八幡神社(大宮区大成町一丁目)

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 国道17号中山道大成一丁目交差点南西に鎮座する八幡神社(さいたま市大宮区大成町1-205)。
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『八幡神社由緒
鎮座地 大宮区大成町一丁目二○五番地
祭 神 誉田別命 伊弉冉尊 天照大御神
    素盛嗚尊 大物主命 大雷神
    倉稲魂命 日本武尊 菅原道真
沿 革 明徳年間の御草創と伝うれど御創立の年代詳ならず。古く大成村金子駿河守の知行なりしによりその居城大成城の鎮護として自らの甲の八幡座を鎮め八幡神を勧請して当神社を鎮斎せりとも伝う。近郷士農衆庶の尊崇篤く遠くは宝暦八年(1758)十一月社殿を改築、近くは今上天皇皇位御継承大典の年社殿を修理し社務所を新築す。
 昭和三十年十月八幡神社奉賛会設立せられ昭和三十三年六月工を起こし拝殿、鳥居、手水舎、掲示板を新設。社殿外宇社務所等を移転、修営し昭和三十四年四月十五日竣工す。
 平成十九年春季例祭日』

『八幡神社 御由緒
さいたま市大宮区大成町一-二○五
□歴史
 創建は社伝によると、明徳年間(1390~94)のことである。また、後に当地を領した金子駿河守がその居館である大成館の鎮護とするため南方に自らの兜の八幡座の座金物を鎮めて八幡神を勧請したものと伝える。なお、この折、境内地がなかったので、しばらく氏子の村田知之家に八幡神を祀ったといわれる。
 江戸期、別当は『風土記稿』に「八幡社 金乗院持」とある。金乗院は、旧上加村万福寺末の真言宗の寺で、本尊は不動明王である。
 神仏分離は、明治初年に行われ、同三年(1870)の『大宮組合神社詳細取調帳』によると、住僧は復飾して中村章因と名乗って神職となり、復飾料として「持添ノ公田五畝十二歩」が与えられている。
 『明細帳』によると、明治四十年(1907)に当社すなわち「大成字前原耕地無格社八幡社、同境内社御嶽社、八雲社、天神社、神明熊野琴平合社、稲荷社、琴平社、雷電社」が、大字上加字宮腰に鎮座する氷川社(日進神社)に合祀された。
 しかし、昭和二十七年(1952)に氏子の熱望により合祀解除が行われた。この時、宮司は、神輿と共に日進神社に参り、八幡神の御幣束の返却を受け、これを神輿に奉安し、先祓いの後、静々と当社に帰って来た。境内には数多くの行灯が並べられ、氏子たちは恭しくこれを迎え、盛大な還御祭を斎行した。
□祭神
 誉田別命
□祭祀
 元旦祀(一月一日) 春祭り(四月十五日)
 夏祭り(八月一日) 秋祭り(九月十五日)』
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 拝殿。
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 拝殿内部。
 幣殿には随神が控え、その奥に本殿が見える。
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 壁に掛けられた能楽面。
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 境内社。
 何神社なのかはわからないが、瓦には波間から太陽が出ている図柄と右三つ巴紋が見えるので、こちらも八幡社なのかな?
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 隣には富士塚があり、その頂に浅間神社。
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『御神木「雨乞いの黄楊」
社伝によると、宝暦乃時代「祭事」として「雨乞い神事」を八幡神社氏子達は毎年夏季に入ると豊作を願い行っていた。即ちその時代は降雨少く旱魃が多かった為、氏子達は藁で龍を作り龍神様に「雨乞い」をし地域の五穀豊穣を祈願したものである。時恰も宝暦八年(1758)八幡神社は大改築の工事を実施中であったが「雨乞い」神事を実施し降雨をみた為神社改築工事竣工と雨乞い神事を記念して本黄楊を植樹し現在に至ったものである。樹齢約二百三十年位と推定される。
 平成十九年春季例大祭日』
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