愛宕神社(愛宕一丁目)

IMGS9195s.jpg
 上尾運動公園の西、埼玉県道51号川越上尾線と県道164号鴻巣桶川さいたま線の交わる上尾陸橋交差点から少し北へ向かうと愛宕神社(上尾市愛宕1-18)が鎮座している。
IMGS9207s.jpg
 社殿。
IMGS9200s.jpg
『愛宕神社御由緒
 当所の愛宕神社はその昔、現在の上尾運動公園北門の西方二、三○○米先(現在の愛宕二丁目)の所に本殿があって、周辺一面はうっそうとした広い愛宕山で、その南側が甚兵衛山、北側に山王山で日の詰神社の山林もあったと古老の言伝えにあります。明治初年に神仏分離令の発布があり、その後分離、廃合、合祀などが行われ、愛宕神社も合祀されることになりましたが、下町町民(当時の戸数、五~六十軒)がこれを拒み、旧原市新道、南角の所を借り受け、ここに一時お祀りしました。
 その後、明治四十二年(1909)七月二十日に現在のこの所に再び神社をお遷しして明治四十二年七月二十四日に大祭を行い、その日から下町を愛宕町と改名することになりました。
 昔、愛宕神社の本社が鎮座せられたのは、今から一二五○数年前、和気清麿公が勅を奉じて王城の火災防火、開運勝利、諸病厄除等、鎮護祈願の神として、山城と丹波の国境旭ヶ峯の頂上(今は京都市)にお祀りしたのが始まりであると言伝えられております。
 ご神体は勝軍地蔵菩薩様で、本殿に伊邪那美命、外二十柱の神様をお祀りしてあります。現在全国に愛宕神社は八百余分社があり、その内本県に三十数社(神社庁調べ)あります。
これ等の分社はおおかた大同元年(806)および仁寿三年(853)頃全国にわたり、とりわけ関東・武蔵の国に非常に火災と悪病が流行した時に当地にも分社鎮座がおこなわれたと考えられます。当社は古くから火防、諸病厄除、無病息災、開運等にご利益があると言われ参拝者が絶えません。
 例大祭 七月二十四日』
IMGS9201s.jpg
 愛宕神社新築記念碑。
 「明治四十四年辛亥二月建 温故堂敬書」とあるので1911年に建てられたのだとわかる。二ツ宮氷川神社の案内板に、明治四十二年に氷川女体社と鍬神社が合祀すると、女体社の空宮が愛宕神社の本殿として譲られたと書かれていたので、その愛宕神社とはこちらのことだろうと思っていたのだが、どうやら違うようだ。
IMGS9234s.jpg
 猿田彦大神。
IMGS9228s.jpgIMGS9227s.jpg
 享保七壬寅年(1722)二月造立の青面金剛だが、額には猿田彦大神と刻まれている。
IMGS9226s.jpgIMGS9225s.jpg
 側面にも陽刻が施されている。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
ブログ内検索
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
最近のトラックバック
FC2カウンター
プロフィール

梁瀬

Author:梁瀬
無駄な徘徊でCO2を増やす、
方向感覚に不案内なヒト

リンク
RSSフィード