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鹿嶋神社(八千代町野爪)

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 鹿嶋神社(結城郡八千代町野爪430)の一の鳥居。
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 参道左手側に八龍神社。
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 参道。
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 平成二十五年(2013)七月造立の狛犬。でかい。
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『鹿嶋神社とその文化財
 鹿嶋神社は、平安時代初期の大同元年(806)に藤原鎌足の後裔藤原音麿によって、常陸国一の宮の鹿島神宮の神霊が、当地に分祀されたのに起源する。
 鎌倉時代以降、結城家代々の尊崇を受け隆盛をみるが、度重なる戦乱や天災に遭遇し、社殿喪失の憂目をみている。しかし、結城家一族や地域の人々の信仰に支えられ、また当神社の神官の献身によって再建され今日に至って居る。江戸時代には、真壁郡下十六ヵ村の郷社として崇拝されてきた。当神社の歴史的社会的役割は、幕府からも高く評価され、慶安元年(1648)の家光将軍からの発給を初めとして、合わせて九代の将軍から朱印状が授与されている。
 当神社は創建以来、祭祀の場にふさわしい静寂な神域を保持し来たり、社殿も整備され数々の社宝が伝承されてきているが、それらの中から、これまでに次のものが、八千代町文化財の指定を受けている。

指定第二号(工芸品)銅鋳製鈴一口
 延文二年(1357)の銘があり、祭祀に際し神霊を振起させるための神具である。
指定第二七号(史跡)鹿嶋神社境内及び木立地一円
 創祀以来の清麗な神域が今日まで残されている。
指定第二八号(建造物)鹿嶋神社本殿一宇
 天明三年(1783)の再建であるが、雄渾な三手先斗栱の組物や精緻な装飾彫刻が各所にみられる。
指定第二九号(彫刻)随身像二軀
 製作技法や立纓などから室町時代の作とみられる森厳な坐像である。
指定第三○号(古文書)朱印状九通・朱印地絵図二面
 九代の将軍の朱印状が完全な状態で保存されていて、貴重である。
 平成六年三月』
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『常陸国十六郷総鎮守 鹿嶋神社御由緒
一、御祭神 武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比咩大神
一、由緒沿革
 当社の創建は古く、奈良朝時代と云われている。社伝によると平城天皇の御代、大同元年(806)大織冠藤原鎌足公の苗裔藤原音麻呂、常陸国一の宮鹿嶋神宮の御分霊を迎へて之の地に奉斎し子孫代々祀事する。承平五年(935)五月平将門の乱の兵火により社殿炎上する。将門記にある野本の戦いは即ち之である。
 永享十二年(1440)結城合戦の折にも社殿炎上した、然るに結城城主は代々当社を崇敬すること殊に厚く十一代氏朝公は直ちに小川城主小川弾正又五郎を作事奉行として宝徳二年(1450)社殿を再建造営し、奉謝の誠を捧げた。
 安永元年(1772)八月大風災により社殿大破に及び安永七年(1778)起工、寛政元年(1789)九月竣工正遷宮を厳修する現存の本殿は之である。
 慶長十九年(1614)徳川家康公は伊奈備前守に命じて当社の由緒を調閲せしめ寄付地を寄進せられた。次いで慶安元年(1648)八月三代将軍家光公は神官大久保治部守藤原政植の時代、御朱印地社領石高十五石を寄進せられた。以後代々の将軍も先規に任かせ社領を寄進され、その御朱印状判物等今もって現存する。
 寛永二年(1625)二月神祇官は正一位鹿嶋大明神の神位を進奉せられた。
 明治以前は社中境内七千七百坪を有し十六郷総鎮守旧郷社として近郷の信仰の中心であった。明治四十年(1907)七月川西村神餞幣帛料供進神社として縣より指定される
一、境内社
 別雷神社  稲荷神社  息栖神社
 八幡神社  大山祇神社 大杉神社
 三日月神社 天神社   十二所神社
一、祭日
 元旦祭  正月元旦  節分祭 二月三日
 神武祭  四月三日  夏越祭 七月三十一日(輪くぐり)
 祇園祭  八月一日  七五三祭 十一月十五日
 御化粧式 十一月二十一日~二十三日夜
 秋季大祭 十一月二十四日 太々神楽』
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 二の鳥居。
 左手側に聳えているのは夫婦杉。
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 手水舎と……手前のこれはなんだろう?
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 祓戸乃大神。
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 手水舎の横には改修記念碑が建てられている。
『常陸国十六郷総鎮守 鹿嶋神社平成の大改修事業記念碑
 鹿嶋神社の創建は古く奈良朝時代と云われている。社伝によると大同元年即ち第五十一代平城天皇の御代、常陸国一の宮鹿島神宮の御神霊を藤原音麿公がこの郷に奉斎し、当地方発展の基を築きました。降って承平五年平将門の兵戦にあって社殿炎上、さらには永享十二年結城合戦の折にも戦のちまたとなり社殿記録等を焼失してしまいました。しかし、結城十一代城主氏朝公は神威をおそれて直ちに社殿を再建造営し奉謝の誠を捧げましたことは歴代城主の尊崇のいかに篤かりしかを物語るものであります。
 爾来十六郷総鎮守として、徳川三代将軍家光公より以下代々将軍の代る度御朱印地十五石を寄進され、諸産業、安産守護の霊験あらたかなりとして年々神徳隆盛をきわめて参りました。
 此度本殿をはじめ随神像、御朱印状、唐鈴境内地等が八千代町の文化財並びに史跡として指定を受け今更ながら当社の歴史の重みを感ずる次第であります。然るに近年社殿の老朽化が進み憂慮に堪えず、ここに平成の大改修を計画し拝殿の一部増築並びに屋根銅板葺に改修し大神の神威と祖恩に応えんと奉賛の会を起し、広く氏子崇敬者にその意を訴え浄財をえて、今日その事業を完成しこの豪壮華麗な社殿を永く子孫に伝えるべくここに記念碑を建立する。
 平成八年三月吉日』
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 三日月神社。
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 拝殿。
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 本殿。
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 末社群。
 左から不明(社名は刻まれているが御幣で隠れていて見えない)、十二所神社、合祀社(大杉神社・大山祇神社・八幡神社・愛宕神社・息栖神社・稲荷神社・別雷神社)、影向石、天満宮。
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 境外には伊賀神社。
『伊賀神社御由緒
一、御祭神 鹿嶋神社神官 大久保伊賀守藤原政重命
一、御創建 昭和三年(1928)十一月二十一日鎮座 氏子崇敬者の浄財により奉建する。
一、御神徳 神道の修行に励み諸神秘の極意を究め特に安産、疳虫除、水子供養の守護神として信仰されている』
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