三仏堂(片岡町三丁目)

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 護国神社の東に鎮座する三仏堂(高崎市片岡町三丁目)。
 手前に伊津奈大権現への案内板が見えるが、そちらにはここから西へ120m程歩いて行くと到着する。またこの案内板の脇に伊津奈大権現の由緒書きが設置されている。
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 三仏堂。
 「弎佛堂」と書かれた額が掛けられている。
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『三仏堂の沿革
この地に昔から厄除地蔵尊が祀ってありました。このたびの解体により群馬県片岡村の福島吉平氏の貴重な記録が発見され明治二十九年に再建されたことが判りました。往時大人相撲も盛大に行われ近郷近在より大勢の参観者で賑わい落合厄除奉納相撲としてその名を轟かせておりました。その後昭和の初期当時落合在住の小野幸太郎氏の協力により改修され今日に及んでおりました。現在では毎年八月二十三日に町内児童公園で行なわれている念仏会と子供相撲が厄除祭祀として引き継がれております。
平成五年七月従来の公民館を解体して住民会館を建設することになり用地狭小のため敷地内に鎮座の薬師堂と石仏を解体して地蔵堂の領内に移転す、釈迦如来、薬師如来、地蔵菩薩の三尊を祀り名称を「三仏堂」と改め、三体を一堂に合祀いたしました。又庚申塔ほか由緒ある石仏も三仏堂の領内に安置いたしました。
ここに伝統ある遺産を合祀する堂宇建立にあたり歴史の一端を偲びつつ郷土の文化財産保存と住民祈願のお堂として末永く敬愛されることを念願いたします。
  平成五年十二月吉日』
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 庚申塔、如意輪観音、美善大明神、地蔵尊、如意輪観音。
 美善大明神は上部が破損しているため美善で正しいのかどうかわからないが、見える範囲ではそのように読める。
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駒形宮(石原町)

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 真言宗智山派大覚寺の北110m程、三叉路脇に鎮座する駒形宮(高崎市石原町2003)。
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 拝殿。
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 末社群。
 左端は三峰神社であるようだが、他の石祠二基は不明。

白山神社(石原町)

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 高崎市上ノ山交流館傍の道端に鎮座する白山神社(高崎市石原町)。
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 外からでは何神社なのかわからないが、中に「白山神社 菊理姫命」と書かれた紙が額縁に入れられているのでこちらが白山神社であるとわかる。
 「上野国神社明細帳」や「新編高崎市史」にはこちらの神社の記述は見当たらず、詳細は不明。
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伊津奈大権現(片岡町三丁目)

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 護国神社の南側に鎮座する伊津奈大権現(高崎市片岡町三丁目)。
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『優秀賞
片岡町三丁目町内会殿、貴町内の伊津奈大権現は町の由緒を正し、町を美しくする一所一勝運動の名所として特に優れているので、ここに優秀証を贈ります。
 昭和六十年二月十四日
           社団法人高崎観光協会
           会長 沼賀健次』
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 拝殿。
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 西側から。
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『伊津奈大権現
 当神社は八王子市にある霊山として名高い高尾山薬王院(飯縄大権現が本尊)から勧請した五穀豊穣の神様です。後に商売繁盛、病気平癒、火防の神様となり、多くの人々から信仰され今日に至っています。
 不動明王の化身である飯縄大権現は、慈悲深く衆生を救済する霊神であり、諸々の障害と民衆への悪魔を救ってくれる霊神でもあります。
 昭和五十四年頃町内の有志が高尾山片岡講を作り、新しく御神体を祀り、高尾山の大僧正により開眼供養が行われ、現在の社殿に安置しました。平成十年に御神体を修復し、高尾山の大僧正を招いて落慶法要を営み、開眼供養をしてお堂を新築しました。以来、毎年高尾山への参詣を行ない、町内の年中行事として毎年十月八日を当たり日として盛大にお祭りしています』

護国神社(乗附町)

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 群馬県神社庁の南側に鎮座する護国神社(高崎市乗附町2000)。
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『群馬縣護國神社
御鎮座  昭和十六年十一月十九日
御祭神  群馬県の殉国英霊(四萬七千余柱)
例 祭  十月十六日(第一日)
      十月十七日(第二日)
主要建物
 本殿・祝詞殿・拝殿・翼廊
 斎館・社務所・参集殿
 神楽殿・宝物遺品館
 祖霊殿(納骨堂)
境 内  二〇三五八坪』
 詳細は公式サイトで。
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 二の鳥居。
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 狛犬。
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 拝殿。
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『碑文
日清日露の両戦争をはじめとし幾度かの戦争を経て太平洋戦争の終結まで約半世紀の年月が流れた
この間郷土群馬の若者は高崎部隊をはじめ全国各地の部隊に所属し北や南の遠い異国の地にまた国内の各地に生命を捧げ愛国の真心をもって戦争遂行に尽したのである
しかし祖国日本の安泰と繁栄を信じながら前途有為な先輩戦友が惜しくも戦没されたことに思いをよせるとき誠に残念の極みといわなければならない
一方銃後にあって困苦欠乏に堪えて食糧ならびに軍需物資の増産と輸送及び戦地への慰問品発送など献身的に尽された方々の労苦は極めて多大であった
太平洋戦争終結から四十五年平和でしかも世界各国の注目する大国としての繁栄は戦没者をはじめ国内にあって銃後を守られた方々そして終戦直後の困難をきりぬけ復興に尽された人々の犠牲と努力の上にうちたてられたことを思いここに深く感謝の誠を捧げるものである
激動の昭和時代も終り平成の時代となった今戦争は悲惨の極みであることを痛感し平和の礎となられた英霊をはじめ多くの方々の慰霊とその功績を顕彰すると共に永遠の平和を祈念するものである
ここに同志相はかって群馬県護国神社の社頭にこれを建てる
  平成二年十月三十日』
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『日本は昭和の一時期 米英及び重慶支那と大東亜戦争を戦った 自国の安全と欧米の植民地支配からアジアを解放するためだった 戦は優勢に推移し南太平洋インド洋まで制圧したが物資の補給乏しく比島から沖縄と敵の反攻を許した この時 一機一艇で一艦に体当たりする歴史に例のない必死の戦法が採られた 貧しく誇り高い民族の苦渋の選択だった 二十才前後の若者の死への旅立ちを国民は合掌して見送った
その勇姿を此処に置く 敗戦国に育ち歴史を絶たれた現代の人よ 命に代えて何を守ろうとしたか この像に問い続けて欲しい』
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 祖霊殿。
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