八幡宮(岩舟町新里)

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 八幡山の裾野に鎮座する八幡宮(下都賀郡岩舟町新里1511)。
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 社殿。
『明治四一年九月三日、無格社稲荷神社・神明宮・熊野神社・雷電神社・太部神社を合祀した。当社の御祭神・誉田別命は身体健全・学問成就の神として氏子達の崇敬篤く、例祭には厳粛かつ賑やかに祭典が斎行されている。拝殿・手水舎(大正五年)・明神鳥居(昭和三年一一月一○日)等は、氏子の奉納によるものである』(「栃木県神社誌」より抜粋)
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『舌代
 本宮は、明治四年十一月当初の大工棟梁池田秀蔵と、佐野天明宿御宮師大澤長久両氏の手により、四年間と言う長い歳月を経て明治八年四月に完成せしこと。並びに明治十一年九月に内務省の許可を得て稲荷神社を始め、五神社の合祀が行なわれたことを附記しておくと共に、この調査に御協力を頂いた各位に厚く御礼申し上げるもの也』
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『「八幡宮」と「夫婦杉」の由来
 今を去る約八百年の昔、この地の山麓に多くの人の住む集落があり(現在西山溜と呼ばれる池もその名残)、そこに暮す人達は神仏への信仰の念厚く、ここに村檜神社より第十五代応神天皇(諱は誉田別命)を分祀してこの山懐に「八幡宮」と境内社として厳島神社の建立に至り、以後この山を八幡山と称して、多くの字民の親しみの手で守られて来た。
 時移り明治四年(1871)太政官により廃仏毀釈の布令がなされるに至り、神道謳歌の気風が高まり、総欅造りの後世に誇り得る立派な本殿の落成を見るに至った。
 奇しくも、時を同じくして桧の木立の中に二本の杉の若芽が萌え出ですくすくと育ち、やがて幹が融合するに至り、此れぞ正しく神の賜りし、夫婦円満至福の御神木として、善男善女の深く敬愛する所となった。
 自今この木を「夫婦杉」と命名し、大字の安寧と繁栄を見守りあらんことを請い願うものである。
 平成十年十月吉日』
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 稲荷神社と石祠九基(前列七基、後列二基)。
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 厳島神社と石祠、庚申塔。
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