近戸神社(上増田町)

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 上増田公民館に隣接して鎮座する近戸神社(前橋市上増田町乙859)。
 氏子の方々による掃除中だったので、邪魔にならないようささっと参拝と撮影を済ませることに。
『群馬縣管下上野國南勢多郡上増田村字宮下
 村社近戸神社
一、祭神 大己貴命
     建御名方命 保食命 大物主命 火産靈命
     素盞嗚命 武夷島命 大國主命
一、由緒 不詳
     明治四十三年五月二十七日許可、字欠薬師無格社諏訪神社、仝境内末社五社及
    本社境内末社稲荷神社、八坂神社、琴平神社、愛宕神社、諏訪神社ヲ合併セリ
     大正七年五月十日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進神社トシ
    テ指定セラル
一、境内末社 七社
 神明社   祭神 大日孁命
 稲荷神社  祭神 保食命    明治四十三年五月二十七日本社へ合併
 八坂神社  祭神 素盞嗚命   明治四十三年五月二十七日本社へ合併
 琴平神社  祭神 大物主命   明治四十三年五月二十七日本社へ合併
 菅原神社  祭神 菅原道真公
 愛宕神社  祭神 火産靈命   明治四十三年五月二十七日本社へ合併
 諏訪神社  祭神 建御名方命  明治四十三年五月二十七日本社へ合併』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)

『上増田近戸神社社伝
社傳云古老口碑ノ傳フル所ニ當社附近廣ク往昔平源野ニシテ(上州平又ハ関東平トモ云)推古天皇御宇ニ諸國ニ新田開圃此時ニ當リ勅命ニヨリ飛騨ノ國ヨリ大仁氏来リ此地ニ住シ新田開圃ニ着シ飛騨ノ國ニテ崇敬セシ一ノ宮水無大明神ト當國赤城大明神ヲ分霊シ一祠ヲ創立シ祭神大己貴命天児屋根命天津日大御神少彦名命大山祇命級津彦命級津姫命磐筒男命磐筒女命豊城入彦命日本武命ヲ合祀シ近戸山神ト称シ宮柱ヲ建テ(宮下ト傳云字宮下名ハ此トキ起ルヨシ)守護神ト奉リ崇敬ス数多大神ヲ祭リ新田開圃拡張ニ伴ヒ地名ヲ神坐田(カミマスタ)ト名称ス後上増田ト改称スト傳云境内奥一段高キ処ニ古石宮有ルヲ元宮トス称(造立年号不明)中ニ石葉二ツ現存ス一ツハ赤城社一ツハ水無社ノ分霊神璽ト傳フ又境内地一隅ニ堂宇有ヲ観音ノ堂ト傳云寛仁年間摂津守源朝臣頼光丹波國大江山夷賊追討蒙此時ニ當リ別當社僧ハ成相寺衆徒ニシテ大神等ト共ニ祈願セシモノト傳云
明治維新ノ際ニ神仏混淆不成シテ境外ニ改祭セシ処村内ニ種々様々ノ變リ有リ古老ノ言ニ産土ノ神璽観音ヲ穢セシ由ヲ申スニ付協議上元々通リ安置ス村内平穩ト傳云(頼光黒印書ハ神社ニ保存ス)頼光始メ其時々ニ當ル武門武将藩士領主往古ヨリ神威照然タル故崇敬セシト云モ保元平治ノ戦源平ノ盛衰元弘建武ノ乱足利将軍十五代ノ季天下泰平ナラズ一日モ安カラズ信徒ハ何レモ敬神ノ念ヲ失ヘ茲ニ永ク星霜ヲ経後ニ此地ヲ大胡ノ城主上泉常陸之助領地ス庄城ヲ築キ子孫佐馬守ヲ分ケ増田佐馬守ト云入城以来篤ク崇敬シ社殿再建シ近外山神ヲ近戸山大明神ト改称シ守護神ト奉リ祈願所ト云別當社僧ハ聖護院宮付ニシテ近戸山多樂院相應寺ト云其時々ニ當ル武門武将藩士領主ハ天下泰平國土安穩武運長久五穀豊熟ノ御神徳ヲ垂レ給フ祈願ヲ命シ其都度御札守献上セシ云モ小田原北條氏ノ兵乱ニ罹リ社殿及ビ別當院大仁氏勧請ノ古記録等焼失シ茲ニ又永ク星霜ヲ経シ故ニ由緒明細ヲ知ルヲヨシナシ社僧始メ信徒集リ神霊ノ厚キ崇敬ヲ思ヘ社殿ヲ再立シ後享保三年十月神祇管領卜部兼敬卿正一位神位宗源宣旨授奉リ此時ニ領主酒井雅樂頭親愛公ハ厚ク敬拝シ神號御染筆額ヲ奉納ス寶暦年間領主前橋城主十八代松平大和守臨時御幸ノ節本殿ノ大破ナルヲ見目シ神威照然タル故境内大欅木一本(三十尋余ヲ)切リ本殿ヲ造営此時ニ大和守神號額奉納御染筆人ハ公卿ナルヨシ傳フ現今社殿ハ是レナルヲ傳云祭神一柱トセシハ何ノ頃カ別當社僧ノ誤リナルベシ又社僧ハ明治維新ノ際復職ス明治十二年村社ニ列セラル明治四十一年二月二十三日訓令第五十五號ニヨリ明治四十三年五月二十七日許可欠薬師無格社諏訪神社同境内末社五社(稲荷神社琴平神社疱瘡社阿夫利神社愛宕神社)及本社境内末社五社(稲荷神社八坂神社諏訪神社琴平神社愛宕神社)合併セリ大正七年五月十日群馬縣指定村社ニ列セラル木瀬村ヨリ年々神饌幣帛料ヲ受ク
右取調候也
 大正十年 月 日 右社掌 北爪徳重郎』
(「木瀬村誌」より抜粋)
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 拝殿西側の末社。
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 社殿裏の石祠と石塔。石塔は輪廻塔かな?
 社伝によればこれらの石祠の内二基は赤城社と水無社だと思われるのだが、さて、どれがなにやら。
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 千手観音堂。
『神仏混淆
 本地区においても神仏混淆の時代のあったことは、上増田の近戸神社境内に千手観音をまつること、下増田の蓮華院が同地の若宮八幡宮の別当を、同じ下増田の多楽院が上増田の近戸神社の、上長磯の長昌寺が鎮守稲荷神社のそれぞれ別当を務めていたことなどによっても知ることができる。明治維新による神仏分離についての具体的な動きを示す資料は見当たらないが、一つだけ、上増田の近戸神社境内の観音様のことについては、次のような記録があるのでとりあげておく。
 上増田の近戸神社には大正十年に勢多郡資料として、社掌北爪徳重郎氏がまとめたと思われる「由緒書」が残されている。
 この中に次のような記述がある。
  又境内地一隅ニ堂宇有ヲ観音ノ堂ト伝云(中略)明治維新ノ際ニ混淆不成シテ境外ニ
 致祭セシ所村内ニ種々様々ノ変リ事有リ古老ノ言ニ産土ノ神霊観音ヲ穢セシ由ヲ申スニ
 付協議上元々通リ安置ス村内平穏ト伝云(以下略)
 右の記述によると、明治維新の際神仏分離令によって、上増田の近戸神社境内に祀られていた千手観音は、神社からきり離されて別の所へ祀られた。ところがその後、上増田村内に変り事が起ったので、これは観音様を分祀したためということで、また元のように神社境内へ戻した。その後は何事もなくなった。現在でも別項のように、毎年九月七日に宮下の人たちによって、千手観音は祀られているのである。
 上増田の近戸神社境内に祀られている千手観音は、神仏融合と神仏分離の様子を具体的に示す事例の一つといえよう』
(「木瀬村誌」より抜粋)
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