友田浅間神社(大平町富田)

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 友田山の採石場に鎮座する友田浅間神社(大平町富田)。登山口と言うか入口と言うか、鳥居のあるのはこちら
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 忠魂碑と電燈建設記念碑。
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 参道を上って行くと、眼下に広がる採石場。
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 一種異様な光景ではある。
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 鳥居。
 平成十五年二月の建立。
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『友田浅間神社建設記念碑
 明治四十年(1907)、友田山山頂に、白山神社を合祀した浅間神社社殿が造営された。
 浅間神社が祀られた友田山は、標高百メートル程度の山ではあったが、県立自然公園太平山をはじめ、晃石、馬不入、岩船の山々を背にし、関東平野を一望できるところに位置し、西には遠く富士山、東にが筑波山の雄姿を望み、近くは町を東西に走るJR両毛線、南北に走る東武鉄道をはじめ、日立製作所栃木工場、いすず自動車栃木工場を含む大平の街並み、それらを取り囲む先祖伝来の緑豊かな田畑、ぶどう団地などの田園風景が眼下に広がる眺望には素晴らしいものがあった。
 浅間神社を祀る氏子戸数は四十有余。春、夏、秋には、家内、地域の安全、五穀豊穣等を祈願しての例大祭を祭祀して来た。
 この浅間神社も長年風雪に耐えてきた社殿の老朽化がはなはだしく、再建の必要性が取りざたされてきていた。
 一方、平成五年、友田山開発工業株式会社が設立され、友田山の開発計画が示された。この計画に鑑み、神社再建について氏子一同による数度の会議を経て、社殿之再建余儀なしとの合意を得た。
 合意に基づいて神社建設委員会を設立し、友田山開発工業株式会社の協力を得て、平成十二年四月、新しい浅間神社完成の運びとなった。なお神社新築のための用材には、先祖が神社境内に植えておいた樹木を使用した。
 友田浅間神社の新築に当たり、幾久しい地域の平和と発展、氏子の益々の健勝を祈念して、ここに碑を建立する。
 平成十二年四月吉日』

 5月19日追記:「寺社方書上帳」の慶長十七年(1612)の条に記されていることから、創建自体はそれ以前になるものと思われると「栃木県神社誌」に記載あり。
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 合祀記念碑と食行身禄霊神。
『合祀記念之碑
 従三位勲四等子爵戸田忠友篆額
 國幣中社二荒山神社禰宜大和田茂教謹撰并敬書
下野太平山南麓富山邨富田之西郊友田有古神祠二社一為白山一
為浅間祠宇狭小而異地経年久遠事蹟不詳相傳白山神社者土人岩
崎某所創建浅間神社者里民若干人所遷座云舊有圭田若干明治之
初年悉上地爾来無一物之可充*1資者信徒亦僅數戸殆困維持神職
信徒深憂之相謀相議具情状於官請原地特賣以為社有財産相尋申
請両社之合祀官審檢實境亡幾被允許乃奉遷白山神社之神靈於浅
間神社之殿内永遠奉崇以為同座之神矣實明治四十年八月廿九日
也其為地也郊外數百歩突起平疇崇田之間松杉林蔚山不太高四面
開豁北背晃石太平之両山西顧岩舩三毳之峻嶺東遠仰筑波南遥瞻
望冨嶽於雲烔縹眇之上亦可謂靈境也今也社殿改築成茲建珉石*2
略叙其事由併列記神職及信徒之姓名於碑陰以為後昆之紀念云爾』
 *1は「癶」の下に「示」。祭か発の異体字だと思うけど、どうだろ。
 *2は「月」+「丣」
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 建設記念碑の前に鎮座する石祠。何神社だろう?
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 拝殿。
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 狛犬。
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 社殿左側にも石祠。これまた何神社なのか不明。
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 神輿庫だろうか。
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 標石に聖徳太子と刻まれているので、聖徳太子堂なのだろう。
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 左を向くと砕石機。
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 少し引いた距離から砕石機全景。
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