産泰神社(下大屋町)

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 県道114号線と74号線を結ぶ76号線の北側に鎮座する産泰神社(前橋市下大屋町569)。
 ちなみに県道76号線のこの辺りは産泰道路とも呼ばれ、産泰神社への参詣道として江戸時代から使われていたのだそうだ。
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 参道脇の石燈籠。
 以前は現在地よりも西にあったようで、「1971年県道前橋今井線拡巾工事ノタメ下大屋町616番地ヨリ572番地ヘ移築ス」と刻まれた石版が埋め込まれている。
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 石燈籠を支える……邪鬼?
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 鳥居の脇には自動車御祓い所がある。安産・子育て祈願で有名な神社だが、交通安全の御利益もあるようだ。
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 御祓い所の奥に猿田毘古大神と道祖神。
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 神門前の参道右手側に設置された案内板。
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 随神門。天保四年(1833)の建立で、群馬県指定重要文化財とされている。
 15mm(135換算約23mm)でも狭いなぁ。超広角レンズ欲しひ。
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 随神門前の石燈籠。
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 随神像。
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 門をくぐってすぐ左手側に祓戸大神。
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 拝殿。
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 彫刻が施されている。また、こちらの鈴は小さなものがいくつも巻きつけられているもので、可愛らしくも涼やかで優しい音だ。
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 社務所でいただいたリーフレット。産泰神社公式サイトの方が見易いので、詳しくはそちらで。
『産泰神社由緒
 社殿古志故事録は小田原北条氏の乱に焼滅し定かではありませんが、日本武尊の東征の折り此地に勧請せしといい又、履中天皇元年鎮座ともいわれています。
 本殿の裏に約十三万年前に赤城の「石山なだれ」により出現したといわれる磐座があり、原始古代から信仰の土地であったことが推測されます』
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 本殿。
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 抜け柄杓。妊婦専用。
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 神楽殿と収蔵庫。
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 安産・子育て戌。
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 琴平宮の鳥居。
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 琴平宮。
 御祭神は大物主命。この社殿は文化七年(1810)の建立。
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 琴高、黄安、通玄、林霊素などの仙人の彫刻が施されている。
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 末社群。
 左から大国神社(大国主命)、菅原神社(菅原道真命)、厳島神社(市杵島姫命)、二柱神社(伊邪那岐命・伊邪那美命)、稲荷神社(宇迦之御魂命)、愛宕神社(火産霊命)、秋葉神社(火産霊命)、大山祇神社(大山祇命)、絹笠神社(和久産巣日命)、日枝神社(大山咋命)の計十社。
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 胎内くぐりの磐座。頂に祀られているのは大黒天であるそうだ。
 足場が悪く危険である為、現在は立入禁止になっている。
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 ので、現在はこちらをくぐるようになっているそうだ。
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