白玉稲荷神社(中央二丁目)

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 青梅街道と山手通りが交差する中野坂上交差点の北に鎮座する白玉稲荷神社(中野区中央2-8-24)。
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 二の鳥居と本殿。
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 お狐さま。
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 旧石鳥居。
 柵で囲まれているので隙間から魚眼ズームで撮ってみたが、かなり苦しい。
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 昭和三十三年(1958)二月造立のお狐さま。
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『白玉稲荷神社の鳥居
 白玉稲荷神社は、もとは宝仙寺境内にありましたが、明治維新後の神仏分離の際に、ここに分社され、以後、この地であがめられてきたやしろです。
 この石の鳥居には、「奉納 歳豊饒 小下中」「明治十四年己十月」、そして願主として浅田甚右ヱ門以下五十人の氏名が刻まれています。
 青梅街道に面した家いえは江戸時代末期、半商半農の生活を営んでおり、問屋場の置かれた街道筋には人家も多く、村内は上・中・下の三宿にわけられていました。鳥居に刻まれた「小下中」というのは、下町をさらに大・小にわけたうちの小下組中という意味で、この近辺が小下に属していたのでしょう。この文は、浅田澱橋氏を介し、明治の初め頃の漢学者 南摩綱紀の依頼によって成瀬大域が書いたもので、その書風は、区内の金石文の中でも風格のある名筆といわれています。
 この鳥居に刻まれた金石文によって、地名の移り変わりがわかるとともに、この地に住んでいた有力者たちの姿を想像することができます。
 昭和五十八年三月』
 明治十四年(1881)の干支は辛巳なので、己ではなく巳が正しいわけですネー。
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