駒形神社(駒形町)

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 群馬県道104号駒形柴町線に面して建てられた、駒形神社(前橋市駒形町758)の一の鳥居。
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 二の鳥居。
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 狛犬。
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 三の鳥居。
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 手水舎。
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 拝殿。
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『駒形神社略記
鎮座地 前橋市駒形町七一○番地
御祭神 保食命
    大己貴命 大物主命 菅原道真公 伊弉那岐命
    伊弉那美命 火雷命 武御名方命 須佐之男命
由緒 本社の鎮座するこの地は、古くは利根川本流の西岸に位置し、広漠たる原野の中に
  駒形社一社のみあり、駒形大明神と称し、祭神は保食命で、食物、農耕守護の神とし
  て信仰された。上野名跡考では「駒形とは野の神、山の神、水の神、土の神の社地よ
  り浄き土を採り、駒形を造り、野馬守護のためこの四神を祀る」と誌す。境内は馬蹄
  形をなし源頼朝の愛馬「磨墨」の蹄と伝えられるものが御神体の一部にある。
   勧請年月は、元亀元年(一五七○年)と伝えられる。「上野国郡村誌」
   神仏混淆時代は小屋原町の天台宗泉蔵寺に属していたが、慶安年間(一六五○年)
  頃東善養寺村(現前橋市東善町)より数戸、この地へ移転して以来、漸次戸数の増加
  により社殿を改築し、別当「山伏修験本明院」を設け駒形の氏神とした。
   社殿は宝暦七年(一七五二年)に改築したが、現在のものは明治三十八年十月の新
  築である。明治四十年十二月、本社境内末社三社(八坂社、稲荷社、秋葉社)並びに
  町内字東高島鎮座琴平神と、その境内末社四社(八坂社、稲荷社、秋葉社、菅原社)
  及び町内字桃井鎮座の雷電神社と、その境内末社三社(八坂社、三峯社、諏訪社)を
  駒形神社本社に合併した。
   大正三年十月九日、群馬県より神饌幣帛料供進神社に指定され村社となる。
   昭和二十年神社官制廃止に伴い、同年十二月「宗教法人駒形神社」となる。
年中行事
 歳旦祭      一月一日
 勧学厄除等祈願祭 一月二十五日
 春季例祭     四月五日
 八十八夜祭    五月二日
 祇園祭      七月二十四日・二十五日
 秋季例祭     十月十七日
 七五三祭     十一月十五日
 大祓祭      十二月三十一日
境内社   伏見稲荷社、水天宮社、山神社、八幡社
社 殿
 本 殿  木造一間社流造三方高欄付銅版葺  三、○六平方米
 幣 殿  木造平屋建切妻瓦葺        八、七七平方米
 拝 殿  木造入母屋瓦葺正面唐破風向拝柱付 三○、五二平方米
 神楽殿  木造平屋建瓦葺          三七、八三平方米
宝 物   牛頭天王獅子頭一対(前橋市指定有形民俗重要文化財)
境 内   二一四○平方米(前橋市指定保存樹林)
氏子崇敬者 九○○戸
平成六年五月吉日』

『群馬縣管下上野國南勢多郡駒形町字東宮
 村社 駒形神社
一、祭神 保食神 須佐之男命
     大己貴命 大物主命 菅原道眞公 伊邪那岐命 
     伊邪那美命 大雷命 武御名方命
一、由緒 當地開墾之前原野ニ一社宇アリト、因テ地名ヲ駒形ト云ウ、旧社ニシテ勧請年
    月不詳
     明治四十年十二月二十五日許可、本社境内末社八坂神社、稲荷神社、秋葉社及
    仝村字東高嶋無格社琴平神社、仝境内末社四社、仝村字桃井無格社雷電神社、仝
    境内末社三社ヲ合祀セリ
     大正三年十月九日明治三十九年勅令第九十六號ニ依リ神饌幣帛料供進神社トシ
    テ指定セラル
一、境内末社 六社
 八坂神社 明治四十年十二月廿五日本社へ合併
  祭神 須佐之男命  由緒 不詳  石祠 間口壱尺六寸五分 奥行弐尺壱寸五分
 稲荷社  明治四十年十二月廿五日本社へ合併
  祭神 保食神    由緒 不詳  石祠 間口壱尺 奥行壱尺三寸五分
 八幡社
  祭神 譽田別命   由緒 不詳  石祠 間口壱尺 奥行壱尺四寸
 山神社
  祭神 大山祇命   由緒 不詳  石祠 間口壱尺 奥行壱尺四寸
 秋葉社  明治四十年十二月廿五日本社へ合併
  祭神 大己貴命   由緒 不詳  石祠 間口壱尺 奥行壱尺四寸
 水天宮社
  祭神 豊玉姫命   由緒 不詳  石祠 間口壱尺六寸 奥行弐尺三寸五分』
(「上野国神社明細帳」より抜粋)

『駒形町の駒形神社については、駒形新田の成立と関連して、その由来が語られている。承応元年(1652)の「駒形新田由来」や宝永七年(1710)の「駒形大明神之覚」などに、駒形神社の成り立ちが記されている。それによると、駒形の町は慶安元年(1648)に東善養寺村の四名の者が、今の駒形の地に移り住んで新田を開発し、その後、慶安四年(1651)に至って家数が十四軒になり、村としての体裁をなしたので、村役を選び、村の守護神としての氏神を祀るようになった。はじめ東善養寺村の鎮守山王様を祀っていたが後に駒形大明神を祀ることにした。
 この駒形大明神は小屋原の泉蔵寺持の神社であったが、駒形新田には氏神様がないというので、駒形新田の名主(三郎右衛門)が泉蔵寺と相談して、この神を駒形新田の氏神としてもらい受けたという。時に宝永七年のことであった。明治四年の「神社明細帳」によると、祭神は保食神とある。また、明治十年の「村誌」には豊受姫命とある。稲荷神社の祭神である保食神と豊受姫命は同神であるというから、駒形神社は稲荷神社ということになろう。
 なお、駒形神社の別当所として、駒形新田にあった本山山伏天台宗本明院があてられている(駒木神官はもと本山修験)。

 駒形神社の境内には天王様が祀られている。天王様のご神体を安置する神輿は、毎年当番町に安置されていたが、交通事情の変化により現在では駒形神社に安置されている。祭礼は毎年七月二十四・五日の両日に行なわれていたが、町民の事情によって、現在では七月二十五日に近い月末の日曜日に変更されている。天王様は別項に記すように古い由来をもっている。
 駒形町には駒形神社、雷電神社、琴平神社の三社がある。別項の明治十二年の「神社明細帳」によると、雷電神社は桃井にあった。祭神は大雷命、「明細帳」に由緒として「当地開墾ノ前原野ニ社宇アリト云、勧請ノ年月不詳」とある。明治四十年十二月二十五日駒形神社に合併』
(「木瀬村誌」より抜粋)
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『祓詞
掛介麻久母畏伎伊邪那岐大神筑紫乃曰日向乃橘乃小戸乃阿波岐原尓御禊祓閉給比志時尓生里坐世留祓戸乃大神等諸乃禍事罪穢有良牟乎婆祓閉給比清米給閉登白須事乎聞食世登恐美恐美母白須』
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『前橋市指定有形民俗重要文化財 牛頭天王の獅子頭一対
1.指定年月日  昭和57年4月26日
1.所 在 地  前橋市駒形町710
1.管 理 者  駒形神社
 この獅子頭は、厚さ4cmの桧材5枚で作られ朱の漆が塗られている。駒形町は、江戸時代、藩主酒井氏の命により町づくりがはじまったといわれる。しかし、大勢の人を寄せて町づくりを行うことは、決して容易なことではなかった。そこで、駒形住民統合の象徴としてこの牛頭天王をまつり、住民の団結をはかったのである。祭りは住民合議の上、6月14日を例祭日と定め駒形宿を下から上まで巡行し、そこで獅子頭を韮川に流し、下へ行って拾い上げ、これを何回もくり返した。こうした行事が1812年頃より明治末年まで約100年間続けられた。勇壮闊達な行事と共に歩んだこの町の歴史をしのばせる貴重な文化財である』
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 八坂神社、天神社、三峰神社、大国主命。
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 末社群。
 左の三つと双体道祖神左の文字碑には猿田彦大神と刻まれている。
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 双体道祖神。
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 末社。
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 駒形伏見稲荷神社。
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 御嶽山三柱大神と石祠。
 これらの前には塀が建てられているので、塀越しにライブビュー撮影。やはりチルト液晶があると便利だ。
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 神楽殿。
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