六供八幡宮(六供町)

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 六供町公民館西側に鎮座する六供八幡宮(前橋市六供町332)。
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 一の鳥居跡を挟んで左手側に道祖神。右手側に大黒天と秋葉大神。
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 一の鳥居跡。柱の穴の配置から見て、以前は両部鳥居があったようだ。
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 二の鳥居。
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 拝殿正面。
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 斜めから。
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『六供八幡宮由緒
前橋市六供町三三二番地鎮座
祭神 足仲彦尊
   誉田別尊(応神天皇)
   息長足姫尊(神功天皇)
由緒 当社は大同三年(808)当所の鎮守神として勧請し創立したと伝えられ、西暦年までの沿革は不詳、建久年中(1190~98)に社殿を改造し、その後貞享三年(1686)火災のため焼失、元禄元年(1688)戊辰八月十五日に新築完成、その後明治四年(1871)八月九日に改築工事を完了、降って大正十三年(1924)四月御屋根の修繕を行う。昭和二十四年(1949)八月三十一日夜キティ台風の為拝殿一部修築す。昭和四十年十二月十七日御屋根改築銅板葺御屋根が出来上がりました。
 現存の記録文書の中に「明治四年辛未八月御殿再造営 度会神主大夫次郎常規」とあり、又宝永元年(1704)甲申八月十五日六供村と記された太神宮御祓箱を蔵す。境内の東北に目通り周囲一丈二尺(約3.63m)高さ六十尺(約18.18m)、樹齢約五百年の大樫が聳えていたが、昭和二十四年八月三十一日夜のキティ台風によって倒伏し、今はその威容を存せず。
現境内 八七一坪
 昭和五十七年十二月二七日』

『群馬縣管下上野國東群馬郡前橋市六供村字北
 村社 八幡宮
 大正七年五月十日 幣帛料供進指定
一、祭神 品陀和氣命
一、由緒 不詳
一、本社 間口二間 奥行二間
一、拜殿 間口三間 奥行二間
一、神楽殿 間口二間 奥行三間
  (追記)大破ニ付取崩、明治十三年七月廿四日聞届
一、幣殿 間口一間半 奥行二間
一、境内 九百三拾参坪 官有地
  (追記)九百弐拾参坪 明治四十四年九月二日許可訂正
      六百拾弐坪 昭和拾五年五月二十日縮小許可
一、境内末社 九社
 八坂社   祭神 須佐之男命   由緒 不詳   石祠 方八寸
 神明社   祭神 大日孁命    由緒 不詳   社宇 方二尺
 菅原社   祭神 菅原道真公   由緒 不詳   石祠 方一尺
 飯玉社   祭神 豊宇氣比賣神  由緒 不詳   社宇 間口四尺 奥行一間
 大國主社  祭神 大國主神    由緒 不詳   石祠 方壱尺弐寸
 三峯社   祭神 大物主神    由緒 不詳   社宇 間口三尺 奥行一間
 石神社   祭神 不詳      由緒 不詳   石祠 方壱尺
 稲荷社   祭神 宇迦之御魂神  由緒 不詳   石祠 方八寸
 厳島社   祭神 市寸島比賣命  由緒 不詳   石祠 方壱尺二寸
一、境外所有地 耕地 壱反六畝廿六歩 本村字東京安寺
         地價金三拾円八拾銭六厘
一、氏子 百拾戸
一、管轄廰迄距離 三拾町』(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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 御嶽塚。
 頂に御嶽山座王神社。一段下がった所に三笠山神社と八海山神社。
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 弁財天。
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 左手前から大神様、天神社、宇賀之命之大神、猿田彦大神。神社明細帳に記されている内容と照らし合わせると、神明社、菅原社、稲荷社、石神社になるだろうか。
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 飯玉神社と雷電神社。
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 曲神尊と刻まれた文字塔と石祠。左側の小さな石祠に見えなくも無いものは、おそらく石灯籠。
 ここまで八坂社と三峯社は見ていないので、そのどちらかがこの石祠になるのだろうと思うのだけど、どうなのだろう。と言うか曲神尊ってナニ? 曲がる神だから、蛇神だろうか。とすると大物主なのかな?
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『力石
 力だめし、力くらべをするために使われたという石、神社の境内などに置かれている、力石は米俵の重量を標準として五斗石とか六斗石と呼ばれ石の上げ方においても片手さし、両手さし、肩あげなどの方法があった。(大日本百科事典小学館掲載)境内には三個の力石があり二十八貫(約105kg)五十五貫(約206kg)など昔持ちあげた人の名前が刻まれている。(六供八幡様の紹介矢嶋幸男氏執筆)
 なお大正九年(1920)八月十六日、当時横山町小石神社境内において、力だめし大会が開催され、六供町在住の斎藤重年氏が五十五貫の力石を上げた記録が残っている。(記録証書斎藤テツ氏所蔵)
 二○十一年十月一日』
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 西の鳥居。
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