上長磯稲荷神社(上長磯町)

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 国道50号線上長磯町東交差点の南西150m程に位置する稲荷神社(前橋市上長磯町116-1)。
 駐車スペースは無いので、100m程西にある上長磯町公民館前に駐車。
『中世末に上長磯に居館を構えていたと言われる加藤武右衛門の屋敷の鬼門除けとして祀ったという説と、近世後半に分限者として知られた閑家の屋敷稲荷が村の鎮守に昇格したという説がある』(「木瀬村誌」より抜粋)
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『稲荷神社移転改築記念碑
 稲荷神社は村の鎮守の神として遠い祖先の時代より崇敬のまととなって来た。その祭神は農業の神といわれる宇迦之御魂神である。旧社殿は上長磯村字稲荷三○九番地で、集落中央の現地より東北約五○○メートルの地点に当る。その創立年月等は記録に残るもの無く不詳である但しその境内に存在した猿田彦命を祀る庚申塔の一つに寛文十二年十一月(西暦一六七一年)の銘を見ることができる。このことにより本年平成三年を遡ること、三一九年前にはすでに村の鎮守の神として村人の崇め祀るところであったと考えられる。時代を下って昭和の初期に県道 前橋石山線が境内地南側を東西に貫き、その後交通の発達により国道五○号線として自動車の往来は逐年増加の一途をたどるに至った。この交通量の多い国道を横断して神社への参詣神事の執行、境内の清掃等を行うには大いなる危険をも伴うこととなった。加えて今次の国道拡巾工事の終了後には更に一層の危険を増すことが予想される。
 また社殿及び付属建造物も長年にわたり風雨や自然災害を蒙り、その都度修復をかさね来たったが、全体的老朽化はいかんともなしがたい状態となった。このため氏子総代、自治会役員等より移転改築の議おこり、昭和六十三年十二月町内全体会議に諮りその議決を経、神社本庁の承認を得てこの地へ移築することとなった。
 時恰も、天皇陛下御即位の礼、大嘗祭の執り行われるに際し記念事業として平成元年秋起工同三年三月竣工を見るに至った。よって記念のためこの碑を建てる
 平成三年三月吉日』
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 庚申塔x2、猿田彦命、常夜燈、猿田彦大神。
 猿田彦命文字塔の側面には寛政十二庚申季、常夜燈の側面には萬延元庚申年と刻まれているので、1800年と1860年のものだ。
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 拝殿正面。
 木瀬村誌によると、御祭神は倉稲魂命。
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 斜めから。
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 末社。木瀬村誌には末社として諏訪社の名が記されていたが、どれがそうなのかは不明。右に三つ並んでいる石祠の左端、つまり頭一つ飛び出している石祠の額には「御宝前」と刻まれていた。
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 寛政九丁巳年(1797)十月造立の馬頭観音。その右の石版には馬頭観世音とあり、こちらは文久三癸亥年(1863)三月のもの。
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 稲荷神社前の三つ辻脇に鎮座する小祠。その後ろには道祖神。
 石祠の側面には宝暦十一巳正月と刻まれているので1761年のものであるとはわかるのだが、何神社なのかは不明。場所から見てこちらも道祖神だろうか。

 11月5日追記。
『群馬縣管下上野國南勢多郡上長磯村字稲荷三○九番
 村社稲荷神社
一、祭神 倉稲魂命
一、由緒 不詳
     大正七年二月十五日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進神社ト
    シテ指定セラル
一、本社 方貮尺
一、拜殿 間口三間 奥行弐間
一、境内 貮百四拾四坪 官有地
一、境内末社 三社
 諏訪神社 祭神 建御名方命 由緒 不詳、明治十年五月同村字稲荷ヨリ移轉
 菅原神社 祭神 菅原道真公 由緒 不詳、明治十年五月同村字八幡ヨリ移轉
 八坂神社 祭神 素盞嗚尊  由緒 不詳、明治十年五月同村字八幡ヨリ移轉
一、氏子 四拾六戸
一、管轄廳迄距離 壹里拾丁』(「上野国神社明細帳」より抜粋)
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