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幸主名馬尊(五霞町幸主)

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 幸主農村公園の隣に鎮座する幸主名馬尊
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『幸主名馬尊の由来
 治承四年(1180)鎌倉、源頼朝公には、生唼(白馬)と、磨墨(黒馬)という二頭の名馬を持っていました。ある日、佐々木四郎高綱という若武者が「殿、一番乗りはこの私めがぜひ生唼をお与え下さい」と申し出たのでした。すると翌日今度は梶原源太影季という若武者が「いや一番のりはこの私めに磨墨を」と申し出たのでした。
 頼朝公は、あまりにもあっぱれな二人の姿に二頭の名馬を授けてしまったのでした。ご存知宇治川の先陣争いです。後に奥州平定にも活躍をし、その帰路ここ我が五霞村小福田の「する墨の池」に生唼、は幸主「池月」に立ち寄り体いやしてやったといわれていますが、生唼はとうとう力が尽き息をひきとってしまいました。
「鎌倉路する墨池の秋の月」との歌も残されています。先人は、生唼の冥福を祈り、名馬尊として拝殿を建て、毎年旧一月三月十九日を祭礼日として、かつてはにぎわったものだそうです』

 栃木県佐野市飛駒にも磨墨・生月の名馬伝説が残っていたりするが、あちらは二頭の没した地ではなく、生れた地とされている。尤も、飛駒ではなく千葉県北西部説の方が有力ではあるらしいけど。
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 拝殿内部。
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 裏に回ると石塔があるが、こちらが名馬尊の御本体なのかな。そして石塔の前の石仏は馬頭観音だろうか。
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 名馬尊拝殿前には道路に面して庚申塔や青面金剛などが並んでいる。
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 元禄十三年(1700)十月と延宝四年(1676)二月の青面金剛。
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 青面金剛の裏には名馬尊拝殿側を向いた六地蔵。
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 名馬尊の東隣に薬師堂と本田薬師堂集会所。
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