神明宮(堀之下町)

IMGS4005s.jpg
 熊野神社の北東160m程の位置に鎮座する神明宮(前橋市堀之下町348)。
IMGS4008s.jpg
 改築中のようだったので、境内には入らずにここまでに。
 ストリートビューを見ると2012年7月時点では社殿前に鳥居の姿は見えないので、こちらは新たに建てられたものなのだろう。

 2015年2月23日追記。
『神明宮(堀之下)
由緒 神社は大塚家の本家である「東明の大尽」と呼ばれた屋敷の乾の隅に延宝年間大塚
  家の氏神として祭神「大日霊命」を祀ったことにはじまる。明治九年村社熊野神社と
  合併することになり、境内に建てられていた石碑や上野十二社の石宮もこのとき一緒
  に村社に移された。その後、明治三十三年一村一社とする布達、また、明治四十年二
  月二十三日に神社維持法が制定され、この条件を満たない神社は統合されることとな
  った。村社では毎年度八拾円以上の収入が必要であったが、基本財産が基準に達しな
  かったため、直接管理していた大胡町の大胡神社に合併した。こうして村社は留守宮
  となり、このことを心配した大塚萬造は御嶽教の先達、中谷猶次郎や嶋田覚太郎、中
  島源平等の協力を得て、同年五月八日再び元のところに一族の氏神(大日霊命)を遷
  宮した。
   祭日は十月十六日。
境内 入口は境内の北側となっている。現在の建物は大塚萬造が中心となり、四十三名の
  協力を得、百円の費用で昭和四年十一月完成した。この建築の大工は地元の郷長吉で
  ある。拝殿は南向きに間口二間、奥行一間半の木造亜鉛葺、入母屋造りである。幣殿
  は間口半間、奥行一間半の木造亜鉛葺。本殿は石宮である。境内には明治三十五年一
  月の伊勢神宮参拝記念の手洗石。昭和十二年十二月十日に十名の氏子によって建てら
  れた御影石製の鳥居、拝殿前に木製の鳥居がある』
(「桂萱村誌」より抜粋)
 昭和四年は1929年だから、85年が経過したことになるか。まぁ、さすがにその間にも改修などはされていたのだろうとは思うけれど。
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