星宮神社(野木町潤島)

IMGS0153s_20131022205806bc0.jpg
 JR東北本線No.80星の宮踏切のすぐ東側に鎮座する星宮神社(下都賀郡野木町潤島610)。
IMGS0201s.jpgIMGS0194s_201310222058039f1.jpg
 参道左手側に沿革碑と力石。
『星宮神社沿革碑
當星宮神社は掛けまくも恐き磐裂神根裂神を齋き祀る御社なり古記録の傳る所に依れは天正十一年(1583)閏島村開基の時勧請し其後享保十九年(1734)二月十五日通稱星宮家と稱する新井助太郎氏の祖と時の自性院大雲寺住職と共に京に上り正一位の宗源宣旨を奉戴したるものと傳ひ爾來大祭日には今尚星宮家にて幣帛を奉るを例とす大祭は九月十八十九日の兩日なり明治維新の際太政官布達により神佛混合を禁せられ野木神社社司海老沼友喜同社掌熊倉多作の兩氏兼務せしが大正六年(1917)熊倉氏辞任大正十一年海老沼氏歿後子息忠雄氏代りて兼務せしが昭和十二年(1937)同氏歿後間々田八幡宮社掌栗原政次氏現に兼務社掌たり明治五年(1872)村社に列せらる明治四十年(1907)八幡宮雷電神社嚴島神社愛宕神社天満宮須賀神社を合祀し奉る現在境内四百六十五坪不動産は田三反一畝十三歩畑二町五反三畝歩内田七畝十一歩は元官有溜地なりしを明治二十三年(1890)時の氏子總代針谷徳左エ門須田鎌三郎新井覺之進の諸氏隣地主新井藤吉氏の名義を以て拂下け爾來祭田と称し年々其耕作米にて神酒を醸し大祭に神饌に供す同氏歿後神社名義に更め社地となす畑二反三畝歩は八幡宮跡地畑三反八畝十二歩は雷電神社跡地なり時の社掌海老沼熊倉兩氏氏子総代新井鐵次郎須田奥次青木三七蔵諸氏の是に関する努力少からす畑一町一畝十歩は大正三年(1914)官有地を拂下く社掌兩氏と氏子総代須田営重郎針谷音藏須田清右エ門諸氏の想像以上の努力の結果無償社地となりたるものなり田二反四畝二歩は元官有溜地なりしを大正十年(1921)耕地整理施行の際時の區長新井助太郎村會議員須田栄藏委員青木吉右エ門諸氏の奔走努力により無償社地となる畑銃八歩は須田義氏の献地なり茲に皇紀二千六百年奉祝記念事業として社号標建設に當り當社の沿革の大畧を記し後世に傳へんとす
 瀬端三樂謹書』
IMGS0166s.jpg
 拝殿。
 神仏判然令施行以前は虚空蔵菩薩を本尊として祀っていたことから、この辺りでは鰻を食べないと言う風習が残っているのだそうだ。これは鰻が虚空蔵菩薩の眷属であるからなのだが、このような地域はあちこちに見受けられる。
IMGS0167s.jpgIMGS0169s.jpg
 文化二乙丑年(1805)九月造立の狛犬。
 吽像の方は頭頂部にモヒカンと言うかトサカのような突起が、阿像の頭頂部には小さな突起ある。また、どちらもドリルのような尻尾が特徴的だ。
IMGS0172s.jpgIMGS0173s.jpg
 別角度で。
IMGS0189s_201310222148159ed.jpg
 社殿斜めから。
IMGS0175s_2013102221481411b.jpg
 稲荷神社。
IMGS0186s.jpg
 末社殿。
 天満宮、愛宕神社、須賀神社、八幡宮、厳島神社、雷電神社の六社が合祀されている。
IMGS0203s.jpg
 御神木……かな?
IMGS0145s.jpg
 庚申塔と青面金剛。
 左の青面金剛は享保元丙申年(1716)九月、右は延宝八庚申年(1680)霜月の造立。右端の庚申塔は萬延元年(1860)庚申十一月の造立。
IMGS0137s.jpg
 遠景。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
ブログ内検索
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
最近のトラックバック
FC2カウンター
プロフィール

梁瀬

Author:梁瀬
無駄な徘徊でCO2を増やす、
方向感覚に不案内なヒト

リンク
RSSフィード