赤城神社(宮前町)

IMGK8022s.jpg
 粕川に架かる天増寺橋の東に鎮座する赤城神社(伊勢崎市宮前町1582)。
IMGK8034s.jpgIMGK8035s.jpg
 狛犬。
IMGK8025s.jpg
 参道の中央に駒留石。右側の「佐位大社 殖木鎮座 従四位上 郡玉明神」と彫られた石柱の側面には由緒が刻まれている。
『当殖木宮の創建は古く安閑天皇の御代(五三五年頃)に勅使佐位に至り殖木縣に宮殿を造立し給うと縁起書に記されている。按ずるに当時佐位郡一帯を支配していた檜前部君一族により、氏神赤木社として建立されたものであろう。殖木縣は東山道佐位驛として古代の交通の要衝として、またまつりごとの中心地であった。七世紀末頃建立された上植木廃寺も一族の氏寺であったと思われる。元慶(八八○年)の頃佐位郡の大社として従四位上郡玉明神の神位を贈位せられた。檜前部の人々の末裔と思われる秦・藤原・平・清原氏らによって社は護られて来たが数世紀に亘る世の変遷とともに三浦・上杉・長尾氏らの修復・再建を重ねて来た。特に天正十五年(一五八七年)上杉勢の兵火に罹り社殿悉く灰燼と帰しその時先の宣命状も焼失せり。その後慶長十三年(一六○八年)伊勢崎藩主稲垣公により再建され三夜沢赤城神社より井下氏を廟令として招聘、正徳元年(一七一一年)九月正一位の神極位を授けられその宣旨は現存するところである。昭和十五年八月殖蓮村長以下神社総代一同当社の昇格を申請せしも時恰も日中戦争に続いて太平洋戦争に突入。終戦を迎えそのままになりたりしを茲に郷土の繁栄を願い石に刻み永くその栄誉を後世に伝えんとす。
 昭和五十九甲子年五月吉日』
DSCN1771s.jpg
 参道左側に由緒を刻んだ石碑。
『殖木宮赤城神社御由緒
御祭神 磐筒男命
    大己貴命(大国主命)
 縁起書に曰く安閑天皇の御宇(531~35)、或る夜、天皇に二柱神見え奉り奏して曰く、吾れ是の毛の上ツ國の磐筒男磐筒女の大神也。天に在りて相生の神也。今、國に魂を分ちて毛の上ツ國に鎮座して男神は赤城山に座し女神は兒持山に座す。是の如く鎮座するは他國よりは吾國、他人よりは吾人にして、動じず絶えず、君を守り鎮め、神徳に明らけく、天下の陰陽の道を守り、万代に易らず、殊に吾が鎮座する毛の上ツ國は五穀に桑多く在り養蝅に美し國なり。天皇必ず吾が二柱神を祭りて開國の地なり。
 天皇則ち勅使を毛の上ツ國に遣し二柱大神を祭る。女神を兒持山に祭り、男神を赤城山に祭る。大道を以て内殿とし、三夜沢を以て前殿と為す。勅使、佐位の殖木の縣の地に至り宮殿を造立して赤城山の磐筒男命のみを祭る。是れ陰陽の大道也。豊御食炊屋姫(推古)天皇の御宇に殖木の社記を永く末代に之を伝う。伝に曰く鎮守府将軍源の賴信公、上野守と為り兒持山及び赤城山に三所の大明神を造殿す。殖木の宮は殖木氏之を造立、近地七郷(佐位郡)の総鎮守たり。長元六癸酉年(1033)春、源賴信の臣渡部源次、殖木の柵御社を修復、流鏑馬を奉納し神慮を慰む。是の時神礎を流鏑馬の石と定む。康平年中(1058~64)鎌倉権五郎景政遠征功なりて修理を加う。其の後、壘主上木平九郎代々祭行す。久寿(1154~55)、平治(1159)の比(頃)赤石城主三浦之介義明社殿を再建、日向原岸城大明神と奉称す。建保年中(1213~18)三浦之介義澄武運祈願の折之を修理す。殖木三所の明神にニ祠る。
 弘長四年(1264)鎌倉将軍宗尊親王の時、渕名の荘園領主藤原是員諸願成就の為、仝年二月境内に観音堂を建立。本地佛千手観世音菩薩、三月、十一面観音を祠り、流鏑馬の神事を催行。元弘、建武の乱に殖木氏戦陣に斃れ後絶える。観応二年(1351)十一月、貞治五年(1366)二月、秦氏、世上の安穏を祈願、多宝塔を建立。其の年十一月上杉民部大夫社殿を再建。近郷十九ヶ村の惣鎮守と定め、毎年九月十八、十九日流鏑馬の神事を行う。大永年中(1521~27)、赤石左衛門尉社殿を修復。元亀年中(1570~73)、由良家の臣、林伊賀守之を修理。然るに天正十五年(1587)上杉勢の兵火に悉く焼失。慶長十三年(1608)伊勢崎藩主稲垣平右ェ門之を再建。三夜沢より、井下氏を招き廟令と為し、本宮祭神五体左相殿、祭神五体右相殿、祭神五体三祠を含合、殖木三所大明神と奉称。元禄年中(1688~1704)、江戸、長尾四郎左ェ門、赤城山木城大明神の神号額を奉納。正徳元年(1711)、正一位の神極位を授けられ、赤城大明神と再号。其の後、上木長尾氏等の修復を重ねて、明治六年(1873)、村社、赤城神社となる。明治三十五年(1902)社殿を改築、明治四十一年(1908)下植木村内無格社を境内社として祭祠す。平成四年(1992)七月修復工事を施行す。

 宮殿の造立にあたって、山の一番美しく見える処が撰ばれた。水の流れて来る方向に神の存在を信じ、真夏の水田の水の熱さに生命の根源を肌で感じ取っていた。水稲耕作が入って来て、すでに九百年近く経っていた。経済力が増大し、政権が誕生して二百年が経過していた。まさに瑞穂の国の所以である。やしろは赤木ノ社と名づけられた。
 安閑天皇は継体天皇の第一皇子で、弟皇子が宣化天皇、第三皇子が欽明天皇である。百済の聖明王が日本の朝廷に仏像や経論を送ってきて佛教の信仰を勧めたのは欽明天皇十三年壬申の年(552)ともいう。これは仏教公伝の年であって、それよりも、ずっと以前から仏教徒は渡来人として渡ってきているはずである。
 安閑天皇を(勾大兄尊)宣化天皇を(桧隈高田尊)と申された。安閑、宣化天皇の部の民、桧前部一族は大陸からの新しい文化を持った人達で、特に養蚕、織物に指導的な立場で佐位郡一帯に住し、先住の人達と融合同化していった。正倉院御物用の袋の布に、佐位郡佐位郷桧前部黒麻呂の墨書銘がある。天平感宝元年(749)聖武天皇から孝謙天皇の御代になった年で、このことは(続日本紀)称徳天皇(孝謙重祚)の項にしるされている。(庸布一段)庸(糸や布で納める税)として貢進したもの。聖徳太子はこれよりさき六○三年に冠位十二階を定め、六○四年に憲法十七条を作成し、六○七年に改めて正式な遣隋使が送られた。その後八三八年(承和五年)まで、遣唐使が十三回も派遣された。目的は国際情報の入手と、文化の導入であった。
 保元、平治(1156、1159)の乱をきっかけに公家政権から鎌倉武家政権へと移行した。従来の価値基準が通用しなくなった。新しい鎌倉仏教は古代仏教の救いの条件を否定し、ひたすら、称名念仏を唱えることにより衆生は、すべて極楽に往生できる、と救いの対象を衆生に及ぼした。
 武家政権も徳川時代を最後に明治の維新の維新を迎え、政治的、社会的混乱を圣(経)て、明治新政府が誕生し、新しい心のよりどころが出現した。日清、日露の役により国威を宣揚、世界の列強に伍した。明治の価値基準の結果であった。
 昭和二十年八月十五日第二次世界大戦の終焉とともに再び価値基準が逆転し、主権在民いわゆる、民主主義国家として、高度文化国家の建設を標榜して今日に及ぶ。
 平成四年十一月吉日』
IMGK8107s.jpg
 拝殿正面。
IMGK8110s.jpg
 斜め。
DSCN1918s.jpg
 側面。
IMGK8037s_20120423203852.jpg
 殖木宮古碑殿。
DSCN1801s.jpg
『群馬県指定重要文化財 下植木赤城神社石造美術群 
 昭和三十五年三月二十三日 指定
 古碑殿内にある中央の宝塔二基と、左側の石幢一基が指定物件で、右側の宝塔には観応二年(1531)、左側の宝塔には貞治五年(1366)、いちばん左側の石幢には延徳二年(1490)のそれぞれ刻銘があり、造立は南北朝時代から室町時代初期のものです。形態はさまざまですが、基礎部の刻銘などにより、法華信仰がうかがえ、北方の天増寺にある「天増寺宝塔」(県指定重要文化財)とともに、当時、この地方に法華経に伴う信仰が広がっていたことがわかります。特に、貞治の宝塔の基礎部には「奉造立殖木宮石塔事」として願文とともに、織物と関係の深い秦姓の四人の名を刻んでいることなどが特徴です。
 平成三年八月九日』
DSCN1798s.jpgDSCN1796s.jpg
 延徳二年銘石幢と貞治五年銘多宝塔、観応二年銘宝塔。
 他に五輪塔十四基・宝篋印塔一基と書かれた看板もあったが、それらは文化財指定はされていないようだ。
IMGK8042s_20120423204528.jpg
 古碑殿の裏に富士浅間大神と御嶽神社・八海山神社・三笠山神社。
DSCN1915s.jpg
 境内際の三方には境内末社がずらりと並んでいる。
西
 豊木入日子命
 磐筒之男神
 素戔鳴尊
 木花之佐久夜毘売命
 神明宮  (祭神 大日孁尊)
 大物主命

 摩利支尊天(安永三甲午九月十二日)
 天之御中主大神
 飯玉神社 (祭神 保食命)
 愛宕神社 (祭神 伊弉冉尊・埴山姫命・天熊人命・稚産霊神・豊宇気毘売神)
 諏訪神社 (祭神 建御名方神)
 秋葉神社 (祭神 火之迦具土神)
 八坂神社 (祭神 素戔鳴尊・櫛稲田媛命とその御子神
          多紀理比売命 ・市杵島比売命・多岐都比売命
          天之忍穂耳命・天之菩卑能命・天津日子根命
          活津日子根命・熊野久須毘命)
 八幡宮  (祭神 比咩大神・誉田別命・息長帯比売命)
 榛名神社 (祭神 埴山毘売神・火産霊神)
 少名毘古那神社(祭神 少名毘古那神)
 金刀比羅宮(祭神 大物主命・崇徳天皇)
 大山祇神社(祭神 大山津見神)

 天満宮  (祭神 菅原道真公)
 鹿島神宮 (祭神 建御雷之男神)
 蚕影神社 (祭神 大気津比売之神・桧前部之黒麻呂公)
 上気野之君
 雷電神社 (祭神 大雷之神)
 猿田彦神社(祭神 猿田彦大神)
 稲荷大社 (祭神 宇迦之御魂大神・猿田彦大神・大宮能売大神)
 江ノ島弁財天(祭神 多紀理比売命・市寸島比売命・田寸津比売命)
 厳島神社 (祭神 田心姫命・市杵島姫命・湍津姫命)
 品陀和氣命
 疱瘡神社 (祭神 桃太郎・鎮西八郎為朝)

 以上で4月21日参拝分終了。
 使用機材はK-7にDA15mmとDA21mm、DA35mm Macro、FA50mm。COOLPIX P7100。
スポンサーサイト

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

まとめteみた.【赤城神社(宮前町)】

粕川に架かる天増寺橋の東に鎮座する赤城神社(伊勢崎市宮前町1582)。狛犬。参道の中央に駒留石。右側ずるに当時佐位郡一帯を支配していた檜前部君一族により、氏神赤木社として建

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
ブログ内検索
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
最近のトラックバック
FC2カウンター
プロフィール

梁瀬

Author:梁瀬
無駄な徘徊でCO2を増やす、
方向感覚に不案内なヒト

リンク
RSSフィード