八坂神社(文京町四丁目)

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群馬県道2号前橋館林線文京町交差点の北側、文京町四丁目自治会館脇に鎮座する八坂神社(前橋市文京町4-1-16)。
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 天川地名愛惜之碑。
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 二の鳥居。
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 八坂神社。
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 雷電神社・菅原神社。
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 左奥から月山大神・湯殿山大神・羽黒山大神、不明、不明(梅鉢紋があるので天満宮かも)、湯殿山・羽黒山・月山供養塔、甲子待塔、不明。
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 道祖神、護摩千座供養塔、大乗妙典一字一石塔、庚申塔など。
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 自治会館建設記念碑。

 10月12日追記。
「前橋の伝説百話」の『第六十四話 奈良の大仏と小沢若狭守』によると、聖武天皇の詔により奈良の大仏が造られることになったが、この大仏の鋳造にあたり諸国の有名な鋳物師が集められ、その中に天川に住む小沢隼人と言う鋳物師がいた。大仏の完成後、小沢隼人はその功績により若狭守に任ぜられた。若狭守は天川に帰ると八坂神社の御神体牛頭天王を三体鋳造した。一体はこの八坂神社に、もう一体は世良田の八坂神社に、最後の一体は旧横山町の小石神社へ分けられたが、文京町の牛頭天王像は文化年中(1804~18)の火災により社殿が焼失した際に大変傷んでしまったと言うことだ。大仏建立の詔が出されたのは天平十五年(743)なので、牛頭天王像を造ってから神社が創建されたのか、あるいはそれ以前よりあったのかはわからないが、いずれにせよこちらの神社の創建は相当古いことになる。
 また『第六十六話 牛頭天王ときゅうり』には、「天川の牛頭天王は出歩くことが好きで、しょっちゅう町中の家々を覗いたり辺りの野巡りをしていたが、ある日いつものように野巡りをしていると、胡瓜畑を通った時に何かで目を突いてしまい、涙が出るやら痛いやらで大層悩まされ、それ以来胡瓜畑を大変嫌うようになり、それが嵩じて胡瓜も嫌いになり、その後は胡瓜の時期になると出歩かなくなってしまったと云う。これを知った天川の人々は牛頭天王を気の毒に思い、この付近では決して胡瓜畑を作らなくなり、亦例え他所で作った胡瓜であっても食べなくなったと伝えられる」と言う事が記されている。
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