城山稲荷神社(河原浜町)

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 大胡城本丸跡に鎮座する城山稲荷神社(前橋市河原浜町660-1)。
 大胡城の守り神は近戸大明神だった筈だが、こちらの神社はどんな由来があるのだろうか。案内板の想像図には本丸端に鳥居と神社が描かれているので、廃城になる前からこちらにあったものなのだろうけれど。
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 覆屋の中には昭和二十三年十二月二十八日の奉納額や平成二十五年三月二十四日の修繕記念棟札などがある。
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 城山稲荷社のすぐ裏手は土塁になっており、上ってみると……
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 おぉう、結構高い。うっかり滑り落ちたりしたら酷いことになりそうだ。
 川の北側は北城跡だが、現在は幼稚園になっているので見に行くことはできない。
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 別角度から。
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 北東から。
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 本丸跡には慰霊碑や水害記念碑なども設置されている。
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 本丸南側の土塁上から。魚眼レンズを持って行けば良かったなぁ。
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 二の丸跡から見た本丸南側の土塁。
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『群馬県指定史跡 大胡城跡
指定年月日  昭和42年2月24日
所 在 地  前橋市河原浜町660番地1
 城跡は、南北に走る丘陵上にある平山城で、本丸を中心に二の丸を囲部的に配し、北に北城(越中屋敷)、近戸曲輪、南に三、四ノ曲輪があり、東は荒砥川が流れ、その間に根小屋、西には西曲輪の平坦部が附加され、南北670メートル、東西最大幅310メートルの規模を持つ枡形門、水ノ手門虎口、空濠、土塁等の跡が良く残っている。中世上野の名族である「大胡氏」が拠ったと言われている。
 天正18年(1590)徳川家康の関東入部により牧野氏が大胡領2万石に封ぜられ、康成、忠成二代の居城となった。
 牧野氏は元和2年(1616)に越後(新潟県)長嶺へ、そして長岡へと転封された。以後、大胡城は前橋藩領となり、酒井氏時代には城代が置かれたが、寛延2年(1749)酒井氏が姫路へ転封に際し、廃城となった』
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 本丸と二の丸の間の濠。やはり魚眼レンズを持って行けば……。
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 枡形門跡。
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 水の手門跡。
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 水の手門跡の傍に置かれた石柱と大きな石。石柱には「昭和十二年十二月竣工」「ねごやはし」「距赤城山大洞十五、九粁」と刻まれたプレートが嵌め込まれている。
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 大胡城跡入口。
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