飯玉神社(橳島町)

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 前橋工科大学から南西200m程の位置に鎮座する飯玉神社(前橋市橳島町384)。
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 拝殿。
『群馬縣管下上野國東群馬郡橳島邨字宮西
 村社 飯玉神社
一、祭神 宇氣母智神
一、由緒 不詳 大正七年三月廿九日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進
    神社トシテ指定セラル
一、本社 間口弐間 奥行一間半
   (追記)間口五尺 奥行壹間、明治四十五年四月十八日訂正許可、上記ノ通改築、
      大正元年八月十六日許可
   (追記)一 拝殿 間口貮間 奥行壹間半
       右記入明治四十五年四月十八日許可
       後記ノ通改築、大正元年八月十六日許可
       一 本殿(改築)
       一 幣殿(新築)
       一 拜殿(改築)
       右大正元年八月十六日許可、仝年十二月十四日落成届出
一、境内 貮百九坪 官有地
一、境内末社 拾五社
 拔鉾神社   祭神 經津主神          由緒 不詳   石祠 方四寸
 赤城神社   祭神 大穴牟遅神 豊木入日子命  由緒 不詳   石祠 方四寸
 小祝神社   祭神 少名毘古那神        由緒 不詳   石祠 方四寸
 宇藝神社   祭神 宇氣母智神         由緒 不詳   石祠 方四寸
 椿名神社   祭神 火産霊神 波迩夜麻毘賣神  由緒 不詳   石祠 方四寸
 美和神社   祭神 大物主神          由緒 不詳   石祠 方四寸
 加茂神社   祭神 別雷神           由緒 不詳   石祠 方四寸
 倭文神社   祭神 天羽槌雄命         由緒 不詳   石祠 方四寸
 火雷神社   祭神 火雷神           由緒 不詳   石祠 方四寸
 甲波宿弥神社 祭神 速秋津姫神 速佐須良姫神  由緒 不詳   石祠 方四寸
 伊香保神社  祭神 大穴牟遅神 少名毘古那神  由緒 不詳   石祠 方四寸
 大國神社   祭神 大國魂神          由緒 不詳   石祠 方四寸
 菅原神社   祭神 菅原道真公         由緒 不詳   石祠 方八寸
 若宮八幡宮  祭神 品陀和氣命         由緒 不詳   石祠 方七寸
 八坂神社   祭神 須佐之男命         由緒 不詳   石祠 方七寸
一、氏子 三拾貮戸
一、管轄廰迄距離 壱里』(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 社殿斜めから。
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 社殿西側に御嶽塚。
 塚頂に御嶽山神社・三笠山神社・八海山神社と刻まれた石塔があり、その周辺に大山彦尊文字塔や享和元年(1801)八月造立の天満宮他石祠三基があり、塚の途中には三基ワンセットの小石祠群が四つ。また道祖神なども見える。
 一番下段の小石祠三基にはそれぞれ大國神社、火雷神社、倭文神社の名が刻まれている。神社明細帳に記されている境内末社十五社はここに集中しているのだろう。
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 社殿東側にも境内社があるが、こちらは扁額が掛けられていないのでわからない。なのでいつものようにググってみると、こちらの方のブログにこの祠の記述を発見。それによると、疫病の流行により甚大な被害を受けた橳島村の復興を前橋藩より命じられた代官が全力で取り組み復興させた為、村人がその遺徳を偲び、弥功霊神と称して祀ったのがこちらの祠であるのだそうだ。ちなみに江戸時代末期の上野吉井藩に橳島氏という郷代官がいたそうなのだが、吉井藩があったのは現在の高崎市吉井町なので、この話との関係は無いのだろう。
 弥功霊神の脇には庚申塔、馬頭観世音、馬頭観世音(宝暦六丙子年(1756)七月)、庚申塔、大黒天(安政四丁巳年(1857)二月)、甲子塔、二猿庚申塔、馬頭観音が並んでいる。

 10月27日追記。
『飯玉神社の境内東側に赤松を背負い、遥かに赤城山を背景に高みの処へ祀ってある九尺二間の祠がこんどう様である。
 こんどう様は弥功霊神と言い、寛政五年(1793)七月十五日、前橋藩士の家に生まれ、安政元年(1854)十一月六日享年六十二歳で病没した代官、近藤弥市殿を祀ったものである。
 現在の場所までに二回移動している。文久三年(1863)、瑠璃光寺入口北側に祀られていたのを昭和十五年(1940)政府米保管指定庫を造る為西北の隅に移動した。そして昭和三十一年(1956)十月、再度現在の橳島町三十七番地に移る』
(「橳島町を温ねて」より抜粋)

 全文を書き写すのも面倒だったので要約すると、天保七年(1836)から九年まで続いた大凶作による被害は甚大で、天保九年九月に旧前橋藩に願い出たところ、代官近藤弥市が検分役と相成り、この代官は度々村へ出張しては荒地を始め耕地なども検分し、以後安政元年までの十六年間に亘って村を世話していたが、その後間もなく身罷り、その死を知った村人達はその恩恵に報いんと神に祀ることにした。文久三年に神祇官へ申し立て、弥功霊神と官位を頂戴し、瑠璃光寺境内に安置した。この祠には白木造りの内宮があり、形見の長刀が納められていたが、戦時中政府の命により戦場へ送られ、現在は今井兼平氏の寄贈した長刀が納められているとのこと。
 また、「橳島町を温ねて」によると、昭和五十四年(1979)十月に飯玉神社の屋根瓦を葺き替えした際、棟木に四枚の御祈祷札が納められていたことがわかり、古いものから明和元年(1764)九月、安政五年(1858)九月、明治十三年(1880)四月、大正元年(1912)十月であったと言う。
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No title

 お教え頂き、ありがとうございます。資料館は石神神社の近くにあるのですね。近いうちにそちらに参拝するつもりでしたので、資料館にも立ち寄ってみようと思います。

No title

それから橳島の地名は、豊城入彦命が東征の折、『ぬるでの木』で采配をとられ敵を打ち負かしたという故事にちなんで「ぬるで(勝軍木)島」としたと聞きおります。
ちなみに、このあたりの利根川両岸にも、ヌルデの木がたくさん自生しています。

『弥功霊神』を祀っている祠

はじめまして。『猫のキキ…』のヒゲクマです。お尋ねいただきありがとうございます。
上川淵小学校の端毛川を挟んだ西にある『上川淵地区郷土民俗資料館』(毎週水曜・土曜:午前10時~午後4時開館、℡027(265)1836 )でこの地区の神社を調べた展示を見たことがあります。そこに、。『弥功霊神』を祀っている祠に関する調査もあったと記憶しています。もっと正確で、詳しい由来をご存知の方がいると思いますので、お暇なときにお訪ねになられてください。
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