足次町赤城神社

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 県道8号足利館林線から邑楽広域農道を東へ走って行くと足次西交差点手前に渡瀬公民館があるので、その脇の道を南へ入って行くと赤城神社前に出る。神社脇には鎮魂塔があり、その前に車を置くことができる。
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『赤城神社の由緒
 往古の渡良瀬川東岸に鎮座する当社は、建仁二年(1202年)新田義重が勢多三夜沢の赤城本営より勧請し、新田氏代々の守護神としたと伝えられる。以来天保年間に総村中による修築、明治六年(1873年)八ヶ村の郷社、同四十年同地内十二社の合祀、大正十年(1921年)社務所の創築等により社叢を深める。戦後途絶えた神楽も近年信仰の心が高まり、春秋の祭典には青年による囃も響き、赤城神社眷属のムカデ絵馬は、市文化財に指定され愈々内外の脚光を浴びる。ここに後々の弥栄を念して氏子総代相計り浄財を以ってこの碑を建立す』
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 鳥居。
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『館林市指定重要文化財
 ムカデと梅樹絵馬
 千匹ムカデ絵馬
 指定年月日 昭和五十四年七月三十日
 所在地   館林市足次町四九四 赤城神社
 時代    江戸時代

ムカデと梅樹絵馬
 上部屋根形の絵馬で、筆者は北尾重光です。
 中央に大きく雄渾な筆致でムカデを描き、右側に梅樹が上部に向かって枝を延ばしている様子を極彩色で描いています。
 左上部には「處願成就」、左中央に「天保十一歳庚子二月」その下に「館林 宮杉某」、右側に下に「紅翠□館林住人北尾重光筆」と墨書され、天保十一年(1840)二月宮杉某なる人が諸願成就を願って赤城神社に奉納したものと考えられます。
 ムカデは赤城の神の眷属といわれ、梅は子授けや安産祈願によく描かれたものといい、ムカデと赤城神社の係わりや、当時の人々の信仰の様子を知る上で貴重な資料です。

千匹ムカデ絵馬
 上部屋根形の絵馬で、筆者、制作年代とも不詳です。
 薄赤色に彩色した小さな数多くのムカデを前面に、その上部に青い松を描き、中央上部には「奉納」と墨書されています。
 この絵馬は、赤城神社の氏子が、ムカデの精霊にあやかって、諸祈願をし、赤城神社に奉納したものと考えられています。
 ムカデは赤城の神の眷属で、赤城神社の氏子はムカデを大切にするといわれ、庶民信仰の様子と赤城神社とムカデの係わりを示す資料として重要です。』

 梅が子授けや安産祈願によく描かれたと言うのは、梅=生め、って語呂合わせなのかね。
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 拝殿。
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 狛犬。この辺りはこの系統のデザインが多いのかな。
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 神楽殿…かな。
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 三峯神社。
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 山神宮。
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 拝殿左側には末社が五つ並んでおり、左手前から天満宮、厳島社、大神宮、西の稲荷、雷電神社。
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 奥の宮。と言うことは、赤城神社か。
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 左手前は東の稲荷、右奥は熊野神社。
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 左手前から出羽三山、不明、古峯神社。
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