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神倉神社(藤岡町蛭沼)

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 栃木県道50号藤岡乙女線蛭沼交差点から北へ走って行くと、神倉神社が鎮座している。
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 鳥居をくぐると左手側に拝殿改築記念碑と由緒を記した石碑がある。
『道鏡禅師と神倉神社
 千三百年前の奈良時代、蛭沼の畔に道鏡さま一行が来て、その従者が住み着いたという口伝があります。
 道鏡さまは法王となった偉いお坊さまで、ときの孝謙・称徳天皇を支えた方です。しかし道鏡さまの活躍を快く思わない者たちにより、下野国に追われることになりました。
 陸路では身の危険がありました。従者と十四家族は道鏡さまを守り紀伊の新宮に出て、神倉神社に航海の安全を祈り、下野をめざしました。
 江戸湾から巴波川に至りこの辺りで下船し、従者は惣社の室八島を経て下野薬師寺に無事送り届けたと言われています。
 従者は、五家讃岐、藤沼五郎左衛門、長島四郎兵衛、野尻新兵衛、鷺内道海、早乙女伊賀、荒川勘解由、海老沼将監、荒井長左衛門、関口河内、五百部泉で、家族と生活を共にしたと言われています。なおこの神倉神社は紀伊から勧請したものです。
 道鏡を守る会
 二○○七(平成十九)年四月七日』
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『神倉神社の由緒
 當神社の御祭神は水速女命と傳えられるも文献に依れば「人皇第四十八代稱徳天皇の御宇景雲元年末十一月十五日に紀州熊野大権現中嶽より之を遷す」とあり尚御霊代は龍造大権現國津生八蛇姫尊と記録せらる。御拝殿は文化年間の建造と傳えら年経て破損せるに依り明治四拾年五月拾五日上棟式を挙げ改築さられたり。
 元當部落民は字神倉の西南部に居住せるものの如くなるも人口の増加と水害の為め高地を求めて西へ西へと發展し自然神社のみ取残されたる形態となる。為めに氏子崇敬者協議の上前境内地字神倉二三九番地の一より現地に移轉改築なし昭和二拾八年旧三月拾五日に遷宮祭を執行す。
 神倉神社祢宜永島初太郎敬白』

 ふむ。御祭神は水速女命(罔象女神)とする説と天照大神・高倉下命とする説があると。そして御霊代は龍造大権現國津生八蛇姫尊と言うことだが、これは当時の巫女か何かに神を降ろしたということだろうか。
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 拝殿。
 奥の建物は神輿殿のようだった。
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 狛犬。
 表面のでこぼこしたものは先程の星宮神社の狛犬にも似ている。
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