姫宮神社(宮代町姫宮)

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 姫宮駅の北西600m程の位置に鎮座する姫宮神社(南埼玉郡宮代町姫宮373)。
 宮代町の公式サイトを見ると、宮代町は昭和三十年に百間村と須賀村が合併してできた町であり、百間村の総鎮守である姫宮神社の「宮」と、須賀村の総鎮守である身代神社の「代」をとってその町名の由来とすると書かれている。
姫宮神社  ──宮代町姫宮三七三(百間村字姫宮)
歴史

 当社の境内やその周辺には、「姫宮神社古墳群」が存在し、その開発の古さを物語る。
 創建については、社伝には、桓武天皇の孫の宮目姫が下総国へ下向の途中、当地に立ち寄った際、紅葉の美しさに見とれているうちににわかの病で倒れて息絶えてしまった。後に、当地を訪れた慈覚大師円仁がこの話を聞いて、姫の霊を祀ったのが始めてであるという。
 「風土記稿」百間村の項によると延長五年(927)成立の「延喜式」神名帳に載る武蔵国埼玉郡「宮目神社」は、当社のことであるという。
 また、同書には「姫宮明神社 村の鎮守とす、中村宝性院持、神体は釣鏡三面にて、厨子の中に掛く、中央は釈迦の像、左右に文殊普賢の像を鋳出せり、社前に応永年中の鰐口を掛(以下略)」と記されている。この文中の鰐口は、別当であった宝性院(現宝生院)に所蔵されており、「敬白武州太田庄南方百間姫宮鰐口一口、旦那大夫五郎応永廿一年(1414)甲午三月日」の刻銘がある。この寺について、「風土記稿」中村の項には「宝性院 新義真言宗、東村西光院末、姫宮山と号す。(中略)本地堂、当寺は百間村姫宮社を預れるを以て彼本地仏釈迦・文殊・普賢の三像を安ずと云」と載せている。
信仰
 祭神は、多記理姫命・市杵島姫命・多記津姫命の三柱である。古くから、乳の出の悪い産婦が参拝すると良くなると信じられ、かつては神前にオサゴ(お饌米)を供え、代わりに既に上がっているオサゴを持ち帰って粥にして食べた。しかし、近年は、粉ミルクが市販され、医療が発達するなどして、この信仰は薄らいでしまっている。
 年間の祭事には、元旦祭、七月二十日の例祭及び二十日過ぎの日曜の夏祭りがある。また、末社の祭典には、稲荷神社の二月の初午祭、三峰神社の九月十九日のお焚き上げ祭がある。
 このうち例祭は、豊作祈願・氏子の安泰を祈願する祭りである。参列者は各地区の総代である。昭和三十年ごろまで、同郡内の庄和町榎の神楽連を頼み、神楽を奉納していた。直会は、かつては拝殿か神楽殿で催していたが、昭和五十年ごろからは境内に新築した姫宮集会所を会場としている。
 夏祭りは元来、例祭の翌日に、天狗の扮装をした者と、獅子頭を被った者二名が、姫宮地区を一軒ずつ回り、土足で家に上がり込んで、祓いを行う悪魔除けの行事であった。しかし、昭和六十年代から、新住民が中心となって夏祭りと称して神輿の渡御を始めたため、天狗と獅子も、この神輿と共に行列を組むことになり、現在では例祭から独立した形となっている』
(「埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉」より抜粋)
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 鳥居の前には青面金剛が並び、左は享保十七壬子年(1732)、右は文化四丁卯年(1807)の造立である。
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『姫宮神社
 所在地 宮代町字姫宮
 姫宮神社は旧百間領の総鎮守で、祭神は多紀理毘売命・多岐津比売命・市杵島比売命の三柱を祀る。社伝では、桓武天皇の孫の宮目姫が当地に立ち寄った際、紅葉の美しさに見とれ、突然の病で亡くなったことを、後に慈覚大師円仁がこの話を聞き、姫の霊を祀ったのが始まりであるともいう。また、一説には、延長五年(927)成立の「延喜式」に記載される「武蔵国埼玉郡宮目神社」は当社のことであるという。
 当社の本殿は、基壇の銘によると「正徳五年(1715)四月吉日」とあり、その頃建立されたと推定され、建築様式からも証明されている。一方、拝殿は、海老虹梁に文久三年(1863)の銘が記されている。拝殿内には絵馬が多数掲げられており、一部は町の指定文化財に指定されている。また、かつて所蔵していた応永二十年(1414)銘の鰐口は、現在、町の指定文化財として当社の別当寺であった前原の宝生院が所蔵する。
 本殿の東側に八幡社が祀られている。元は別の神社であったが、明治三十五年(1902)当社に編入された。なお、八幡社は、周囲より二メートル程小高くなっており、かつて埴輪片が出土したことから古墳であると推定される』
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 拝殿。
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 狛犬。台座には天保十二辛丑年(1841)五月と刻まれている。
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 力石。
『力石は力試しに用いられた大きな石です。
 日本では鍛錬や娯楽として、江戸時代から明治時代までさかんに行われました。
 右側 正徳五年乙未年四月吉日 若衆七人
    奉納 力石 三十三貫目(約122kg・自然石)
 左側 正徳五年乙未年四月吉日 施主 鈴木市兵衛・同伊兵衛・同六兵衛
                   島村九助持之
    奉納 力石 四十三貫五百目(約163kg・自然石)
 二つの力石は1715年・七代将軍 徳川家継の時代に奉納されたものです』
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 賽銭箱には丸に鶴の丸紋が彫られている。
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 社殿斜めから。
 本殿の辺りは姫宮神社古墳群2号墳とされているのだそうだ。
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 本殿は幣殿と繋がり、覆屋に囲われている。
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 香取社・鹿島社。その右側に天神社。
 御祭神は経津主大神、武甕槌大神、菅原道真公。
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 地主社。
 御祭神は大地主神。
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 八幡社。
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 八幡社の周囲はやや高くなっており、姫宮神社古墳群1号墳とされている。また、先の2号墳と合せて一つの前方後円墳である可能性もあるとのこと。
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 三峯社。
 御祭神は伊邪那岐大神・伊邪那美大神。
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 稲荷社。
 御祭神は宇迦之御魂大神。
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 神楽殿。
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