琴平神社(岩槻区加倉一丁目)

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 国道122号と埼玉県道2号さいたま春日部線が合流する加倉(北)交差点の傍に鎮座する琴平神社(さいたま市岩槻区加倉1-33)。
 鳥居の柱には「平成二年六月吉日建之」と刻まれている。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
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 昭和四十五年二月に建てられた神社移転碑。碑には「金昆羅神社」とあるので、それよりも後に「琴平」と文字を改めたのだろうか。
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八雲神社(岩槻区本町一丁目)

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 国道122号線を挟んで岩槻郷土資料館の向かい側に鎮座する八雲神社(さいたま市岩槻区本町1-15)。
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 鳥居前の瑞垣脇に設置された市宿通り観光マップ。
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 一部アップで。
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八雲神社由緒
当神社の創建と由緒は、当地に旧家勝田氏祖先の勝田佐渡守が永禄三年(一五六〇年)正月に市を開設した折に市の守護神として鎮座し市を開いたのが最初には必ず市場の祭文を読みいる習わしだったと伝えられています。
江戸時代は牛頭天王社と称され明治時代になると八雲神社と改称されました。天王様の名称で人々に親しまれております。祭神は素戔嗚尊で商の神火防の神として霊験あらたかです。神殿は昔、県道の中央に鎮座し神社から下に向って背中合せに市が立ち近郷近在からの人出で雑踏いたしました。現在の社殿は明治十七年(一八八四年)十一月二十八日に落成し明治二十一年(一八八八年)に現在地に移されました。境内地に現在緑の広場として子供や市民の皆さんから親しまれております。
 例大祭日 七月七日 七月十五日
    平成六年   八雲神社氏子中
           第一区自治会
           第二区自治会

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 拝殿。
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 獅子山。
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 狛犬をアップで。
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 扁額には市神社と記されている。
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 本殿。
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 本殿の彫刻の案内図。
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 力石。
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 神輿・四神収納庫と末社殿(猿田彦大神と鹿島大神)。収納庫の左脇には従軍記念碑。
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 享保十一年に奉納された手洗場石。

稲荷社(岩槻区本町三丁目)

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 埼玉りそな銀行岩槻支店の東側、駐車場の端に鎮座する稲荷社(さいたま市岩槻区本町3-12)。
 社名は記されていなかったが、宝珠紋らしきものがあるので稲荷社だろう、たぶん。

愛宕神社(岩槻区本町三丁目)

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 東武野田線第50号踏切の傍に鎮座する愛宕神社(さいたま市岩槻区本町3-21-25)。
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 参道。
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 岩槻城の土塁跡の上に愛宕神社。
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 狛犬。
 台座には「昭和六年十月再建」と刻まれている。
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愛宕神社
 所在地 岩槻市本町三-二十-二十五
 愛宕神社の祭神は迦具土命であり、境内には松尾神社(祭神 大山咋命・伊弉諾命・伊弉冉命・徳川家康)、稲荷神社(祭神 倉稲魂命)、天神社(祭神 菅原道真)がある。迦具土命は火防、盗難除、安産の神、子育の神として知られ、近年は、進学・就職の神として信仰を集めている。
 神社の創建は明らかではないが、江戸時代初期の「武州岩槻城図」に愛宕神社が記されている。いい伝えによると、長禄元年(一四五七)に太田資清(一説には道灌)が岩槻城を築くにあたり城郭として外堀と土塁(土居)を造った。するとその傍らに小さな祠一社があり、風雨に曝された小板に幽かに迦具土命と言う字が見えた。これは火防の神(愛宕大神)であるので土塁上に移し祠った。その日が現在の七月二十四日であるので、今でも祭礼日として祭典を行っている。
 昭和五十九年三月

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 拝殿。
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 記念碑と天満宮。
本殿境内修復 愛宕会館建設記念碑
 今から五百数十年前の長禄元年三月太田道灌公岩槻城を築き 次子資家公初代城主となるや 六年後の寛正三年に外敵防禦 防風 風致に意を用い 城と町を圍む堅固な土居と深き濠をつくり 土居に欅 杉 椎等大木となる数種の樹木を植えた
 いつの世か この土居の最高所に火難除けの神 迦具土命を祭神とする愛宕神社が創建された 時は新暦七月二十四日に当り この日を祭祀の日と定め毎年の祭りを行っている
 時移り 人代ってここに幾星霜 本殿 石段 境内 参道等著しく荒廃して見るに忍びず 氏子総代しばしば会合し その善後策を講じて修復に決し 集会所新設と併せて工事の速進に踏み切ったのである
 かくて建設委員会は九町自治会の氏子に諒解を得て準備に着手し 事業計画 資金調達に努め工事推進に鋭意協力し 遂に昭和四十九年二月見事完成を見るに至ったのである
 昭和四十九年七月吉日
  撰文並書 八十翁 原口扁舟

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 末社。
 稲荷社、芳名碑、稲荷大明神、合祀社。右端の祠の中には複数の神の名が記された板があり、それには水神、阿■大菩薩、弘法大師、穴森稲荷、猿田彦大神、鬼子母神、権七菩薩、妙件大神、辨天大神、諏訪大神とあるが、いずれも下に消滅と書かれている。
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岩槻城大構
  指定年月日  昭和四十九年九月二十六日
  指定の種別  記念物(史跡)
  所有(管理)者 岩槻市本町三丁目二一番二五号 愛宕神社
 戦国時代の末から江戸時代の岩槻城下町は、その周囲を土塁と堀が囲んでいた。この土塁と堀を大構(外構・惣構・土居)という。城下町側に土塁、その外側に堀が巡り、長さは約八kmに及んだという。
 この大構は、天正年間(一五八〇年代頃)、小田原の後北条氏が豊臣政権との緊張が高まる中、岩槻城外の町場を城郭と一体化するため、築いたものとされ、城の防御力の強化を図ったほか、城下の町場の保護にも大きな役割を果たした。
 廃城後は、次第にその姿を消し、現在は一部が残っているにすぎず、愛宕神社が鎮座するこの土塁は、大構の姿を今にとどめる貴重な遺構となっている。

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 こちらが松尾神社なのかなと思ったら、明治十六年十二月に奉納された扁額には三社祠と記されていた。松尾神社・稲荷神社・天神社の三社を合祀しているとも考えられるが、稲荷社と天満宮は別にあったしなぁ。
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庚申尊(岩槻区本町三丁目)

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 東武野田線岩槻駅の北東、国道122号線に面して鎮座する庚申尊(さいたま市岩槻区本町3-4)。
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 庚申堂に掛けられた扁額には庚申尊、堂の中に掛けられた扁額には猿田彦大神と書かれている。
 右側の祠には社名を示すものは見当たらなかったが、中を覗きこんだら三方の上に油揚げが置かれていたのでおそらく稲荷社なのだろう。
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