五社神社(宮代町東)

IMGS8026s.jpg
 姫宮駅から西南に700m程、真言宗智山派百間山西光院光福寺のすぐ南側に鎮座する五社神社(南埼玉郡宮代町東90)。
五社神社  ──宮代町東九○(百間村字東)
歴史

 当地は、かつて百間村の中心地であったが、元禄八年(1695)に分村して東村となった。また、古くは大寺であった西光院があることから寺村と称したこともあった。
 創建については、元禄十二年(1699)に西光院住職宗彬法印と弟子の当社別当大蔵坊秀応が、荒廃した当社の改修の寄進を求めるために記した「勧進帳」(西光院蔵)には次のようなことが記されている。
 養老年中(717-724)かの行基が当地に来たところ、五人の老翁が現れ、「我々は仏法護持のため、様々な霊地に身を置いたが、中でも当地は天地に比べるもののない霊場である。我々は熊野三山の翁・近江日吉の主・白山の厳老である」と告げて姿を消した。行基はこの告げに従い、当地に西光院を建立し、境内に寺の鎮守として当社を創建した。その後当社は、百間領五千石の総社として厚く崇敬されたが、時を経ると人々の信仰心が衰え、社殿も著しく荒廃してしまった。この有様を憂えた宗彬法印らは、まず元禄八年に拝殿を増築し、次いで他の社殿の改修を発願して、広く寄進を求めたものである。
 口碑によると、この社殿の改修は、宗彬法印らの努力もあって、領民の寄進により無事行われたという。
 なお、本殿は五間社流造りで、桃山期から江戸初期のものとされ、県内では珍しい様式であり、昭和三十七年に県指定文化財となった。
信仰
 当社は「権現様」と称され、行基に神意を告げた五老翁を祀り、霊験あらたかな鎮守神として厚く崇敬されている。祭神は、天之忍穂耳命・天津日子根命・天之穂日命・活津日子根命・久須毘命の五柱で、五間社の本殿の各々の内陣には、金幣と神鏡及び神鏡形の厨子に納められた祭神の本地仏とされる阿弥陀如来・不動明王・千手観音・釈迦如来・毘沙門天の像が奉安されている。これらの仏像は、元禄十四年(1701)に村の有力者であった鈴木治左衛門・嶋村新右衛門・青井七右衛門・鈴木源左衛門・法印権大僧都宗彬の奉納によるものである。
 祭事は元旦・二月十四日の越年祭・七月十六日の祭礼・十月十九日のお日待の年四回である。越年祭は「女の年越し」とも称し、明治期までは男が節分に参拝するのに対し、女はこの日に参拝したという。祭典が終わると神職が拝殿から境内に向けて豆を撒き、続いて厄年の男女による「みかん投げ」が行われる。これも本来は豆を撒いていたが、昭和三十年ごろ氏子の厄年の人からみかんが奉納されたのが始まりで、年々奉納が増え「みかん投げ」と呼ばれるようになった。今ではこのみかんを食べると風邪を引かないといわれ、大勢が詰め掛ける。
 祭礼は厄病除けの祭りで、明治以来、本殿の鍵を預かる渡辺貢家が早朝に御扉を開けておく。氏子は銘々で参拝し赤飯や酒を奉納する。午後二時からは、総代・当番の参列で、神職により祭典が執行される』
(「埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉」より抜粋)

 熊野三社、日枝社、白山社で、どうして祀られているのが五男神なのだろう。家都美御子大神、熊野速玉大神、熊野夫須美大神、大山咋神、白山比咩神ではないのは何故なのだろうか。
IMGS8027s.jpgIMGS8028s_20150401221910404.jpg
 獅子山。明治二十五年(1892)九月吉辰と刻まれている。
IMGS8091s.jpg
 幟立石。安政五戊午年(1858)六月吉建と刻まれている。
IMGS8075s_20150401224502123.jpgIMGS8045s.jpg
 大杉大明神と藤原大権現。藤原大権現は明和九壬辰年(1772)二月吉日の造立。
 右の祠は不明。「埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉」には境内の見取図も描かれているのだが、この祠は記されていない。
IMGP4711s.jpg
 第六天。側面には寛延二己年(1749)九月吉日と刻まれている。
IMGS8054s_20150401224809f76.jpg
『五社神社
 所在地 宮代町東九○
 五社神社は、以前、五社権現社もしくは五社宮とも言われ、熊野三社(熊野坐神社、熊野速玉神社、熊野那智神社)、白山、山王の五社を等間隔に祀ったところからその名が起ったと言われている。祭神は、天之忍穂耳命他七柱である。
 創建年代については、別当である西光院が火災にあったため明らかでないが、現在の本殿は、桃山時代の文禄、慶長(1592~1614)の建築と推定されている。本殿は五間社流造りで、正面に向拝をつけ、蟇股に牡丹、竜、鳳凰、猿、虎などの彫刻が施されている。大正年間にカヤ葺きからトタン葺きに替えられ、昭和四十九年の解体修理のとき銅板葺きにされた。
 また、それぞれの社には、元禄十四年(1701)五月吉日の年号がある銅製の御神鏡がある。江戸の鏡師二橋伊豆守藤原吉重の作である。
 拝殿前には文政三年(1820)に建立された当地の俳人中野南枝の句碑があり、拝殿内の正面にも同時期の俳句絵馬が奉納されている。
 なお、本殿は、昭和三十七年三月県指定の文化財となっている。
 昭和六十二年三月』
IMGS8066s.jpg
 拝殿。
IMGP4721s_201504012248052a2.jpgIMGP4719s_2015040122480460d.jpg
 狛犬。台座には明治十四年の文字が見える。
DSCF2335s.jpg
 本殿。
 県指定有形文化財に指定されている。
IMGS8057s_201504012248082d8.jpg
 末社。
 左から小御岳神社、浅間大神、三峯神社、天満宮、稲荷社。
IMGS8096s.jpg
 拝殿北側に不動堂。
IMGS8078s_20150401232658100.jpgIMGS8079s.jpg
 不動堂の東側に富士塚があり、頂には浅間社が鎮座している。また、台座には扶桑教の文字が見える。
IMGS8101s.jpgIMGS8106s.jpg
 境内北東端に宝篋印塔と青面金剛、庚申塔。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
ブログ内検索
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
最近のトラックバック
FC2カウンター
プロフィール

梁瀬

Author:梁瀬
無駄な徘徊でCO2を増やす、
方向感覚に不案内なヒト

リンク
RSSフィード