鷲神社(緑区南部領辻)

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 真言宗智山派阿日山宝袋寺総持院の北側に鎮座する鷲神社(さいたま市緑区南部領辻2914)。
 自分は総持院橋から総持院の横を通って行ったのだが、道幅が狭いので、鷲神社の北にある五斗蒔橋から向かった方が楽かも知れない。道が狭いのは変わらないが、大通りからの距離が短くて済む。駐車場と言うほどのものは無いが、駐車できるスペースは神社裏と鳥居の傍にある。
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『南部領辻の獅子舞
「南部領辻の獅子舞」は、別名「竜頭の舞」とも言われている。今から900年ほど前、武将で笛の名手である新羅三郎義光(源義光)が、兄の八幡太郎義家(源義家)を助けるために奥州に下向した際、軍兵の士気を鼓舞するために行われ、鷲神社に奉納したものを土地の者が習い覚えて、今日に伝えたとされています。
 獅子舞の一行は、鉾を持つ天狗を先導に、弓持ち、御幣(御守り)を持つ世話人と続き、花笠を付けた笛方の二人とささらを受けもつ二人、その後ろに太夫獅子、女獅子、中獅子の三頭の獅子の一団で、計10人で成り立っています。
 舞は、鷲神社の拝殿の前、二間四方の四隅の竹に注連縄を張った中で行われます。女獅子、中獅子、太夫獅子の順に舞うが、それは「竜頭の舞」の名のとおり、竜が天を舞うように、また地を這うように、華麗で激しい勇壮な舞です。
 一時は県の無形民俗文化財に指定されたものの、昭和44年5月が最後の舞になってしまいましたが、平成11年に改めて「辻の獅子舞保存会」が組織され、翌年の平成12年10月15日、鷲神社への奉納の舞が行われました。平成15年4月には、古い歴史と勇壮な舞が認められて、さいたま市の無形民俗文化財に指定されました』

 掲示板に貼られたポスターを見ると、来月の11日日曜日午前10時から獅子舞が奉納されるようだ。その後午後1時から村回りとも書かれている。
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『さいたま市指定有形民俗文化財 南部領辻の獅子舞獅子頭、衣裳及び道具類
 平成四年三月二十五日指定
 天狗、弓持ち、お守り持ち、笛(二人)、簓(二人)、太夫、中獅子、女獅子の十人分の衣裳及び道具類からなります。笛方、簓方が被る花笠(オゼン)の一つには、明和五年(1768)に岩槻の林藤町で作ったことが墨書されています。獅子頭をはじめ弓や天狗面に至るまで、制作は優れており、激しい舞にもかかわらず、良好な保存状態を保っています。
 なお、これらの衣裳及び道具類を納める長持及び長持覆い一式が付けたり指定となっています。

 さいたま市指定無形民俗文化財 南部領辻の獅子舞
 平成十五年四月三十日指定
 この獅子舞は、八幡太郎義家の弟、新羅三郎義光が奥州へ兄を助けに向かう途中、兵士の士気を鼓舞するために舞ったものを、土地の人たちが習って伝えたものと言われます。
 いわゆる「三頭一人立ち」の獅子舞で、毎年五月と十月に鷲神社に奉納されるほか、五月の奉納後には地域を回り、氏子の庭先でも舞われます。地域の「厄払い」のために舞われるという本来の姿をよく伝える獅子舞で、太夫(大獅子)を中心にした三頭の獅子が勇壮に舞います。
 平成十五年十二月』
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 参道。
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 参道の両脇に手水舎。
 おそらくは左の手水舎が鷲神社元来のもので、右の手水舎は稲荷神社が合祀された際に移されたものではないだろうかと推測。
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 右の手水舎の水盤には狐の彫刻が施されており、また側面には「明治三庚午年(1870)清明元辰」と刻まれている。ちなみに左の手水舎の水盤は元治元甲子年(1864)十一月の造立。
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 拝殿。
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『鷲神社 御由緒
 さいたま市緑区南部領辻2914
□御縁起(歴史)
 当社は奥州街道(後の日光御成街道)の西、やや奥まった所に鎮座している。その社叢は市から「ふるさとの森」に指定されており、市民の憩いの場として親しまれている。
 社伝によると、平安期、兄八幡太郎義家を援けんと、新羅三郎義光が奥州街道を下向する途次、当地において奇瑞を感じた。そこで神楽を奏上し、跡地に祠を建てて鷲明神を奉斎したという。
 本殿には、翼を広げた鷲の背に立つ鷲大明神像と鏡が安置されている。神像の底面には「明和八辛卯歳(1771)霜月 □□□□四郎 別当惣持院法印恵快代」と記され、また、神鏡の台座の底面部には「嘉永六丑年(1853)三月 別当阿日山惣持院十四世現住職法印覚□謹誌」と記されており、江戸期、別当惣持院が当社の祭祀を司ってきた様子の一端を伝えている。ちなみに、当社の南方二○○メートルほどの所にある惣持院は真言宗の寺院で、寺伝では天正五年(1577)五月に開山良秀が入寂したとされる。
 「風土記稿」は辻村の神社について「鷲大明神社 村の鎮守なり、惣持院持なり、稲荷社二宇 雷電社 以上三社村民持」と載せる。
 当社は、明治六年(1873)四月に村社となり、同四十一年(1908)十月に字西原の雷電社と字原山の稲荷社を合祀し、更に同年十一月には字辻の稲荷社を合祀した。
□御祭神と御神徳
 日本武尊・・・武運長久、厄除け、縁結び
□御祭日
 村祈祷(現在五月中旬) お日待(現在十月中旬)』
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 本殿。
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『鷲神社碑銘
鷲神社舊南部領辻村之鎮守也地勢爽塏西南田野
遠開遥對冨岳西北望秩父連山風光頗佳社殿広壮
老樹蒻欝使人深起敬虔之念神苑廣寛千有六十九
坪明治四十二年三月陸軍大臣寺内正毅献日露後
戦利品以為紀念其四十二年改造拜殿■瑞垣合祀
神社賜其地壹段貮畝拾■歩其四十五年準指定神
社神饌幣帛祭之大正三年十月献金賜國有林六段
五畝拾歩社財益加神徳赫々凢水旱疾疫有祷必■
爲信徒敬神之厚真可感也因録貞珉以傳■昆銘曰
 辻村庶民 至誠敬神 神徳益顕 霊域維新
大正六年歳次丁巳二月十一日』

 基本的にはきちんとした文字で刻まれているのに、所々で崩し字になったりするのは何故なんだろう。読めないじゃないか。
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『合祀記念碑
我辻郷往時属南部氏領域分立原山及辻廓之二部各祀稲
荷社神人自不相和識者憂之久矣明治四十一年十二月合
祀兩稲荷社鷲神社境内原山稲荷社出金三百三十四圓辻
稲荷社出金百八拾六圓以充其費殘餘金百七十圓編入本
社基本財産仝年四月改築拜殿及瑞垣其工費金千八百圓
至同年九月竣工甍字嚴然神徳如高於是乎闔郷驩虞弊習
頓革焉大正十二年四月以當合祀十五週年氏子胥謀醵金
百五十圓購花剛石敷稲荷社庭前以表尊信之意乃建一小
碑叙其梗概以告後昆
大正十二年五月十五日』
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 合社殿。
 左から不明、大六天、稲荷社、水神宮、空、大黒天・布袋尊像、大黒天・布袋尊像。
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 稲荷合祀社。
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 二つの稲荷社が収められているが、その祠の中に仏像らしきものが見える。左のものはさっぱりわからないが、右のものは荼枳尼天だろうか。
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 鳥居の傍にも建物があるが、中はからっぽだった。おそらくこちらが由緒書きに記されていた雷電社なのだろうと思うのだが、どうなのだろう。
 雷電社(?)の前に踏石があるが、これはなんと力石。
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 踏石にされている力石。「奉納力石三十二■ 辻村」の文字が読み取れる。この二つの他にも傍らの木の根元に半ば埋まるように置かれている力石もあった。
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 以上で4月12日参拝分終了。
 この日はそれ程歩いた気はしなかったのだが、ウォーキングカウンターの表示は18,855歩。
 使用機材はK-5IIsにDA15mmとFA50mm F1.4、DA20-40mm。Coolpix P7100。
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