上志柄天満宮(羽附町)

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 群馬県道372号線花山入口交差点の東270m程の位置に鎮座する上志柄天満宮(館林市羽附町1784)。
 駐車スペースは無いので、240m程東にある上志柄集会所に駐車。
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 鳥居と社殿。
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『上志柄・天満宮由緒(森田勇氏所蔵文書より)
抑、上志柄天満宮は、元和元年(1615)今成丑之丞なる者、大阪の陣に徳川方として出陣する。母は息子の無事帰還の節は、天満宮一宇を建立すべしと、松原村に祭るを始めとする。
その後、上志柄・大袋地内に、鎮守の無きことを嘆き、松原村世話人に懇願したところ、社地は羽附分に願いたしとのことにて、相談の上延宝年間(1673~1680)大袋地内に祭るなり。
以来、幾多の変遷を経て、大正初期に富士嶽神社に合祀せられ、空宮になった堂宇は、損傷が甚だしい為、取り壊すことになる。
建築資材は普済寺に預け置かれたが、腐朽の虞れがあり、これを見兼ねた、当地森田幸助氏は尊崇の念厚く、自費を投じ屋敷内に天満宮を建立し、戦後間もなく富士嶽神社より再勧請せり。
実に上志柄天満宮の初めなり。
昭和六十年十月新築再建立する。
 神主 菅原道真公
 例祭 一月二十五日
    十月二十五日』
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 旧社殿。
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 天満宮の20m程北に富士塚らしきものがある。
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 天満宮の東側にあるアパートの駐車場端に立てかけられた猿田彦大神。根元がぽきっと逝ってしまっている。

 以上で2月7日参拝分終了。
 使用機材はK-5IIsにDA20-40mmとDA15mm。X30。
 この後は市役所隣の図書館に行って館林の神社について調べてみたのだが、今回巡った場所に関しては記述が少なく、あまりわからなかった。また後で前橋の文書館に行って神社明細帳でも調べて来ようかな。
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