茶ノ木神社(日本橋人形町一丁目)

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 水天宮前交差点のやや北西に鎮座する茶ノ木神社(中央区日本橋人形町1-12-11)。
 こちらの神社を参拝するのも六年ぶり。
 由緒書きは前回参照
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明星稲荷神社(日本橋小網町)

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 日本橋川に架かる茅場橋の北東、日本橋小網町町会会館前に鎮座する明星稲荷神社(中央区日本橋小網町4-9)。
 鳥居の柱には紀元弐千六百の文字が見えるので、昭和十五年(1940)に建立されたものだろう。
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 由緒書きが無いのでググってみたら中央区の町会・自治会ネットと言うサイトにこちらの由緒が記載されていた。
 それによると、明星稲荷神社は当初江戸城内に祀られていたが徳川家康公入府の際、地頭職にあった小網町の浜口家に下げ渡され浜口家の屋敷神として祀られるようになったが、大正十二年の関東大震災の後仮殿が建立され、昭和八年に復興。その後戦災により焼失したが昭和四十三年に再建されたとのこと。また瑞垣の脇に設置された銅板製の神社新築御奉納芳名碑には平成二十五年四月吉日と記されているので、現在の社殿等は四年前に新築されたばかりであるようだ。
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純子稲荷神社(日本橋茅場町三丁目)

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 亀島川に架かる新亀島橋の西側、日本橋消防団地域活動センターの隣に鎮座する純子稲荷神社(中央区日本橋茅場町3-13-6)。
 神社の名前から東方なんちゃらの純狐と言うキャラが脳裏に浮かんだがまぁ何の関係も無いのでそれはおいといて。と言うかググったら「じゅんこいなり」ではなく「すみこいなり」と読むらしいですしここ。
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純子稲荷神社御由緒
本   社   東京都中央区日本橋茅場町三丁目
御 鎮 座   元和二年十一月二十日
再建立御鎮座  昭和四十八年四月二十日
神   璽   伏見稲荷大社
御 神 名   純子大神
御 祭 神   豊受大神
         宇迦之御魂大神
         佐田彦大神
         大宮能売大神
         田中大神
         四之大神
御 神 徳   精神、生命、生活、生業、生産
御 神 威   心身健全、家内安全、五穀豊穣
        商売繁昌、福徳円満、芸能成就
        往来安全
御 祭 日   二月初午の日
        四月、十一月御鎮座の日
         元文二年十一月二十日
           (一七三十七年)

 元和二年(1616)なのか元文二年(1737)なのか、どっちだろう。
 ちなみに鳥居には「奉納 昭和四十八年二月吉日 濱田金太郎 神林清作」と記された金属板が取り付けられているので、神社再建の完成前に既に奉納されていたようだ。
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鳥居稲荷神社(日本橋兜町)

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 首都高速都心環状線に架かる新場橋の90m程南東に鎮座する鳥居稲荷神社(中央区日本橋兜町20-2)。
 こちらに参拝するのはおよそ六年ぶりか。
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 草が茂っていて由緒書きの三分の一くらいが見えなかったので、由緒書きは前回参照
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於満稲荷神社(日本橋三丁目)

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 八重洲大飯店と酒席いづみやの間の僅かなスペースに鎮座する於満稲荷神社(中央区日本橋3-3-3)。
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於満稲荷神社縁起
此の神社の於満とは、徳川家康公の奥御前で養珠院様(於満の方 一五八〇~一六五三)といわれています。養珠院様は二人の男児に恵まれました。徳川御三家紀州家の開祖となった徳川頼宣公と、水戸家の開祖徳川頼房公の御生母です。また八代将軍吉宗公や徳川光圀公(水戸光圀公)も子孫に当たります。一六五七年の「明暦の大火」で江戸城をはじめ、このあたりも記録とともに消失しました。その後復興し、寛文(一六六一~七三)の記録に、この於満稲荷神社が記されています。 言い伝えでは、此の地に幕府のご休憩所があり、信心深い養珠院様御一行が神仏寄進のために日本橋界隈に物資調達にお立寄り、商業に多大な貢献をした養珠院様ゆかりの地として、商人達によって神社が建てられたとされています。 またそれから百年あまり後の寛延(一七四八~五一)には於満稲荷ゆかりの「於満すし」が江戸中の名物となり、この地の賑わいが記されています。
以来約三百五十年間、この稲荷神社は関東大震災など数々の試練を乗り越え、この地の商売繁盛五穀豊穣の稲荷神社として崇められ信仰され続けています。

平成十七年、中央区により「養珠院通り」となった通り名の由来にもなりました。
平成十七年七月吉日
 於満稲荷神社世話人一同

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 都内には敷地の狭い神社が多数あるが、こちらは輪をかけて狭い。
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 現代の地図と江戸時代の地図が並んで設置されている。ただ、この左側の地図の赤印が付いている所は実際の場所より北に1ブロックずれているような気がするのだが、もしかしたら江戸時代にあった場所が現在ではその位置に当たると言うことなのだろうか? わからんけど。
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