神明神社(宮代町山崎)

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 宿集会所の西100m程の位置に鎮座する神明神社(南埼玉郡宮代町山崎64)。
神明神社  ──宮代町山崎六四(百間村字山崎)
歴史

 当社は「郡村誌」百間村の項に「相伝ふ元和中(1615-24)松永弾正落来たりて本村に居住を定め」とあり、土地の口碑にも「落武者の松永源太左衛門一族と家来が京都から来てこの辺りに住み付いたことに始まる」という。
 当社は、この松永源太左衛門が祀ったと伝えられている。「風土記稿」百間村の項に「神明社 松永坊持」とあり、当社は往時、松永坊という黄檗宗の僧坊の管理するところであった。この坊も松永坊という名が示す通り、寛永年中(1624-44)に松永氏の墓守として建てたといわれるもので、松永坊と称するようになったのは元禄年中(1688-1704)のようである。明治初期には「松永庵」又は「寮」と呼ばれていたが、昭和四十年代初めに宿集会所として建て替えられた。この集会所の辺りは、今も「源太山」と呼ばれて、かつての源太左衛門の屋敷があったと伝えられている。なお、松永坊の本尊であった阿弥陀如来は、集会所になってからも一隅に安置されていたが、近年、青林寺に移された。
 昭和十五年には、皇紀二千六百年に際し、伊勢神宮参拝記念として参道の敷石が奉納された。また、同五十年には、木造の鳥居が老朽化したことから、コンクリート造りのものに再建され、併せて本殿の修理が行われ、現在に至っている。
信仰
 祭神は大日孁貴命である。古くから五穀豊穣・無病息災・商売繁盛の神として崇められている。氏子は、願いがかなうと、紅白の鈴縄に奉納者氏名を記して社頭の鈴に下げたり、お神酒を上げてその奉賽としている。
 祭りは七月二十六日の年一回で「神明様の祭礼」と呼ばれている。この日が祭日と定められたのは、ちょうど農閑期に当たっているためであるという。また、古くからこの祭りは必ず晴天になるといわれている。かつては早朝に幟が立てられていた。祭典は午後一時から宮司の奉仕により氏子全員の参集で執り行われる。神前には、お饌米・お神酒のほか、海の物・山の物が供えられる。当社には拝殿がないため、祭典後の直会は境内に筵を敷き、その上に座って酒宴を行うのが古くからの形であった。しかし、昭和四十年代初めに当社の一五○メートルほど東方にあった「松永庵」を建て替えて宿集会所と称するようになってからは、そちらを直会の会場として利用するようになった。
 当社が神明神社であることもあり、かつては氏子の間で伊勢講が盛んに行われていた。各自で年々収穫した米の一部を換金して積み立て、ある程度貯えができると、伊勢講を結成して伊勢神宮に参拝し、太々神楽を奉納していたが、昭和三十年の参宮を最後に途絶えてしまった』
(「埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉」より抜粋)
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 宿集会所脇の道端に不動明王と青面金剛。
 青面金剛は宝暦二壬申年(1752)の造立。
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