぜず亂を避て廻船に乗じ東國に移る者多しこの時尊像を船中に安置して非難の途につく者あり途中の海上にて俄に暴風雨起り破船その數を知らず然るにこの尊像の御座船のみ無難にて岸村(王子)に着きたり乗船者一同この現象は偏えに尊像の御利益なりと饌を供し靈像を拜し奉らんとするに一陣の風起り何処ともなく飛去りたり然るに今機縁熟して当館において拜するを得て随喜感涙して旅僧は去りたりある夜夢見の中に神々しき老翁現れ地頭の枕頭に立ち我はこれ関東守護の稲荷大明神なり我を念ずる者には意の如く満足を与えん依つてこの所の島に社を建立し奥院には観世音菩薩を安置すべしと言い終りで消えぬ地頭夢覚めて稲荷大明神の夢のお告げなりと悟り社を須賀島の地に建立して祭る其の後尊像の由来によりこの郷を備後村と号し社殿のある所を須賀島と稱す
当稲荷神社の御祭神は倉稲魂神であり即ち食物の事を掌り給ふ大神であらせられます五穀を始めとしてあらゆる殖産興業の守護神としてまた子育て稲荷として遍く近郷を通じて尊崇せられる所以であります
  昭和六十一年三月吉日  稲荷神社総代 久保谷一美 古文書解撰
              揮毫 石塚鳴峯 敬書』

『敬神崇祖
當鎮守ハ關東八州三社稻荷ノ随一ニシテ今ヲ去ル七百三十年人皇第八十四代順徳天皇ノ御宇建暦元年春日部治部少輔ノ奉齋スル所ニシテ五穀豊穣産業振興ノ御神徳彌髙ク白砂青松ノ須賀原ノ地ニ神垣莊嚴ヲ極メ古來參拜ノ諸人跡ヲ断タズ偶々大正十二年九月一日關東地方ノ大震災ニ罹リ拜殿甚シク荒癈ス即チ氏子一同ハ粛然トシテ神徳ヲ黷サンコトヲ恐レ協心勠力資ヲ奉ジ財ヲ獻ジ大正十四年五月十五日改築ノ工ヲ起シ本殿ノ莊嚴ニ則リ拮据経營昭和十四年三月十日完成ス今ヤ紀元二千六百年ノ聖歳ヲ迎ヘ支那事變亦第四年ノ秋内皇國ノ彌榮ト外聖業ノ完遂ヲ祈リ茲ニ謹ンデ神社ノ由來ヲ誌シ以テ曠古ノ盛典ヲ記念スト云爾
  昭和十五年十一月十日
       埼玉縣南埼玉郡武里村字備後
            氏子總代石川東悦撰並篆額』
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 参道右手側には手水舎。
 水盤には「奉献水盥壹器 享保十二丁未歳六月吉日 須賀嶋中」と刻まれている。享保十二年は1727年である。
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 お狐さま。
 台座には「武里村■■備後 神道修成派 第六天先達 少宣教黒羽幸次郎 七十二翁久光 大正九年五月吉日 石工 関根金八」と刻まれている。大正九年は1920年。
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 別角度で。
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 拝殿。
 こちらの神社は平成22年10月25日に放火によって焼失したが、平成24年4月に新築再建されている。
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 本殿。
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 本殿前のお狐さま。
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 須賀天神社。
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 富士塚。
 頂には浅間大神と磐長姫大神。
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 わらじ納所。
 その脇には正一位稲荷大明神、辨財天、稲荷大明神。
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 青面金剛、青面金剛、馬頭観世音。
 馬頭観世音の背面には以下の文が刻まれている。
『旧墓標は須賀七八九番地附近にあり 排水路改修工事のため紛失いたし ここに復元建立す
 昭和六十一年三月須賀地区有志一同』

稲荷社(武里中野)

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 春日部市立武里小学校の西側、民家に通じる道の脇に鎮座する稲荷社(春日部市武里中野)。

香取神社(薄谷)

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 春日部市立武里中学校の西側、薄谷交差点傍に鎮座する香取神社(春日部市薄谷140)。
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 鳥居。
 台石には「明治廿八年十一月吉日」と刻まれている。
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 拝殿。
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 本殿。
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 狛犬。
 台座に「天■六未正月」らしき文字が見えるので、天保六年(1835)の造立であるのかも知れない。
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『香取神社 御由緒
 春日部市薄谷一四〇
□ 御縁起(歴史)
 薄谷は、大落古利根川と元荒川の間の沖積地に位置する農業地域である。地名の由来は、村の北側から東に大川があり、そこの薄が繁茂していた地域を開発したことによるという。村の開発の年代は約四百年前、大阪夏の陣、元和元年(一六一五)頃始まったのではないかとおもわれる。慶安二-三年(一六四九-五〇)の『田園薄』には薄谷新田と見える。
 当社は、薄谷の鎮守として祀られている。創建の年代については明らかではないが、『風土記稿』薄谷村の項には「香取社 村の鎮守にて、真福寺の持なり」と記されており、当社の西隣にあった真福寺が別当として社務を司っていたことがわかる。仝寺は粕壁宿最勝院門徒の真言宗の寺院で、黒谷山と号し、不動を本尊としていた。その開基については詳らかでないが、延享元年(一七四四)の「権大僧都法印後央不生位」、寛政十二年(一八〇〇)の「権大僧都法印秀英不生位」とそれぞれ刻んだ二基の墓石が残る。
 明治初年の神仏分離により別当真福寺と分離した当社は、明治六年に村社となり、同四十五年には字久仏の無格社雷電社を合祀した。この雷電社の元地は現在の武里中学校校庭の一角となっている。なお、真福寺は明治七年に廃寺となり、その跡地の共有墓地の一角には、現在薄谷会館が建てられており、祭りの際には直会の会場として利用されている。
□ 御祭神
 ・経津主神 ・別雷神
□ 御祭日
 ・おびしゃ(一月十一日) ・雷電様のお祭り(七月五日)
 ・悪病除け(七月十一日) ・感謝祭(十二月七日)』
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 末社。
 左は不明。うねうねとした文字らしきものはうっすらと見えるのだが、読めない。石祠正面には「天和三癸亥天(1683)三月吉日」、中間の台石には「嘉永二酉年(1849)四月吉日」と刻まれている。また石祠の側面と背面にも文字が刻まれているが、いまひとつよくわからない。
 右は雷電宮。側面には「享保十七壬子歳(1732)十月吉」と刻まれている。
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 末社殿。
 左から大山阿夫利神社、榛名神社、正一位稲荷大明神、天満宮。
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 天神社×3と大黒天。
 左から三番目の天神社の側面には「弘化元辰年(1844)十二月吉日」と刻まれており、大黒天の側面には読み取り難いが「天保三■辰(1832)四月吉日」と読める文字が刻まれている。
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 基標。
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不明(武里中野)

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 中野運動広場の端、道路に面して鎮座する祠(春日部市武里中野)。
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 鳥居と祠のどちらにも額は付いておらず、地図を見ても社名の記載は無い。柵の中に入れれば祠の中を覗き見ることができそうな気もするのだが、入口閉まっているしなぁ。
 どうにもわからないので近くにいた人に尋ねてみたのだが、やはりわからないとのことだった。市役所に訊いてみれば良いのではないかとのアドバイスを頂き、「あ、そういう調べ方もあるのか」と今更ながらに気付いてみたり。
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稲荷神社(武里中野)

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 東武伊勢崎線武里駅西口から1km程北西、真言宗智山派宝性院の西隣に鎮座する稲荷神社(春日部市武里中野63)。
 地図を見ると香取神社と記載されており、社号標石にも「中野鎮守 香取神社」と刻まれているが稲荷神社である。由緒書きを見ると、資料によっては稲荷神社だったり香取神社だったりするようだが、埼玉県神社庁には稲荷神社として登録されている。
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 狛犬。
 台座には「昭和三十四年七月吉日」と刻まれている。
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 拝殿。
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 本殿。
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『稲荷神社 御由緒
 春日部市武里中野六三
□ 御縁起(歴史)
 村の開発は、『風土記稿』中野村の項に「当社も古へ大場村より分しといへど、年代は定かならず」と記されている。
 当社は、中野の中心からやや東寄りの地内でも一番の高台に鎮座しており、その南西に古くからの集落が広がっている。『風土記稿』には「香取社 村の鎮守なり、宝性院持、 末社 愛宕 稲荷」と記されており、江戸期の当社は鎮守の香取社の末社として祀られていた模様である。また、別当の宝性院は東に隣接する真言宗の寺院で、中興開山を俊作といい、慶長元年(一五九六)に没したと伝える。
 一方、『明細帳』では稲荷神社が村社に列し、明治四十五年に境内社の香取神社と雷電神社を合祀した記事が見え、江戸期には本社・末社の関係であった香取神社と稲荷神社が明治期に入るとその地位を交替した。その理由は不明であるが、『明細帳』と同時期の『郡村誌』には村社は香取社が載り、稲荷社の社名は見えず、村社列格に際して混乱が生じたことをうかがわせ、香取(かんどり)様の通称からもそのことがわかる。
 主祭神は宇迦之御魂神で、合祀神は経津主命と別雷命である。本殿には、寛政元年(一七八九)に神祇管領吉田家から拝受した「正一位香取大明神□□座」の神璽筥が奉安されている。
 なお、昭和五十二年に中野会館が建設されるまでは、宝性院の本堂が祭礼の直会の会場であった。
□ 御祭神
 ・宇迦之御魂神 ・経津主命 ・別雷命
□ 御祭日
 ・祈年祭(一月十九日) ・雨灯籠(七月第一土・日)
 ・新穀感謝祭(十二月七日)』
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 手水舎と神輿殿。
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 末社。左は不明、右は稲荷社。
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 末社。
 天神社、不明、菅原道真公像(胴体のみ)、奉献御寶前と刻まれた石塔(石燈籠?)、疱瘡神宮、天神社、天神社、荒神宮。
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 武里中野会館。

秋葉社(中央一丁目)

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 春日部駅西口から東へ200m程、地下道出入口の前に鎮座する秋葉社(春日部市中央1-44-3)。
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『秋葉社の由緒
 この神社は、秋葉社と申し、火の神さま(かぐつちのかみ)と、水の神さま(みつはのめのかみ)の二神をお祀りしてあります。
 火の神さまは、わたくしたちに、火をわけてくださるために、いつもこれを護っていらせられますが、この神恩を忘れて、大切に取扱わないときは、神さまの御心にそむきますから、消えたり、またが禍と変って火事をまねきます。不要な火は、神さまへお返しするという心がけをもてば災難は起りません。
 水の神さまは、わたくしたちの生命をつなぐ水を護っていらせられ、雨を降らせて、水の源をつくり。また田畑を潤して作物のみのりを与えてくださるのです。
 この神社は、むかし、粕壁宿の名主、多田次郎兵衛が、おまつりしたものですが、たいへん御利益があるというので、多くの人が火防神として参拝し神恩に感謝しております。
   かぐつちの 神のいかりの しづめとや
          あきはのもりに 雨は降るらん
     明治十七年社殿再建記念   春日部 孝純
       例祭       春季  四月 第二 日曜日
                秋季 十二月 第二 日曜日
    平成 十二年 三月 吉日  富士見町会』
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 拝殿。
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 春日部駅西口の交番脇に聳える夫婦松
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『秋葉神社の夫婦松
  天然記念物
 昭和六十三年七月二十五日 市指定
 秋葉信仰は、江戸時代の中頃、三河(現在の愛知県)の秋葉三尺坊という修験者が呪術により火災の厄を払ったことに始まり、その後、全国的な流行となったものといわれ、秋葉社は火防の神として現在でも多くの信仰を集めています。
 この秋葉神社は、江戸時代に粕壁宿の名主多田次郎兵衛が個人的に祠を建てて祀ったものといわれていますが、東武鉄道の敷設により敷地が分断され、後に区画整理によって、神社は春日部駅南側の地下道横に移転し、神木としてのイチョウだけがそのままの姿で残されたものです。
 このイチョウのうち南側の一本は、松が根元で一緒になっており、地上一メートル程のところからそれぞれ分岐し別々の木となっています。その姿の珍しいことから、秋葉神社の夫婦松とも呼ばれ親しまれています。
 この夫婦松は、■姿上、植物学上貴重であり、昭和六十三年七月二十五日春日部市指定天然記念物に指定されました。
 平成元年三月
    春日部市教育委員会
    春日部市文化財調査委員会』
 ■部分は読み取れなかったのでググってみたら、「形」であるそうだ。

 以上で11月4日参拝分終了。
 この後は大宮まで行き、MISLIARの新譜を購入して帰宅。
 使用機材はK-5IIsにDA15mm、DA20-40mm、DA FISH-EYE 10-17mm、50-150mm II。X30。
 ウォーキングカウンターは20,498歩。

二十四丁稲荷神社(中央四丁目)

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 公証役場入口交差点の90m程西に鎮座する二十四丁稲荷神社(春日部市中央4-3)。
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 鳥居。
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 額には「廿四丁稲荷神社」とあり、向かって左側には昭和五十八年一月に建てられた神社新築記念碑がある。
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 斜めから。
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 天満宮。
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 庚申塔や青面金剛、記念碑など。

八幡社(中央三丁目)

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 春日部地方合同庁舎の北東50m程に鎮座する八幡社(春日部市中央3-8-12)。
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 拝殿。
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 稲荷社。
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 庚申塔と青面金剛。

八木崎稲荷神社(粕壁)

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 八木崎駅の100m程南、ヤマザキショップ八木崎こまがねやの隣に鎮座する八木崎稲荷神社(春日部市粕壁6975)。
 昭和五十七年二月四日に建立された「稲荷神社新築 石鳥居記念碑 遷宮建立記念」碑があるが、由緒書き等は設置されていない。

春日部八幡神社(粕壁)

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 東武野田線八木崎駅の北300m程の位置に鎮座する春日部八幡神社(春日部市粕壁5597)。
 すぐ北側の春日部稲荷神社とは境内で繋がっているが、それぞれ別の神社である。
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『→「参道入口道標石」について
 当神社前の道路は、往古下総国より武蔵国に向かう鎌倉街道の道筋であり数多くの歴史がきざまれてきました。
 この道標石は、これまでの金山の踏み切りの先、三叉路に当神社の「参道入口道標石」として建立されていましたが、自動車によって倒壊することが多く安全のために去る平成九年二月にこの参道に移設しました。

 ←「都鳥の碑」について
「名にしおはばいざ言問はん都鳥
      わが思ふ人はありやなしやと」
 この歌は、在原業平(平安時代の歌人)が奥州に旅をしたとき、武蔵国と下総国との境にある隅田川の渡しで詠んだものである。往古当神社の辺りが両国の境になっており、奥州への通路にもなっていました。この石碑は。その故事を後世に伝えんと、江戸末期嘉永六年(一八五三年)粕壁宿の名主関根孝熈が千種正三位源有功に依頼し由緒をあらわしたものです』
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 一の鳥居。
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 狛犬。
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 二の鳥居。
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 石燈籠。
 胴体部の前面に「新方鎮守社」、背面に「天保十三年壬寅八月十五日供燈」と刻まれている。天保十三年は1842年。
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 頑張って支える狛犬。
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 拝殿。
 この日は七五三のお参りに来た親子連れが多く、拝殿前で記念撮影をする方々がいなくなるまで他の所を撮りながら時間潰し。
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 狛犬。
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『春日部八幡神社
 所在地 春日部市粕壁五五九七
 新編武蔵風土記稿にも粕壁宿の鎮守として掲載されている春日部八幡神社は、元弘年中(一三三一~一三三四)この地域の武将であった春日部氏により、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したものといわれている。この神社は、春日部氏の領地であった新方領の総鎮守であり、その鳥居には「新方荘惣社」の額が掲げられている。天保十一年(一八四〇)の氏子連名帳には、現在の久喜市、杉戸町、白岡町、宮代町を含む五十二ヵ村の氏子三千六十五名を記録している。
 本殿後方の高地にある旧本殿は、萱葺き、柱間一・六メートルの流れ造りで、室町期の流れをくむ桃山時代ごろのものと推定され、市内では最も古い建造物として春日部市指定文化財となっている。
 参道入口の左側には、嘉永六年(一八五三)に粕壁宿の名主関根孝熈らが建立した在原業平の故事とこの八幡神社の由緒を伝える石碑がある。
 また、参道中央の大イチョウには、元弘年間に飛来したイチョウの枝が一夜のうちに成長し、参詣人を驚かせたという伝説がある。
 この神社の境内につづく稲荷神社横には、通称「浅間山」と呼ばれる高さ八・二メートル、周囲二百メートルにも及ぶ、この辺りでは最も大きな富士塚がある。この富士塚は、江戸時代に隆盛を極めた富士講による富士信仰の対象として築かれたもので、弘化二年(一八四五)に行われた修復工事には、粕壁宿はもとより、幸手領、岩槻領からも大勢の信者が集まったと記録されている。毎年七月一日の初山には、市内各地より赤子を抱いた母親が、子育ての無事を祈ってこの富士塚を訪れている。
 昭和六十一年三月』
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『六百五十年遷宮記念
 当春日部八幡神社は鎌倉時代元弘年間(一三三〇年代)市祖春日部氏が相州鶴岡八幡宮より御霊を勧請したのが始まりと伝えられ昭和五十七年御鎮座六百五十年祭を迎えることとなりここに記念事業として御社殿等の大修造工事を実施して氏子中より奉賛総額一億二千余万圓が奉納されました
また記念事業として奉納薪能が催され盛大に奉祝祭が執行されました ここに後世のため記念碑を建立しこの事蹟を残します

 記念事業
 一、本殿拝殿屋根葺替及改修工事
 一、幣殿新築透塀改修工事
 一、奥社(旧本殿)及上屋改修工事
 一、拝殿前及参道脇石玉垣工事
 一、社務所改修工事
    渡廊下授与所参拝者休憩所
 昭和五十七年十月十一日建』
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 奥の院の鳥居。
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 奥の院。
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『奥の印復興記念碑
 御本殿裏のこの地には、これまで春日部市最古の建造物として市の文化財指定を受けた旧本殿がありました。この建物は、室町時代の建築様式で桃山時代の作といわれ、朱塗りの桂壱間社で向拝を付けた萱葺屋根の流れ造りのものでした。しかし、去る平成七年十一月五日夕刻、不審火により焼失しました。
 その後、氏子崇敬者の方々より旧本殿復興への強いご要望があり、神社役員一同そのお心をうけ、奉賛活動を開始しました。この結果、多くの御浄財を戴き、平成八年四月御社殿等の復興事業が始まり、同年十月十五日に竣工式を斎行致しました。
 新しく建立された御社殿は、旧来の形を模したもので、安全のため銅板葺となっています。今後は、これまで親しまれてきた「奥の院」という名称を以て大切に保存継承して参りたいと存じます。
 後世のため之を記します。
 平成八年十月吉日』
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 旧本殿の案内板。
 現在は焼失してしまったが、かつてはこうであったと言うことがわかる。
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 香取社。
 傍の石祠は松尾大神。
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 鹿島社と愛宕社。
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 参拝順路案内図。……はっはっは、逆に回ってしまっていたわ。
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 御嶽社の鳥居。
 一見すると奇妙な形だが、柱の内側には四角い穴が開いているので、貫が外れてしまっているだけのようだ。
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 御嶽社。
 その前には「御嶽大神 大己貴大神 少彦名大神 板倉大神」と刻まれた石塔。
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 氷川社。
 左の祠は御嶽社。ここから奥へ向かって行くと春日部稲荷神社に続いている。
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 天神社の前に設置された案内板。
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 天神社。
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 左から秋葉明神、母性乳神、松風馬頭観世音、常陸馬頭観音、井戸水神、猿田彦大神、重脩祠宇華表碑。
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 泥がこびりついていて殆ど読み取れなかったが、やはり先に調べている方はおられるもので、「スネコタンパコの「夏炉冬扇」物語」と言うブログにこちらがなんであるのか記されていた。
 左から観世音菩薩、権現菩薩、鬼子母神、虚空蔵菩薩、妙正稲荷と刻まれているのだそうだ。
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 二頭の馬が刻まれた石碑。馬の上には下記の歌も刻まれている。七十三翁孝熈とは由緒書きにも記されている関根孝熈が七十三歳の時、と言うことだろう。
『春之日乃野農部之
 母里能下草爾不繋
 駒毛睦志九古曽
 安政三年十一月晦七十三翁孝熈』
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 弁天社の鳥居。
 柱には「昭和六十一年二月吉日建立」と刻まれている。
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 二の鳥居と本殿。
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『弁天社御造営記念碑
 当社には、出雲大神(大国主命)・宗像大神(市杵島姫命・田心姫命・瑞津姫命)がまつられており、本社春日部八幡神社の末社”弁天さま”として古くから地域の人々の厚い崇敬をうけてまいりました。棟札によるとこれまでの社殿は江戸時代文化十四年(一八一七年)に造られたもので、幾度かの修造工事はしたものの経る年月の長きにより損傷著しく氏子総代会役員協議の結果、本社御鎮座六百五十年祭記念事業の一環として、昭和六十年十一月御造営工事を着工、翌六十一年二月装いも新たに竣工いたしました。
 今度の事業に対し、氏子崇敬者の皆様より多大なる御奉賛を賜りました。御神威の益々の発揚を御祈念し、ここに芳名を刻みこの功績を後世に伝えます。
  昭和六十一年二月吉日』
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 大宮能賣神。
 側面に刻まれているのは「弘化二年十一月」かな。それなら1845年の造立と言うことになる。
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 神輿庫。
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 力石。

不弐大神(粕壁)

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 稲荷神社の北側、八幡公園の端に富士塚がある(春日部市粕壁)。
 鳥居の貫には富士山の図形と、その下に○の中に岩の文字。柱には「粕壁丸岩元講社」「扶桑教信徒中」と刻まれている。
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 参道左手側に浅間大神。
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 階段を上り切ると二の鳥居。
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 頂には不弐大神。
 不二は富士山の語源の一つである。
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春日部稲荷神社(粕壁)

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 春日部八幡神社の北東に鎮座する春日部稲荷神社(春日部市粕壁5609)。
 こちらの神社は鎌倉幕府の御家人である春日部実景が伏見稲荷大社から勧請し屋敷神として祀ったものであるそうだ。ちなみにこの人の孫である春日部重行が鶴岡八幡宮より勧請して創建したのが隣にある春日部八幡神社である。
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 二の鳥居。
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 埼玉県指定天然記念物 浜川戸砂丘の案内板。
 詳しい記述は春日部市教育委員会のサイトにある。
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 三の鳥居の手前、参道右手側には昭和五十五年(1980)六月に建てられた記念碑。
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 三の鳥居と由緒書き。
『春日部稲荷神社について
 当神社は春日部稲荷大明神と申し上げ、ご祭神は倉稲魂神と申し上げます。
 縁起・由緒については詳らかではありませんが春日部と言う名とこの場所より推察して当社の由緒を記します。
 春日部と言う名は、古代の雄略天皇、二十一代天皇の期、西暦四七八年に大和朝廷の属地として定められ、皇女・春日大娘の御名を冠した御名代部として命名された地名であります。御名代部を統治・管理するために派遣された在庁官人が、この地に居を構えていたことが遺跡の発掘により、推測されます。中世の時代になって、武士団が結成されこの地に住していた領主は武蔵國荏原郡に住した本姓紀氏の一派であり、在地名春日部を名乗ったと言われる豪族であります。
 当社の所在するこの地は春日部氏の屋敷跡であり春日部稲荷大明神は春日部氏の屋敷神として、京都伏見稲荷大社より勧受し祭祀されたものであります。
 創建の年代を案ずるに、伏見大社は奈良時代和銅年間とあり、それより降ること二百年位と推定されるので平安期と思考され、およそ千百年位以前の創建と推察する次第です。
  昭和五十五年庚申年六月
      春日部稲荷神社
 当社の総敷地面積 壱千四百六拾六坪』
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 青面金剛や庚申塔……だと思う。
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 四の鳥居と五の鳥居。
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 拝殿。
 ここから右へ向かうと富士塚、左へ向かうと春日部八幡神社。
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 お狐さま。
 台座には「昭和五十五年六月吉日」と刻まれている。

雷電神社(梅田三丁目)

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 国道16号線と埼玉県道78号春日部菖蒲線が合流する梅田(西)交差点の脇に鎮座する雷電神社(春日部市梅田3-46)。
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 鳥居の横には富士塚があり、その頂には浅間大神と小御嶽石尊が祀られ、石段横に猿田彦大神が祀られている。
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 富士塚の上から見た境内。
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 拝殿。
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 雷電神社改築記念碑。
『雷電神社の由来
 当雷電神社は、古代武蔵国太田庄百間領梅田村古隅田川の河畔に鎮座し、別雷神を祭祀とし、その創立は詳かならざりしも古老の伝承によれば今を去る壱阡有余年の古から鎮守の神として信仰をあつめたり、と。また当神社境内前南側には「神池」と称する小池あり農作物の枯死せんとする時、直ちに池より水を汲み当神社に供えて祈願するや忽ちにして雷雲と共に慈雨をみ、霊験あらたかなり、と。以来、先人より神徳を崇め益々篤き信仰のお社と奉る。
 境内地に樹齢五百余年の老杉木等あり神社風致上伐採するに忍びざるも、保存の手段もなく、止むなく昭和二十七年十月、伐採された。四十年代に神社前に国道十六号が開通、これに伴ない区画整理事業も推進されて社殿周辺にも住宅街が現出するに至った。地域の発展に伴ない氏子崇敬者の間に、老朽化した社殿、集会所(社務所)の新・改築の機運高まり、神社基本財産、金参百万円也と敬神者の奉賛金、県・市より格別なる指導助言を仰ぎ、ここに新改築落慶と成るに至ったことを後世に伝え、郷土の発展と氏子崇敬者の繁榮を祈念して碑を建立する。
 昭和六十年十一月吉日』
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 天神宮。
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 左右どちらも稲荷大明神。
 左の小さい石祠は側面に「寛政三亥(1791)二月吉日」と刻まれ、右の石塔には「享保十二未年(1727)九月吉祥日」と刻まれている。
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 賽神。
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山王日枝社(梅田三丁目)

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 国道16号線を挟んでコジマ×ビックカメラ 春日部店の北側、山王公園端に鎮座する山王日枝社(春日部市梅田3-199)。
 鳥居の台石には「昭和二十八年七月吉日」と刻まれている。昭和二十八年は1953年だから63年前か。
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 拝殿。
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『山王日枝社の由来
 この日枝社は謡曲「隅田川」で有名な梅若丸が人買いにさらわれこの地であわれ息絶えたと言う悲しい伝説の土地であります。
 村人たちは、このあわれな梅若丸のために小さな祠を作り、梅若山王権現として千有余年の間お護りして参りました。
 境内には六百余年をこえる有名な松の大木がありましたが、昭和五十五年に枯死し、そのあとに松の若木が植えられています。
 文化六年今より百八十六年前に社が作られ何度か修理を重ねてまいりましたが、昭和四十二年に神社の基金と氏子の寄付により立派に改築されました。
 これを記念して末永く後世に伝え保存して行きたいと思います。
 平成六年十月吉日』
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 裏手に回ると……んー、以前はここに何かあったのかな。
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 末社。
 山王大権現と書かれた木札が打ちつけられているので、こちらも日枝神社なのだろう。

女體神社(梅田一丁目)

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 八坂香取稲荷合社の450m程西、古隅田川の畔に鎮座する女體神社(春日部市梅田1-2-31)。
 両部鳥居ですかねこれ。こんなにがっつりコンクリートで固められている台石は初めて見た。その鳥居の左側にある石塔は猿田彦大神。側面には「天宝六乙未年霜月吉祥日」と刻まれているので1835年の造立。
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 社号標石に脇には「大嘗祭御用梅田牛蒡御買上記念  應需 臣 源照愛 謹書 石仙」と刻まれた石碑と由緒書きが建てられている。
『女體神社
 日光街道粕壁宿の北に位置し、周囲を大落古利根川と古隅田川に囲まれた低湿地である。この梅田の地名は、「埋田」の意である。梅田東・梅田西・新田の三つに分かれており、当社はそのうちの梅田東の鎮守である。
 醍醐天皇の延喜元年(九〇一)の創立で、当時、梅田に住んでいた織部という人が、村内の子供が幼くして亡くなることが多かったことを憂い、子供が健やかに育つようにと天神に祈願し、国生みの神である伊邪那美尊を産土神として祀ったのが当社の起源。古隅田川の北岸の最も高地に当たる場所(現在地)に神殿を造営し、祭事を行うようになったという。また、元和八年(一六二二)に二代将軍徳川秀忠が始めての日光社参に際し、街道筋の由緒ある社寺を訪ねた時、当社にも金千疋の寄付があり、以来、近隣の信仰を集めて大いに栄えたと伝えられる。
 当地の土壌は牛蒡の栽培に適し、太くて味の良い「梅田牛蒡」が出来ることで知られている』

 ちなみに日光社参は元和三年(1617)四月が最初で、元和八年四月の時は三回目である。
 ここから2km程東に牛島の女體神社があるが、御祭神や創建の由来を見ると特に関係は無さそうだ。
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 拝殿。
 参道右手側には平成二十年三月に建てられた神社改修工事記念碑がある。
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 狛犬。
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 社殿斜めから。
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 富士塚と末社群。
 塚の麓には猿田彦大神と天満宮、稲荷大明神が祀られており、頂には浅間大神、一段落ちた所に磐長姫命と角行・食行霊神が祀られている。
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 駐車場脇にも由緒書きが設置されている。

八坂香取稲荷合社(八丁目)

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 大落古利根川に架かる新町橋の北、真言宗智山派神林山仲蔵院の南隣に鎮座する八坂香取稲荷合社(春日部市八丁目)。
 御祭神は素盞嗚尊・経津主命・豊受姫命。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
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 狛犬。
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 本殿。
 かつては幣殿もあったのだろうが、現在はこう。
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 末社。
 左から石清水八幡大神・伊勢天照皇太神・春日四所大神、三峯山大権現、辨財天、不明、姥子稲荷大明神、天神宮。
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 協信掲虔碑。
 崩し字だの白カビだのでまるでわからない。

三圍稲荷社(粕壁四丁目)

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 春日部市立春日部中学校の西側、伊勢崎線第127号踏切近くの民家脇に鎮座する三圍稲荷社(春日部市粕壁4-2)。
 名前から推測するに、墨田区向島の三囲神社からの分霊であろうか。春日部市郷土資料館で配布されている「春日部の伝説」と言うリーフレットに「三囲神社の伝説(粕壁)」と言う項目があるので、そちらに詳細が記されていると思われる。後で郷土資料館に行って来るとしよう。
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