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甚内神社(浅草橋三丁目)

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 蔵前橋通りに戻り、東へどんどん歩いて行くと浅草橋三丁目交差点の北側に鳥越神社が鎮座しているが、その前に南へ向かって甚内神社へ。
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『甚内神社
 台東区浅草橋三丁目十一番五号
 当社は「甚内霊神」の名で、江戸時代初期に創建された。
 伝承によれば、甚内は武田家の家臣高坂弾正の子で、主家滅亡後、祖父に伴われ諸国を行脚するうち宮本武蔵に見出されて剣を学び奥義を極めた。武田家再興をはかり、開府早々の江戸市中の治安を乱したため、瘧(マラリア)に苦しんでいたところを幕府に捕えられた。
 鳥越の刑場で処刑されるとき「我瘧病にあらずば何を召し取れん。我ながく魂魄を留、瘧に悩む人もし我を念ぜば平癒なさしめん」といったことから、病の治癒を祈る人々の信仰を集めたという。八月十二日の命日は、今も多くの人で賑わっている。
 かつて鳥越川に架かる橋の一つ「甚内橋」の名も付近に甚内神社があったからだといわれる。鳥越川は、今は暗渠となり橋もなくなったが、その名は「甚内橋遺跡」(浅草橋三丁目十三番四号)の小碑に残されている。
 関東大震災まで浅草消防署の付近にあったが焼失。その後移転。昭和五年、現在地に移った』

 と書かれているが、高坂甚内でググってみると、ただの悪党じゃないかこの人。辻斬りを働いて武蔵に破門されたり、箱根で山賊の首領になったり、江戸に入っても盗賊の首領になったりと、ロクなもんじゃない。幕府に協力して江戸の治安維持を務めるのはいいが、結局盗賊家業を続けていたあたりを見ると、武田家再興なんて毫程も考えてなさそうだ。
 まぁ、どんな悪党でも死後に崇敬の対象となれば神として祀られるのが神道と言うか日本の文化だけどね。
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 拝殿。
 賽銭箱には三つ引両紋が書かれているが、はて。高坂昌信の家紋は九曜紋の筈。
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