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千勝神社(吉羽一丁目)

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 セイコーマートから西へ真っ直ぐ進んで行くと、千勝神社の前に出る。途中、高輪寺の前を通るのだが、そちらには旧石器時代の遺跡があるそうだ。
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 鳥居。
 由緒書きによると、かつての参道は現在の数倍の長さがあったようだ。
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 参道左側に八坂神社。
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 雷電宮。
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 参道右側に妙見宮。
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 社務所前に手水社。
 そして手水社の上に由緒書き。
『「埼玉県武蔵国南埼玉郡太田村大字吉羽字西 村社 千勝神社」について
 一、祭神 大己貴命
 一、明治三庚午年村社申立済
 (昭和十年九月三十日 本殿改築許可、昭和十一年九月一日竣工)
 一、社殿 本殿、幣殿、拝殿
 一、境内 千四十二坪
 一、氏子 百九十七戸
 一、境内神社
   八坂神社(昭和六十二年六月吉日祭神を改めて祀り込む)
    祭神 素盞嗚尊
    由緒 不明
    社殿 本殿
 上記は久喜市史編纂室編集の「地誌」に紹介された神社明細帳に記されているものですが、現在の千勝神社所在地は「久喜市大字吉羽一五四五」になっています。

 この神社の歴史は古く、当地に何年ほど前に祀られましたのか不詳ですが、武蔵国郡村誌(明治初期に刊行)によりますと、当地の地名は西村、吉羽村、西村新田といわれ更に向地、前、諏訪、沼向、山下、宿、西前、西、高田等々十三、四の字地に分れており、西村、吉羽村はそれぞれ飛地を持ち字地が点在していた(現在もそのようなところがある)と記してあります。
 神社は当初、千勝八幡鷲宮合社、三神合祀であるため三社大明神と呼ばれ村中の鎮守とされていました。
 明治三年、三社大明神は社号を千勝神社と改め村社の申立を済し、明治六年に「村社」の格付けが公にされたとのことです。
  三社大明神に合祀されていました御祭神は
   千勝神社 大己貴命
   八幡神社 武甕槌命・経津主命
   鷲宮神社 天御名方命
  とされています。
 村社として格付けされた「千勝神社」は、氏神として村民即ち氏子の崇敬を受け明治、大正、昭和と年代を経てきましたが、太平洋戦争の敗戦後昭和二十一年二月三日以後、神社の国家管理解除で「村社」の社格は廃止され、無格になりました。
 然し古い歴史を持つ鎮守の伝統に育ってきた地域住民の神社に対する崇敬心は、人の心の寄りどころとして持ち続けられています。
 昭和十一年九月改築竣工した社殿は、境内にそびえる幾星霜経たであろう杉の巨木、裏の杉山は昼も暗く、社殿より百数十米余におよぶ参道は左右の杉並木にはさまれて続き、参道の尽きた処の石の大鳥居(地元、棟梁の協力により現在地に移設)をくぐると石段となり、幅広い石段の両側は同じ石の袖垣となっていて、下りると一寸広い駒寄せの広場につづき、当時としては古い村の鎮守として堂々の風格をもっており、村民の崇敬の場となっていました。
 この長い鬱蒼とした参道の中程に、もう一基朱塗りの木造の鳥居が「千勝祠」の扁額を掲げて社の雰囲気に一層のおもむきを添えていた当時を今は偲ぶべくもありません。
 駒寄せの広場には幟を掲げる幟竿枠があり、神社の祭典等行司の折りには、この地に学問をひろめた漢学者中島撫山先生が、明治二十六年に揮毫された長さ十米に近い一対の幟が二対掲揚されていました。
 戦後、時代の推移に伴い久喜市が特に首都圏域内の市街化区域との指定を受けて以来、急速に都市計画化が進められ、住宅地の開発、土地区画整理事業の実施に伴い、昭和五十年から二年余にわたり神社々殿、境内諸施設および参道の石鳥居の移設等々の工事、整備が行われました。
 境内には、改修移設を記念し千勝神社の新たな社号碑が昭和五十二年五月吉日に建立され、昭和五十五年九月には社務所の建築も完成、神社としての形態も整った昨今です。
 なお区画整理事業の進捗に伴い、境内外に祀られていた神社の移設も行われました。即ち
  昭和五十九年九月
    「稲荷神社  祭神 倉稲魂命
           由緒 不詳   社殿 石祠   境内 七十五坪」
  昭和五十九年九月
    「八王子神社 祭神 天照大神・御子五柱命・月読尊・御女三柱命
           由緒 不詳   社殿 石祠   境内 五坪」
 を境内神社として移設し、お祀りしてあります。

 千勝神社・境内神社の祭例
  千勝神社 新年祭 一月一日 神拝式挙行。宮司御祓い、祝詞奏上、総代、役員、氏子参拝。
       青屋祭 七月初酉日(現在は七月十五日)神拝式挙行。宮司御祓い、祝詞奏上、総代、役員、氏子参拝。
  八坂神社 天王祭 七月十五日 千勝神社祭例と併せて行う。
  稲荷神社 初午祭 二月初午の日 参拝式。総代、役員。
  なお、青屋祭終了後、氏子の行事として、「ナイダー(百万遍)」、「観音講」、「産土講」等の催ごとをやっています。

 以上、千勝神社について述べましたが、この地域の鎮守の神の長い歴史と伝統を守るべく、この地に戦前より居住の氏子、また新しくこの地に居住された方々(氏子)共々に、総代・役員を中心として広く亘るよう班組織による当番推薦の制度のもとに諸行事を行っており、この後とも地域の皆様には郷土の氏神として見守りつつ永く親しんで頂けるよう希って止みません。
  昭和六十一年十二月吉日』

 …えーと? なんで八幡神社が武甕槌命と経津主命で、鷲宮神社が天御名方命(建御名方命?)なんだ? 千勝神社も普通は猿田彦命だと思うが、鷲宮町の千勝神社も大己貴命だったし(尤も、あちらは源義家が戦勝祈願をしたことから千勝神社になった訳で、元々は違う名前だったようだが)、「ちかつ」の名を持つ神様は数多いようなのでそれは良しとして、でも八幡神社と鷲宮神社は違うだろう、どう考えても。
 それと、八王子神社の御祭神は天照大神と御子五柱命、月読尊、御女三柱命とのことだが、なぜ月読尊が入る? 普通、八王子神と言えば天照大神と素盞嗚尊の宇気比で生まれた五男三女神のことだと思うのだが。
 もう一つ不思議なのは、三社大明神と呼んでいたくせに、なぜ三社神社や三柱神社ではなく千勝神社にしたのだろう? 元々千勝神社が中心的な存在だったと言うことなのだろうか。
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 狛犬。
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 拝殿。
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 稲荷神社と、その隣に八王子神社。
 奥に見えるのは吉羽公園。由緒書きによると、かつては社殿裏に鬱蒼たる杉山があったようだが、それを崩して公園にしたのだろうか。
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