日進神社(北区日進町二丁目)

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 日進公民館の東隣に鎮座する日進神社(さいたま市北区日進町2-1194)。
 鳥居の脇には案内板が設置されている。
『大宮市指定無形民俗文化財 日進餅つき踊り
 指定  昭和三十四年二月四日
 祭礼日 一月一日
 除夜の鐘が真冬の寒気の中を響きわたる頃、日進神社の境内は初詣の人や、餅つき踊りを見学する善男善女で大変な賑わいをみせます。
 餅つき踊りは「接待餅」とも呼び、かつては村内での祝い事には随時踊られたものです。そのはじまりは江戸時代に中山道の伝馬夫役に出た若者達が通行する大名や武士たちの宿で、旅の慰安と接待を兼ねて餅つきをしたことがだんだん芸能化していったものだといわれています。
 ふかした餅米を頭上にかかげた者を先頭にして、大ぎね・小ぎねをもった者が木遣歌を歌いながら入場し、つづいて総勢で音頭に合わせ餅米を練りあげ、こね取り一人と中ぎね四人が呼吸を合わせて一気に餅をつきあげます。この真鉦搗で餅つき踊りが始まります。豊作を喜ぶ豊穣の曲搗き、丹頂鶴が飛び立つ様子でめでたさを表現した瑞祥の曲搗き、そして日露戦争の勝利を機に編曲した戦勝を祝う感謝の曲搗き(大勝利の曲搗き)へと搗き手を変えながら激しい踊りを披露していきます。
 搗きあがった餅は参拝者にふるまわれ、この餅を食べると今年一年を健康に過ごせるといわれています。
 平成元年三月』
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『日進神社 御由緒
□歴史
 当地は鴨川左岸の大宮台地に位置し、東に切敷川の低地が、西に鴨川の低地がある。中世ここは「加村」と呼ばれ、江戸初期これが分村し、「上加村」「下加村」となった。
 鎮座地は、上加村南方に当たるばかりでなく、分村前の加村中央に位置している。境内は、明治期編纂の「郡村誌」によると、「宮の腰林」と呼ばれ、杉・松・樅などの雑木に覆われていた。また、境内南西側は大宮台地の崖となっており、ここからは「出居」と呼ばれる清冽な湧水がある。この水は、近年まで天水場である当地の貴重な水源で、上下加村五町歩の水田を潤して鴨川に注いでいた。
 創建は、中世、武蔵一宮氷川神社の大神を勧請したことによる。当初の祭祀は、境内の湧水を源とし、五穀豊穣を祈るものであったと伝える。
 別当は、「風土記稿」によると、真言宗満宮寺で、当社境内南東側にあった。同寺は、明治初年に廃寺となった。
 本殿は一間社流造りである。本殿基壇石には、明治十二年九月、石垣寄附連盟として押田幸左衛門ほか三四名の名が刻まれている。
 「明細帳」によると、明治六年に村社に列せられ、同四十年、日進村に鎮座する四六社を合祀し、社号を氷川社から村名を冠した日進神社に改めた。
□祭神
 ・素戔嗚尊
□祭祀
 ・歳旦祭(一月一日)  ・春祭り(四月四日)
 ・夏祭り(七月十五日) ・お日待(十月十五日)
□伝統芸能
 「餅搗き踊り」は、江戸時代、中山道往来の大名や武士の旅の疲れをいやし接待を兼ねて行ったことに始まる。このため「接待餅」ともいわれる』
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 拝殿。
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 昭和六十年(1985)五月造立の狛犬。
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 北西側から。
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 門客人神社と稲荷神社の合祀社。

 以上で2月22日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA20-40mm。K10Dに50-150mm II。
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