水神宮(南町二丁目)

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 利根川に架かる南部大橋の東側に鎮座する水神宮(前橋市南町2-49)。
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 水神宮拝殿。
 左側の建物には「神長寶」と書かれた扁額が掛けられているので、神長宝社の拝殿だろうか。
『群馬縣管下上野国東群馬郡宗甫分村字村内
 村社 水神社
一、祭神 罔象女神
一、由緒 不詳
一、本社 間口弐間 奥行壱間
     (追記)間口壱間弐尺 奥行壱間、廿年二月廿九日建換許可
一、拝殿 方弐間
     二十年二月廿九日建築許可、廿一年九月一日落成届
一、幣殿 間口三尺 奥行四尺
     (追記)間口壱間 奥行四尺五寸、廿一年九月一日落成届
一、境内 百拾坪 民有地、但林傳治外三十八人共有
一、境内末社 八社
 八坂社 
  祭神 素盞嗚尊      由緒 不詳   石祠 方三尺
 若宮八幡宮
  祭神 誉田別命      由緒 不詳   社宇 方弐尺五寸
 稲荷社
  祭神 倉稲魂命      由緒 不詳   社宇 方弐尺五寸
 神長宝社
  祭神 経津主神      由緒 不詳   社宇 間口壱間半 奥行壱間
 三峯社
  祭神 大物主命      由緒 不詳   社宇 方弐尺五寸
 秋葉社
  祭神 埴安姫命 火産霊命 由緒 不詳   石祠 方八寸
 菅原社
  祭神 菅原道真朝臣    由緒 不詳   石祠 方八寸
 青麻社
  祭神 不詳        由緒 不詳   石祠 方八寸
一、氏子 三拾九戸
一、管轄廰迄距離 拾八丁』(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 凛々しい狛犬。
 台座には「昭和三十年四月十五日 小峰石材天刻」「北海道 中村玉吉 北海道 中村武摩利 當町 中村仙治」と刻まれている。
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 神長宝社。
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 末社群。
 奥から秋葉山大権現、不明、牛頭天王、不明、天神宮、不明。上野国神社明細帳によれば石祠は四基の筈だが、六基ある。
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 庚申塔と馬頭観音文字塔。
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 神輿庫と仏堂、如意輪観音。
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『南町二丁目のあゆみ
 南町二丁目は古くは宗甫分村といい此の村は紅雲町の旧紅雲分と石倉の旧内藤分とともに三分と称されていた。分とはだれだれの領分という意味のものと解される。
 宗甫分はかつては群馬東郡または東群馬郡に属して明治二十二年(1889)四月には上川渕村大字宗甫分村となり同二十九年には郡名変更により勢多郡管下にあった。同三十四年四月にいたり上川渕村のうち宗甫分村、六供村、市之坪村、紅雲分村、前代田村、天川村の六大字が前橋市に合併してからは同市の宗甫分村となり同四十三年には前橋市宗甫分と改称した。
 この地には古代よりの東道も通り江戸初期には利根川畔に実正の関所が設置されるなど永きにわたり同川の両岸を船で結ぶ重要な交通の要地としてその名を天下に轟かせていた。明治元年に関所が廃されると地元の有志等は同十二年に長さ約一五五メートルの就安橋を架設したがこれは日ならずして流失しその後は幾度か渡船を通したがこれも今では語り草となった。
 この町は坂東太郎の崖崩れに遭ひつつ東進しかつては今の河川の中ほどにあったといわれる水神社もやがては現在地にいたり明治二十一年ごろには社殿が再建された。その神名は水波能売命と申しあげる。
 昭和の御代となり同四十二年が明治維新より百年目にあたり町名も南町二丁目となったのを機に六百余名の町民は結集して四十四年に水神社の境内に公民館を建設した。またこの地に同五十三年春に開通した南部大橋は当町の区画整理を促し町内は往古の活気を取り戻すにいたったが水神社も若干の移動をみたので町内有志は社殿の修覆と社屋の銅板葺きなど施工した。
 よってこの町ゆかりの経緯を刻し町内の鳳舞発展を祈念するものである。
 昭和五十四年三月吉日』
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