愛宕神社(原市)

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 上尾市役所原市支所と上尾市立原市小学校に挟まれた位置に鎮座する愛宕神社(上尾市原市3532)。
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 二の鳥居。
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 拝殿。
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 力石と案内板。
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『愛宕神社の力石
 力石とは、力試しに用いられた大きな石のことである。
江戸時代から明治時代まで鍛錬や娯楽として、力石を用いた「力比べ」が盛んに行われていた。労働を人力に頼っていた時代は「力」は重要なものであり、米一俵(約六十キロ)を持ち上げられるようになって、はじめて一人前とされた。
 また、占い石ともいわれ、持ち上げた時に重いと感じるか、軽いと感じるかによって、吉凶や願い事の成就を占うことがあった』
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『愛宕神社の御神紋 二圓内右廻り三つ巴の圖
 外圓はイザナギ神様を 内圓はイザナミ神様を現はす

 当神社は、慶長三年(1598年江戸時代初期)の創建となっています。
全国に御分社八○○余社を有し、防火・火伏せの神として強い信仰を集め崇敬されている。
「愛宕さん」の総本宮は、京都市右京区嵯峨愛宕町の愛宕山の山頂に鎮座し、京都に都があった明治以前には、東は比叡山、西は愛宕山が王城守護の神とされていた。
江戸城の場合は、東が東叡山寛永寺であり、西は京都の愛宕山を勧請した愛宕山が幕府守護の神とされた。
 原市は、古くは吉野領原村に属し、地内の通り(県道大宮菖蒲線)に市が立ったことにより町並が形成され、この地名が生じた。
 当社は、この古い町並から東へ二○○メートルほどの「観音山」と称する小高い丘の上に鎮座している。かつて観音山には、牛馬に疫病が流行した際、当地の人々によって祀られた観音寺があった。同寺は現在の当社の境内辺りにあったといい、「観音山」の名称も、同寺に由来するという。神仏分離後、観音寺は宝蔵寺境内に移され、当社は、明治六年(1873)四月に愛宕神社となる。
 当社の本殿内には、厨子に文政二年(1819)銘のある勝軍地蔵像が安置されている。

愛宕神社の御祭神
 本社  雅産日命(ワクムスビノミコト)生産水の神
     埴山姫命(ハニヤマヒメノミコト)土の神
     伊邪那美尊(イザナミノミコト)
     天熊人命(アメノクマヒトノミコト)稲司の神
     豊受姫命(トヨウケヒメノミコト)五穀の神
 当神社 阿遇突智神(カグヅチノカミ)火の神
     勝軍地蔵(ショウグンジゾウ)

 愛宕山は勝軍地蔵を本尊としていた。
勝軍地蔵は地蔵信仰のひとつで、幽冥界と現世との境界に立って人々を守り外部から都へ侵入する疫神・疫病を防いでくれるという菩薩である』
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 本殿裏から。
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