氷川神社(平塚)

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 平塚公園の北端に鎮座する氷川神社(上尾市平塚1514)。
 由緒書きには境内地の一部が平塚公園となっていると書かれているので、公園の中に神社があると言うのは正しくないのかも知れないが、面積的には圧倒的に公園部分の方が広い。参道北側、つまり向かって左側に車用参道があり、突き当たりに駐車場。
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 社殿。
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 横から。
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『氷川神社 御由緒
 上尾市平塚一五一四
御縁起(歴史)
 当社は雑木林に覆われた広い境内地を有し、現在その一部は平塚公園となって市民の憩いの場として親しまれている。
 創立は、社伝によると、承応年間(1652-55)のことであるという。平塚村は弘化二年(1845)の「下平塚村記録之書出し覚写」(神田家文書)によると、承応二年に上・中・下三村に分かれたとあることから、分村と相前後して祀られたとみている。
 「風土記稿」中平塚村の項には「氷川社 上中下平塚村の鎮守なり末社稲荷社 疱瘡神社 旗神社 別当 宝寿院」と載り、当社は、分村して以降も中平塚村一村のみの鎮守ではなく、三村の総鎮守として信仰されていたことがわかる。
 また、天明二年(1782)の宗源祝詞があり、神祇管領家卜部良延から「正一位氷川大明神」の社号額の揮毫を受けた旨が記されている。現在鳥居に掛かる社号額がこの時のものであろう。別当の宝寿院については、真言宗の寺院で、当社の本殿のすぐ北側にあったが、明治六年(1873)に廃寺となった。
 明治六年四月に当社は村社となった。同四十年、大字中平塚にあった石神社など八社と大字上平塚の神明社、大字下平塚の稲荷社を合祀した。しかし、上下平塚の両社の合祀は書類上のもので、実際には現在も元のまま祀り続けられている。

御祭神と御神徳
 素戔嗚尊・・・武運長久、厄除け、商売繁盛

御祭日
 禦(三月二十七日) 例祭(四月四日) 天王様(七月十四日)』
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 末社。
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 浅間大神。
 明治二十七年甲午(1894)四月建立。鳥居は平成三年(1991)七月の建立。
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 神楽殿。
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 不動明王。
 右に「法印権大僧都長恵 不生位」、」左に「正徳三癸巳年(1713)正月十三日」と刻まれている。
 横の無縫塔には「元禄九丙子天(1696) 爲大阿闍梨尊■■■ 九月十一日」。
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